ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

選挙フェス、緑の党・三宅洋平がみせた新しい選挙スタイル

2013年07月20日 | Weblog
駅前で緑の党・三宅洋平が街頭演説をしていたので覗いてみた。明らかに他の候補者とは違って、集まっているのは20代~30代が中心。Yシャツ姿の人間というよりも、もうちょっとラフな服装だったり、若い子供連れの主婦立ったり、ビール片手に集まってる人もいる。街頭演説というより、野外フェス的な開放感と熱気が一帯を覆っている。



三宅洋平というと「街頭演説で歌う」というキーワードしか知らなかったので、正直、あまりいい印象を持っていなかった。これまでも散々タレント議員を見てきたわけだし、選挙で歌うとなると僕ら世代だとオウムがまず頭に浮かんでしまう。

しかし彼は違った。キーワードが先行しているだけで(事実、だから僕も覗こうかという気になったのだが)、実際に会場で訴えかけていることは市民目線からのメッセージだ。その日も歌は最後に1曲2~3分という程度。しかしみんなが盛り上がったのは、何も歌だけではなく、彼自身が語ったメッセージの数々に対してだ。

彼のメッセージは具体的な政策云々というよりも、僕らが何となく感じていながら置き去りにしている「当たり前」の感覚を、もう一度、考えさせてくれることだと思う。

彼は言う、

「…日本のことを平和ボケだという。でも、サイフを置いていても取れらない国と取られるかもしれないと警戒しないといけない国、人のことを信頼できる国と疑ってかかる国とどっちがいい?日本が平和ボケなんじゃない、お前たちが戦争ボケなんだ!」

そう、グローバリズムだとか他国を見習えだとか、それはそれで分かるのだけれど、かって日本は「安心」「安全」が魅力だったはずで他の人を信頼する/他の人への心配りをすることが美徳だったはず。それが資本主義的な相手を出し抜くこと、ずる賢く勝ち抜くことが大事とされるのは、果たして正しいのか。市民感覚ではみんなが何となく思っていることだろう。

原発についても、科学者がいろいろ科学的根拠をもとに証明しているのは分かるとした上で、

「そんなこと知らなくても、何が正しくて何が間違っているかは俺たちでもわかる」

いろいろな課題があることはわかる。電気代が上がれば、せっかく復調の兆しが見えた(?)日本製造業に打撃がくるかもしれない、家計の消費行動が抑制されるかもしれない。代替エネルギーが簡単に見つからない…かといって、核燃料サイクルの方法が解決されていず、技術的にも完全でないことが実証された原発をこの地震大国・南海トラフの危険が指摘されている日本でやることに、どんな正当性・合理性があるのか。肌感覚でもわかるはずだ。

憲法改正については、「正直、(どちらがいいかは)難しい。カナダのようにみんなで時間をかけて話し合い、時代に合うように何度も改正をしている国もある」としたうえで「反対」とのこと。

ま、頭越しに「この意見が正しいんだ!」みたいに言われるよりは、「それもわかる、でも俺はこう思う。一緒に考えよう」といったメッセージの発し方の方が僕らにとっては身近に感じられる。聴く耳ももつというものだ。

何よりも、三宅洋平氏の演説会場でのメッセージの発し方は、これまでの選挙であるように「お願いします」の連呼や一方的に「私が正しく、他の候補は間違いだ」を主張するやり方とは違う。正直、そんなやり方には僕らの世代だって辟易している。若い世代にとっては尚更だろう。

そうではなく、市民感覚で、同じ問題意識を共有するものとして「話かける」。ちょっとラップ調の心地よいリズムでメッセージを[伝える」。えらそうに振舞うわけでもなく、必要以上に下手になるわけでもなく、そういったものは当選してしまえばころっと態度がかわるのが分かっているのだ、対等な立場として話かけ、聞き、議論する。――それこそがネット選挙の意義だろう。

生まれたときから出来上がっている複雑怪奇な社会システムの下で、結局、投票したってどうにもならないんだろうという諦念、団塊の世代やバブル世代が力をもっている社会に対して絶望しか抱いていない世代にとって、選挙なんて意味がないと感じているかもしれない。

でもそうではない。のだ、本当は。

業界団体や支持母体、既得権益者のための選挙ではなく、もう一度、選挙を市民の手に取り戻すために、三宅洋平のような候補者は必要なのだろう。

選挙まで残すところ、後1日。さて、どこに投票するか。

0707選挙フェス@横浜 F.I.B.JOURNAL+三宅洋平+元晴


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