ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

仮装通貨の価値は何から生まれるのか。

2018年01月30日 | 貨幣、ポイント
コインチェックで仮装通貨NEM、26万人460億円がハッキングされた。このところの仮想通貨の高騰等もあって、周りでもビットコインを購入している人間がいたのだけど、僕自身はもう一つ、仮想通貨の価値についてピンと来ていなかった。

利用シーンはわかる。不安定な国家の信用のない貨幣よりは安定しているかもしれない、世界中で利用できるから送金手数料も不要だ。でも貨幣の代替だとすると、その単位(便宜上「BTC」とする)で交換できる価値は決まるはずだ(不安定なら結局$を使うだろう)、なのに何故、こんなに価格が高騰しているのか…等。

で、改めて、仮想通貨の価値の源泉について考えてみた。

そもそも貨幣とは何だろう。

現在の国家が発行する貨幣は「信用」を元にできている。「信用」とは、要は紙幣そのものの物的価値以上の価値を与えている情報だ。1万円札は1万円の価値(情報)を持つが、物的価値としては製造原価20円程度のただの印刷物だ。それを国家が「『1万円』として流通しますよ、信じてください」と言って、皆もそう信じているから成立している。

そのため以前は、この「信用」を担保するために、中央銀行が発行した貨幣と同等の「金」を保有していた(金本位制)。金は価値があるから、それと交換できるこの紙幣も価値があるよね、という理屈。

ただしこれだと「金」の保有量・産出量以上に貨幣を発行できない(市場が拡大しない)し、また国家間の貨幣レートが固定化されてしまう。そのため金本位制をやめて、「信用貨幣」「変動相場制」へと移行することとなる。

そもそも「金」はそれ自体が価値を持っており、鉱山を掘削することを通じてしか量を増やすことができなかった。そのため、時の支配勢力が金鉱を管理しようとしてきた。植民地時代には列強が海外に進出し、ボーア戦争なども発生する。

では「金」の価値の源泉とは何だろう。

もちろん腐食のしにくさや熱伝導率の高さから工業利用もされているが、それ以上に歴史的に権力の象徴としての君臨してきたこと。腐食しにくく、純粋で、流通量に制約がある最も価値のある金属として認識さていることだろう。だからこそ資産としての価値を持ち得る。

ところで、今、仮想通貨自体の持つメリットというのは何だろう。

当然、国家に依存しない自律分散型の通貨としての機能を持つ。日本の感覚だと理解できないが、国家の貨幣が信用を失うというのままあることだ。自国の紙幣ではなく、ドルが市場で流通しているなんて国家もある。

そう言った信用制度が崩壊している国家であれば、その国家の紙幣を持つよりも、仮想通貨の方が信用できるという面はある。また金融機関等を通せば高い手数料がかかるかもしれないが、仮想通貨であれば手数料が不要で送金ができるというメリットもあるかもしれない。

ただそうした理由から、これだけの仮想通貨への需要の高まり、価格の上昇があるというのは違うだろう。

真偽は定かではないが、BTCが現実世界で使われたのは、2010年5月に10,000BTCでピザ2枚と交換したことだったという。仮にピザ1枚の値段を2000円とすると、1BTC=0.4円の価値となる。それが今では、一時、1BTC=230万円まで急騰。この1年だけみても数倍に高騰している。

日本銀行がジャブジャブに円を刷ってインフレに持っていこうとしていても、これだけモノの価格が変動することはない。

国家の信用不安だといっても、これだけ価値が上がり続けているBTCが通貨としてまともに機能するわけはない。8年前には10,000BTCで2枚しか買えなかったピザが、いまでは1BTCで460枚も買えるのだ。これではハイパーデフレになってしまう。

現時点で、仮想通貨は決して通貨としての機能は期待されていない。

では一体何がこの価値を生み出しているのか。

仮想通貨の代表と言える「ビットコイン」は発行できる総量の上限が決まっている(2,100万BTC)。この新しいBTCを発行するための作業をマイニング(掘削)といい、マイニングの報酬としてBTCを受け取ることができる。

仮にBTCが決済手段の中核となり、世界中のあらゆるものがBTCと交換されるようになるとするならば、今のうちにより多くのBTCを持った方がいい、何故なら、BTCの供給量はやがて限界が来るのだから――。そういった思惑がこれだけの価値を生み出しているのだろう。

確かにBTCで取引できるモノやサービスか増えていくのであれば、BTCへの需要は高まり、BTCの価値も上がっていくのかもしれない。

貨幣は刷られれば価値は下がっていく。しかし仮想通貨には流通量に限り、でも取り扱いという需要が増えるのだとしたら、その価値は上がっていくのだろう。

ただそれは全て思惑だ。

かっての金本位制で市場の拡大に制約があったよう、上限が決まった仮想通貨が基軸となれば、市場の拡大も難しくなる。資本主義の猛者たちがそんなことを許すことはない。とすれば、「仮想通貨」が全ての貨幣の置き換えになるということは考えにくい。

いずれその流通規模は限界を迎える。それが一体どの程度なのかはわからない。ただその時までは思惑がこの価値を引き上げていくのだろう。


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