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日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト / 古田 隆彦

2008年06月15日 | 読書
以前読んだ見田宗介さんの「社会学入門」の中で、現代社会が成長の「S字曲線」でいうところの「平衡系」に入りつつあることが指摘されていたが、それを「人口容量」と「文明」という観点からまとめられた一冊。



日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト / 古田 隆彦


2004年12月の1億2784万人をピークに日本の人口は減少し始めた。マスメディアわ中心に「少子・高齢化」が原因といわれているが、正確には「小産・多死化」が原因である。

そもそも「子ども」や「老人」とは何か?人口統計では15歳から上を「生産年齢人口」14以下を「年少人口」と呼んでいるが、高校への進学率が58%しかなかった60年代と高校進学率97%、半数以上が大学へ進学し、フリーターやニートが存在する現在とでは、共通の年齢を基準に「子ども」を規定することに無理がある。これは平均寿命が70歳前後だった60年代の基準(65歳以上を「老年」)を、女性の平均寿命が84歳を越える現在に当てはめることも同様である。

動物の世界には、個体数の上限「環境収容力(キャリング・キャパシティ)」が存在しており、一定の空間の中で個体数がキャリング・キャパシティが上限に近づくと、多くの動物は何らかの方法で個体数わ抑える動きをはじめる。基本パターンは以下の四つ。

1) 産卵率の低下や幼虫死亡率・成虫死亡率の上昇など、固体の属する群れの出生率・死亡率の上昇によって個体数を抑える
2) 成虫による卵食い、子殺し・兄弟殺し、共食いなど個々の固体の生殖力や生存力を抑えるように介入する生殖抑制行動や生存抑制行動
3) なわばり、順位制、ハーレムなどキャリング・キャパシティを小分けにし、生殖力と生存力に格差を設け、群れ全体の個体数わ抑える
4)集団離脱など特定空間から一定数の個体を分離することで群れの個体数を抑える

ただしこれらの行動は意識的・意図的に行われているわけではなく、環境汚染の度合い、食料獲得の難易度、お互いの接触活動などの環境変化が起こるにつれて、自然に反応している結果である。

こうした個体数抑制行動は人間ではどのように行われているのだろうか。1)生殖・生存力抑制は、人間の場合も同じである。食料不足、環境悪化、高ストレスに晒されると肉体的精神的に体力が低下し、生殖能力の低下が顕著となり、病気や寿命の低下などが発生する。

2)生殖・生存介入、3)生殖・生存格差、4)集団離脱について、民族や時代によって多様な方法がとられており、遺伝的・生得的に行われているとはいえない。堕胎(中絶)、間引き(嬰児殺し)、姥捨てなど直接的な方法はもとより、タブーや慣習に基づくもの、強制移民など民族や時代の世界観に強く影響されている。

人間の人口抑制装置は、生理的次元と文化的次元の二重構造となっている。

文化的抑制は3っの次元から考えることができる。避妊や堕胎といった「直接的抑制」、生活の圧迫や家族縮小・都市化・社会的退廃といった「間接的抑制」、一人っ子政策や老人遺棄など「政策的抑制」だ。

これらの抑制装置は、以下の手順によって作動することになる。

文明が自然環境を開拓するにともないキャパシティが拡大
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キャパシティの拡大にともない人口の増加(1人あたりの生息水準も拡大)
 ↓
キャパシティの伸び率が鈍化し人口の伸び率を下回り始めると、1人あたりの生息水準も低下し人口抑制装置が機能しだす
 ↓
成人は、子どもを作らずこのまま生息水準を維持・拡大するか、子どもを作るかの二者択一の選択が求められる。
 ↓
その結果、多くの成人が前者を選択した場合、それが社会に広がり、人口が減少する。

これまで人類は5っの人口波動のあった。1つ目は紀元前四万年前に始まる600万人の「石器前波」。石刃文化を作り出したことで、狩猟生活を一変させた。次の波は紀元前一万年から前3500年にかけて、600万人→5000万人へと拡大した「石器後波」。細石刃を「鏃」や「銛」などの狩猟道具をはじめ様々な道具に活用され、生産性を向上させた。

次が紀元前3500年から700年にかけての「農業前波」で地球の人口容量は5000万人→2億6000万人へと増加した。この時代はこれまでの打製石器から磨製石器へ、土器~青銅器へ発達し、また農耕と家畜飼育が普及し自給自足の食料生産へと急速に移行した。こうした粗放農業の発達によって、余剰な食料が生まれ、聖職者や技術者、階級や都市を生み出すことになった。

しかしこうした「農業革命」も気候の悪化や政治体制の混乱(ゲルマン民族の大移動~東西ローマ帝国の分裂と西ローマ帝国の滅亡)にょって限界わむかえることになる。

4っ目の波はBC700年から1500年までの「農業後波」で2.6億の人口は4.5億へと膨らむ。この時代は鉄製の農具、三圃制農法、農業への牛馬の利用、集約的農業技術などが発達し、また「封建制」への政治体制の移行は封建領主らによる大開墾時代を迎えることになった。また都市が形成され、商業や貨幣制度が発達することになった。

ところがペストの大流行や農地環境の悪化など停滞期を迎えることになる。

その後、1500年から現在を経て2150年頃までにわたる5っ目の「工業現波」の時代となる。既に現在の世界の人口は65億人に達しており、その後90億前後まで拡大が予想されている。これは近代合理主義精神に基づく「科学技術革命」が人口容量を拡大したためだ。

だが途上国・後進国の人々が先進国並みの生活をするようになれば、食料・資源問題や環境問題などで限界を迎えることになるだろう。これは日本も同じである。

こうした人口容量は以下の式によって定義することができる。

V(人口容量)=N(自然環境)×C(文明)/L(1人あたりの生息水準)=P(総生息容量)/L(1人あたりの生息水準)

つまりP(総生息容量)が伸びている時はL(1人あたりの生息容量)が伸びていても余裕があるが、P(=自然環境×文明)に限界に達すると、Lを減らして人口を増やすか、Lを維持・増加させて人口を減らすかの選択が迫られるのだ。つまり現在、日本が行っているような少子化対策のようなものでは高い効果は期待できない。

しかしいったん人口が減ったとしても人口容量に余裕が出だすと人口は反転増加する。

マスコミなどでは900年後に日本人は絶滅するといった話もでているが、こうした人口容量をもとに考えると、1億2800万人を上限としていったん減少するものの、2080年代の6700万人で底をうち、2150年代には1億人の大台に達する可能性がある。そのためには人口容量を維持する、現在の加工貿易文明を維持する必要がある。

では人口容量を維持するために、何が求められているか。

1つは、先端技術の応用分野・生活産業分野・心理産業分野の産業を創出させること。2つ目は、人口が減っていく中でも現行の社会・経済規模を維持するためにも生産性をあげること。3っ目が生息水準の「ゆとり」を活かしていくことだ。現行の総生息容量を維持したまま人口が減れば、一人当たりの生息水準は増加する。「モノ」から「ココロ」を重視する生活態度へと切り替えていくことで、生活産業分野や心理産業分野なども開かれていく。

これからはアップサイジングな社会でもダウンサイジングな社会でもなく、またサステナブル(持続可能)な社会でもなく、コンデンシング(濃縮)な社会を目指すべきだ。かっての江戸中期に生まれた「化政文化」がそうであるように、人口減少でうまれた「ゆとり」で文化を生み出すことが可能になる。そしてそこで生まれた文化が、新しい精神運動や新技術の開発へとつながっていくのだ。

コンデンシング社会の到来は、経済・社会構造に対して、①消費社会化、②情報化、③リゾーム化を促す。それはモダン(近代)の完成系として「ラストモダン」といってもいいだろう。

これまで石器前波→石器後波、農業前波→農業後波というようにこれまで2つの波動がペアで1つの「基盤文明」を構成していたことを考えると、次の波動は、(粗放的)工業文明を受け継いだ「(集約的)後期工業文明」と考えることができる。次の集約的工業文明では、「太陽エネルギーが長期的に集積した化石燃料を採取・消費する」ことから「採取圏域を増やして化石燃料をなどをより効率的に採取するとともに、エネルギーの集約や育成を図る」文明への転換していくことになるだろう。


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人間が「結果的に」選択しているという意味で、「人口波動」「人口容量」というものは存在しているのだろう。見田さんの「社会学入門」でも成長の「S字曲線」が示されていたように、テクノロジーの発達が人の生息できる環境を規定し、結果、そのキャリング・キャパシティが決定されるのだ。

この波動については、テクノロジーという観点からすれば、石器時代→農耕革命→工業革命とその延長としての消費革命(この用語には?だけど…)になるだろうし、ICTという観点からすれば、文字の登場→マスメディア→ICTという波動になるのだろう。また人口分布からすれば古田さんの示すような5段階になるのかもしれない。

いずれにしろそれらは各々別々の存在ではなく、結びつきながら、その時代時代のキャパシティを構築していたのだろう。

この本でおもしろかった点としては、現在の工業社会が化石燃料を「爆発」させる粗暴な工業文明であると考えている点。実際、自動車にしろ飛行機にしろ爆発によって運動を引き起こし、あるいは衝突し、墜落すれば、暴力的に人が死ぬ。グローバル資本主義にしても他国の事情や影響など全く考慮されることなく、各々の利益追求の結果、経済格差・搾取構造=暴力の構造化が起こっていく。次の集約的工業社会の波ではこうしたものを克服されるだろうとしているのだ。

この胎動は既に見え始めている。

中国やインド・南米諸国の発展によって、先進諸国は否が応でも「環境」を考えなければならなくなり、代替エネルギーの開発や食料の確保は重要な課題となった。ICTの発達は効率化を推し進めるだろう。Webの構造やベンチャー企業の台頭、そうしたそれぞれの機能に特化した企業体やNGOなどの緩やかな結びつきなどを見れば、リゾーム化という流れも止まることがないだろう。

それぞれの国々の発展段階の違いはあるものの、「粗暴工業社会」と「集約工業社会」の波動は連続したものとして変化していくのではないか。そして人口容量ということでいえば、N(自然環境)を現在の大陸・国家としてだけ捉える時代でもなくなるのかもしれない。



社会学入門-人間と社会の未来 / 見田宗介


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人口減少影響解説インタビュー / 古田隆彦 氏

日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト / 古田 隆彦





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