2015年1月12日、親父が死んだ。
StageIVの告知を受けたのが、2013年の8月でその時に言われたのが、余命は6~8ヶ月だろうと。その後、治療方針についての葛藤を経て、抗がん剤治療を拒否し、地方では珍しい献身的な医師の下で緩和ケアという選択をし、17ヶ月間を自分らしく生きて、そして死んでいった。
本人も、僕も覚悟はしていた。
親父は Ending Note をつけ、事前に身辺整理を進めていた。不要となるようなものについては可能な限り廃棄をし、日記や写真等は9割以上を捨て、洋服なども普段から使うもの以外はほとんどなくなっていた。自身の葬儀のありかたについても、(無宗教・近親葬という形をとった上で)誰を呼び、誰を呼ばないか、具体的な指示を記載していた。
僕自身も何度となくそうした話を聞かされていたし、また死後、必要な手続きについても事前に確認したりした。
当初言われていた以上に時間があったこともあり、それなりに心積もりをすることもできた。
いや、何だろう、何かが違う。こういうことを書くべきではない。少なくとも今は。
そうしたことに対する違和感がある。それは一言でいえば、
「こんなことを僕は目指していたのか」
ということだ。
このブログをスタートさせて(もうじき3,950日だ)しばらくすると、僕の中にある種のルールが出来上がった。これは思考の訓練の場であり、自分の感情をストレートに表現するものではい、むしろ何がそんな感情を生み出したのかを追及するべきであり、感情に左右されることなく状況を分析し、より「適切な判断」を下すためのトレーニングなのだと。
それはこのブログに限ったことではない。実際に僕はそのように「感情」と「判断」を切り離して考えるようにしているし、社会で生きる上では、大なり小なりそうした行動様式が求められるだろう。企業で働いていれば、個人の感情よりもその組織の中で適切とされる行動をとることが評価されるし、学校での生活とそういった集団行動の原則を刷り込むためにある。
実際、親父の葬儀を通じて、僕の中では様々な感情が浮かびながらも、喪主としての「適切な」対応をとってきたと思う。悲しいといった「感情」を抑え込み、葬儀の日程やご案内をどのように実施するかを検討し、弔問に来ていただいた方に冷静に感謝の意を伝え、セレモニーホールのスタッフと次の段どりを詰めたりする。周りの人は「しっかりしてるね」「よく、がんばった」「お父さんも安心しているよ」と評価してくれてるかもしれない。
でもそんなことを求めていたのか? 何故、悲しみを押し殺さねばならないのだ?
僕が目指していたのは、少なくとも集団内の同調圧力や紐帯といった関係性、時代遅れの価値観など僕らの自由を制約するものたちから、より精神的自由へと解放されることだったはず。だからこそ「感情」や「思い込み」を切り離して、ものごとを冷静に判断できるように努めてきたはずなのに、個人を超えた「場」「社会」のために、自らを抑圧しているのではないか。集団の中で適切な役割を果たすために、個人の在り様を閉じ込めてしまっている。
それは何もこの場だけの話ではない。社会生活のあらゆる場面で、自らの感情を押し殺し、理性的に立ち振る舞い、ものごとを進めようとする。その場の感情にとらわれるのではなく、その集団の目的や目標が達せられるように、目的的・戦略的に物事を考え、そのための論理的思考のためには「感情」を排して考えようとする。
そうやって、より「適切」に行動するために、僕は本来個人にとって不可分のはずの「感情」を疎外してしまったのだ。
シンプルなことなのだ。悲しいのに何故、泣けないのか、泣くことを抑えようとするのか、泣いてはいけないのか――。
演劇をやる時には、まず感情のやりとりを大事にするにも関わらず、実生活ではその感情を抑圧する。抑圧された感情は、決して簡単に昇華されるわけでなく、自身の心身に無意識のうちに負荷を与えると分かっているのに…
滞りなく故人となった父を見送りながら、純粋に悲しむことさえ許されなくなっている自分にやるせなくなってしまう。
StageIVの告知を受けたのが、2013年の8月でその時に言われたのが、余命は6~8ヶ月だろうと。その後、治療方針についての葛藤を経て、抗がん剤治療を拒否し、地方では珍しい献身的な医師の下で緩和ケアという選択をし、17ヶ月間を自分らしく生きて、そして死んでいった。
本人も、僕も覚悟はしていた。
親父は Ending Note をつけ、事前に身辺整理を進めていた。不要となるようなものについては可能な限り廃棄をし、日記や写真等は9割以上を捨て、洋服なども普段から使うもの以外はほとんどなくなっていた。自身の葬儀のありかたについても、(無宗教・近親葬という形をとった上で)誰を呼び、誰を呼ばないか、具体的な指示を記載していた。
僕自身も何度となくそうした話を聞かされていたし、また死後、必要な手続きについても事前に確認したりした。
当初言われていた以上に時間があったこともあり、それなりに心積もりをすることもできた。
いや、何だろう、何かが違う。こういうことを書くべきではない。少なくとも今は。
そうしたことに対する違和感がある。それは一言でいえば、
「こんなことを僕は目指していたのか」
ということだ。
このブログをスタートさせて(もうじき3,950日だ)しばらくすると、僕の中にある種のルールが出来上がった。これは思考の訓練の場であり、自分の感情をストレートに表現するものではい、むしろ何がそんな感情を生み出したのかを追及するべきであり、感情に左右されることなく状況を分析し、より「適切な判断」を下すためのトレーニングなのだと。
それはこのブログに限ったことではない。実際に僕はそのように「感情」と「判断」を切り離して考えるようにしているし、社会で生きる上では、大なり小なりそうした行動様式が求められるだろう。企業で働いていれば、個人の感情よりもその組織の中で適切とされる行動をとることが評価されるし、学校での生活とそういった集団行動の原則を刷り込むためにある。
実際、親父の葬儀を通じて、僕の中では様々な感情が浮かびながらも、喪主としての「適切な」対応をとってきたと思う。悲しいといった「感情」を抑え込み、葬儀の日程やご案内をどのように実施するかを検討し、弔問に来ていただいた方に冷静に感謝の意を伝え、セレモニーホールのスタッフと次の段どりを詰めたりする。周りの人は「しっかりしてるね」「よく、がんばった」「お父さんも安心しているよ」と評価してくれてるかもしれない。
でもそんなことを求めていたのか? 何故、悲しみを押し殺さねばならないのだ?
僕が目指していたのは、少なくとも集団内の同調圧力や紐帯といった関係性、時代遅れの価値観など僕らの自由を制約するものたちから、より精神的自由へと解放されることだったはず。だからこそ「感情」や「思い込み」を切り離して、ものごとを冷静に判断できるように努めてきたはずなのに、個人を超えた「場」「社会」のために、自らを抑圧しているのではないか。集団の中で適切な役割を果たすために、個人の在り様を閉じ込めてしまっている。
それは何もこの場だけの話ではない。社会生活のあらゆる場面で、自らの感情を押し殺し、理性的に立ち振る舞い、ものごとを進めようとする。その場の感情にとらわれるのではなく、その集団の目的や目標が達せられるように、目的的・戦略的に物事を考え、そのための論理的思考のためには「感情」を排して考えようとする。
そうやって、より「適切」に行動するために、僕は本来個人にとって不可分のはずの「感情」を疎外してしまったのだ。
シンプルなことなのだ。悲しいのに何故、泣けないのか、泣くことを抑えようとするのか、泣いてはいけないのか――。
演劇をやる時には、まず感情のやりとりを大事にするにも関わらず、実生活ではその感情を抑圧する。抑圧された感情は、決して簡単に昇華されるわけでなく、自身の心身に無意識のうちに負荷を与えると分かっているのに…
滞りなく故人となった父を見送りながら、純粋に悲しむことさえ許されなくなっている自分にやるせなくなってしまう。
感情。この厄介なもの、でも行動の原点となるもの。コントロールの難しいもの、抑圧してはいけないもの。