ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

関西学生アメフトに見るツイッターライブ中継の可能性

2010年12月08日 | コンテンツビジネス
関西学生アメリカンフットボールが例年以上に激しい展開になっている。例年であれば、関西学院大学(KG)と立命館パンサーズの2強が最終戦で関西リーグのNo.1を決するという展開なのに、今年はKGとパンサーズ、関大の3校が1勝1敗ずつの三つ巴の3校優勝となる。そのため大学日本一を決める「甲子園ボウル」への出場権をこの3校+中京代表の南山大の4校で争うこととなった。

これはこれで話のネタは尽きないのだけれど、予定外のプレーオフになったおかげで大きな問題が。いつもならSky-A、GAORAなどで放送されるはずが、一番盛り上がるこの大一番をどこも放送しないことに。

となると、地方のファンにとっては、この試合の様子をリアルタイムで楽しむためには2ちゃんねるの「中継板」しかなくなってしまう。そう思っていたら、今年はそこに「Twitter」での中継が加わったのだ。しかもそれを実況したのは読売テレビのアナウンサーだ。

尾山憲一アナの【関西学生アメフト 西日本代表校決定戦:1回戦:立命館大学 vs 南山大学】の実況ツィート

さすがアナウンサーというだけあって、非常に詳しく的確な解説だったのだけれど、これを見ていて思ったことを。

おそらく尾山アナのこのツイッターを見て、著作権侵害だと訴える人はいない。これは尾山アナが見ていて、それを自身でテキストにおとしたものだからだ。しかしこれを個人が個人の道具を使って、Ustreamで流した場合、これら著作権侵害といわれるだろう。

それはSky-AやGAORAに放送権があるかどうかといったこととは関係がない。他の手段で試合の様子を流す企業が存在せず、また配信することで商売をするわけでもなく、試合を見たくても現地にいけない人たちに楽しむ手段を提供しているだけだとしても、それはNGとなる。ツイッターでは許されるのにだ。これは何故だろう。

法的な技術論からいえば、著作権や著作隣接権、あるいは肖像権を侵害するおそれがあるというのが1つ。応援のブラスバンドが演奏している曲をネットに流せばその著作権を侵害するかもしれないし、選手たちの姿を(例えプロテクターで顔がわからなかったとしても)勝手に放送することもNGだ。

では仮に「音声」を消し、選手たちをゲームやアニメのように抽象的なキャラクターに置き換えてゲームの様子を再現した場合はどうだろう。この場合は楽曲の著作権や選手たちの肖像権からは解放される。しかしそれでもセーフとはいえないかもしれない。

あくまでも「試合」を「興行」だとするならば、ゲームの主催者側はそのゲームの配信権を主張するだろう。つまりゲームは主催者側の著作物だと。これは多くのスポーツイベントでも当たり前のことだ。FIFAはワールドカップを商売とし、UEFAはチャンピオンカップを金のなる木に仕立てた。

リスクを払ったものがより多くの収益の機会を得る――これはビジネスの世界では当たり前。しかし映画やライブとは違いスポーツゲームは偶発的なイベントだ。シナリオどおりにならないところが面白い。だとするとこれは著作物なのか?

それを著作物だからNGというのであれば、ツイッターでの中継も著作権侵害に当たることになる。

あるいは、試合内容(=コンテンツ)をそのままではなく、ニュースのような試合の状況や結果を伝えるための情報である、あるいはそうした情報を参考/引用した二次加工物であるとすれば、著作権違反にはならないという解釈も成り立つかもしれない。

となると「どこまでがコンテンツか」という線引きが必要になり、極端に言えば、程度論になってしまう。そうなるとツイッターは許容されるけど、キャラクターを使ったライブストリームはNGというのも納得だ。

結局のところ、この問題は放送する局もないし、「金のなる木」というわけでもないし、逆にツイッターに書き込まれれば話題となり、次からの集客や放送権の販売が期待できるかもしれないという程度の判断で問題になっていないだけで、問い詰めれば微妙な話なのかもしれない。

しかし誰も困らないのであれば、もっと率先して情報は発信されるべきだろう。そうすることが「次」を作るのだ。

少なくとも僕らがUGCや自ら情報発信するためのツールをもつ以前は「線引き」はもっと簡単だったのだろう。僕らが手に入れた武器というのは、これまでの世界観やルールを改めて問いかけ、破壊していくものなのだ。

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