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JR東日本・三厩駅~最果ての雰囲気が漂う駅は利用実態の割に…

2009-06-10 | 鉄道[東北]

数日前MAKIKYUはJR旅客各社の定期営業列車運行路線で、最後まで未乗のまま残っていた区間への乗車に出向き、MAKIKYUは晴れて念願のJR全線完乗(人によって多少定義が異なり、完乗とみなさない方も居られるかもしれませんが…)を達成したのですが、最後まで未乗のまま残っていた区間が津軽線中小国~三厩間(これも厳密に言えば中小国駅より三厩方にある新中小国信号所以北ですが…)でした。

この最後まで未乗のまま残存した区間への乗車は、当然ながら中小国方からとなった事もあり、津軽線終端の三厩(Mimmaya)駅到達で晴れてJR全線完乗となったのですが、今日はこの記念&先日出題したクイズ記事の回答公開も兼ねて、三厩駅に関して取り上げたいと思います。

  
三厩駅舎/駅名標/入線時の様子(到着前の車中から)

三厩駅は津軽線蟹田~三厩間開業と共に開設され、以来今日まで津軽線の終端駅として営業を続けていますが、同区間の開業は戦後になってからで、同駅の歴史も50周年を達成してまもないという状況ですので、旧国鉄→JRの駅の中では、比較的歴史が浅いと言えます。

所在地は現在でこそ平成の市町村合併で青森県東津軽郡外ヶ浜町となっていますが、近年蟹田町などとの越境合併(旧蟹田町~旧三厩村の間に位置する今別町は合併を行っておらず、旧三厩村域は飛び地となっています)を行って外ヶ浜町となる前は三厩村でした。

三厩駅は青函トンネルとその両端部で路線を構成する海峡線を除くと、津軽半島では最も北に位置する鉄道駅で、閑散とした雰囲気もあって本州の最果てという印象を受けます。
(ただ現在の本州最北駅は、青函トンネル内にある海底駅を除くと、陸奥湾を挟んで反対側に位置する下北半島を走る大湊線の下北駅ですが、こちらはむつ市の中心部から少々外れた所に位置しており、三厩駅の様な果てという印象は余りありません)


三厩駅の発車時刻表

その三厩駅を発着する定期列車は、1日僅か5往復の普通列車のみとなっており、本数の少なさや立地故に訪問し難い事もあって、JR各線の中でも最後まで未乗で残存した程ですが、この程度の運行本数という事もあって、新中小国信号所~三厩間は当然ながら1列車しか入線しないダイヤとなっています。

このダイヤ構成であれば、単純に考えれば終端の三厩駅も棒線配置(ホーム1面・線路も1線のみ:盲腸線の典型)を思い浮かべてしまいますが、三厩駅は通常駅舎から離れた側のホームのみ用いているものの、島式ホーム1面の両側に軌道が敷設されています。

  
三厩駅構内の様子①・②/待機している除雪用車両

このため三厩駅手前に設置されたポイントはスプリング式で、三厩駅入線時の進入番線は固定されてしまうものの、構造上は2本の列車が停車可能になっており、このホームの先には車両格納庫をはじめ、除雪用車両(側面に描かれたイラストも立派です)が待機している姿も見られます。
(ただ駅舎側の軌道は列車が殆ど入線しない事もあり、線路の表面には錆が見られたものですが…)

しかも5往復しかない普通列車の中でも、三厩着最終~三厩発始発列車は三厩駅で滞泊する事(地元のニーズを考えると妥当な話ですが、津軽線末端区間の乗車を狙う外来者にとっては、ただでさえ運転本数が少ない所に、有効本数が更に減少しますので痛手かも…)もあって、駅構内には乗務員宿泊用の建物も設けられています。

津軽線末端区間は運行本数から察しがつくと思いますが、乗客数は非常に少ない閑散区間で、全駅駅員無配置でもおかしくない状況ですが、運行上の都合もあって三厩駅には駅係員が配置されているのも特徴(さすがに三厩以外の各駅は駅員無配置ですが…)です。

その上津軽線末端部を運行する列車もワンマン運転に対応していない事から車掌が乗務し、その編成も基本的に2両編成(利用実態を考えれば単行でも充分過ぎる程です)であるなど、列車のワンマン運転化や駅無人化など、合理化が進んでいる各地の現代JRローカル線の現状を踏まえると、旅客数や運転本数などの利用実態の割には随分立派なもので、今日のローカル線にしては設備過剰と感じてしまう程です。

挙句の果てに津軽線で通常運行される車両も国鉄末期に製造されたキハ40系列なのですが、未だに冷房改造が施されずに非冷房のままという有様ですので、国鉄ローカル線の典型的光景が今日に残る稀有な事例と言っても過言ではないと言えます。

ちなみにMAKIKYUの三厩駅訪問時には、白に赤帯のJR発足後の装いとなった車両が充当されていたものの、近年リバイバル塗装として再登場したタラコ色の車両が入っていたら…と感じたものでした。

津軽線末端部(中小国~三厩間)は、外来者にとっては訪問し難い路線でもありますが、本州の最果てを強く感じさせる三厩駅や、その道中のローカルムード溢れる雰囲気は一度は乗りに行く価値有りと感じたものです。

ただ三厩を訪れる機会があるなら、時間が許すのであればそのまま来た列車で折り返すのでは無く、出来ればバスに乗り換えて更に北を目指し、津軽半島北端の竜飛岬も訪問したいもので、こんな事を記しているMAKIKYUも当然竜飛まで足を伸ばしたものでしたが、こちらに関しても近日中に取り上げたいと思います。



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3 コメント

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未だに非ワンマンなんて… (開運skyliner)
2009-06-15 07:47:27
津軽線は今でこそ青函トンネルが開通しており、鉄道利用で北海道へ行くなら中小国までは何回でも通りますが、それ以遠に津軽線末端区間を訪れたのは青函トンネルが開通する前でJRが発足して間もない頃でした。
国鉄時代よりキャンペーンが行われていた「いい旅チャレンジ20,000km」を目指していた時でした。JRが発足直後と言う事もあり北海道の国鉄形ではお馴染みである二重窓のキハ22形も健在でして、それも暫定的に首都圏色に白い帯が入った状態だった事を覚えています。又、青函トンネル開通を前にピカピカの青い50系客車をED79に牽かれて試運転されてる処もみました。
本文を読んでみますと終着駅の三厩駅は今も変わらずですよね!利用客が少ない割に車掌が乗務するともなれば暇を持て余し状態でしょう。私はこの後に津軽鉄道にも行くスケジュールだった為にすぐの列車で引き返してしまいました。
津軽線は北海道の帰り(往きは「北斗星」利用なので真夜中の通過)に「スーパー白鳥」(昔は「はつかり」でした)で青函トンネルをくぐり抜けた時に津軽今別あたりでか細い津軽線を見る度に本数の少なさは何とかならないものかとも思ったりします。特に海峡線の津軽今別駅と津軽線の津軽二股駅は同じ場所にあるのなら函館方面からの接続を良くすれば需要はあると思います。
津軽線末端とJR東日本制覇 (6994)
2009-06-16 22:50:09
 過去2回、三厩を訪問しています。最初は、大学生だった1994年夏、JR東日本全在来線定期列車運行区間制覇のかかった旅でのことでした。快速「ミッドナイト」と「海峡」を乗り継ぎ、蟹田で乗り換えました。豪雨で徐行運転したのを覚えています。これを皮切りに、三陸各線もその夏に訪問し、最後には快速「月山」で陸羽西線に乗ったことで、JR東日本乗りつぶしが達成されました。(この年にはJR九州、JR西日本も乗りつぶし、更に前年までに東海と四国も走破していました。)
 しかし、JR東日本はその後奥羽本線で改軌があり、これはタイトル更新対象ルールなので再正式走破したほか、2000年に仙石線地下切り替えであおば通延伸に伴い未乗区間があらたに発生したので記録更新に出向いています。
 そんなJR在来線もこれからは整備新幹線開通で廃止が続きます。津軽線末端も北海道新幹線新函館開通の時点で、存廃が騒がれるようにも思います。
コメントありがとうございます (MAKIKYU)
2009-06-17 15:15:19
皆様こんにちは、コメントありがとうございます。

>開運Skyliner様
津軽線末端部の沿線は人口も少なく、車を運転可能な層は殆ど自家用車に乗ってしまう地域ですし、沿線~北海道方面の流動も限られますので、津軽今別~津軽二股の接続強化を行っても、観光客以外の利用は余り見込めないかと思います。
ただ津軽今別駅の停車列車は余りに少な過ぎますので、北海道方の知内駅と共に停車列車を増やし、パーク&ライドの促進を図る事で利用者を増やす事は可能かと思いますし、これはさほど難しい事ではありませんので、是非実現して欲しいものです。
また観光客への便宜を図るのであれば、現在は一旦下車した乗客だけが、竜飛岬一帯を観光した後に乗車可能な竜飛海底駅の利用を、三厩→竜飛岬とバス移動した乗客も利用できるようにすれば、公共交通の便が悪い竜飛一帯の観光も随分改善されるのでは…と感じたものです。

>6994様
陸羽西線はこちらも2年程前に一度乗車しただけですが、意外と乗車機会のない路線ですね。
また津軽線末端部も今のままという事は考えにくく、今後どの様な動きが生じるのかも気になるものです。

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