Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

LA GIOCONDA (Thurs, Oct 2, 2008)

2008-10-02 | メトロポリタン・オペラ
2年前には、あと15年は上演されないのではないか、と予想したのに、
こんなに早くメトに帰ってきてしまった『ラ・ジョコンダ』。

プレイビルには、初演後、ながらく、”物語の設定があまりにも
イタリア・オペラしすぎている”と小馬鹿にされてきたが、
現在では、その飾りない情感とリリシズムが逆に観客にアピールしている、
云々といったことが書いてありますが、本当に?

私は正直、『ラ・ジョコンダ』は本当に上演するのが難しい作品だと思います。
というのは、作品全体の出来そのものがそれほど良くない。
まるで、ヴェルディの『仮面舞踏会』の安っぽいコピーに、
さらに欲張りにも、フランスのグランド・オペラの要素やら
ヴェリズモの要素も入れてみました、という感じで、
私と私の連れの間では、”ヴェルディのファイリーンズ版”という
ひどいニックネームで呼ばれている作品です。
(ファイリーンズとは、ブランド物の型落ち商品などを激安で売るアパレル系アウトレット店。)

人妻に恋する男という設定や舟歌の挿入などといった、
この『仮面舞踏会』との激似ぶりはどうでしょう!
ポンキエッリのこの恥知らず!
『仮面舞踏会』は実際『ジョコンダ』よりも先に初演されていますが、
こんなことだから、マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』から、
その男には実は妹のように愛している恋人がいて、その彼女が嫉妬に狂い、、という設定を、
そしてまたまたヴェルディの『オテッロ』からイヤーゴのいやらしい性格まで、
バルナバ役にコピペしやがった!と勘違いしてしまうところでした。
この二作品は、『ジョコンダ』よりも後に作られた作品なので、
とんでもない言いがかりなのにもかかわらず。
まあ、そう勘違いされても無理のない作品なのだから仕方ありません。
そう、作品として完全に独自のものとして昇華しきっていないために、
なんだか他作品のコピーの寄せ集めみたいに聴こえてしまうのです。

私が聴くCDは、ガヴァッツェー二指揮で、
チェルクェッティ(ジョコンダ)、シミオナート(ラウラ)、デル・モナコ(エンツォ)、
シエピ(アルヴィーゼ)、バスティアニーニ(バルナバ)という物凄いキャストですが、
こんなキャストをもってしても、”、、、。”と、ついこちらを沈黙させ、
地蔵のように固まらせる個所があるんですから、(もちろん、歌唱面ではなく、作品として)
ある意味はとんでもない作品です。
二年前のレポートには台本が一番の問題だと思う、と書いていますが、
音楽の方も、ぎこちない所が随所にあって、思ったより問題は深刻です。

凄いキャストといえば、メトでは、1966年に、クレヴァ指揮で、
テバルディ、コレッリ、マクニール、シエピという、これもかなり豪勢な布陣のもとに、
新演出の公演がかかりました。
何とこの時のプロダクションが、今日まで使用されているということで、
今年で、42年の歴史を持つプロダクションということになります。

この1966年のメトの公演やCDに揃っているような超ド級のキャストで、
何とか聴いて楽しめるレベルになるこの作品、
ということで、そういうキャストでなかったら、その苦痛度は想像を絶するゆえ、
私は、正直、今日、とても恐れながら、メトに到着したわけです。
もはや、目を覚ましていられるのは、アンヘル・コレーラが踊る予定の
バレエ・シーンの”時の踊り”と、アリア”自殺! Suicido! ”だけかもしれない、、と、、。

ところが、今日のこの公演、予想していたよりはずっと良い出来で、
この作品でこれくらいのものが見れれば、まずは良しとせねばなりません。
少なくとも、私は、退屈で気絶しそうになることは一度もなかったですから。
ただし。私の隣の女性はニ幕の途中で玉砕し、思いっきり座席で船を漕いだ後、ご帰宅。
真後ろの女性も三幕中、落ち着きなくがさごそと動き続けた後、
インターミッション後(各幕の間に一度ずつ、計3回のインターミッションがあり、これがまた、公演が長くなる一因となっている。)に姿を消しました。
四幕のアリア”自殺! Suicido!”までたどり着いたのは、
多分もともといた観客の80%くらいでしょうか?
12時過ぎまでオペラハウスにいれないわ!と多くの方が四幕の前にご帰宅。
さすが、『ラ・ジョコンダ』。期待に違わぬパフォーマンスを見せています。

まず、今日の公演が私にとっては何とか持ちこたえた最大の貢献者は指揮者とオケ。
とにかくこのやっかいな作品に、最初から最後まで集中力を持って挑み、
そこここで、聴き応えのある個所を作り出した、
今シーズンメト初登場の指揮者、カレガリを讃えなければなりません。
今日でこの演目はシーズン・プレミアを含め、3回目の演奏になりますが、
オケの演奏に関しては、今日が今までで一番良かったという評判です。

DVD化もされているリセウ劇場2005年公演の『ジョコンダ』の指揮もしているようですが、
もしや”ジョコ専”?
そして、このリセウ劇場の公演、今日のメトの公演とかなりキャストがかぶっています。
ヴォイト、ポドレス、グエルフィ、、、

そして、今年発売されたヴィラゾンのアリア集のタイトルは、"Cielo e mar(空と海)"ですが、
これは『ジョコンダ』のニ幕のエンツォのアリアです。このアリア集の指揮者もカレガリ。
この指揮者、やっぱりジョコ専に違いありません。

歌唱陣の中で、意外にも最も真摯な歌を聴かせ、観客を沸かせたのは、
ヴォイトでもボロディナでもなく、ジョコンダの盲目の母(ラ・チエカ)役を歌ったポドレス。



特筆するほど豊かな声量を持っているわけではないし
(メトのような大きな劇場では決定的なマイナス要因となり得る)、
高音になると少し声が痩せ細りしたりする傾向もあるのですが、
極めて個性的で、はっきり彼女の声とすぐにわかるようなものすごく深い低声をもっていて、
自身のサイトでも、メゾではなく、コントラルトと称しています。
(コントラルトは、テノールとメゾの間の音域)

一幕の "天使の声か Voce di donna o d'angelo"での、
一フレーズ一フレーズに気持ちのこもった、かつ指揮者の意図を汲み取った
歌唱は素晴らしく、オケの音が良い方向に一気に加速したのも、
この歌唱がきっかけだったかもしれません。

はじめのうちは、かなり大芝居なテイストだと思われた演技も、
オペラが進むにつれて、説得力を持ち出し、三幕の最後、エンツォの運命しか
頭にないジョコンダが、母親を置き去りにしたまま走り出してしまうなか、
盲目なゆえに階段でつまずいて転び、まるで魚のようにばたばたと手足を無様に動かす
体当たりの演技に、他の歌手たちが完全にかすんでしまうほどでした。



逆に今日のキャストの中で、最も弱い鎖の輪になってしまったのは、
2年前にも同じエンツォ役を歌ったテノールのマチャド。
このビジュアル世代によくぞ生き残っている、と思われるほどの、
頭が大きく、背が低く、太っている、の三拍子。
しかも、ものすごく顔が下ぶくれなので、三幕目に(下に続く写真で
ヴォイトがつけているような)
黒いマスクをして現れたときには、まるでのらくろのようでした。



しかし、彼がキャスト中最も弱いのは、彼がのらくろだからなわけではない。
私は、ことオペラ歌手のルックスに関して極めて寛大な人間であることは、
このブログで何度も強調してきたとおり。
彼の、このエンツォ役での最大の問題点は、彼の声質にあると思います。
声量はあるように思うのですが、質感が軽い。軽すぎる。
この役は、それこそ、デル・モナコのような、声量がありつつ、
どしーっと腰が座っている声質こそ向いています。
マチャドの、空気に溶けてふわーっと流れていってしまうような感触の歌唱では、厳しい。
よって、”空と海 Cielo e mar ”に関しても、特筆したくなることは何もなし。

ラウラ役のボロディナはまずまずでしたが、彼女の最上の役だとは思いません。
彼女のややスモーキーでまったりした歌声よりは、
もう少し硬質でエレガントさを感じさせるメゾの方が
この役には向いているような気がします。



ボロディナとジョコンダ役のヴォイトは、限りなく直立不動に近い状態で歌い続け、
ほとんど演技らしいものも何もないのですが、特にひどいのはヴォイト。
歌うたびに背を縮めたり伸ばしたりして、手だけ前に行ったり横に行ったりする、
リサイタルなんかでよく見られる歌い方。
それこそ、リサイタル、そして演技での要求度が低かった
これまでのメトでのワーグナー作品ではこれでも何とかなったかもしれませんが、
『ラ・ジョコンダ』のような半分ヴェリズモの息がかかった作品を演じるのに、
それはないでしょう、あなた、です。
せめて、もう少し、リアリズムのある演技を心がけてほしい。



ヴォイトについては、昨シーズン、イゾルデや、サロメの抜粋などを聴きましたが、
いつもどこか、ブレーキがかかっているようで、はじけきれていないような雰囲気が
あるのが本当にもどかしい。
特にこのジョコンダ役は、声の質的には決してそう的外れではなく、
歌い方、演じ方によっては、もっともっとよくなる気がするのだけれど、
まず、彼女の歌唱があまりイタリア・オペラ的でなく、
フレージングや声のカラーに、どこかワーグナーやシュトラウスの作品を歌う時と
アプローチが同じなため、
このジョコンダ役や以前に聴いたトスカのような、ヴェリズモ的側面がある役では、
あまりに冷めて聴こえ、歌唱全体が”まあまあ”な印象に終わってしまっているのは残念。

”自殺! Suicido! ”については、マリア・カラスやエレナ・スリオティスの歌のような、
崖っぷちさが欲しいです。
なんといっても、自分は自殺するしかないんだわ!と思いつめるシーンなのですから。
余談になりますが、マリア・カラスが亡くなった際、彼女の部屋から、
紙に自筆で、このアリアの詞の最初の部分を書いたものが見つかっており、
カラスヘッドにとっては、彼女が亡くなる間際、
まさにこのジョコンダのような心境であったのか、と、特別な思いのあるアリアでもあります。



イヤーゴもびっくりな邪悪男、バルナバを演じたグエルフィは、
昨シーズンのメトの『オテッロ』で、やはり、そのイヤーゴを歌っていました。
『オテッロ』の時もそうだったのですが、彼の悪役系諸役は、はじめのうち、
好感が全く持てない。
悪役でも、かっこよくて、最初から観客を魅了するタイプとは反対に、
はっきり言って、むちゃくちゃ勘にさわるタイプです。
しかし、段々とこちらが引き摺りこまれる不思議な歌唱と演技なのです。
気が付けば、ああ、こういうのもありかも、と思わせる。
イヤーゴの時は、図らずもそうなったものか、彼が意図してそうなったのか、
少しわかりにくかったのですが、今日のバルナバの歌唱を聴いて、
間違いなく意図的、計画的犯行であることを確認。
それは、彼の歌声の変化でわかります。
冒頭、彼はちょっと程度が過ぎるのではないかと思えるほど、
嫌らしいネチネチした声でこの役を歌うのですが、
段々物語が本題に入って、いよいよバルナバの邪悪さが絶好調に達する頃には、
むしろまともで、オーソドックスとも思える歌唱を聞かせます。
最初は鬱陶しくてたまらなかったはずなのに、なぜか、
気が付けばすっかり首まで浸かっているという、まるで蟻地獄のような歌を聴かせますので、要注意です。
下手をすると、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いものに終わってしまう可能性のある
難しいこのバルバナ役を、きちんとこなしていたのはあっぱれです。
決してスタイリッシュとか、極端に歌の上手い歌手というわけではないので、
個人で喝采をさらう、というタイプの人ではないのですが、
いつもユニークな役作りで、面白い歌手ではあります。

アルヴィーゼを歌ったアナスタソフは、背が高くがっしりした体型で、舞台姿が綺麗、
見た目にはこの役にぴったりなのですが、声に重みがないというか、
登場した瞬間から、尻すぼみで存在感が薄くなってしまった感じ。
この役のための鬘だと思われる、肩までの長さのソバージュ・ヘアが気になって
仕方がないのか、ひっきりなしに髪を束ねる仕草を舞台で続ける姿も見られました。
彼の最大の欠点は、舞台や作品にどこか自分を没頭しきれていない点。
オペラの幕や歌の最中に、歌手の地がちらちら見えることほど、
こちらが冷めることはありません。



”時の踊り”でのコレーラの踊りは、彼の一番調子のよいときや、
二年前の超人的な踊りと比較すると、すこし精彩を欠いており、
珍しくサポート時の足の動きがもたもたしたり、リフトでふらふらしたり、と、
やや彼らしくない部分もありましたが、それでも最後のターンはきっちりとこなし、
何より、彼の存在そのものがこの公演の目玉であったことは間違いありません。
彼の明るいキャラクターが、アルヴィーゼ宅で開かれる舞踏会という
華やかなシーンに貢献しているし、ジュリアーニも、堅実な踊りを見せていましたが、
振り付けの中で現れる、二人揃って、時計の針を模して腕を動かす場面での
コレーラのコミカルさは素晴らしく、優れたダンサーというのは、
大技以外の、たった数秒の動きで、そうとわかるものだと実感。

本当にこのバレエ・シーンは、あらゆる意味で気分が沈みがちな当作品において、
一服の清涼剤のようになっているのですが、
こうも観ていて快いシーンになったのは、オケの演奏のせいもあります。
メト・オケの弦セクションを、カレガリが的確な指示で引っ張り、
優美でありながら、甘ったるくない、理想的な演奏で、
こんな”時の踊り”の演奏をバックに、コレーラの踊りを見るとはなんという贅沢か!

逆にこういう経験をしてしまうと、やはりバレエというのは、
元々こういう全感覚が一体となったものになるはずで、
やっぱりあのABTオケのような演奏は、本当に痛い!と思わざるを得ない。
一度でいいから、ABTのバレエの全幕公演を、メト・オケとコラボしてほしいものです。

さすがに1966年から受け継がれて来た化石的なプロダクションだけあって、
何のひねりも読み替えもなく、演技ですら、歌手にお任せ状態のプロダクションですが、
私はこの作品についてはこんな演出も一つの存在の仕方かな、とは思います。
なぜならば、この作品が唯一輝くのは、素晴らしい、いえ、それどころではなく、
ほとんど超ド級のキャストから超ド級の歌唱を得られた時だけで、
とにかく歌唱に最大のポイントが置かれねばなりません。
どんな演目でも歌唱にポイントは置かれなければならいのですが、
この作品はその歌唱への依存度が極端に高い。
それゆえ、それ以外にどんな小手先の技を施したところで、
公演のクオリティを上げることにはなりません。
なので、この公演が大成功の出来であったとすれば、
それは絶対に歌唱がすばらしいはずで、そこまでの歌唱が出る時には、
この1966年からの書割セットでも十分に感動的なものであるはずで、
決して演出にひねりがあったからでも、
セットが今風にアップグレードされたからでもないはずです。
ということで、新演出にお金をかけても失敗したらただの無駄、
成功したとしても、それは必ずしもその新演出のおかげではないはずなので
やはり無駄遣い、、、ということで、この際は、
化石さを売りに、このセットを守り続けていった方が得策ではないかと思います。

ただし、ヴェニスが舞台のゆえ、ゴンドラが登場するシーンもいくつかあるのですが、
あのあまりに水平なゴンドラの動きは、寂れた遊園地のお化け屋敷で
客が押し込められる乗り物のようで悲しく、興ざめ。
特にゴンドラが、この作品ではポイントとなるシーンで使用されているので、
(エンツォとの逢引のためにラウラが現れるシーンや、最後にジョコンダが
二人をヴェニスから逃がすシーンなど。)
もう少し大事に、波で揺られる雰囲気なんかを出してほしいものです。

Deborah Voigt (La Gioconda)
Aquiles Machado (Enzo Grimaldo)
Olga Borodina (Laura Adorno)
Carlo Guelfi (Barnaba)
Orlin Anastassov (Alvise Badoero)
Ewa Podles (La Cieca)
Ballet: Angel Corella & Letizia Giuliani
Conductor: Daniele Callegari
Production: Margherita Wallmann
Set/Costume Design: Beni Montresor
Lighting Design: Wayne Chouinard
Grand Tier A Odd
ON

*** ポンキエルリ ポンキエッリ ラ・ジョコンダ Ponchielli La Gioconda ***