萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

お茶にお金を払うようになるまで・・・

2012-05-07 02:38:05 | 懐かしい思い出
烏龍茶の日本における歴史を調べてみたら、1981年に伊藤園が登場させたらしい。
1970年代には、ピンクレディーが美容のために飲んでいるということで話題にもなったらしい。
1981年2月に伊藤園が缶入りで登場させ、
1981年12月にサントリーも缶入りで登場させる。
1985年に伊藤園が緑茶も缶入りで登場させたときにとうとう烏龍茶も市民権を得て、広まっていったという。。。

私は、このお茶にお金を払うということを、駅で弁当屋さんから熱いビニール容器入れのものを購入することしか頭に入れておらず、お茶、ましてや水に、コーラやファンタやスプライトやチェリオと同等の価値を見出して、お金を払うようになるとは夢にも思わなかった。

これには突破口が存在して、確実に誰かが購入したのを見て、初めて自分達も購入してみようとなった飲み物であることが分かっている。。。。


それは忘れもしない、高校時代に組んでいたバンドで、小田原の太田ビルの地下でいくつかのバンドと合同でコンサートを開いたときのこと。
ボーカルが初めて、ステージに持ち込む飲料でも「ポカリスエット大流行」であったバンド内にサントリーの烏龍茶の缶を持ち込んで、度肝を抜いたところに始まる。

もちろん、他のメンバーの感想は、「よく買ったな!」という武勇伝めいたものであり、その後みんなで競うようにして烏龍茶を買い始めた。

この後、サントリーと伊藤園、どちらが本格か?論争が勃発!
このとき、本格とされたのは(最初に出したこともあって)伊藤園だった。


しかし、ボーカルが「烏龍茶って喉が絞まる」らしいので、『ステージで飲むのには不向きだ』と云い始め、止めるのもボーカルからだった。。。。

その年代は1984年から1985年の初頭であった。それまでは私はお茶類にお金を投じることをまるで良しとしていなかった。



次にペットボトルの登場はいつだったのか?何から始まったのか?ということを考察していきたい。

自分は缶入りで350ml缶でメローイエローやらセーフガード、マウンテンデューを購入するのが好きだったことから、缶での自動販売機、店頭購入が当たり前だったのが中学・高校時代だと思う。。。
1983年にコカコーラが前年に導入したものを全国展開しているらしく、中学の末期にはこれに出遭う可能性があった?本当?

それまでは醤油の入れ物だっただけだったそうだ。。。

コーラはペプシの300ml入りの瓶が出来る前はコカコーラの190mlの麗しい形のもの。味やブランドよりは量を採る小学生時代は、確実にチェリオかペプシ。ペプシは300mlや蓋の裏をめくると当たりや外れが出るものが流行り、スターウォーズや王貞治の756号の下敷きとかはペプシからのものだった。でも瓶。ペットボトルは500mlからスタートしている?だとしたらお得感は小学生の間でも響いただろうが、150円という少し値段もアップした感じがいつまでも自分の中では市民権を得にくい状態だったのだろうかと考える。

高校時代にバンドではポカリスエットだったと書いたが、これも缶だった気がする。

高校時代に、ペットボトルがあった?としたら。。。。セブンイレブンで見かけていたかどうか?という時分かぁ。。。家の裏にセブンイレブンが出来たのって・・・・中学時代?いや小学校時代?
お菓子屋さんだったうさぎやさんが本当に7時から23時(夜11時)の間開く状態でのコンビニを開業したのが、1980年~1982年とかだったと思う。
中学時代には通学路にもセブンイレブンが登場するが、それ以前はうさぎやさんが一番初めだった。そこで見かけたのかなぁ。。。。

本当に復刻してもらいたいのが、当時のテレビ欄とか?いう新聞の後ろ面ではなくて、当時のコンビニの飲料の並びとか?の写真が見たい!

大学時代には、C1000タケダ、オリゴCCとか鉄骨飲料とかがブームだったし、高校時代まではラガービールが牙城だったビール業界に(飲んでませんよ)、アサヒがスーパードライを投入して、キリンは一番絞りに行き、サントリーは焼酎に行ってしまったのも大学時代。



時代を感じさせるものに、流行や時事があるが、コンビニの飲料の並びにはそこそこの時代が滲む様な気がしてならない、今日この頃です。
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