ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

人口減少・ソフトウェア化・電気自動車・給与は上がらない

2011年02月16日 | Weblog
ちょっと寝ぼけながら考えていたことのメモ。何となく思い浮かんだキーワードが連なって、まとまりもなく日本の経済について考えてみた。始まりは友人か大阪に転勤になるのだけれど「家」をどうするかって話から。

家は買うべきなのか。

日本は人口減少社会で今後、家は供給過剰になる可能性は高い。となると、都心部や通勤の便がいい駅周辺など、特定のエリア以外は土地の値段は下がるのだろう。でも、その一方で給与所得が上がる可能性は低い。そして社会全体がそうなのだとすると、「持ち家」中心から「借家」「レンタル」中心へと社会制度を含め変化していくのかもしれない。

なぜ、日本ては給与が上がらないのか。

日本が人口減少社会であり、市場規模が縮小しているから。経済活動が縮小している以上、社員の給与が増えることは期待できない。

日本は輸出中心の工業国てあり、中国やインドなどの市場は急拡大している。日本企業という意味てあれば、成長の可能性は少なくないはすだ。にもかかわらず、日本企業が厳しいのはどうしてだろう。もちろんグローバルな競争が行われているからだ。でも、これまでだってアメリカやヨーロッパの企業と日本企業は競争してきたはずだ。今でも日本の工業製品の品質は高いし、「ものづくり」という点では決して他国に引けを取らないだろう。

では何が原因か。1つには日本では人件費が高くコスト競争力で負けるということがある。そしてもう1つには製品の「ソフト化」がある。日本か強いのは「ものづくり」だ。高い品質、精度、精巧な技術…ハートウェア的にとのように処理するかという点では他国に負けないものがあるのかもしれないが、例えばデジタル家電のようにハードウェア的な技術だけではなく、ソフトウェアによって制御されような製品が市場の中心を占めるようになると、日本の強みが発揮しにくくなる。ハードウェアよりもソフトウェアが製品の品質を決めるようになれば、日本のこれまでのノウハウも活かせないだろう。

これまで日本では「自動車産業」というものが特別な地位を占めてきた。それは自動車を作るということが、様々な精巧な部品を多数必要とし、「ものづくり」の国の経済波及効果か大きかったからだ。これが「電気自動車」の時代になった場合、自動車産業というものは特別な地位でいられるのだろうか。

答えは否だろう。

電気自動車が中心となれば、部品の点数は今よりも遥かに少なくなる。つくりそのものもシンプルとなり、「快適に」走らせるための処理としてはソフトウェアによる制御に寄る部分が大きくなるだろう。経済的波及効果はこれまでほど期待できない。しかも作りがシンプルな分、これまで以上に競争は激化するだろう。

中国やインド、ブラジル、ロシアといったBRICsと呼ばれる国々の市場が今後の経済を引っ張っていくことになるのだろうが、これらの国々の市場に日本が勝ち残れないのには別な要因もある。

それらの国々の市場が拡大している背景には、富裕層が伸びている面もあるが、これまで経済的には貧困層・下層に位置していた人々が消費の担い手として中間層・中間大衆へと成長していることが大きい。日本は「良質な製品を適切な価格」で供給する国た。品質は認められているかもしれない。しかし彼らか求めているのは、「それなりの製品をとにかく安く」だ。そうすることでより多くの消費者を獲得できるのだ。

これらの国々はこれからもしばらくは消費の担い手となる「中間層」への供給を続けるだろう。今の日本のような高い品質基準をもつ消費文化になるまではまだまだ時間がかかる。となると、日本か強みを発揮できるのは10年~20年くらい先ということか。それまで日本の「ものづくり」はもつのたろうか。あるいはそれまでに今の経済状況に適応した経済へと変化するのだろうか。


1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-02-16 07:53:45
子供は要らない。家は建てずにレンタルした方が良いかもしれない。
頭でっかちで屁理屈ばかり連ね、責任から逃げようとする男が増えました。
日本も駄目になるわけです。
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