埼玉 寄居町・深谷市・熊谷市 ピアノ教室Andante/アンダンテ

~「音楽は楽しい!」から「本物の音楽」へつながるレッスン~

もんちゃんち♪

2010年12月29日 | ねこ
先日購入した加湿器の段ボールに、
穴が2つある発泡スチロールがあって、
「あら、もんちゃんちにピッタリ」と思って、
転がしておいたら、ときどき入って遊んでいます

ただいま



なにかご用?



パナソニックの段ボールなので、もんちゃんちはパナホームね

お近くにお越しの際は、お立ち寄りください

「したい」と「させたい」

2010年12月28日 | レッスンの出来事
なににおいても、
「したい」と「させたい」の息が合っているときは、
きっとトントン拍子

でも、ちょっとずれると、
どちらにとっても、好転とはならない


「指導案」というものがあるけれど、
あれは、基本「させたい」で作られていると思います。

でも、生徒がどう出てくるか分からないので、
生徒の「したい」との息が合わなければ、あってないようなもの。

まぁ、所詮「案」だしねってことになります。


私は、特に個人レッスンでは、指導案的なものは作らずに、
そのときそのときの、生徒たちの出方を見て、
感じたことを伝えていくことにしています。

でもそれは、私の中の理想像、目指す姿に向かっているわけで、
これは「させたい」の塊

生徒が、そう「なりたい」かどうかは分からない。

その日のレッスンで「したい」ことは、
その理想像とはかけ離れているかもしれない。


年齢が上がってくると、先生の「させたい」を察知して、
大人しく従うことも増えるだろうけど、
小さな子には、この「させたい」を振りかざしたら、
「させたい」と「やらされている」にしかならない気がする。

「やらされている」でも楽しいかもしれないけどね

私が「させたい」ことに夢中になっていると、
生徒が「やらされている」感満載になっていることに気付かないこともある…。

あとになって、「なんであの子、できなかったんだろう?」と考えると、
私が「させたい」に侵されていることが多い

だけど、小さな子たちの「したい」だけでいいかというと、
それもちょっと違うのかなぁ。

「したい」の隙間に、理想像を見据えた「させたい」を
うまいこと、放り込めたらいいなぁと思います


その子たちが成長してくると、
私の「させたい」と生徒の「したい」が近づいてくるのかなぁと思います。


そして、大人になって、現実が見えたり、周りが気になったりすると、
理想と現実のギャップで、大きな意味での「したい」が揺らぐ。

そうすると、私からの「させたい」が苦しく感じるでしょう。

そのとき、私の「させたい」をどこまで緩めるべきか、
それとも、しっかり張った状態でリードすべきかを悩みます。

その人の性質や状況にもよると思うのだけど、
あまり緩めたら、その人は私の教室に通っている意味がなくなってしまう。

だけど、張ったままだと、「その人」がなくなってしまう。


逆の立場だったら、どうかな?と考えてみました。

私だったら、「したい」ことも自由にさせてくれて、
「させたい」ことで、私の気付いていないことを引き出してほしい

あは都合がよすぎますね

でも、そうだったら、とても楽しい


じゃ、それを目指そう!と思っても、それが難しいのよね


…結局、なんの結論も出なかった

ナノブロック&フエルト

2010年12月27日 | ステキなもの☆
先日いただいたステキなもの

ナノブロックのグランドピアノ


“ナノブロック”というもの自体、初めて知ったのだけど、
グランドピアノが作れることにも驚き、
実際作ってみたら、楽しかったです

in Kumagayaの教室に飾ろうと思っています。


それと一緒に、フエルトのオーナメントもいただきました。


初め、我が家のテーブルに飾っておいたら、
すぐにもんちゃんに持って行かれ
袋にしまってバッグに隠したのに、見つかってしまい
もんちゃんが気付いていないところに飾ったら、ご無事です

たぶん、クリスマスのオーナメントなのでしょうけれど、
クリスマスじゃなくても、いけそうだし、
フエルトの柔らかい雰囲気が、心地よかったので、
長居しそうです



他人の評価≠自分の価値

2010年12月25日 | こころ
今、4月のピアノコンサートでやりたいと思うことがあるのだけど、
いまいち「よし!」というところまで自分を持って行けていません。

だから、なんだかボーッと過ごしているのかも

自分で「やりたい」と思っているのも分かっているし、
きっとできることだとも思うし、
そこから、何かを感じてくれる人たちもいるとは思っているのだけど、

何が足を引っ張るのかというと、

マイナスの評価


それを実際にやったときに、
プラスの評価もあるだろうけど、絶対マイナスの評価もあるでしょう。

実際に私のところに届くことはなくても…。

それをどこかで恐れていて、
「やりたい」ワクワクと、イヤイヤ待て待てという矛盾が生じています


ピアノコンサートの向けての練習が本格的になった今、
ワクワクを持っている生徒と、
恐れを抱いている生徒がいます。

どちらも心の底では、
ステージでステキに演奏する自分を思い描いているのに、
どうして、こうも違ってくるのか…。

もちろん、それぞれに置かれている環境が違うので、
違って当たり前なのだけど、
その中での心の在り方が重要なのだと思います。


ワクワクを持っている生徒たちは、
弾けば弾くほどワクワクしていくので、
危なっかしいところだけ、よく見ておけば、きっとのびのびと演奏することでしょう


私のように恐れを抱いている場合、
どんな言葉をかけたらいいのだろう…。
気持ちをどこへ置いていけるようにしたらいいのだろう…と考えました。


そこでもやっぱり恐れは、他人の評価なのだと思いました。

でも、他人の評価は、自分の成長や調子に関係なくコロコロ変わるもの。
それに、いちいち付き合っていたら、おかしくなる

それでも、やっぱり気になってしまう…。


でも、気付いたのです

プラスの評価をする人は、いつもプラスの評価をする。
そして、その人の生き方がプラスのエネルギーに満ちている

マイナスの評価をする人は、いつもマイナス。
そして、マイナスのエネルギーに満ちている…

ということは、評価は他人にしているようであって、
本当は、その言葉によって、自分自身を評価していることなのでは!

だから、もしマイナスの評価を受けたとしても、
その人自身がマイナスのエネルギーを放っているだけで、
私がおかしいわけじゃない!

これは、言いすぎかもしれないけれど

人の意見も素直に受け止められる人でありたいけれど

私自身を評価していることにはならないのではないかな…
私の価値を表現していることにはならないのでは…なんて思えました。


生徒のことを考えながら、
いつも、自分のことになってしまうのよね…。


こんなことに気付けたら、他人の評価を気にしていることが
ちょっとバカバカしく思えました


じゃぁ、やっぱりやっちゃおうかな

クリスマスもんちゃん?

2010年12月24日 | ねこ
先日いただいたペーパーナプキン。


もんちゃんにそっくり

もんちゃんの肉球は黒いけどね。


もんちゃんも、このネコちゃんと同じように、
鼻のあたりが、ちょっと茶色くなってきていて、
見ていると、きゅんきゅんしてしまう

実物の茶色いお鼻が、上手に撮れたら
ここで披露したいなぁと思っています


もんちゃんは、最近、
大人の毛になったのか、冬毛になったのか、
ほこほこしていて、気持ちいい