ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

東日本大震災で再確認されたラジオの魅力

2011年04月21日 | コンテンツビジネス
「人は刺激の高い方に惹かれる」という原則が正しいならば、テレビの登場によってラジオというメディアは衰退していくことが運命付けられていたのだろう。その一方で、テレビのような「マス」を相手に一方的に製作者側が面白いと決め付けた「コンテンツ」を流しつづるメディアに対して、WEB時代のユーザーは飽き飽きしている。

インターネットに触れたユーザーは改めて「個人」の特異性、他愛のないコミュニケーションの面白さ、何かを共有することの大切さに気づき、また自身が発信者たりえることに気づいてしまった。確かにそれぞれの個人が提供するコンテンツに「ホームラン」は少ないかもしれない。しかし365人が1年間に1つホームランを打てば、毎日、ホームランを見ることができる。そして何よりもこのコンテンツが「ホームラン」だと判断するのはユーザー自身なのだ。

そうした状況であることは十分に理解しつつ、今回の震災を通じて「オールドメディア」と呼ばれたラジオの存在感が増したことは、ラジオ好きの1人としては素直に嬉しい。

ラジオの良さというのは、技術的には「音」メディア(≒「ながら」メディア)だということと「一斉同報性」。しかし何よりもコンテンツ的に、テレビに比べて「自由度」が高いことと、一種の「コミュニティ性」が高いことだろう。

震災直後からテレビもCMを廃し臨時番組で臨んだがその内容はどちらかというと「ニュース」が中心。当然のことながら明るい話題は少なかった。こうした状況に対して、FM東京の飯塚基弘プロデューサーは、「リスナーの励ましとなること」を考えたという。

オールドメディアが意外な存在感、見直されたラジオの価値【震災関連速報】 | 産業・業界 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

被災地からのリクエストに基づき、子ども向け番組のテーマソングや演歌・歌謡曲など普段は流さないジャンルの音楽、絵本の朗読も実施した。

そうしたDJとリスナーとの近い感じ、自分たちの声がDJに届いているんだ/同じように放送を聴きながらがんばってる仲間がいるんだという感覚は、衝撃的な映像を流し続けたテレビとは全く違うメディアでありえたのだろう。

その感覚はネットの世界により近い。ただしネットがより各個人の結びつきを重視したソーシャルなメディアを指向しているのに対し、ラジオはDJを中心とした「1:n」モデルのコミュニティだ。だからこその多くの人との共時性/一体感と安心感がそこにはある。

また「地域」というリアルなコミュニティ単位で放送がなされていることも大きい。

「がんばろう!日本」「がんばろう!東北」という掛け声はもちろん求心力の高いものだけれど、1人1人の「生活」という単位で考えれば、括り方が広すぎて漠然としてしまう。ラジオは基本的には「県」単位だ。「○○市の…」「▲▲町の…」といったリアリティのある「つながり」を共有しやすい。

ネットの時代となり、こうした「県」単位での放送免許に疑問はあるけれど、こういう時にはこの「県」という単位での放送だからこそ存在感が増した部分もあっただろう。

あらためてラジオの存在に注目が行ったのだ。

また昨年からはradiko.jpがスタートし、ネットを通じて、ラジオを持たないユーザーも利用できたこと、また震災直後から期間限定でradikoのエリア限定機能が解除されたことで、ラジオに触れた人も多かったのではないか。また震災で停電となった地域はもちろん「計画停電」エリアでも、懐中電灯とセットになった手巻き式ラジオを利用した人もいるかもしれない。

いずれにしろラジオというのは、テレビでも、ソーシャルなメディアでもない独自の魅力が存在するのだ。


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