Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

コンマス転職! ~優秀な人材が会社を去る時

2008-10-21 | お知らせ・その他
私も、15年におよぶ社会人/会社員生活の間に、上司や同僚たちの転職を、
それなりの回数目にしてきましたが、
よく出来る上司や同僚たちが、他の優れた会社に転職していくのを見るのは、
いつもとても複雑な気分です。
ご本人のためには、新しいキャリアの始まりと実力を試すチャンス!と、非常に嬉しい気持ちだけれど、
そんな人材を失う側の会社にとってロスは計り知れないのはもちろん、
取り残されるスタッフの私たちの落胆も大きいのです。

まさに、そんな気持ちと同じ、喜びつつ、悲しむべきニュースが発表されました。
NYタイムズによると、この十年、コンサート・マスターとして、
数え切れないほど多くの公演でメト・オケをひっぱってきたニック・エネット氏が、
ジュリアード・ストリング・カルテットの第一ヴァイオリンに抜擢されたため、
メト・オケを退くことになったようです。

現在メト・オケにはこのエネット氏とデイヴィッド・チャン氏の二人のコン・マスと、
三名の準コン・マス(それぞれタイトルは違っていますが)がいて、
ローテーションで演奏を担当しています。

メト・オケには一軍、二軍というようなものが存在している、という風に思われている方もいるようですが、
そう単純なものではありません。
各楽器の首席および準首席奏者の間で、演目や公演が分割され、
『椿姫』など、リハーサルが比較的少なく済む定番演目は、
公演日によって、コンマスや首席奏者のメンバーが違っていることもありますが、
大量のリハーサルや準備を要する新作、新演出もの、舞台にかかる頻度の少ない演目というのは、
シーズン中、その演目内は、奏者の顔ぶれが固定しているのが普通です。
しかし、例えば、ある演目で、チェロの奏者AさんとBさん、トランペットの奏者CさんとDさんが
演奏したとしても、他の演目でこの組み合わせである保障はどこにもなく、
むしろ、チェロの奏者AさんとEさん、トランペットの奏者FさんとDさん、という風に、
違っている可能性の方が高いです。(もちろん、たまたま同じ、という可能性もありますが。)
ということで、一軍、二軍という単純な区分けが全くのナンセンスであることがおわかりいただけると思います。
また、曜日やマチネか夜か、といったことにも、一切オケの奏者の組み合わせは関係がなく、
唯一組み合わせを決定している最大要因を挙げるとしたら、それは、”演目”です。
理由はすでに説明したとおりです。

”じゃ、オケの出来が公演でえらく違っているのはどう説明するんだ?”とおっしゃる方、
その疑問、ごもっとも。

まず一つ上げられるのは、指揮者による違い。
その音作りを面白いと感じるかどうかはそれぞれの方の好みの問題があるとはいえ、
やはり、音楽監督であるレヴァインが振る公演では、
それなりに緊張感のある公演である率が高いように思います。
また、定番演目のためにほとんどリハーサル時間がないままに指揮をさせられる、
影の薄い指揮者の場合、出来もそれなりになってしまうのは、無理もなく、
これでその指揮者を責めるのは少し可哀想でもあります。

そして、もう一つの要因こそはコンマスです。
先ほど述べたように、新演出やめったに演奏されない演目を担当しているコンマスは、
そのシーズン、その演目を通しで担当する率が高く、
リハーサルからずっと演奏に関わっているので、シーズンを通して、
その演目の演奏の雰囲気自体にも影響を与えてしまう場合も稀ではありません。
また、定番演目は定番演目で、それぞれのコンマスのカラーが出るので、
聴き比べするのも楽しいかもしれません。

さて、チャン氏、エネット氏、いずれも素晴らしいコンマスですが、
特に、エネット氏は、ご本人の人柄か、非常におおらかで、
生き生きとした演奏が飛び出ることが多く、また、オケの統率力という面でも、
大変評価の高いコンマスです。
指揮者が音楽の中で迷子になったとき、オケのメンバーが頼るのはコンマスですから、
責任重大ですが、ちょっとしたことでびびったりしない感じなのがまた頼もしい。

『始皇帝』のDVDのボーナス・トラック(メイキング・オブ)をご覧になった方なら、
確かに!と思っていただけることでしょう。
タトゥー入りの腕で、がんがん弾きまくっているのがエネット氏です。

さて、そんな彼の大らかさの一つなのでしょうか、同じNYタイムズの記事によると、
普段からセントラル・パーク内をローラー・ブレードで暴走しているらしいエネット氏、
このジュリアード・カルテットへの参加が決まった大事な時に、
一緒に走っていた友人と衝突しそうになったのを防ごうと転んだ際に、
手首を骨折したそうです、、
まじですか、ヴァイオリンを生業とするお方が、、。
ご本人の弁では、深刻な怪我ではなく、クリスマスまでには、メトに復帰できる見込みだそうです。
ちなみに、ローラー・ブレード歴は20年だそうです。メトのコンマス歴の倍ですね。

ジュリアード・ストリング・カルテットは、1946年にジュリアード音楽院で結成された弦楽四重奏団で、
オリジナルのメンバーは、ロバート・マン(この方はエネット氏の師匠だそうです)、
ロバート・コフ、ラファエル・ヒリヤー、アーサー・ウィノグラドでしたが、
現在は、ジョエル・スミルノフ、ロナルド・コープス、サミュエル・ローズ、ジョエル・クロズニックとなっています。
メンバーは違えど、現在でも、世界で最も評価の高いカルテットの一つです。

エネット氏は、スミルノフ氏の退団と入れ替わりにメンバーとなるようですが、
自らの師匠が所属していた世界有数のカルテットからの入団許可にはやはり特別な思いがあるのでしょう。

メトでのきつい仕事を持ちながらでは、室内楽を演奏する機会もほとんどなかった、とも語っています。
カルテットでの演奏とメトでの演奏との最大の違いは?と聞かれ、
メトでは全編通しで伴奏的な旋律を、長い時間に渡って演奏しなければならないので、
自分でペースを確保しなければならないこと、と言い、
”カルテットの演奏では150%の力を尽くすところを、
(オペラの演奏をする時には)少し引いて、より全体像をみなければいけないですね。”
また、指揮者が頼りないときには、代わって、オーケストラに、
自分の考えを通さなければいけないこともあった、とも言っています。

エネット氏のジュリアード・カルテットとの公での初演奏は、
2009年7月8日のシカゴのラヴィニア音楽祭。
ということで、メトでの雄姿を見れるのは、今シーズンが最後。
(しかも、クリスマス近辺からシーズンの終わりまで、という、実質半年、、。)

間違いなく現在のメト・オケの音の大黒柱となってきたエネット氏。
カルテットでの活躍を、嬉しいような、悲しいような、複雑な思いでお祈りすることにいたします。