以前に「ブレない自分」について(“こころ”のカテゴリー)書いた。
最近、「ブレない手」の大切さを感じる。
「ブレない自分」も「ブレない手」も基本は同じ。
片手ずつは弾けるのに、両手になると弾けないことはよくある。
このとき、「弾けないのは何が原因?」「どういう練習をしたら弾けるようになる?」と聞く。
生徒たちは、さっきの自分の演奏を分析する。
そして、心当たりのある原因や、練習のアイデアを話し合う。
その練習をしてから、もう一度両手にしてみる。
それで、弾けるようになったり、弾ける気配を感じたりすれば、後はお家で練習すれば大丈夫
それで弾けない場合……共通点があることに気付いた
それが「ブレない手」。
両手で弾けないのは、両方へ気持ちが入りきっていないから。
↑
こう考えると、ピアノってホント難しい
これを反復練習のみで弾けるようにするのは、最後の砦にしておきたい
片手ずつはある程度弾けているので、気持ちの問題が大きいと思う。
で、
その部分で要になっている手(たいてい左手)を「ブレない手」にすればいい
生徒によっていろいろだけど、目をつぶって弾いてみたり、これでもか!というほど大きな音で弾いてみたり、
とにかく自信を持って、何が起きてもそれを弾き続けられるようにしてしまえば、
もう片方の手を入れたら「あら不思議」っていうくらいに簡単に両手が弾けちゃう
どっちかの手に流されてしまう手でいるときは、両手が交わらない。
両方の手がはっきりした意志を持って弾いていれば、両手にしたら相乗効果
アンサンブルも、そう!
相手が何を弾こうと、自分の信じた演奏ができれば、合わせることは簡単
生徒たちによく話すこと。
以前に聞きに行った2台ピアノのコンサートの最中に、停電
もちろん、ステージも真っ暗
でも、そのお二人は弾き続けた
演奏後の拍手や歓声は、その素晴らしさをたたえるものだった。
「そんなふうに、何が起きても動じずに弾けるようにね」と。
ちょっと話がそれたけど…、
自信の有無は、ちゃんと手に表れる。
気持ちが入っているかどうかも、手に表れる
最近、「ブレない手」の大切さを感じる。
「ブレない自分」も「ブレない手」も基本は同じ。
片手ずつは弾けるのに、両手になると弾けないことはよくある。
このとき、「弾けないのは何が原因?」「どういう練習をしたら弾けるようになる?」と聞く。
生徒たちは、さっきの自分の演奏を分析する。
そして、心当たりのある原因や、練習のアイデアを話し合う。
その練習をしてから、もう一度両手にしてみる。
それで、弾けるようになったり、弾ける気配を感じたりすれば、後はお家で練習すれば大丈夫
それで弾けない場合……共通点があることに気付いた
それが「ブレない手」。
両手で弾けないのは、両方へ気持ちが入りきっていないから。
↑
こう考えると、ピアノってホント難しい
これを反復練習のみで弾けるようにするのは、最後の砦にしておきたい
片手ずつはある程度弾けているので、気持ちの問題が大きいと思う。
で、
その部分で要になっている手(たいてい左手)を「ブレない手」にすればいい
生徒によっていろいろだけど、目をつぶって弾いてみたり、これでもか!というほど大きな音で弾いてみたり、
とにかく自信を持って、何が起きてもそれを弾き続けられるようにしてしまえば、
もう片方の手を入れたら「あら不思議」っていうくらいに簡単に両手が弾けちゃう
どっちかの手に流されてしまう手でいるときは、両手が交わらない。
両方の手がはっきりした意志を持って弾いていれば、両手にしたら相乗効果
アンサンブルも、そう!
相手が何を弾こうと、自分の信じた演奏ができれば、合わせることは簡単
生徒たちによく話すこと。
以前に聞きに行った2台ピアノのコンサートの最中に、停電
もちろん、ステージも真っ暗
でも、そのお二人は弾き続けた
演奏後の拍手や歓声は、その素晴らしさをたたえるものだった。
「そんなふうに、何が起きても動じずに弾けるようにね」と。
ちょっと話がそれたけど…、
自信の有無は、ちゃんと手に表れる。
気持ちが入っているかどうかも、手に表れる