ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「救命病棟24時」―ヒューマニズムの限界と経済合理性

2005年01月22日 | Weblog
あまりテレビドラマは見ないのだけど、ついつい見てしまうのが「救命病棟24時」。パート1、パート2も結構好きだったのだけれど、今回スタートしたパート3は東京に直下型地震が起こり、大規模都市災害下での救急医療という、非常にドラマチックな設定。とはいえ、阪神淡路大震災から10年、そして先日は新潟中越大震災が起きたりと決してありえない話ではない。そうしたある種現実離れした展開が可能な設定の中でどこまでリアリティのあるドラマを作ってくれるのだろうか。
またパート3は、パート1で研修医だった小島楓(松嶋菜々子)が再登場と言うのが話題だろう。とにかく番組宣伝でも、出産後の松嶋菜々子復帰第一作ということで徹底的に話題を作っていた。

第1話。「国際人道支援医師団」で活動する進藤一生(江口洋介)は同僚医師・山室剛(塩見三省)の遺品を持って一時帰国する。遺品の医療道具を山室夫人に返そうとするが、夫人はそれを進藤に使って欲しいと嘆願する。進藤は偶然かっての研修医・小島楓(松嶋菜々子)と出会う。楓は救命を続けるか、結婚し救命を辞めるか悩んでいた。所用を済ませ進藤が楓の勤務する東都中央病院高度救急救命センターに向かおうとした直後、東京をM7の直下型地震が襲った―。

第1回目の放送は、状況や登場人物の説明が中心。小島楓が研修医時代に比べはるかに成長していた。実際、医療の世界での研修医からの6年というものがどれくらいの成長をもたらすものかは分からないが、すっかり中堅・ベテランのようになっている。

第2話。進藤は応急処置をした傷病者を近くの河野医院に運び込む。そこには既に多くの傷病者が集まってきていた。通常の地域医療と同じように診療をする河野定雄院長(平田満)と治療を交代した進藤は、緊急時には患者のトリアージが必要として、傷病者に対して治療の優先順位をつけて治療にあたりはじめる。軽傷者を帰し、さらに手の施しようのない患者に非情とも思える判断を下す進藤と顔見知りの傷病者に対して優先順位をつけざろうえなえいことに戸惑う定雄と看護婦。集まった傷病者は進藤に掴みかかるのだが…。

ここに進藤のこの何年間かでの変化―「国際人道支援医師団」での活動による変化が垣間見ることができる。「救命病棟24時」のHPの江口洋介のインタビューの中にもあるのだが、パート1、パート2の進藤はヒューマニズムとプロ意識に支えられた”孤高のヒーロー”だった。病院内の政にはかかわらず、「惨事救命救急の看板をあげている以上、患者の受け入れを拒否する」ことなく全ての患者を受け入れる。仮にホスゲン中毒の発生にみられるように、集団災害が発生し、トリアージを行ったとしても、それは治療の順序・担当する医療スタッフの整理のためのものであり、"全ての傷病者を救う"ためのものだった。

救命病棟24時 HP

しかし今回行ったトリアージは明らかに違う。限られた医療スタッフの中でより多くの人を救うため、言い換えればそのために多少の犠牲は仕方がない、という経済合理性によるものだ。この違いは大きい。

こういうスタンスに好き嫌いはあるだろうが、こうした緊急事態の対応としては許容せざろうえないものなのだろう。こうしたことは頭ではわかる。しかしいざ自分がこうした状況に巻き込まれ、診療を受けられなかった場合に果たして自らのエゴをおさえてこうした措置を受け入れることができるだろうか。人間はどんなに知識を詰め込んだとしても感情で生きる存在だ。周囲の状況に理解を示せるまで、ある程度冷静になれるまで、まず感情的に反応してしまうだろう。

それはこのような緊急事態に限ったことではない。「全体最適」のためには「個人の利益」や「部分最適」が否定される場合は多々ある。会社、学校、サークル、家族や友人関係…結局、たとえ各個人が主体的な存在であろうとそこに「集団」という軸が発生した時点で、ある立場での正義や利益を追求する存在になってしまう。そうである以上、自らの正義や利益と一致しなかったからといって、感情的に反発するのではなく冷静に状況を理解するためには、今、自分がどの立場にたっているのかを常に意識し相対化する必要があるのだろう。

寺泉隼人(仲村トオル)のように権力を使って自らの家族を優先的に診療させようとしたり、過剰に進藤への憎悪を掻き立てたり、掴みかかったりというのは、決して他人ごとではないのだ。

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