ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

【書評】ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図/リンダ・グラットン

2013年01月02日 | 読書
ちょっと職場で個人的に不条理さを経験したことと、東日本大震災という僕らの生活基盤の根底を揺るがす事態を経験したこともあって、これからの仕事との付き合い方を考えることが度々あった。そんな中で出会った一冊。


ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

僕らの世代にとって、終身雇用が幻想だったということは分かっていたとはいえ、そのメリットを享受できる端境期というか、いずれそれらの幻想は明るみに出るんだろうけど、まだ大丈夫といった感覚があったことは否定できない。

僕らが就職するときの標準的なモデルとしては、バブル崩壊後の不況だからこそ、大手に就職すれば何とか安定した生活が築ける可能性が高いというものだった。しかしそうした状況が急速に変わったのも周知の事実。大手企業の倒産や買収が当たり前のようにあり、生き残った企業にとっても経営状況にあわせて「生産調整」のように社員を減らすのも当たり前といった時代。

これまでの世界を支えるルールが変わったとき、果たして僕らはどのような「働き方」をすべきなのか、否、どのような(働くことを含めた)生き方をすべきなのか。企業が僕らを守ってくれるわけではなく、またその働き様を正当に評価できない以上、僕らは僕らが主体的に判断し、行動し、働いていくしかない。しかも世界はソーシャル化が進み、所有からシェアへ、フラット化が進んだゆえのコミュニティの再発見が問われることとなった。そして東日本大震災。いつ、何が、どうなるか分からない時代。

そんな中で自分なりに出した答えもある。それが正しいかどうかは分からない。ただこの本が指摘していることというのは非常に納得できる。後、何年、何十年かという就労期間を考えたとき、僕らは否が応でも「ワーク・シフト」せざろうえないのだ。

この著の中で、リンダ・グラットンは3つのシフトを提唱している。

第一のシフトは、1つの企業でしか通用しない技能で満足せず、高度な専門技術を磨き、他者との差別化をするために「自分ブランド」を築くこと。

第二のシフトは、難しい問題に取り組む上で頼りになる少人数の「同志(ポッセ)」グループとイノベーションの源泉となるバラエティに富んだ大勢のネットワーク(ビックアイデア・クラウド)と打算のない友人関係(自己再生のコミュニティ)という三種類のネットワークを構築すること。

第三のシフトは家族や趣味、社会との絆といった創造的経験を重んじる生き方に転換することだ。

そもそもこれからの世界というのは、テクノロジーが高度に発展し、世界50億人以上がインターネットで結びつく社会だ。知識がデジタル化すれば、国家の成熟度にとらわれずITリテラシーがあれば様々な知識にアクセスできるようになる。ソーシャル化が進めば、世界中の様々な情報や知識を持った人間と結びつくことも容易になる。当然、これまで以上に労働力がテクノロジーに取って代わり、生産性が向上していくことになる。

またグローバル化の進展は24時間365日の動き続ける経済を成立させた。新興国が台頭し、またインドや中国などが人材輩出国となるなど、先進国かどうかではなく国家という枠を超えて、都市化や知識の集積化が進むこととなる。それは同時に先進国であったとしても、ITや海外からの人材に取って代わられ、世界のいたるところで貧困層が出現することでもある。

人口構成も大きく変わる。インターネットが当たり前のように育ってきた1980年~95年頃の生まれであるY世代が社会に対して影響力を持つようになり、その一方で寿命が大きく伸び90歳~100歳まで生きるというのが当たり前となる。当然、そうなれば彼らは60歳で老後を迎えるというわけではなく、国家としても個人としても生産活動の期間も伸びることを望むだろう。そしてテクノロジーの発達やグローバル化の進展に伴い、国境を越えた人の移動がこれまで以上に活発になる。

そうなれば当然のことながら、「家族」の在り方も変わることになる。女性の社会進出もあれば、仕事と家庭とのバランスを重視した生き方を選択する者も増えるだろう。自ら選択的に自分の人生を決める機会が増える一方、結果的に受動的な生き方を選ぶ人も多い。彼らは概して裕福でありながら「幸福感」を感じられないこととなる。

新興国の台頭や都市化の進展は同時にエネルギー問題や環境問題を大きなものとする。インドや中国を中心にエネルギー価格が高騰すれば、モノの輸送や人の移動を減らさざろうえない。温暖化をはじめとした環境問題の悪化は生態系のあり方を大きく変えるだろう。持続可能な社会を成立させることが社会の優先順位としても高くなるのだ。

こうした時代の変化を理解せず「漫然と」未来を迎えれば、そこには暗い現実しか残らない。そうではなく、自らの未来予想図を描き、そのためにシフトしなければならない。

まず第一のシフトは「ゼネラリス」から「連続スペシャリスト」へのシフトだ。仕事の世界で成功するための要因というのは、その時代に価値を生み出せる知的資本であり続けられるかどうかだ。これまでであれば1つの企業に閉じることによって、「ゼネラリスト」は重宝された。これだけテクノロジーが進化し、グローバルな規模で人材レベルでの競争が促進されるようになれば、いかに「自分ブランド」を確立するかが大事となる。そのためにはゼネラリストではなく、スペシャリスト、それも時代の変化に合わせて専門技能を連続的に習得していく必要が出てくる。

第二のシフトは第一のシフトで築いた「知的資本」と「人間関係」と結びつけることだ。これらかの世界というのは、インターネットで50億以上の人が結びついた世界であり、人間関係資本を築く方法飛躍的に拡大することになる。こうした人間関係を活用することで、自らの知的資本だけでは不足している課題を解決することも可能になる。そしてそのためには人間関係を3つの軸で整理する必要がある。それが「ボッセ(課題解決に向けた同志)」「ビックアイデア・クラウド」「自己再生のコミュニティ」だ。こうした関係性の質的な違いを理解したうえで活用することが必要となる。

第一のシフト、第二のシフトは職業生活をいかに活かすか、充実した経験とするかが主軸となるが、第三のシフトは仕事と私生活のバランスをどのように図るかというところが主眼となる。実はこれが最も難しい。「お金と消費に最大の価値を置く」発想のままでは僕らはどこまでも働き続けねばならない。しかし「よき父親」であることや「成長」重視の行き方、自分が大切にしたいと思う「経験」を重視しようとするならば、みずから「選択」を行わなければならない。自分の前にどのような選択があり、その結果、何を得て何を諦めねばならないかを理解しなけばならない。

自らが本当に大切にしたいものが何か、一人一人の異なるニーズを理解し、それを実現するためにどういう働き方を実践するか――。そうした選択には自分の働き方の未来に責任を持たなければならないのだ。

【レビュー&感想】

冒頭でも述べたように、ちょうど僕がいろいろ考えていたことともあって、僕なりの「第三のシフト」を実践しようとしているところで読んだ本ということもあり、「興奮」というよりは「納得」というか「確認」というのが正直な感想だ。しかしこの本で書かれている内容というのは、職場では共感を得られないだろうという気がする。ワークライフバランスといった言葉は分かっていたとしても、そうした選択が企業の中においては決して有利に働かないこともあるし、あるいは「結局は会社での出世競争から外れたものの戯言」くらいにしか思われないのかもしれない。

この本が多様な生き方/働き方を認めているように、仕事を自分の人生の中心に据える生き方を否定する気は全くない。実際、ベンチャー企業を立ち上げた後輩などは「生き方」としても輝いていると思う。もちろん家族に負担をかけているところもあるだろう。それでもあれだけ輝き、周囲の人間からも慕われていれば、それが1つの生き方として家族の理解も得られるのだろうと思う。

その一方でエスタブリッシュな大企業の中にいると、その組織内のルールの中だけで必死になっている人間も多い。何かを成し遂げたい、実現したいという思いがあるわけでもなく、ただ与えられたノルマや役割を「こなす」。出世のために無理をして体を壊す。言いたいことも言わずただ上から言われたことを我慢する。納得のいかない仕事を盲目的に繰りかえす…。

もちろん好きなことだけやって生きていける幸福な人間なんてそう易々いないだろう。だからといって全てをお金や消費を中心とした考え方のまま、見かけの幸福に浸って我慢しながら生きる必要もない。だからこそ本当に大切なものとのワークライフバランスを考える必要があるのだ。そしてそのためにどのように具体的にシフトするのかが大事なのだ。

例えば65歳や70歳定年制となった時、あるいは70歳や80歳でもまだまだ社会活動ができるという時、漫然と未来を迎えるのではなく、そのコミュニティの中で自分がどういう位置づけを担うのか、マイクロビジネスの裾野が広がっていったとき、どういう立ち位置でビジネスの世界に関わり続けるのか、そういったことを含めて、自ら切り開いていかなければならないのだろう。

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

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