豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

映画『明日は来らず』を見た

2021年08月14日 | 映画
 
 映画『明日は来らず』(原題“Make Way for Tomorrow”,1937年パラマウント映画、1937年日本公開)を見た(ジュネス企画発売DVD)。

 小津安二郎『東京物語』(松竹)はこの映画に着想のヒントを得て作られたことは有名な話だが、アメリカで製作された同じ年に日本でも公開されていたことにまず驚いた。しかも1937年といえば、日本では昭和恐慌で娘身売りなどの問題が起こり、中国との泥沼の戦争に踏み込んでいくという時代である。
 老親のたらい回しのような話も、当時の東京あたりではそろそろ現実味を帯びてきていたのだろう。小津の『戸田家の兄妹』は1941年の製作だが、『明日は来らず』と同じ老親扶養がテーマになっている。結末は、いかにも戦時中の作品だけあって、『東京物語』とは全く違う。『東京物語』は1953年の公開だから、小津はこの映画を見てから15年以上も構想を温めていたことになる。
 余談になるが、『戸田家の兄妹』が小津家の長男の嫁と二男(小津自身)の軋轢が背景にあることも多くの映画評論家が指摘するところで、小津家の長男の嫁ご本人がインタビューに答えて、この指摘を認める発言をしていた(YouTubeで見ることができる)。彼女は、小津家であのような出来事があったのは事実だが、姑(小津のお母さん)はあの映画で描かれた姑よりもっときつい人だったと語っていた。

 さて、『明日は来らず』に戻ろう。
 ストーリーは1930年代のアメリカ北部の(何州だったか忘れたが、雪が降っていた)小さな町の老夫婦の物語。夫は経理係を退職して数年がたっており、家のローンを返済できなくなり、住み慣れた家を銀行に明け渡すことになる。妻は専業主婦だったようだ。明け渡す数日前に5人の息子、娘たちがこの家に集まる。
 問題は、明け渡した後の老夫婦の居住である。息子、娘たちはそれぞれに家庭の事情があり、両親を二人とも引き取ることはできない。さし当りということで、父親は娘の家に、母親は息子の家に引き取られることになるのだが、いずれも息子家族、娘家族とうまくいかない。
 結局、夫婦は別れ別れになり、肺に病気のある父親は温かいカリフォルニアに住む娘の家に、母親はニューヨークの老人ホームに入ることになるのだが(そのことを妻は夫に告げないで息子の家に居続けるように装っている)、別れる最後の日に、二人で50年前の新婚旅行で訪れたことのあるニューヨークの高級ホテルでカクテルを飲み、ディナーをとり、ワルツを踊り、そしてニューヨーク(セントラル)駅から夫は列車に乗り込み去っていくのを、妻が見送る・・・。

 残念ながら『東京物語』のように感情移入して見ることはできなかった。
 老夫婦の性格があまりにも協調性がないように、ぼくには思えたのである。もちろん息子、娘たちやその家族にも問題はあるが、老親の側にも原因があるように描かれている。
 老妻を引き取った息子の嫁は、生活費を稼ぐためにブリッジ教室を開いているのだが、老妻はその教室に入ってきて、客たちを後ろからのぞいて「ハートがたくさんあるわね」だの「私はスペードの女王は嫌いだわ」などと持ち札をばらしてしまう。
 娘の家で風邪をひいた老夫も、娘が呼んだかかりつけの医師に対して、「お前は医者になって何年だ」とか「聴診器が冷たすぎる」などと悪態をつく。
 何でこんなシーンを観客に見せなければならなかったのか、ぼくには理解できなかった。息子、娘側の言い分にも耳を傾けて撮っているということか。

         

 上の写真は『東京物語』(松竹DVDコレクション、あの頃映画50’s)のケース。
 この老夫婦に比べれば、『東京物語』の笠智衆と東山千栄子の方が100倍好感のもてる老夫婦である。
 その老夫婦が生活に追われる息子や娘たちから冷たくあしらわれるのだから、観客の共感を呼ぶのである。しかも東山千栄子が急死してしまい、尾道に一人残された笠智衆には、面倒を見てくれる優しい未婚の末娘(香川京子)がいる。
 どちらが悲劇かといえば、おそらく『明日は来らず』の老夫婦のほうがはるかに悲劇的に思える。しかし個人主義のアメリカでは、あのような結末でも観客たちは納得するのだろう。

 老夫婦が二人でニューヨークの街中を歩くシーンや、老父が知り合いの雑貨屋主人に愚痴をこぼすシーンなど、『東京物語』にも対応する場面(上野公園での笠と東山の散歩や、笠が旧友の東野英治郎らと一杯飲み屋で息子たちの愚痴を語り合う場面など)があった。ストーリーの概略は『明日は来らず』から拝借したことは明らかだが(小津自身が語っているのかも)、作品の出来栄えは『東京物語』の方が上だろう。素人評定だが。
 なお、『明日は来らず』の脚本、監督、俳優らはぼくの知らない名前ばかりだが、唯一、音楽(の中の1人)にビクター・ヤングの名前があった。そして、ラスト近くのニューヨークのホテルでのダンスのシーンで演奏されたジャズ(曲名は知らないけどぼくでも聞いたことがあるスタンダードな曲)がいい曲だった。

 2021年8月14日 記


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