埼玉 寄居町・深谷市・熊谷市 ピアノ教室Andante/アンダンテ

~「音楽は楽しい!」から「本物の音楽」へつながるレッスン~

呼吸

2010年08月30日 | ピアノを弾く
1つ前のブログの続きではなく…
(内容としては関連しているけど)

今、10月のグループコンサートに向けて、
ショパンの「小犬のワルツ」を練習中。

この曲は、苦手分野

でも、今ならちょっと弾けそうな気がして、練習を始めました


だけど、やっぱり、うまく弾けない…。

どうも息苦しい。

あのテンポ感に、体も心もついていけない。

1つ前のブログに書いた「私時間」に気づいたときに、
ショパンの「時間」と私の「時間」は、きっと違うんだ!

そういえば、ショパンは病気を持っていたから、呼吸が浅かったはず!

…と勝手な解釈で、うまく弾けないことをごまかしていました


でも、
呼吸が浅いと時間が短くなり、呼吸が深いと時間が長くなる。

呼吸の浅い演奏は息苦しく、呼吸の深い演奏は安心感がある。

ということにも気づいたので、

小犬のワルツで、
深く呼吸をすること、
音楽の流れに合わせて呼吸をすることを
意識して弾いてみました

そしたら


とっても心地イイ

今まで息苦しかったメロディーが気持ちよく弾けるのです。

“自分の”間で弾けるのです


あぁ、ショパンさん、ごめんなさい

あなたと私の「時間」が違うなんて、勝手なことを言って…

私が、「私時間」で呼吸をしていないだけでした…。


ほかの、テンポがつかみにくいと感じる曲でも試してみたら、
弾きやすくなる


音楽なんだから、深い呼吸をしながら演奏するなんて、
ホントは当たり前の話なのだけど、
お恥ずかしながら、これが全然できていない。

私ができていないってことは、
生徒もできていない可能性大です


でも、自分でできているかどうかが分かったってことは、
生徒たちのも気づける感覚ができたってこと

時間×いのち×音楽×飛躍 その1

2010年08月27日 | こころ
時間×いのち×音楽×飛躍

この4つの言葉は、最近、私のところによくやってくる言葉です


もちろん、バラバラでやってくるのですが、
どうやら、すべて、つながっているようです


mixiボイスで、「このことをブログに書きます」と言ってから、
早1週間。

うまくまとまりません


でも、書けそうな気配がしてきたので、向かってみました

意味不明満載だと思いますが、
ご興味のある方は、どうぞお付き合いください


「時間」は、
私が今までにとらえてきた「時間」の意味とは、まったく違うもの。

先週行った、相田みつを美術館で出会った詩。

 生きるいのちが そのまま時間
 生きた時間が そのままいのち
 自己のいのちと 時間はいつでも一ツ

時計が刻む、1秒、1分が「時間」なのではなく、
今、私が生きていること=私時間。

ほかの誰かの時間ではなく、私だけの時間。

私の中だけに存在している時間。

だから、だれかの時間に合わせることもできなければ、
だれかが私時間に合わせることもできない。


毎日「忙しい」と思って過ごせば、私のいのちが「忙しい」ものになる。

毎日、私時間があることを「うれしい」と思って過ごせば、
私のいのちが「うれしい」ものになる。


「忙しい」「時間がない」という言葉は、大人だけでなく、
幼稚園生や小学校低学年の生徒も使います。

おそろしやぁ 


子どもが、「子ども時間」を生きていたら、
「忙しい」「時間がない」なんていう言葉を口にするはずないと思う。

もちろん、私も、レッスンの中で、
残り時間あとわずかのところで、その残り時間では扱えない出来事が起きたとき、
「ごめんね、今日はもう時間がないから、また次のレッスンでね」と言います。

これも「時間がない」ということではない言葉に言い換えられたら、
その出来事の存在感が変わってくるようにも思います。


この「私時間」は、音楽に表れます。

歴代の作曲家たちの音楽を聞いていても、
コロコロ流れていく音楽を多く作った作曲家もいれば、
一音一音の重みを感じる作曲家もいます。

それがその人の生きた「時間」なのでしょう。

都会に暮らしていた人と、田舎に暮らしていた人、
呼吸の深かった人と、病気で呼吸が浅かった人、
愛され満たされていた人と、常に死が身近にあった人、

それぞれに違う「時間」があるのだから、
音楽の時間も違って当たり前。


生徒たちを見ていても、
ブレス(息つぎ)の間、
フェルマータ(長く伸ばす、長く休む)の間、
弾き始めるまでの間、
最後の音を弾いた後の余韻、
音楽が頂点まで盛り上がってから降りていく直前の間、
これらがみんな違う。

そういうちょっとしたところに、その生徒の「私時間」が表れるのだと思う。

私も、自分の演奏を録音して聞くと、
息苦しくて最後まで聞いていられないことが多い

呼吸が浅いのです。

その音楽に対して、呼吸の浅い「私時間」で向き合っているのです。

そんな演奏は音楽じゃない!とよく思います


そうは言っても、時計時間に追われる現代社会に首を突っ込んだら、
ふか~い呼吸の「私時間」を持つことは難しいのかもしれない。

(あぁ、だから私は、現代社会に適応できなかったのね
 今、妙に納得してしまいましたが…)

でも、音楽をするときくらい、時計時間を忘れて、
音楽そのものの時間に没頭してもいいよね。

時計は私が見ているから、あなたは時計なんか見なくていいの

時計なんか見ないで、音楽の時間に身を任せたら、
きっと心地よい時間が生まれる。

そういうレッスンをしたい

そういう音楽をしたい


つづく…

からだの70%≒ピアノ

2010年08月25日 | ピアノを弾く
生徒の夏休みの宿題で、昨日インタビューを受けました

インタビュー内容も録音して、顔写真の撮影もあって、
本格的な記事を作るそう

そんな宿題に私を選んでくれたことも、うれしかったし、
かなりトンチンカンな受け答えだったけど
少しでも協力できたことも、うれしかったです


その中で、「おぉ!なかなかイイ質問するねぇ」と思ったのは、

「先生の演奏する音楽は、どういうものですか?」
「先生にとって“ピアノ”って何ですか?」

という質問



ありきたりな簡単な答えなら出せそうだったのだけど、
「それは違う!」と言っている自分もいるし、
そんな答えを出したくない気分。

「演奏する音楽」に関しては、コレという答えも出ず、
逆に「私の演奏する音楽ってどんな感じがする?」と生徒に質問をしてしまったくらい


そして、私にとっての“ピアノ”

よく「自己表現」と言っていただくことがあるのですが、
自分の口でそれを言おうとすると、なんだかちょっと違う…。


それで、私が言ったのは…。

 私の隣にピッタリくっついている感じ。
  
 ん?私の一部かな?

 いや、三部? 五部(分)? 7分?

 うん!7分だね。

 そっか、人間の体の70%は水分って言うもんね。
 その水分70%がピアノ 


と、訳のわからないことを…。


それに対して、生徒は、

「そしたら、ピアノがなくなったら、先生、大変なことになりますね」って。

だから、「そうね、ゲッソリするね」と。


唐突な思いつきでしゃべった割には、私の中ではイイ線ついている気がします。


からだの水分70%分がピアノだと思ったら、楽しい気分になりました

からだの中で、プカプカ浮かびながらピアノが存在してるなんて!

からだの中の血液が、ピアノだなんて!


からだの水分がピアノだと思ったら、もっとピアノが上手に弾けそう

流れるように弾けそう

湧き出るように弾けそう


こんなステキなイメージを与えてくれた生徒に感謝

“ピアノの先生サポートレッスン”モニター①

2010年08月18日 | レッスンの出来事
ピアノの先生レポートレッスン”のモニターに
先日、お申込みをいただいて、
初めてモニターレッスンを行いました。


声楽の伴奏での本番を数日後に控え、
うまく弾けないところがある、という
(仮名)コリラックマ先生

ブログでの掲載を承諾してくださり、ありがとうございます


まず、演奏の悩みをお聞きしました。

・全体的には弾けてきているのだけど、怖い部分がある。
 (早いパッセージ、交差、つかみにくいコード、遠い跳躍など)
 そこにくると、体が固まるのが分かるのだけど、どうしたらよいか分からない。
・両手のタイミングが合いにくい部分がある。
・練習が辛い。

というもの。

そして、1回通して弾いていただきました。

少し前に、コリラックマ先生の発表会でも演奏を聞いて、
すばらしいテクニックをお持ちで、「さすが!」と思いました。

ご本人は「テクニックの問題」と思われていたようでしたが、
私は、今回の伴奏もテクニック的には問題ないと思いました。

その優れたテクニックを、楽に表現できたらいいなぁと思いながら、
レッスンスタート


小柄な先生なので、イスの端っこにちょこんと座っている状態だったのですが、
それでは腰の支えが少ないと思ったので、
安定感のある座り方を提案。

もともとの体の柔軟性はあるのに、演奏になると硬くなってしまうようでしたので、
少しストレッチ

それだけで、少し体が楽になった様子
音色も柔らかくなりました。


その後、怖いとおっしゃる部分を中心にレッスン。

◇16分音符のトレモロ
   ↓
 両手でコードで弾いて、バランスやイメージを確認。
 その中でのトレモロの意味を感じていただく。
   ↓
 「コードの余韻を表現」と思ったら、力みが抜けたよう。


◇交差
  ↓
 私には交差はうまく行っているように見えました。
 気持ちが交差に行き過ぎて、“音楽”を感じていない気がしたので、
 ひとつひとつのコードを感じることに重きを置いてもらいました。
 (コリラックマ先生は、コードを感じるのが得意です
  ↓
 コードの変化を色でイメージされました。
  ↓
 そのイメージ通りの音が出るように、そのコードを自分の中に響くようにしました。
  ↓
 “音楽”を感じる、クリアな音色になりました。
  ↓
 「私のイメージした、大好きなあの音色!」と思って弾いてもらいました。
  ↓
 そしたら、もうご想像通り


こうして、曲のあちこちにコリラックマ先生の愛が満ちていく様子を
見られたことがとてもうれしかったです。


コリラックマ先生のご感想

 今までは「弾きにくいところ=嫌いな音」だったけど、
 音楽を感じることで、愛のある音に変わった。

 無駄な練習がなくなる気がする。

 好きな音と嫌いな音がお見通しだったので、驚いた。



現在も、モニターを募集中です。

お問い合わせ、お申し込みは、
ピアノの先生 サポートレッスンのカテゴリー
または、
HPの「お問い合わせ」からどうぞ

“本当に”好きなこと

2010年08月17日 | こころ
先月、初めて行った美容室が気に入り、
今月も行ってきました

前回、なぜ気に入ったかと言うと、

アンティーク家具などで作られた雰囲気、
美容室にありがちな器具を見せない配慮。

そして、美容師さんが、私の髪質を褒めてくれたところ


これが、誰が見ても褒めたくなるような髪質ならいざ知らず、
太くて、硬くて、多くて、強い癖があるという、四重苦

今まで行った美容室でも、褒められることはなく、
特に癖が出ないように、癖を隠すようにカットをされていました。

仕方のないことなのだけど、最近、それが悲しくなって
美容室を転々としていました。


だけど、その美容師さんは、
「ショートにするにはぴったりの癖ですね」と。

そんなことを言われたのは、初めて

しかも、今までどんなに注文しても叶わなかったスタイルに、
なんの注文もしていないのに、
「これよ!」というスタイルに仕上げてくれたのです

この美容師さんは、
癖を消そうとするのではなく、
生かそうとしてくれる人なんだと感じ、

気をよくして、再び訪れました。


そしたら、
「やっぱり、いい髪質ですね。
 こんなふうにふんわり癖があったら、僕も短くするんですけどね。
 髪の量も、ない人に増やすことはできませんから、
 多いほうが調節できていいんですよ」

と、照れくさくなるくらい、褒める

おそらく、その美容師さんは、褒めている感覚はないのだと思います。

感じたことを正直に言っている、
フィードバックしているだけなのでしょう。

だから、余計うれしいのかな。


そして、仕上げ。

ワックスをつけながら、あれこれいじり、
「う~ん、どういうふうにしてもいいですねぇ
と、私よりも、美容師さんのほうが気に入ったご様子。

「今日は、普通に切っちゃいましたけど、
 ここをちょっと長く残してもいいかも」という展望まで


それで、私もいい気分で帰ってきたわけなのですが、
あの美容師さんは、あの仕事が本当に好きなんだなぁと感じました。

今まで、出会った美容師さんとは、
その「好き」の深さが違うのかもと思いました。

私は、髪はけっこう無頓着で、
世の中の美意識が許すなら、坊主にしたいと思っていたこともあったくらいで

でも、こうやって、“本当に”好きでやっている人に
カットしてもらうことが、
こんなに気分のいいことだなんて、初めて知りました


ピアノだって同じ。

“本当に”ピアノが好きな人演奏は、
いい音がするし、
ピアノも喜んでいる感じがする。

“本当に”音楽が好きな人の演奏は、
聞いていて楽しいし、
体中から溢れ出ている音楽で、空気が喜んでいる気がする


「ピアノ好き」としては、
自分から溢れ出るものも、
生徒たちから溢れ出るものの、
大切にしていきたいと思います