ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

M-1グランプリ、パンクブーブー優勝にみる「落ち」の作り方

2009年12月21日 | コンテンツビジネス
今更何なのてすが、初めて「M-1」を見た。それも決勝の3組のネタだけ。なので、他の人たちはよく分からないのだけど、優勝した「パンクブーブー」(といってもはじめて聞いたんだけど…)のネタは非常に僕のつぼにはまった。

M-1グランプリ:パンクブーブー優勝 - 毎日jp(毎日新聞)

逆に全く面白くなかったのが「NONSTYLE」。「笑い飯」はマニアックなネタで面白かったのだけれど、決勝ネタの1つ前がよかったとのことで、これが見れなかったのはちょっと残念。で、この3組のネタの「質」を見ていて思ったことを。

「笑い」というものベースは観客の「想像力」をいかに「裏切る」か「外す」かだと思う(もちろん、「あるあるネタ」だとか「パターン化されたネタ」といった例外もある)。「前フリ」があり「落ち」がある。これは正確ではない。もう少し言うと、「前フリ」があり観客がその先を想像しそれを裏切る「落ち」があるのだ。

例えば、

「(深刻な表情で)えー、あれは忘れもしない3年前…」

と前フリが入ると、観客は3年まえに何か重要なこと、深刻なことがあったのだろうと想像し気持ちの中で構えようとする。そこに落ちが続く。

「(深刻な表情で)えー、あれは忘れもしない3年前…4年前、5年前だったかなぁ~」

忘れてるやん!そう突っ込みながら、深刻な構え、緊張感から解放される。本来続くはずだった(深刻な)ストーリーと、予想に反して「忘れている」というギャップ。このギャップや緊張感からの解放が「笑い」を生み出す。だとすると、このギャップをどのように作り出すかが「ネタ」作りのポイントになる。

しかし「ギャップ」があれば何でもいいかというとそうではない。落ちが予想されるネタは誰もが理解できるかもしれないが面白みに欠けるし、落ちがぶっ飛びすぎていると今度は誰もついてこれない。このバランスが難しい。

で、今回の3組というのはこのバランス感が全く違ったのではないだろうか。

NON STYLEはそういう意味で、観客側の想像力がもっともいらないネタばかり。多くの人が参加できるようなネタで観客の笑いを取りつつ、その「笑い」の流れを崩さないように、何となく可笑しそうなネタを続けることで、実際以上に面白くは見せていたけれど、ネタの質という点ではどうだろうか。本当に面白いと思えるネタ。観客の想像力を裏切るようなネタがあっただろうか。東京だと受けるのかもしれないけれど、関西だと厳しいんじゃないだろうか。

笑い飯はその対極。少なくとも決勝でやったネタというのは、かなりマニアックなところをついてきたこともあって、ついてこれる人にはついてこれる。「そんな裏切り方するか~!」というネタの連打。特に後半の「チンポジ」ネタは女性からは生理的に引き気味だっただろうし、男から見ても「まだ来るか、まだ来るか」というどんどん深い裏切り方で笑わせる。ついてこれる人には面白いのだけれど、ついてこれない人には何が面白いのか、といった感じだったのだろう。ま、1つ1つの前フリが長かったこともあって、笑いも繋がらなかったし。

それに比べて、パンクブーブーはちょっどその中間というか、若干、マニアック気味のネタだったのだけれど、ちょうどそれまでの笑いの質とは違って、コントっぽいノリがあったというか、前フリ~落ちまでのギャップが明確にデザインされていて、1つ1つネタで観客を笑わせながらそのまま「笑い」の波に乗せていったという感じだろうか。

観客から見ても常に思ってもいない「落ち」が続いた、という感じだったのではないだろうか。

まぁ、僕自身、学生の頃に脚本を書いてたこともあって、観客を笑わせるのには苦労をした。もちろん演じ方(話者)の観客の引き付け方にもよるのだけれど、どう観客に想像させ裏切るか、浅ければ面白くなくなり、深すぎれば(マニアック過ぎれば)誰もついてこない。

パンクブーブーのネタはその点、非常によくできていたと思う。


パンクブーブー(M-1のネタじゃありません)



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