ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ネット選挙解禁はどう活かすべきか

2013年06月30日 | Weblog
今年の参院選は初の「ネット選挙」だと騒がれている。ちょうど病院で番号で呼ばれたことに腹を立て、「刑務所に来たんじゃない」「会計をすっぽかして帰った」とプログに書き込んで、炎上した小泉岩手県議が自殺したこともあって、このネット選挙に対して候補者側が過敏になっていたりもする。

まぁ、小泉氏の件は受診者を番号で呼んでいる背景を理解せずに、その後に会計をすっぽかすという行動そのものがまず問題あるわけで、そうした人間性が明らかになっただけでも結果、有権者にはプラスではないかと思う。ただ、その後の過剰なマスコミ報道やそれらに煽られて苦情の電話やメールを執拗にするという風潮そのものはどうなのだろうか。選挙の際に審判を下すというのが適切な行動なのだ。

話はそれたけれど、そのネット選挙。とはいえ、これで何かが大きく変わるわけではない。今回のネット選挙で解禁されるのは、①選挙期間中に有権者が自らのHPやブログ、ツイッターを通じて特定の政党や政治家を応援できるようになった、②候補者・政党が選挙期間中にHPやブログ、ツイッター、「メール」を通じて選挙運動が可能になった、という点だ。

しかしこれで大きく何かが変わるのだろうか。

候補者の側からすると、「炎上」によって、つまり民意とはかけ離れた発言や態度をWEB上で示してしまうことによって有権者の支持を失うというのは非常に怖いことだろう。これまでであれば、選挙カーから大衆に向かって発言しているために発言にはかなり気を配っていただろう。また受け取り様によっては問題になりそうな発言もその場の雰囲気の中で許されていたかもしれない。しかしそうしたものも、WEBに向かって自らの思うままに発言をすれば、文脈を無視して「言葉」だけが独り歩きしてしまうこともある。本音が伝わりやすくなる反面、炎上リスクも高くなる。しかしこれらはリテラシーの問題であり、はたまたそれが本音であれば、伝えられるべきものなのだ。そのことで失職するような政治家はそういう人なのだ。

逆に有権者にとっては大きなパワーを得ることになる。これまでだって、政治意識の高い人は周囲の人に政策や政治家について話をしたりしていただろう。それがこれまでの「周囲」から「世界中」に範囲が広がるのだ。適切な分析、比較をしているような人、積極的に応援をしているような人の発言権が大きくなるのだろう。

こうした動きは本来の民主主義のあり方からすれば望ましいことだ。

これまで「世論」とは、マスメディアから一方的に流される情報と、漠然と民意が感じている「感情」や「共感」がもとに形成されていた。そのためマスメディアからの情報には「印象操作」「世論誘導」との批判をされることもあったし、一方、「感情」や「共感」では誰の意見なのかは全く見えなくなっていた。それがこれからは誰がどのような意見なのかが見えるようになる。そしてそれに対して、受けて側が考え、議論すればその様子がまた表にあらわれるのだ。

しかしこうしたものはプラスに働いた場合の話。

反対に発言が自由なだけに、マスメディアやネットで支配的な意見にそのまま踊らされ、その意見をあたかも自分の意見のように振りかざし、拡散するひとが増えるかもしれない。そうなると、結局はこれまで以上に「小泉旋風」的な「風」に左右される選挙になるかもしれない。

残念なことに日本の場合、自らが積極的に政策を分析しそれゆえにこの候補者を「みんなで」応援していこうと行動することは少ないのではないか。個人ベースで発言する人はいるかもしれないが、そのことを草の根選挙の「運動」として活動する人はいるだろうか。本来であれば、そうしたネットを通じた「草の根」選挙を育てることで、業界団体や労組といった既存の政治団体を超えて市民政治を実現する可能性があるのだけれど、まだ日本ではそこまで市民社会が育っているとは思えない。もっとも15~20年前に比べれははるかに市民の意識は高いものがあるけれど。

今回は初めてのネット選挙ということで、候補者や政党の失敗がなければ、大きな影響はないだろう。もし、草の根ベースの選挙運動に育てることが出来たとすれば、その政党・候補者は大きなアドバンテージを手に入れられるだろう。

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