Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

SALOME (Sat Mtn, Oct 11, 2008)

2008-10-11 | メトロポリタン・オペラ
オペラヘッドをしていると、できるならば避けたいことがこの世に一つあります。
それは、頭から蒸気が噴き出るような公演を生舞台で観ること。
人により、引き金になる理由はいろいろあるでしょうが、私の場合は、
歌手が、自分の声や技術に合わない役を歌ったときと、
作品の良さや真価が歌や演奏や演出によって、踏みにじられた時、が二大パターンで、
それに比べると、作品そのものが今ひとつな場合、というのは、
怒る気にもなれないので、含まれません。

昨シーズンは、『椿姫』によって第一のパターンを経験し、脳震盪を起こすかと思うほどの
怒りに打ち震えた
ので、どうか二年続けてそんなことが起こりませんように、、と願っていたのですが。

さて、ここで宣言してしまうと、私、この『サロメ』という作品が、大、大、大好きなのであります。
この作品の、最も優れた録音として誉れ高いカラヤン指揮、ウィーン・フィルによる演奏
(サロメ役がベーレンス、ヨハナーン役がヴァン・ダム、ヘロデ王役がベーム、
ヘロディアスがバルツァ)
を聴くと、単なるショッキングなエログロ・オペラなんかでは決してなく、
これは、自らが信じるものと生き方を絶対に変えないサロメとヨハナーンの一騎打ちの闘いと、
そしてサロメの、恋に落ちた相手をやっと自分の手にしたときは
相手はもうこの世に存在しない、という、限りなく切ない恋愛を描いた作品であることがわかります。
16,7という年齢ゆえに、サロメ自身が戸惑っている、次々と生まれる激しいいろいろな感情を、
これ以上ないほど的確に、しかも艶っぽさを失わずに音に表現しきったカラヤンの指揮とオケ、
そして、キャストの力が素晴らしく、これ以上の名盤はもう絶対に絶対に現れないことでしょう。

これに比べたら、ショルティ盤は、ニルソンという一大サロメ歌いをキャストに抱えながら、
全く色気がなくて困ります。こんな演奏は、おっさんが頭で考えた少女の恋物語に過ぎない。
心なしか、ニルソンの歌もなんだかしゃちほこばっていて、これなら、
最後の場面しか聴けませんが、まだ、メトのビング・ガラでの歌唱の方が熱くて聴きごたえがあります。
それに引き換え、カラヤンの方は、あのナルシスティックなお面をひっぺがすと、
そこには少女が立っているのではないかと思うほど、
少女の恋物語そのものの演奏をこの盤で繰り広げています。
そして、少女の恋物語、という言葉に騙されてはいけない!
往々にして、子供が大人よりも残酷であるのと同様に、少女の恋は、少女であるゆえに、
大人の女性のそれよりも、残酷を極めるのであり、
それが、この作品をエログロと勘違いさせる一因になっています。

先にも述べたとおり、エログロはあくまで彼女が少女であることに起因している付随結果であり、
この作品が本当に描こうとしている核にあるのはそれではない、と考えます。

たとえば、しばしばこの作品で話題になる7つのヴェールの踊りとソプラノがどこまで脱ぐか、
云々といったエロティシズムは、
美男子ナラボートにそれまで視線すら投げかけることのなかったサロメが、
ヨハナーンに近づくために唯一利用できる人物が彼であることがわかった途端に
しなをつくる場面や(もうこの場面の表現の上手さは、カラヤン盤をお持ちの方はご存知の通り!)、
その後、サロメが言葉を尽くしてヨハナーンを口説きおとそうとする場面のエロティックさに比べると、
なんてことはありません。
特に後者については、もはや詩の世界であり、こんな美しい詩のような口説き文句を
恋愛相手にアドリブで言ってのけるとは、サロメ、美少女であるだけでなく、芸術センスにもたけてます。
この作品は、オスカー・ワイルドの戯曲のドイツ語訳が、多少のカットや言葉の置き換え、
複数の人間によって語られる内容を一人の人間の言葉にしたり、と多少の変更は見られるものの、
ほとんどそのままと言っていいくらい忠実に用いられているので、
もちろんワイルドの力であるわけですが。

とにかくこのワイルドの戯曲を読むと、それ自体の出来が素晴らしく、
少女というものを実に巧みに捉えているのには驚かされます。
特に、ヨハナーンに、ヘロディアスを淫売呼ばわり(というか事実なわけですが)
されたそのすぐ後のサロメの言葉が奮ってます。
”もう一度しゃべって、ヨハナーン。私の耳に、あなたの声はまるで音楽のよう。”
実の母親が貶されているのに、話を聞いているんだか、聞いていないんだかのこの素っ頓狂ぶり!!
しかし。この部分を聴くといつも、私は高校時代の友人を思い出す。
まさに我々がサロメと同じ16,7歳だったころ。
私達の学校に、なかなか二枚目の、体育の先生がいらっしゃいました。
当然、女子生徒から絶大な人気があり、彼女もメロメロで、日ごろから、
何とかその先生と一言でもいいから、お話するチャンスを作りたい、と言い続けていたのですが、
いつかの体育の授業で、学校の規定どおりの体育服を着ていなかったか何か(今考えると
実にばかばかしい理由!)で、彼女がその先生から他の生徒全員の前でお小言を頂戴しました。
しかし、彼女を見ると、恥ずかしそうにするでもなく、ぽーっとしているではありませんか!!
私が、”ちょっと!叱られてるの、わかってるよね?”と言うと、
彼女が一言呟いたのです。”先生、もっと叱って、、、。”

こんな事言う人、大人になってから私は一人も見た事がないので、
まさに、思春期の少女特有の狂気の沙汰だと思うのですが、これって、まさにサロメではないですか!!

そして、この戯曲に、ほとんど神業と言ってよいような音楽をつけたシュトラウスの手腕!
本当に音が、サロメの気持ちを含め、全てをきちんと語ってくれている。
というわけで、そのシュトラウスが音符で表現してくれたこのワイルドの物語を
きちんとオケや歌手や演出が再現できているか、ということと、
それゆえに、7つのヴェールの踊りだけではなく、登場人物の会話そのものに
エロティックさが漂っていることがこの作品を舞台にかける時の絶対条件であり、
逆に言うと、それが出来ていない公演を私は許せない。

注:この公演はライブ・イン・HD収録日のものですので、これからライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)
にて当作品をご覧になる方は、その点をご了承の上、読み進めてくださいますようお願い致します。




そして、はっきり結論から言いましょう。
今日のこの公演、私は許せませんでした。
というか、この、ワイルドとシュトラウスによる素晴らしい作品を、
演出と指揮と一部の歌手がよってたかって滅茶苦茶にしてしまった。
私は激しい怒りと失望を感じています。

まず、この演出!これは一体何なんでしょう?
こんなトラッシー(trashy ごみのような、しばしば下品な、というニュアンスも含む)な演出が、
メトに存在しているという事実が信じられない!
映画『スカーフェイス』にも通じる、お金は持っているけど、
趣味良く使えない人たちの家のようなセットに、これまたチンピラのようないでたちの
宴の招待客たち。
これが、ヘロデ王の住む場所、、?!
『スカーフェイス』はまだその胡散臭さを極めつくした故の格好よさがあるけれど、
この『サロメ』の演出でのそれは極めつくしていないので、なおたちが悪い。
そして、みんなアル中なのか、良く飲む。
主だった登場人物が、いつもワインの瓶を片手に舞台を徘徊するのです。
私の連れが、”カクテル・バーのサロメ”とこの舞台を呼んでいるのも道理。

とにかく人の出入りの不自然で見苦しいこと、
セットの組み方(古井戸の位置が前すぎて、歌手たちが非常に限られたスペースで
歌い演じなければならない場面がある、など)の問題など、
あまりに自然な舞台進行を妨げる要因が多すぎて、何から語ればいいのやら。

どんな突拍子のない時代や設定の移し変えでもいいですが、物語の良さや
核になっている部分を捻じ曲げるような演出は絶対に許せん!!

この演出家がいかにこの作品のポイントを理解しそこねているかは、
ナラボートの扱いを見るとすぐにわかります。
このナラボート、ヘロデ王に、”美男子”と言われていることからもわかるとおり、
なかなかのイケメン青年なのですが、サロメには全く相手にされていない。
というか、これはこの物語の根幹に関わってくることですが、
サロメとヨハナーンは、人生の拠り所は全く違うけれども、極めて自分の行き方に忠実である、
という意味では、とっても似たもの同士でもあります。
その頑固さゆえに、ヨハナーンは首をはねられ、そしてサロメは苦い恋を知った後、
やはりヘロデ王の命のもとに命を落とすことになるのです。
ある意味は、あの、ドン・ジョヴァンニとも共通する、何を言われてもされても、
私は生きる道を、自分を、変えない!という二人なのです。

それに比べてこのナラボートという男はイケメンかもしれませんが、
いかにも小心者で、サロメを影からこっそり眺めては、いかに彼女が美しいかを讃えるばかりで、
それでいて、ヘロデ王の命にさからう度胸は一切ない。
こんな根性のない金魚の糞男がサロメに愛されるわけがないではありませんか!

だから、サロメは、リブレットを読むと、ヨハナーンと会わせてもらうため、
彼を利用しなければならないとわかるまで、
徹底徹尾彼を無視しまくっていることがわかります。
というか、彼に視線を投げかけることすらしないのです。
だからこそ、彼は、サロメの、ヨハナーンを古井戸から出して私に会わせてくれれば、
”明日、そっとヴェールの下からあなたのことを見てあげる。”
”もしかしたら、あなたに微笑んですらあげるかもしれない。”という言葉に陥落するわけです。

それを、あろうことか、この演出では、最初から、サロメはじろじろとナラボートを
なめまわすように見つめ、あげくの果ては、このヨハナーンのことをお願いする場面では、
足でナラボートを挟みうちしたり、抱きつく始末。

今すでにべたべたとやたらフィジカルなサロメに、なぜ今さら、
たった一瞥をもらうためだけに無理なお願いを聞く必要がナラボートにあるというのか?
おかしいでしょう。

これは、サロメを好色なティーンエイジャーと描いていることの証であり、
この舞台がとんでもない間違った方向に進まんとしていることが、これだけでわかるというものです。

サロメは実はそれとは正反対で、
むしろ、ヘロデ王やヘロディアスといつも一緒にいることが反面教師になっているのか、
ヨハナーンを一目見るまでは、セクシャルなことに嫌悪感すら持っている素振りが見られます。
だから、ヘロデ王に好色な目で見られると、むしずが走って外に飛び出してきてしまうし、
また、登場後すぐの、月について語る言葉は、彼女の処女性への絶対なる忠誠心が感じられます。
それが、ヨハナーンを目にして、一気に目覚めてしまう。
だけど、彼女自身、それを性的なものとはっきり認知していないし、
また、彼女のヨハナーンへの気持ちは、しばしば解説書などで書かれているような、
性的欲情だけではないとも、私は思います。

例えば、彼女が自分の名前と身分をヨハナーンに伝える場面で、
シュトラウスが与えたその音楽の美しさは、サロメのヨハナーンへの媚というよりは、
もっと素直な、”あなたとお話をして、もっとあなたのことをよく知りたいの。”という無邪気さを感じさせ、
この舞台でマッティラが表現したような性的にアクティブなサロメというのはおおよそ見当違いで、
ヨハナーンに拒否されるまでは、サロメはもっともっと少女らしく、無邪気な女性だったはずです。

ということで、ナラボートはあくまでサロメの少女らしさが引き起こす
残酷さを描くために必要な駒なのであり、
それ以上の意味合いを与えるのはナンセンスで、脇役中の脇役です。
このナラボート役を歌ったカイザーは、昨シーズンの『ロミオとジュリエット』で、
ロミオ役を歌った四テノールの一人で、脇役中の脇役を歌う実力は当然十分すぎるほど持っているので、
歌唱力は申し分ないものの、演出家の指示なのか、とにかく余計で意味のない、
それこそ、この役を真の脇役以上のものであるかのように見せるような芝居が本当に煩わしく、
ヨハナーンに言い寄るサロメに失望し、自害して、舞台から消えてくれたときにはほっとした次第です。

キャスト中、比較的、安定した歌唱を聴かせ、最も役作りの面でもわざとらしさがなく、
オーセンティックな表現を見せたのは、ヨハナーン役を歌った牛太郎(ユーハ・ウシタロウ)。
よく言えば、オケが大音響になる大事な聴かせどころで、もう少し声が抜けてくるとよいのですが、
声そのものはこの役に非常に合っており、安心して聴けました。
ただ、古井戸に戻っていく直前に大切な決め所、”Du bist verfulchut.
おまえ(サロメ)は呪われている!”の前に、
ズボンをずりあげる仕草はどうかと思う。衣装の係の人に言って、もう少しお腹周りをつめてもらいましょう。



このサロメとヨハナーンの会話の場面は、サロメの必殺口説き落としもさることながら、
彼女がヨハナーンに、”不実から生まれた娘よ。
君を助けられる人間はたった一人しかいない。(もちろんイエス・キリストのことを示唆している)
彼を探して、ひざまずき、罪の贖いを求めなさい。”
と言い放たれるシーンもなかなかせつないです。

預言者として、信仰の道を歩むヨハナーンが、サロメを一瞥もしないのは、
彼女を見てしまったら、、、と不安な気持ちがあるからで、
その意味ではヨハナーンも実はサロメに潜在的に魅かれていると私は思うのですが、
(なので、この作品が、サロメの一方的な思い込みによる、倒錯した性愛を描いたものである、
といったような説にはまったく同意できない。)
信仰の道を踏み外して、サロメに降参するわけには絶対にいかない、
その彼が、最大にサロメの側に歩み寄り、彼女のために彼が唯一発することが出来るのがこの言葉。
よって、唯一、この場面で、二人の世界がかろうじて接触するという大事な場面です。
しかし、イエス・キリストに罪を贖ってもらいなさい、という言葉で、サロメの恋心を退けるヨハナーン。
考えてみれば、サロメ、すごい失恋の仕方ではあります。

ヘロデ王を歌ったべグリーは声質も歌唱も個性が希薄で、
前半がサロメvsヨハナーン、後半がサロメvsヘロデ王という二本柱で進んでいく
この作品の片翼を担うにはやや力不足か。
好色な感じも、サロメがヨハナーンの首を望んでいるとわかってからの、
この期に及んでまだ小狡く、王としての威厳と小心者なキャラが交錯する様子をもっと描きだしてほしい。

むしろ、ヘロディアスを歌ったコムロジの方が声量は迫力あり。
彼女は、スカラ座の『アイーダ』でアムネリスを歌ったメゾ。
カラヤン盤のぴーんと張り詰めたようなバルツァのヘロディアスとは対照的で、
少し熱い感じのする歌唱ではあります。

7つのヴェールの踊りでのマッティラは、頑張りは買いますが、
その頑張って踊っている感じが観ていて辛い。
もうちょっと簡単な動きでもエロティックな表現をすることは可能だと思うのですが、、。



そのマッティラの歌唱は、予想していた通り、トップ(高音)にボディがなく、
今日のような歌唱を聴く限り、本来はこの役を歌えるような強さのある声ではないと思います。
また表現に繊細さがなく、それは、特にヘロデ王らが現れる前の、前半部分に顕著で、
ちょっとした言葉に魂が篭っていない感じを受けました。
それは、彼女だけの責任ではなく、そうすることを一層困難にさせている、
この見当違いな演出の責任も大きいとは思いますが。

どちらかといえば、7つのヴェールの踊りを境にした、後半の方が、
役作りにそれなりに面白い部分も観られました。
最後の場面の歌唱の、”私を一目見てくれれば!”と
子供が地団駄を踏むような必死さは、
この感じをもう少し膨らませていって役を作れば面白くなったかも知れないのに、、と思わされました。



サマーズの指揮は、オープニング・ナイトの『カプリッチョ』を聴いて、
もともとあまり期待していませんでしたが、いやー、これはひどい!!
はっきりいって、mess(ぐちゃぐちゃ)です。

彼の、この『サロメ』の指揮での最大の問題点は、どの指示にも確信とか、
その指示を支えている根元にある感情の流れが感じられないことでしょうか?
少なくとも、オケのメンバーにそれが伝わっていない。
オケは指示通りに演奏しようとはしますが、結果、”なんとなく”遅い、とか、
”なんとなく”早い、
というようなことの繰り返しで、そこに必然性が何も感じられない。
また、かなりあからさまにオケをきっちりとまとめられていない個所も見られ、
きちんとこの作品を把握しているのか?という疑問も、、。
この人の今日の罪はかなり大きいです。

オケのサウンドそのものも、この作品の魅力にあまり合致していないようにも感じられました。
メト・オケのコンサートで、レヴァインが指揮をした際も、
決して『サロメ』の出来は良くなく、この作品、メト・オケのウィーク・ポイントといえるかもしれません。

オケの演奏に関していえば、今までメトで聴いた全てのオペラの全幕の公演の中でも、
かなり下の部類に入る演奏になってしまいました。

しかし、それでも多くの観客は熱狂的な拍手を送るのでした。
私の隣の中年男性は、友人と思われる女性に初オペラに連れてこられたようなのですが、
感想は、”いやー、あのサロメ役を歌った女性は、(カーテン・コールでの)気さくな感じがいいね。”
、、、歌の感想はないんですね。
そして、逆隣りのオペラヘッドと思しき女性は憮然として、拍手なし。
決して、熱狂的な拍手が、オペラハウス全体の意見ではなかったことを、付け加えておきたいと思います。

Karita Mattila (Salome)
Juha Uusitalo (Jochanaan)
Kim Begley (Herod)
Ildiko Komlosi (Herodias)
Joseph Keiser (Narraboth)
Lucy Schaufer (The page)
Keith Miller (First soldier)
Richard Bernstein (Second soldier)
Reveka Evangelia Mavrovitis (A slave)
Allan Glassman, Mark Schowalter, Adam Klein, John Easterlin, James Courtney (1st-5th Jew)
Morris Robinson, Donovan Singletary (1st/2nd Nazarene)
Reginald Braithwaite (Executioner)
Conductor: Patrick Summers
Production: Jurgen Flimm
Set/Costume Design: Santo Loquasto
Lighting Design: James F. Ingalls
Choreography: Doug Varone
Grand Tier B Even
OFF

*** R. シュトラウス サロメ R. Strauss Salome ***