Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

MET ORCHESTRA CONCERT (Sun, Feb 17, 2008)

2008-02-17 | 演奏会・リサイタル
メトのオケは、通常のオペラの全幕公演の他に、年に数回(今年は三回)、
カーネギー・ホールでの演奏会を行っています。

実は、私、ひそかにこの演奏会のファンなのです。
もちろん、メトに身も心も捧げている私なので、その専任オケも当然、、、
という自動的かつ消極的な理由も一つですが、実はもっと積極的な理由が三つあります。

1)プログラムが毎回おもしろい。
レヴァイン氏の趣味なのか、毎回、”どこから持ってくるのか、これは?”
というような演目が含まれていて、この演奏会で初めて聴いた作品というのも結構あります。
そして、ヨーロッパの主要オーケストラがNY公演を行うときには、例えばおフランスもの、など、
なんとなく、演目の組み合わせにテーマみたいなのが感じられるのに比べ、
なぜだか、メトの演奏会はいつも寄せ鍋風で、なんの共通項もない場合が多い。
しかし、この何でもあり!的な発想がなかなか私は楽しいと思うのです。
オペラのガラ公演に少し近い感覚でしょうか?
毎日毎日いろいろな国の作曲家の、タイプの全然違うオペラの作品を日替わりで
演奏しているメトらしい、とも言えるかもしれません。

2)さりげなく、メトのファンへの気配りも忘れない
たいていの場合、オペラにちなんだ曲が一つは演目に入っていて、
それどころか、最近では、有名歌手を呼んでくれることも多い。
他のクラシックの作品もいいけれど、メトが演奏するオペラの作品には、
やっぱり何ともいえない愛着を感じてしまいます。

例えば、去年の5/20の演奏会では、結局キャンセルになってしまいましたが、
もともとナタリー・デッセイが歌ってくれる予定でしたし、
彼女のキャンセルが確定して、代役に入ったミシェル・デ・ヤングの歌も素晴らしいものでした。
そして、この去年の公演のプログラムを見ていただければ、”確かに寄せ鍋。”と、
納得していただけることでしょう。

3) いつもと違う演目、舞台の上という緊張感が、いつもと違う演奏を引き出す
いつもはメトのオケ・ピットに入って演奏しているメンバーの皆さんですが、
演奏会では、カーネギー・ホールの舞台上にのって、観客とまさに向き合って演奏します。
また、演奏しなれない非オペラ作品も、必ずプログラムに混じっているので、
この演奏会の時には、オケから独特の緊張感が感じられます。
オフ・シーズンと日曜以外は、年がら年じゅうオペラを演奏しているメト・オケなので、
頻繁に公演を見にいっていると、さすがに少し演奏がゆるい日もあるのですが、
カーネギー・ホールの演奏会では、この緊張感もあって、テンションの高い演奏が聴けます。
また、メト・オケが、非オペラ作品を演奏する機会は、この演奏会以外まずないので、
それらの作品がメトのオケにのると、どんな演奏になるのか?など、興味はつきません。

さて、2007-2008年シーズンのメト・オケ演奏会の第一弾の今日は、早速に前述の特色が炸裂。
ベルクやらウェーベルンという、十二音技法系の作曲家の作品があるかと思えば、
モーツァルトのピアノ協奏曲があり、
リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』からの一シーンあり、、、
と、こっちのお腹がこわれそうなくらいの、寄せ鍋、てんこ盛り状態。

しかも、そのピアノ協奏曲は、なんと今年をもって
演奏活動から退いてしまう予定のアルフレート・ブレンデル氏が弾き、
そして、『サロメ』のエンディングのシーンをデボラ・ヴォイトが歌うとあっては、
同じお腹がこわれるのでも、キャビアとうなぎを食べてそうなった、というケースに近いような、
”こんな贅沢のためならば、おなかの一つ二つこわれたっていい!”と思わせるラインアップです。

大好きな演奏会のためですから、奮発して、ファースト・ティアで鑑賞。
カーネギー・ホールのファースト・ティアは、いってみればメトのパーテールに相当し、
このフロアは、全部ボックス席になっています。
難は、メトのパーテールに比べると、ボックスの面積が小さく、狭い場所に、
8人の観客がすし詰め状態で着席しなければならないこと。
これまで、カーネギー・ホールで数々の重症な鑑賞態度症例(サイモン・ラトル観客を叱るの巻、とか”私、本を読みながら音楽を聴くざます”事件、など。)に接して来たので、今日のボックスは
どうぞ常識ある人たちで埋まりますように、と祈りつつ着席。

次々着席される同じボックスの方たちは、若い別のアジア人女性と私以外は、
比較的年齢が高めの、落ち着いた雰囲気の、非常に感じのよい方たちで、
特に、私のお隣に座られたおそらく60歳代後半と思われる女性と、
後ろに並んで座られた年配のご夫婦とは、お互いに、”足の置き場所は大丈夫ですか?”
(椅子が、固定型ではなく、普通の椅子で、自由に動かせるため。)
”舞台は見えますか?”と声を掛け合ったのをきっかけに開演前まで終始なごやかムード。
今日は心静かに演奏を楽しめそう。安心しました。

拍手の中、登場した指揮のレヴァイン氏。
最近、体力の衰えが激しいのか、こういった演奏会でも、椅子に座って振るようになりました。

ウェーベルンの”管弦楽のための6つの小品”。
前衛的な作品が苦手な私なので、一度も聴いたことがない。
日本語では小品となっていますが、英語では単にSix piecesと呼ばれているので、
小品とは知らず、一品目、二品目、と、あっという間に終わってしまって、びっくり。
しかし、何というのか、異常に聴く側に神経を消耗させるつくりになっていて、
私は途中、呼吸困難に陥るかと思うほどでした。
というのは、途中で打楽器と金管が暴れる部分を除いては、
ゴーン、ゴーン、ゴーン、と除夜の鐘のような音が鳴り響くのを、
ただ身を潜めて聴く、という、禅修行のようなピースもあり、
実家が京都の私は、こんな音、お寺に行けば、いくらでも聴けるのに、
なぜカーネギー・ホールで呼吸困難に陥りながら、耳を傾けなければいけないのだろう?と自問。
雰囲気としては、”行く年来る年”です。
確かに、欧米人にとってはこういう音楽は新鮮なのかもしれないですが、、。
よくこの落ち着きのないNY人がじっと聴いているものだ、と感嘆しました。
中に、ちょっとした物音でさえ、”しーっ!しーっ!”と制止を入れる、
相当なウェーベルン・マニアと思しき人が観客にいて、
息詰まるくらいの静寂の中で演奏は続いたのでした。やれば出来るんじゃないの、NY人、、、。
しかし、まじめな話をしておくと、後で演奏されるベルクの曲と比べると、
私はこちらのウェーベルンの作品の方が好きかもしれません。
ベルクの作品よりも、親密感というか、英語でいうところのintimateな感じが音楽から感じられるところがいいし、
あと、打楽器の扱いについては大変ユニークなものがあると思います。
だが、これを毎日i-Podで聴きたいか?
だから、言ったではないですか。自分ではまず聴かない音楽をも提供してくれるのが、
メト・オケ・コンサートの良さの一つだと、、。

あまりに主観的な意見のみでは申し訳ないので、プログラムについていた曲の解説から抜粋すると、
この曲の初演版が初めてウィーンで演奏された際には、
そのあまりの(少なくとも当時としては)前衛さから、絶賛、ブーイング、笑い、等、
かなり、さまざまなリアクションでもって受け止められ、物議を醸したようです。
しかし、その話題性も、二ヵ月後の、ニジンスキー振付、ストラヴィンスキーのバレエ、『春の祭典』のパリでのセンセーショナルな初演に、
すっかり影が薄くなってしまったのでした。
後年、ヴェーベルンは、作品の改訂を行い、現在(そして今日の公演でも)演奏されているのは、
この改訂版の方だそうです。
この作品の特徴としては、
1)オケ全パートが一斉に鳴る箇所がない。
(だから、各楽器の特徴が立って、親密な印象を受けるのかも知れません。)
2)各楽器が、通常の音域の外で演奏される箇所が多い。
(これが、前衛的、というイメージにつながっている。)
ことなどがあげられるようです。確かに。

また、四ピース目の最後は、弦楽器なしで、打楽器中心でクレシェンドして終わるという、
ユニークなつくりになっているのですが、私は鼓膜が破れるかと思ったほどの、大迫力でした。

ということで、ウェーベルンの作品は、最初は、前菜に相当する演目だから、とたかをくくっていたのですが、
思わぬ事態に、ここで非常に消耗してしまいました。
息つく暇もなく、ブレンデル氏が登場。
77歳にしては、とてもしっかりした足取りで、姿勢もよい。
熱い拍手に、やっぱり、観客の多くの方が彼を目当てに聴きに来たに違いないことを確認。
疲れている場合ではない!
曲はメト・オケをバックに、ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491。
私はピアノのことは、オペラ以上に詳しくないし、テクニックの細かいことは説明できませんが、
ただ言えるのは、あまりの曲の美しさと魅力に、ただただ身を任せるのみでした。
もう少しタッチが強かったら、と思う箇所もあったし、
音がもつれているところもあって、昔ならこんなことはなかったのかもしれないけど、
そんなことよりも、静かな単音にこめられたこのみずみずしさはどうでしょう?
目を閉じて聴いていると、とても77歳のおじい様がお弾きになっているとは思えない。
でも、そのみずみずしさは、本当の若者っぽいみずみずしさとは違って、
酸いも甘いも経た、大人っぽいみずみずしさなのです。
ああ、この感じは説明するのが難しい、、。

この曲はCDでも何枚か持っているけれど、こんなにいい曲だっけ?と思い、
家に帰ってから聴いてみたのですが、他の演奏者(誰とは申しません)とオケによる、
とある盤などは、全くつまらなくて、同じ作品と思えない!!!
この盤を聴いて、作品自体がつまらない、と封印してしまっていた可能性大ありです。
恐ろしい!!!!

ふと、考えてみれば、オペラもそうですが、音楽にはいろいろな楽しみ方があって、
技を堪能するのもそれはそれで楽しいのですが、
最近、私にとって一番嬉しい演奏は、それではなく、曲や作品の良さに目覚めさせてくれるような演奏です。
完璧なタッチ、完璧な歌唱でなくても構わない、とすら思います。
その意味では、今日のブレンデルの演奏は、私にとっては素晴らしい演奏だったといえます。
演奏時間が30分あったとは思えないほど、あっという間に時が過ぎてしまいました。

そうそう、この曲が始まった途端、私のお隣の女性が、曲に合わせて鼻歌を歌いだしたのです。
私は不思議なことに、鼻歌については比較的に許容度が高く、オペラの公演のときでも、
たまに聞こえてくるのですが、ほほえましい、と思うほうです。
これは、多分、鼻歌がでるメンタリティと、先に触れた、音楽を聴きながら本を読もうとするメンタリティとは、
決定的に違っているからだと思います。
ある意味、つい鼻歌が出るというのは、演奏者の方に対しての、究極の賛辞ではないでしょうか?
もちろん、ピアノをじっくり聴きたくて、そのために今日の演奏会に来た人もいるわけで、
前の席に座っていた女性は振り返って、目をぎょろ!とさせ、
後ろのご夫婦も、軽く咳払いをしたり、静かに座る姿勢を変えたりして、
なんとか、この鼻歌の女性をトランス状態から抜け出させようとしていたのですが、
すっかり音楽の美しさに心を奪われている風で、結局、頭の楽章から、最後の楽章まで、
ブレンデルのピアノの上を、”ふむ~”というおば様の鼻歌が乗り続けたのでした。
新しい症例だ、、、と思いつつ、しかし、私はどうしても、
前回、読書のおばさまを制したようには、この女性を止めることはできませんでした。
なぜなら、私もこの女性の気持ちがおおいに理解できるような、素敵な演奏だったから、、。
ただ、全楽章通しで鼻歌はちょっぴりきつかったですが、、。

そして、絶対に触れておきたいのは、このピアノ協奏曲での、メト・オケの素晴らしいサポートぶり。
いえ、これはもはやサポートなどという言葉で呼びたくないほど。
私は以前から、気合が入っているときのメト・オケの弦セクションはあなどれない、と思っているのですが、
今日はその弦セクションが本当にみずみずしく生き生きとした音を編み出し、
また木管も大健闘。
先ほど触れたCDでの、他オケの演奏が妙にしかつめらしく重々しいのに対し、
メト・オケは、軽さと、若々しさを好バランスで持ち込み、なんともいえない、
ころころと表情の変わる、大変魅力的な演奏でした。
レヴァインは、モーツァルトを指揮したときが一番いい、という人がいますが、
こういう演奏を聴くと、確かにそうなのかも、と思わされます。
もしかすると、ブレンデルの演奏と同等、もしくはそれ以上に素晴らしかったのは、
メト・オケだったのかもしれません。

ブレンデルのアンコール・ピースは、ベートーベンの『7つのバガテル』から、バガテル イ長調 Op.33-4。
このピースに関しては、私はモーツァルトの時に感じたような、音楽の海に漂わせてもらっているような
心地よさはあまり感じませんでした。
まあ、こちらはピアノの独奏で、曲の雰囲気もだいぶ違うのですが、、。
しかし、ブレンデル氏、演奏活動の最後の年と騒がれながらも、
本当にマイペースな飄々としたたたずまいが印象的でした。

インターミッションをはさんで、ベルクの”管弦楽のための3つの小品”。
ウェーベルンの作品に比べると、音が分厚く迫力はあるのですが、私には辛い作品でした。
しかし、演奏そのものは緊張感に富んでいて、良かったと思います。
特に金管セクションがこの作品では頑張っていた。
というわけで、演奏の出来は決して悪くなかったのに、
この作品、私のみならず、他のNY人にもややきつかったのか、
最後の音の後も、いつものような喝采とならず、ためらいがちな拍手に、
”わしには、この作品、よくわからん。”という正直な気持ちが現れていました。
これには、オケのメンバーの方も顔を見合わせて苦笑い。
レヴァイン氏、シェーンベルク/ベルク/ウェーベルン系の作品を二つも一日の公演に入れるのは、
ちょっと野心的過ぎたかもしれないです。
しかし、氏はこのあたりのレパートリーがお好きなようなんですよね、、。
来年がこわいです。

そして、いよいよ、私のお目当て、『サロメ』のラスト・シーン。
昨日の『カルメン』記事の中で触れたとおり、昨シーズン(2006-2007年シーズン)のスタート前に、
脂肪摘出の手術を受けてスリムになったデボラ・ヴォイトは、今日は真っ赤なドレスで登場。
うーむ、このドレスの趣味は、、、。
もっと似合いそうな色とデザインがあると思うのですが、、。

この『サロメ』のラスト・シーンについては、これまた以前にふれたビング・ガラからの
ベーム指揮、メト・オケ(といっても、何十年も前の。)&ビルギット・ニルソンのコンビのライブもの、
ショルティ指揮、ウィーン・フィル&ニルソンという全幕正規盤CDコンビ、
そして、カラヤン指揮、ウィーン・フィル&ベーレンスの全幕正規盤CDコンビと、
3つの演奏を熟聴して今日の公演に挑んでいますので、今日の私はやる気満々です。

まず、本当に残念だったのは、きちんとレヴァイン氏の指揮を見ながら歌いたい、という、
歌手としては大変謙虚な姿勢のあらわれで、立派であるとは思うのですが、
ヴォイトが、レヴァインの指揮台よりも舞台奥に、
つまり、オケと寄り添うようにして立ってしまったこと。
彼女がどんなにパワフルな声であったとしても、あの大音響の金管のほとんどそばで歌った日には、
音がブレンドしてしまって、声が立ち上がってきません。
声に集中しようとした私の耳に聞こえた限りでは、かなり声量はあったと思うのですが、
観客には、その真価が伝わりにくかったのではないかと思います。

さて、先ほど挙げた3バージョンを並べて聴くと、ビング・ガラでのメトの演奏は、
もちろんニルソンの力もあるのですが、大したものです。
カラヤン&ベーレンス組の、洗練の極みのような演奏とはまた全然違う、
どちらかというと、泥臭い、男性的なアプローチですが、これはこれでスリリングで、
私はショルティ指揮のものよりも、ずっと個人的には好きです。
なので、カラヤン+ウィーン・フィル+ベーレンス組と、
ベーム+メト・オケ+ニルソン組(後者は全幕盤ではないので、とてもフェアな比較とはいえないかもしれませんが、
人生とはそんなものです。)が私にとっての、二大双璧。
カラヤン+ウィーン・フィル+ベーレンス組は、オケが優れているのもさることながら、
ベーレンスのサロメ役へのアプローチが魅力的。
きちんと少女らしさを残していて、この物語の怖さを増幅させています。
それに比べると、ニルソンは声楽的にいえばその超人さがスリル満点ですが、
サロメという役としてみた場合、超人的すぎて、とても少女とは思えない気もします。

で、これらのことを比較材料として、今日の演奏を聴いてみます。

まず、オケの演奏。
ビング・ガラのCDについての記事でも軽くふれましたが、
このCDに収録されている『サロメ』の、最大の魅力となっている、1972年当時のメト・オケが出せた荒々しさとかクソ度胸のようなものが、
今日のメト・オケからはほとんど感じられなくなっていることに気付きます。
現在のメト・オケは、本来、わりと温かみのある音を出すオケだと思いますが、
この作品に関しては、スタイリッシュ路線に寄っていっているような印象も。
もちろん、その原因はおおいにレヴァイン氏の指揮と作品の解釈にもあるのでしょう。
また、ベームが指揮したビング・ガラの演奏では、
常に、アンサンブルの場面でも、どのセクションの旋律をコアとして音を組み立てているかということが
比較的はっきりしているのに対し、
今日のこの『サロメ』の演奏は、各楽器が”オレも、私も”と飛び出してくるような、
若干、とっちらかった印象を受けたのは残念でした。
純粋な、オケの演奏という観点で見た場合、今日の演目で、意外にも一番弱かったのは、
この『サロメ』だったかもしれません。
あれ?メトはオペラハウス付きのオケなのに、それでいいのか?!
まあ、こういうこともあるのが、このカーネギー・コンサートの面白いところです。

そして、デボラ・ヴォイトの歌。
彼女の歌唱と声については、今年の『ワルキューレ』でも感じたのですが、
たおやかで優しい感じのするのと、高音域になっても声の透明感が維持されるところが持ち味かと思います。
2005-2006年シーズンに、彼女は意外にも、メトでトスカ役に挑戦し、
ランの、頭の方の一本と、終わりの方の一本を観にいったのですが、
その二本の間という短期間で、ものすごく歌が進化していて、きっと歌に関しては、
非常にまじめな方なのだろう、と想像するのですが、
そのまじめさが仇になっているのか、そのトスカしかり、このサロメしかり、
女性の持つ異常なまでの激しさを表現することがまだかなっていないような印象を持ちます。
大変優秀な歌手ではあるのだけど、もっと脱皮してほしいような、、。
声もコントロールされすぎているように聴こえる場合が多く、
それが有利に働く役もあるでしょうが、このサロメのような役、
しかも、この身の毛もよだつようなシーンでは、
(*この場面で、サロメは、お盆に載った、自分が打ち首にさせたヨカナーンの首にキスをする。)
もっともっとはじけてほしい、と感じるのは私だけではないはずです。
ヴォイトの役作りは、声の質もあって、
ニルソンのそれよりも、どちらかというとベーレンスの少女路線に近いですが、
ベーレンスがそこはかとない色気を感じさせるのに対し、
何だか男性嫌いの女性のような、潔癖な感じがするのは、これはいかに?

今回も楽しませてくれたメト・オケの演奏会。
次回、5月の演奏会はゲルギエフを指揮に迎えての、
ムソルグスキー特集(おっ!テーマで統一してくるとは珍しい。多分、ゲルギエフの趣味ですね)。
ルネ・パペがボリス(『ボリス・ゴドゥノフ』)の独白シーン、
”私は最高の権力を手に入れた”を歌ってくれる予定で、これは猛烈に楽しみです。

そして、同じく5月、第三回目は、再びレヴァイン指揮で、エリオット・カーターの
”3つの機会音楽”(誰それ?何それ?のやばそうな雰囲気、、、)
ジョナサン・ビスをピアノに迎えてのシューマンのピアノ協奏曲、
チャイコフスキーの交響曲第四番というライン・アップになっています。

The MET Orchestra
James Levine, Music Director and Conductor
Alfred Brendel, Piano
Deborah Voigt, Soprano

WEBERN Six Pieces for Orchestra
MOZART Piano Concerto No. 24 in C Minor, K. 491
(encore: BEETHOVEN Bagatelle in A Major Op 33-4 Andante from 7 Bagatelles)
BERG Three Pieces for Orchestra, Op. 6
R. STRAUSS Final Scene from Salome

Carnegie Hall Stern Auditorium
First Tier Center Left Mid
ON OFF NA OFF ON
***メトロポリタン・オペラ・オーケストラ アルフレード・ブレンデル デボラ・ヴォイト 
MET Orchestra Metropolitan Opera Orchestra Alfred Brendel Deborah Voigt***

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2 コメント

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楽しそう (yol)
2008-02-23 13:54:07
なんだか楽しそうな演奏会。
タッカーでもオケは舞台上に勢ぞろいでしたが、あれもオペラが主役だったのでオケはバックの演奏に徹していたものね(ただ一人、指揮者は炸裂していたけれど)。

しかしあなたには本当に申し訳ないのだけれど、読みすすめて行きつつ、最後のこの一文を読んだ瞬間、もうこれしか見えなくなってしまいました。

『次回、5月の演奏会はゲルギエフを指揮に迎えての、、、、(中略)、、、。ルネ・パペがボリス(『ボリス・ゴドゥノフ』)の独白シーン、”私は最高の権力を手に入れた”を歌ってくれる予定で、これは猛烈に楽しみです。』

羨ましすぎます。
今年の私は身動きが取れないので、私の分まで堪能してきて、そして詳細なレポをお待ちしております。

よ~ろ~し~く~(涙&羨)。



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もちろんあなたを煽るためよ~ (Madokakip)
2008-02-24 00:30:55
yol嬢、

>ただ一人、指揮者は炸裂していたけれど

あはは、そうだったわよね、
タッカー・ガラのアッシャー・フィッシュ。
野生の熊を指揮台につれてきたのか?っていうね。

そして、

>ルネ・パペがボリス

もちろん、あなたを煽るために書いたの。
5月は彼はNYで『マクベス』のバンクォーと、
この演奏会を歌うから、あなたにもNYに来て頂こうとの、
私のささやかな計らいごとでした。
でも、本当に身動きとれないのね、、、(涙)
もちろん、あなたのためにも、耳の穴をかっぽじって聴いてきます!

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