3回目の発表会。
2002年5月26日(日) さくらめいと 月のホール。
代講していた教室の生徒さん全員が参加してくれることになったので、
初めてホールを予約した。
in Yoriiから7名、代講教室から17名。
代講教室の生徒さんたちと発表会ができるは、これが最後。
その教室の先生は、クラシックをバリバリ弾く方。
そういう演奏は、今後たくさん聞くことができるだろうから、
今の私が伝えられること、経験させられることは何だろうと考えて、
前回は2曲のみだったエレクトーンを多く取り入れることにした。
ピアノ&エレクトーンのアンサンブル譜は、そう多くない。
子どもたちのレベルに合うものとなると、さらに狭まる。
なので、勝手なアレンジもけっこうした。
そして、講師演奏は、友人をゲストに招き、連弾とピアノ&エレクトーンアンサンブル。
テーマは、
ジブリ音楽館
子どもたちの大好きなジブリの曲。
このころ、「ジブリ美術館」ができたので、それにあやかって…。
私のお気に入り
エレクトーンを演奏した子もいた。
ピアノ&エレクトーンアンサンブル
生徒たちがピアノ、私がエレクトーンで、10曲演奏!
いっしょにうたって!日本のうた
子どもたちは、意外と日本の歌を知らない。
でも、伝えていきたいステキな曲はたくさんあるので、取り入れることにした。
みんなでボディーパーカッション
in Yoriiと代講教室に分かれて、歌いながら体を叩くアンサンブル。
いろんなことば いろんなかたち
曲名になっているけど、意味がよく分からないタイトルの曲を集めた。
ジムノペディ、メヌエット、バラード、即興曲など。
プログラムは、表紙以外にも、曲名に合わせて挿絵も生徒たちに書いてもらった。
みんな絵が上手で、楽しそうな雰囲気になった
この回から、大きな生徒たちに、ステージ係(ステージでのセッティング)もお願いした。
ステージのタイトル飾りは、風船。
風船で音符も作った
今まで10回の発表会をやっているが、この回がいちばん大変だった
午前中のリハーサルで、エレクトーンを動かなくなり、リハーサル時間を大幅にオーバー。
ゲストの友人とは、いろいろなことがうまくかみ合わない。
生徒数も曲数も急に増えたので、やることは山のよう。
それに前回の余計なプレッシャーが大きかったので、
生徒たちが気持ちよく弾けるようにではなく、また同じことを言われないために、生徒たちに練習を強いた。
今、思い起こしても、相当な迫力があったと思う
生徒たちに伝わったものは、「練習の大変さ」だったろう。
コンサートを楽しむ気持ち、音楽を感じる気持ちを持っていたが、
それを心の底から感じている満足感も、生徒たちに伝えるすべも知らなかった。
このように時期があったからこそ、当時はよく分からなかった「何か」を求めてあちこち勉強に行くことができた。
そして、樹原涼子先生に出会ったときの感動が大きかったのだと思う。
2002年5月26日(日) さくらめいと 月のホール。
代講していた教室の生徒さん全員が参加してくれることになったので、
初めてホールを予約した。
in Yoriiから7名、代講教室から17名。
代講教室の生徒さんたちと発表会ができるは、これが最後。
その教室の先生は、クラシックをバリバリ弾く方。
そういう演奏は、今後たくさん聞くことができるだろうから、
今の私が伝えられること、経験させられることは何だろうと考えて、
前回は2曲のみだったエレクトーンを多く取り入れることにした。
ピアノ&エレクトーンのアンサンブル譜は、そう多くない。
子どもたちのレベルに合うものとなると、さらに狭まる。
なので、勝手なアレンジもけっこうした。
そして、講師演奏は、友人をゲストに招き、連弾とピアノ&エレクトーンアンサンブル。
テーマは、
ジブリ音楽館
子どもたちの大好きなジブリの曲。
このころ、「ジブリ美術館」ができたので、それにあやかって…。
私のお気に入り
エレクトーンを演奏した子もいた。
ピアノ&エレクトーンアンサンブル
生徒たちがピアノ、私がエレクトーンで、10曲演奏!
いっしょにうたって!日本のうた
子どもたちは、意外と日本の歌を知らない。
でも、伝えていきたいステキな曲はたくさんあるので、取り入れることにした。
みんなでボディーパーカッション
in Yoriiと代講教室に分かれて、歌いながら体を叩くアンサンブル。
いろんなことば いろんなかたち
曲名になっているけど、意味がよく分からないタイトルの曲を集めた。
ジムノペディ、メヌエット、バラード、即興曲など。
プログラムは、表紙以外にも、曲名に合わせて挿絵も生徒たちに書いてもらった。
みんな絵が上手で、楽しそうな雰囲気になった
この回から、大きな生徒たちに、ステージ係(ステージでのセッティング)もお願いした。
ステージのタイトル飾りは、風船。
風船で音符も作った
今まで10回の発表会をやっているが、この回がいちばん大変だった
午前中のリハーサルで、エレクトーンを動かなくなり、リハーサル時間を大幅にオーバー。
ゲストの友人とは、いろいろなことがうまくかみ合わない。
生徒数も曲数も急に増えたので、やることは山のよう。
それに前回の余計なプレッシャーが大きかったので、
生徒たちが気持ちよく弾けるようにではなく、また同じことを言われないために、生徒たちに練習を強いた。
今、思い起こしても、相当な迫力があったと思う
生徒たちに伝わったものは、「練習の大変さ」だったろう。
コンサートを楽しむ気持ち、音楽を感じる気持ちを持っていたが、
それを心の底から感じている満足感も、生徒たちに伝えるすべも知らなかった。
このように時期があったからこそ、当時はよく分からなかった「何か」を求めてあちこち勉強に行くことができた。
そして、樹原涼子先生に出会ったときの感動が大きかったのだと思う。