巨人・レッズ・チャーハン(2019年は和と動)

基本的には巨人応援ブログです。しばし更新していませんでしたがマイペースで再開。

昭和が終わった日の思い出(89年1月7日)

2019-04-01 20:16:40 | 自分のこと
平成の次の元号がついに発表されましたね。
一瞬「平和」に聞き取れたんだけど実際は「令和」でした。ま、いいんじゃないでしょうか?
テレビも、ネットも新元号の件・一色で、みんなすごい関心があったんですね。ちょっと意外な盛り上がり。想像を超えてます。

さてあと1ヶ月で平成も終わるんだけど、私は昭和が終わった日のことはよく覚えています。
昭和が終わったのは今から30年前の1989年1月7日。当時、私は中学1年生だった。
その日は友人と映画を見に朝から渋谷へ向かっていた。今は千葉にもシネコンは至る所にあるけど、当時は映画を大スクリーンで見るには都内へ行くしかなかった。何を見たかは覚えてないんだけど、当時つるんでいた友人が皆、行くというのでついていった感じだったと思う。今は「おひとり様」は慣れたんだけど、中学生はやはり友達が大事だった、というか、ハブられるのが嫌だった。

渋谷に着くと「天皇陛下が崩御されました」と電光掲示板に掲載されていた。
「崩御」の意味がわからなかったが、亡くなったのだろうということは察することができた。誰か1人が自宅に電話し(当時はもちろん携帯などありません。公衆電話から)、亡くなったことを知った。

昭和天皇は前年から体調を崩していて、秋口にはいよいよヤバそうな感じはあった。
当時ニュースでは陛下の体調の様子が毎日のように報じられていたが、秋口は血圧が相当下がって、発熱もあったからだ。
その影響はプロ野球界にも出て、リーグ優勝、日本一が決まると祝勝会でビールかけが行われるが、この年は中日も西武も自粛した。神戸で震災があった年(95年)も、東日本大震災があった年(2011年)もビールかけはあったから、いかに影響力があるかがわかる。

それでもなんとか年を越し、お正月ムードも治まった7日に崩御された。
「年末年始に亡くなったら、お正月が台無しになるから7日まで頑張ったんじゃないかねえ」
誰かがそんなことを言っていた記憶がある。

陛下が亡くなった当日は予定されていたコンサートが中止になったりもしたが、映画は普段通り上映されていて、それを見た後、買い物などをして帰宅。だが帰るとテレビはレギュラー番組は放送されず、陛下の崩御のニュースや昭和を振り返る番組ばかり。今のように多チャンネルではなく、地上波しかない時代。もちろんネットなど見れない。暇を持て余した人たちの多くがレンタルビデオ屋さんに殺到した。私も足を運んだが、ほとんどが「貸し出し中」。あんな光景はあれからない。

私は子供の頃、昭和は永遠に続くものだと思った。なんせ産まれてからずっと昭和だったし、60年になっても昭和だったからだ。実際は64年まで続いた。あれからもう30年か…、と感慨深くなっています。皆さんはどうでしょう?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 丸は三振が多い打者 | トップ | 本拠地開幕戦 ほぼ満点に近... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自分のこと」カテゴリの最新記事