萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

絶句!さようなら、スーちゃん!

2011-04-22 23:22:38 | 懐かしい思い出
伊藤蘭さんを除いて、キャンディーズではどっちが好みか決定戦を開いたことがあります。
まぁちょうど漫画1・2の三四郎の再現なんですけど・・・・ね。私達もやってましたよ、同じこと。

まぁ伊藤蘭ちゃんを含めちゃうと全員すぐに一致してしまうので、過去の寅次郎かもめ歌の記事

で、どっち?となるんですけど、私は完全にスーちゃん派でした。
センターを務めたことがあるのは、スーちゃんのが先だったと思う。
これ1・2の三四郎の8巻ですけど、三四郎はスーちゃん派だったんですね!やった!

ピンクレディーでは私はケイちゃん派でしたけど。。。。キャンディーズではスーちゃんだったんですよね・・・。


いい歳して何書いてんだか・・・・とか思わんで下さい。


朝、田中好子さん死去のニュースを見かけてビックリしてしまいました。


確か小学校2年生だったような。。。暑中お見舞い申し上げますのキャッチで、見頃食べ頃笑い頃とか放送してて、電線マンとか唄ってた時期で、「あの人は悪魔~♪」とか
ババンババンバンバンとドリフにも出ていたし。。。解散は小学校4年生「微笑返し」でしたっけ?、その後ピンクレディーだったから。。。

山口百恵さんが意外と私とそんなに歳が離れていないような気がしているんですけど、一回り以上も年上だったんですね。。知らなかった。スーちゃん。
黒い雨とかで女優業の方でもすごい!とか思ってたんだけど、癌ですか・・・。

もう少し医学が発達してこういうの、本当に早期発見して治療で完治できないものなんでしょうか。。。


お名残惜しいでございます。冥福をお祈りいたします。。。




合掌
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さよなら!またね!川越事業所

2011-04-18 04:52:26 | Weblog
ついに(というかとうとう)私は川越での業務を離れることになりました。転勤です。
長いようで短い月日でして、まるで夢の中のようでした。
2006年の9月21日あたりに赴任しまして、2011年の4月15日まで。
年齢的にも38歳3ヶ月から42歳10ヶ月までを過ごしました。

沢山の人に助けてもらいました。
沢山の人の頑張る姿を見ました。
沢山の人の笑顔を見ました。

私は、川越のいいところを沢山知っています。
私は、埼玉のいいところを沢山知ることができました。

その埼玉、川越を離れます。

今度の勤務地は、神奈川県川崎です。東海道線の通る川崎駅が新しい勤務地です。

この前、挨拶に伺いました。

とても若く、活気溢れる職場です。
私はその中ではかなり高齢に属します。

こういう部署を作りたい。こういう会社にしていきたい。こういう気持ちで仕事に関わっていきたい。
ここ川越では果たせなかったことも沢山あります。それは仕方がない部分もありました。

私は数字を扱っています。これからもそれを扱うことになりました。
でも。。。数字が全てではないことにも気付きました。
数字に全て従うという気分はもう失せました。というか翻弄されたくない。
ただ、、、医師や薬剤師のように、数字という処方箋を会社の体内に埋め込むことはしなければならないときがある。それは事実。
時には、社員の下あごを押さえてでも強行に数字という薬を飲み込ませることもしなければならない。
時にはやさしくシロップで、または糖衣で包んで(くるんで)で飲んでもらうこともする。
何を求められているかを都度考えて、そのときのベストチョイスを摘み上げることもしていきたい。その対応は一遍通りのものでなくしていきたい。
できれば、、、
シロップと下あご押さえを取り混ぜるくらい変幻自在に。

誤解もありました。数値を扱っている人間は何でも知っているという誤解です。私は法律家でもないし、税務署の人間でもない。


ただ決裁を押しながら、首を傾げればその部署に飛んでいくこともしました。
納得できるまで話込んだことも何度もあります。

全ての自分自身の希望と役割への理解(偏向してたとしたって)を基に、次の仕事に向かいます。

ここ数年、新しい職場に来て、多くの人に出会って、色々と考えて自分自身もここまで変われた。これから先だってまた変わっていく。根本は変わらないかもしれないけれど、柔軟に対応していきたい。

川越時代を振返って、今はそういう気分です。

みなさん、大変お世話になりました。お蔭様で自分ではそうですね。。。。

多くの人とお話ができて嬉しかったです。
特に思いがとっても強い人達。
色々な考え方をぶつけ合えることは楽しかったです。
思いは本音となり、言霊となってその部署の行動を変えていっています。
触発されることもかなりありました。

正しいと思う気持ちと気持ちがあれば理解はすんなり早く打ち解けあうことも理解しました。

そう、思い出すのはまだ若いころから、川越の出身者の人たちによく「事業所合ってると思いますよ」と云われ続けたことです。自分ではどこがどう合っているのかは当時はよく分からなかったですけど。今では何もかもが「合っていた」んだろうと思えるようになりました。

何日かかけて事業所を隈なく廻りました。多くの人にご挨拶をと思って、頭を下げに廻りました。

「お世話になりました」と云っただけの人は多分余りいなかったです。。大半の人には「楽しかったです、また遊んで下さい!」と自分でもなんだか不思議な挨拶をして廻りました。
中には話し込むことになった人も多数。
なんだか仕事をしていたというよりも遊んでいたつもりもなかったけど「楽しんでいた」まさにそんな感じの4年半でした。



「またね!」とか「またいつか!」というのが多分合っていると思うんだけど。。。
それでは、このへんで。


またね!川越のみんな!

心の底から「本当にお世話になりました!」ペコッ!

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16号のささやかな右折レーンと所沢宮本町の交差点信号が難しい件

2011-04-12 05:50:34 | 日々の疑問
一応、提案として書いておきます。

道路のことって公安ではなくて、警察でもなくて、市や県や国の管轄分野なのでしょうか?
事故を減らすには、変な動きを封じ込める必要があります。
道路の誘導、信号の指示、これが不明瞭・不適当な箇所はとりあえず記事で指摘させてもらいます。


まずは、≪国道16号線の右折レーン≫についてです。

川越の近辺や狭山に向かう辺りの16号線では、右折レーンが情けないくらい薄く、中央を走っている車が慌てて左の車線に車線変更していく箇所が多数設けられています。

一つ、確実に覚えている場所。新宿町三丁目の交差点です。ここを右折で川越所沢線を所沢方面に入ろうと並ぶ右折レーンがとても薄いんです。後ろからトラックもひっきりなしにくるのでおっかないです。
後はたぶん広栄町の交差点ですね。他にも狭山方面に進む道沿いにこの薄い右折レーンが幾度か出現しますので、いきなり道の真ん中に右折車が止まっているのでビックリします。

2車線のうちの内側のレーンは基本スムーズに通さないといけないと(自分は)思います。素人は絶対真ん中の車線を走っていれば間違いないと思っていることでしょう。これが覆るような場所は改善すべきと思います。(口絵は広栄町の交差点の航空写真をyahooから転載)


さぁ次は≪所沢の宮本町の交差点≫です。

上の地図で見た場合、この交差点をドン・キホーテの方から右折で洋服の青山、まねきねことCoco壱番屋の方へ曲がろうとする時の正面にある信号と車の動きが難しいことについてです。

この道、ドン・キホーテ(リハビリセンター方面)から来ると、T字路にしか見えないんですよ。
実は狭いと思われる463号線、浦所線(うらとこせん)がその左横から流れ込んでいて、そことまねきねこが直線となっているようになっていて、ドン・キホーテから地図の下の方の金山町の五叉路交差点方面に行く道が直進として扱われているような交差点であることが、ここの交通をとても複雑で難しくしています。

気をつけなければいけないのは、金山町方面からの交差点の指示だと、飯能(洋服の青山)方面に抜けるには指示灯が灯るのですが、ドン・キホーテ側からの信号は通常の青信号と→の右折信号です。青信号でドン・キホーテから右折しようとすると、左から直進車が突っ込んでくるように見えてしまうのです。金山町からの車は気持ちよく左折している車なので、こちらも誤解が生じます。ドン・キ方面に行くのが直進車なのですが、これとドン・キホーテからくる右折待機車は物凄く干渉し合うことになりもします。
また金山町から飯能に抜ける車にも難しさがあります。左に歪曲している直進路ですが、この場合左折車になるのです。そう、ここで気をつけるべきこと。左折なので、歩行者の横断があることが不思議に思えるのです。なのでこの左折は、慎重に進入する必要もあります。

こういう誤解を招きそうな交差点の信号は明確に信号を切り替えるか、方向指示で曲がっていい方向だけを表示する必要があると感じます。

どういう具合にすればいいか。。。それは、ドン・キからの指示ならまず←左だけを表示し、金山町からの車を完全に赤にして停めてから、→右折のサインを出すようにするべきです。更に云えば歩行者はスクランブルにして完全にどこへでも渡れるようにし、歩行者と車の干渉を確実に避けるようにするべきです。


以上、私の知る限りのここ、埼玉南西部の道路・信号の改善提案でした!


文章・表現が難しく、公開してから何度も推敲を重ねました。分かりにくい部分があればご指摘下さい。表現を再考します。

やっぱ自分で表現は判断するので、ご指摘要らないです。
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あの鞄(リュック)を探し求めて! - 一澤帆布完全復活記念 -

2011-04-10 06:42:22 | プチ萌え
大学を出る前、カチャッと留める差込錠の受けの部分の生地が破れかけてきているということで、後輩からどこで買ったか思い出せないというリュックを譲ってもらった。

色がとても風合いよく、燻すんだ赤い色、少し茶色かかっているのかな?というような赤で、インディアンレッドとか名付けたくなるような色合いだった。
生地は、あれなんだろうデニム?いや、コールテンとかいう感じの生地だったような印象があります。アジアン雑貨みたいか?と問われれば似ていてちょっと違う感じで、なんとなくイメージは中南米。いや地域でいうのがいいのかよくわからない。色彩的には単色でシンプル、少し濃い目の縁取りがあったか・・・も。
(口絵のLeeの写真は色合いとしては似ていると思って付けさせて貰いました)

留め具を先端に持った覆うような上蓋のような生地の部分には、緑色のクロスのあれはなんて云ったらいいんだろ?模様?ワッペンというか、刺繍というようなものが付いていた。くすんだ赤に緑色のクロスの模様の付いたコールテン生地(?)のリュック。

袋部分の上部には穴をいくつか施してあり、それに革の紐が通され、キュッと絞る感じ。その上に上蓋のような生地を覆いかけて差込錠で留める感じ。留めた錠の横から革の紐がピロピロっと垂れているイメージ。
袋の他にポケットのようなものは一切なく、ファスナーとかも付いていなかった。

すっごい雰囲気のあった鞄(リュック)なのだが、留め具の受けの部分の破れが徐々に酷くなり、結局持ち出せなくなって捨ててしまったのだが、今では非常に後悔している。。。。

ああいう風合いのものにとても愛着を感じることを再認識したのと、こういう思いが募ると堪らなくなるという性格の持ち主である自分を再発見。


多分後輩に聞いても、また「覚えてない」というに違いない。もらう時にでさえ、「どこで買ったとかいちいち覚えてないです」とかほざくし。。。。

こういうときってどういう風にしていけばいいのだろう?

コンシェルジェとかいう人はこういうときに活躍するのかな?でも三越の外商部で取り扱っているようなものではないんですね。(笑)


う~~ん、絵でも描いて探索をするか・・・。

ネットで画像検索しても一向に当る気がしないのだ。。。

か、オーダーメイド?
色合いさえ合えば、ショルダーでもいいと思っている。クロスのワッペンとかなら探し出せそうだし。。。ショルダー?そうか今リュックよりも断然そっちかな?

帆布や工房系のリンクとかをメモっておきます。

須田帆布

一澤信三郎帆布

倉敷帆布

帆布 牛や

工房HOSONO


まずはやっぱり絵でも描いてみますか。それしかない。。。
雰囲気を常に持ち歩き、いざという時にお店の人に見せられるようにすれば一歩近づくかも。

ていうか後輩にメールで連絡しても返事が返ってこん!

-------------ここから追記------------------

一澤帆布、復活!のニュース
あの一澤帆布が完全復活する!
友達が持っていてとても憧れていたあの風合いの鞄と名札のようなラベルをつけたあの鞄とまた出会えることとなった。

憧れていた分、あのようになってしまって悔しくも思っていたので、とても嬉しい限りである。


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Fuji Rockの思い出(1999年 第3回 苗場) -番外 女神 編-

2011-04-06 00:01:28 | 懐かしい思い出
いきなし何年前の話を書いてんだ!と思われるでしょうが、なんだか久々に頭をよぎったので、忘れないようにここに書いておきます!

台風の中の富士天神平スキー場(第1回目)、炎天下での豊洲(第2回目)、そして永住することになった苗場(第3回目)。

そこまで全てのFuji Rock Festivalに参加していた。もちろんオーディエンスで。^^v

そして今回はいきなり音楽の話を中心ではない番外編の思い出です。

私達はこの第3回目の苗場、3日間開催されるうちの中日と最終日に駆けつけた。金曜日の夜、業務を終えて集まった参加者でみんなで借りたレンタカーに寝袋だとかテントとかを放り込んで、夜を徹して苗場に向かった。1日目の出演者達を見れなかったので、どうだったんだろう?ああだったんじゃない?とまだ見ぬ初めての会場、苗場を想像しながら関越を走っていった。

2日目のオープニングアクトは東京スカパラダイスオーケストラの猛ダッシュな出だしで鳥肌が立ち、自分は裏のリズムをッホ、ッホ、ッホと乗り乗りで大はしゃぎしまくっていたら、ヒートアップしすぎてしまって、結局ゲロが吐きたくなって・・・(爆)、とうとう後ろの方へと引き下がったのでした。

看病に私に付き添ってくれた友達が一人。夜を徹して車で来たこともあり、眠気と興奮で頭がグチャグチャになっていて、グリーンからホワイト、さらにその先にあったヘヴンというステージまで癒されに向かって二人で呆けて(ほうけて)いた。そして少し眠ったかも。

グリーンまで戻って、後ろの方で清志郎先生の歌声を遠くに聴きながら、「自然ていいなぁ」とまどろんでいたのだが、お互いにもよおして簡易トイレの列に並びに向かったのでした。


まぁもうそこは大層な人だかりになっていて、列がダラッと伸びていて、人が一人出てくる毎に一人がそこに行くということが繰り返されているのだが、列が遅々として進まない感じで続いていた。

まぁまだ私達は余裕があった。列の前の方へ徐々にではあるが移動してきたときである。
青ざめた顔に手をあてがった女性を抱えながら、もう一人の女性が声を出して、みんなに懇願していた。

「この子、大変なんです。どうか先に行かせてあげてください。お願いします。」と列の後ろの方から前にやってきた。

『どうぞ』と入れてあげようと思ったのだが、かなり待っている後ろの方の人が煙たい目で見ていて、そういうわけにも行かない状況になってしまった。
仕方なく介抱している女性が列の最後尾にその女性を立たせて、「大丈夫だから、すぐだから、私が何とかしてみせる」と安心させて、そのトイレの立ち並ぶところにいる係員に掴みかかった。

「てめぇさっきから何ボケッと突っ立って見てやがんだ!ちゃんと制御しろ!仕事しろ!」と怒鳴ったかと思うと、彼女は一番奥のトイレまで走っていき、一つ一つのドアを開けて中を確かめ始めた。実は全部のトイレが人で埋まっていたわけではなかったのだ。

一つ目は閉まっていた、二つ目は開いた!「大丈夫!綺麗です。入ってください!」と先頭の人に向かって叫んだ。
三つ目も開いた。「少し汚れているけど入れないことない。申し訳ないけど次の人、入って!お願い!」と呼びかける。「悪い。ありがとう」と入っていく。四つ目開かない。五つ目開かない。六つ目、また開いた!「ここは駄目。ひどい。係員の人、封鎖して、処理急いで!これじゃ分かりっこない!」七つ目開かない。八つ目、開く!「ここも汚いけど、我慢できる人、先に行ってください。少しでも詰めて欲しいの!お願い!」

そうこうしているうちに、列に並んだみんなが、その子の友達の青ざめた女性を「綺麗なところ、次開いたら入っておいで」と先頭に導いていた。「いいよね?いいよね?」と声を掛けながら一番先頭に導いていく人がいて、みんなで「うん、うん、いいよ、いきなよ」と声をかけ合いながら先頭に連れて行った。

トイレの渋滞を緩和し続けた友達もそれを見て泣き崩れてしまい、「どうもありがとう、どうもありがとう」と感謝して廻っていた。


私はその彼女の行動を今でもとてもよく覚えていて、その彼女のことを心の中で「リーダー」と呼び続けている。


声に出し、すぐさま行動に移せる人物はやはり正しいのだと今でも思っている。


今、リーダー達(彼女達)はどこでどうしているだろうか?
まだサマソニでもフジでもエゾでもなんでもいいから、フェスに参加し続けているだろうか?


そうであってくれたらいいなぁと願っています。
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停電と節電と未来について

2011-04-04 07:01:45 | 日々の疑問
翌日の停電の中止(通常の電力供給で足りる)から、翌週の月曜日までの停電中止までが発表されるようになってきました。
Yahooのトップでは東京電力の電力使用状況が更新され続け、現在の電力使用量が分かるようになりました。

日本人という民族は、予定の立て方が緻密なため、「停電の予定だけでも先に教えてくれ」ということでこの処置、やっと平日の稼動を中心の告知に至ったんだと思います。

本来のピークに対応した処置としてはありうる対応ですが、停電の中止が慢性化していくと自分のグループは押さえていても、自分のグループ(+副番)は、今日は第何時間帯にあるのかが頭から抜けていっています。

この電力使用量、おそらく気温との関係で空調機能という部分と外気と内気の気温差で発動する冷蔵機能の兼ね合いから電力の使用量と去年の同月同日の使用量を基に算出(はじかれ)ているものと思われます。生産と企業活動はおそらく去年のままと想定されているでしょう。

ただ、条件が違うはずです。。。

①被災地区が厳然と存在し、電力を使いたくても使えない。
②エコポイントの蔓延で少しは消費電力の少ない家電が増えている。
③企業もフル稼働するまで生産を戻せていない。部品供給や逆に停電の影響で。
ここまでが状況の基礎条件。

次に・・・・
④電車の運行状況を完全には戻していない。西武線は未だに急行を走らせていない。室内灯を消す。暖房を入れない。などの節電運動が追加され続けている。
※4月4日からダイヤはほぼ正常の運転に戻るようです。ニュースはこちら
⑤節電ムードが広まり、おそらく各家庭での基礎的な電力使用が低くなっている。店舗も看板・電飾・空調温度・室内灯を落とす、間引くなど。。。夜の街の風景は一変した。
⑥また、これが実は重篤なのだが、節電が齎したものは、経済・消費活動そのものの萎縮。自粛・不謹慎というムードで相手の行動を封殺しかねない意見の跋扈(ばっこ)である。
これらは努力的なベース部分と牽制によって生まれてしまった条件。
営業しているお店でも「売上の○%を義援金にさせていただきます」という看板なしにはどうも営業が出来ないというような雰囲気。エンターテイメントや娯楽の類は後ろめたい気分での興行となってしまっています。営業時間も短くなりましたね。

節電ムードがあるからですが、目指すべき社会に向けての根本的な解決ではないように感じます。電車の運行の間引きなど、、、本来ならこの一方的な過小サービスは運賃の値下げで反映させられるべきです。電力の供給を受けつつですので、利用者には運賃の値下げがないと辻褄が合いません。
いくつかの部分に思い違いが存在することも事実なのです。よーく考えてみてくださいね。全ての負を一方的に消費者が被っていることに繋がっていないかは考える必要があります。

また、前から何度か書いていますが、
私にはこの停電、ピークの持ち回り制がいいのではないかと思っています。

ピークが予感された場合、順番に停電を受け持ってもらうことにするのです。
それまでは停電はしない。もしこれで節電ムードが壊れ、一気に使用量が元通りになるようなら今までのように戻しても構いませんが、一旦輪番を別の運用方法に変えてはどうかと提案したい。そこには予測が必要なので、天候面、産業面、時節柄、地域の状況、電力供給側の状況から予測を繰り返していくことが必要です。そこには東電、天気予報士、厚生労働省や文部省、経済産業省などの合議で予測してください。節電での回避ができるようになることができれば、順番自体が廻ってこなくなるので、体感しやすいはずです。
で、”必ず”順番に廻ってくるので平等でもあります。

もう一度書きますけど、第1GのAからピークが予感された場合、その不足量の予測規模からどの副番もしくは次グループの第2Gのどこまでを停電させるのかをできれば半日前に知らせるようにしてはどうだろうか?という提案です。
次にピークを予測した際は、停電した次のグループ+副番の続き副番から停電することにして持ちまわるのです。
フルーツバスケットのようにぐるぐると時間帯を動かし続けている時にいきなり「今日の第○時間帯は停電します」だと、下手すると同一グループに当り続けることも起こりうる。
そうすると「下手に平等を考える」計画者は、毎日同じ時間帯を使用量オーバーが予見されなくても停電にしてしまう可能性が高い。
なので確実に落とすグループを順番に担当させる当番制にすれば、1回停電をすれば当面はなくて済むと考えることが出来る。そして一定の有識者間での合議を義務付けて欲しい。空調の適正温度提示、放送での電力使用抑制の呼びかけなどと掛け合わせれば、その指令で多くの電力使用の伸縮ができ、全体での機能不全をなんとか凌いでいけるのではと思いたい。

自分の停電の順番が急速に近付いてくるような状態ならば、『もう一度みんなで節電をしっかりとしよう』『他の取組もみんなで一生懸命考えて取り組もう』という風潮が高まるというのでどうだろう。

<<ピークを避けるということ>>
また、みんなで休日を土日にしていることも問題なのだ。生産活動、企業活動を月~金に集中させることを行い続けていることも、五十日(ごとおび)を給料の支払日としていることも、月の1日から月末を月の最終日と全企業で決め続けていることも、もしかしたら全国一律で祝日を決めていることも、国民全体でGWやお盆という日にちを決めている習慣もである。風物的なことを阻害しかねないが、結局はみんなでおなじことを同時にしようとすることが全てピークの元をつくるのだ。それは日付・曜日だけでなく、一日の中の時間でも一緒。同じ時間帯に勤務し、同じような時間に出退勤をしていること、通勤ラッシュの出現も全てだ。なかなか実現しない時差出勤、今こそやるべきときである。


この問題は、東京電力の原発事故に伴う電力供給の最大出力不足が問題なのであって、ピークをみんなで作らないようにするには?というのがテーマなのである。ある意味考え違いはしないでもらいたい。節電をすることで被災地へ電力が廻るということを想像しているかもしれないが実はそうではない。

何度でも云う。東京電力の供給量が尋常でなく落ちた。なので供給できるギリギリのところまでは問題ないのだが、蓄電ということがなかなか出来ないこともあり、一時的な供給量を越えないようにすることが課題になったのである。

<<それとは別のことなのに・・・>>
確かにナイターは電力使用量で試合開催の前後を含めた大きな電量使用のピーク因子になりうるのだが、企業の活動や国民の生活が止まった時間帯に行うことを前提にすれば、ピークとは離れる。でも、この話は、だんだんこのように解釈されるようになった。『こんな時期にチャリティーでもなく、○○しているなんて、なんて暢気な人達なんだ』という具合にだ。

○○は、どんなものでも当てはまる。プロスポーツも、番組放送も、グルメ堪能も、おしゃれも、余暇も、気分転換も、芸術だって。。。。今それをするべきか?という話に何もかもが押し込められてしまう。


少しだけ大袈裟になりつつある不謹慎というモード。今このような意見を繰り出すことが正解かどうかはわからないが云っておかねばなるまいと思って書いている。

4月1日の朝、途中まで聞いていたNACK5、大野勢太郎のアンケート調査で、「原発事故は人災か天災か」というアンケートに「電力は必要なんだ、だから原発が必要であるのも事実。津波が起こることを想定していなかったのは人災だが、予想を超えた津波がきたことは天災でもあることとも思える」(うろ覚え)というアンケートの投稿に対して「じゃあ、(このアンケートに答えた人)の住む古河に原発を建てましょうか」と大野さんが返していて、言論の封殺を行っている人は(無意識にも)この人なんじゃないだろうか?とさえ思えてしまった。初めから意見を押し付けるつもりならば、アンケートなぞとらなければいい!人災だという予定調和な結果だけを求めているなら、本気で必要ない!こういう意見収集を数字で見せて、民意だとか云うのはまやかしだし、民主主義ではない!
逆に「経済が沈滞したままでもいけない。被災していない人まで萎縮しない方がいい」とも。これではいいトコどりな意見にしか思えない。(電気なしにどうやって放送するの?大野さん?放送には優先的に電力をまわすということが前提ですか?)

実は正論ばかりをつないでいくとおかしなことにもなるのである。意見に矛盾が出るのは仕方がないことでもあるが、ある部分では押し付けるムードそのものが怖い。この矛盾を避け続けると、言論と思考は全て萎縮していかざるを得ない。ある種デフレにも似たスパイラルだ。恐慌とはこのようにして起きるのだ、とも感じたのだ。

ラジオは電池やバッテリーで聴いているが、だから節電か?と問われれば、”○○に比べれば”ということでしかなく、”電気そのものを利用していないものなどほとんどない。”ということは自覚しなくてはならない。電池には作った電力を流し込んで貯めているものであるし、電力と無縁では決してない。車のバッテリーの駆動はもちろん走行、ガソリンの消費を前提に成り立っているのだ。

放送そのものを作成する側・放送を送信する側が電力を使用していないわけではないし、それを差し置いて、一方的に意見を押し付けるのはどうかと思う。
「一定時間、放送を自主的に停止していきます」という時間帯を放送局毎に設けるなどの方策を採り電力を抑える企業努力を行っているというのなら、、、、その上で発信しているならいざ知らず、”節電をしよう!”と「電気を使った」放送で訴えることは絶対矛盾しているんだってば!電気の使用量が多いと云われた夕方。その時間帯の放送を各局が持ち回りで放送の自粛をされたらどうだ?そうすれば、テレビを消す家庭だって出てくる。ラジオを消す家庭も出てくるはずだ。

だから、これを云い始めると、絶対負のスパイラルに陥るのだ。(本当だ!自分も容易にはこの呪縛から抜け出せないや)

原発は怖い。放射線は怖い。それはわかる。事実と向き合うことと、希望につながる未来を語ることは微妙な行為である。本気で経済の萎縮がまずいと思うのであれば、正常に生活できる分野にまで萎縮する必要なんてないと私も心から思う。その前提が何だったのか、それはやはり”安全に・どこでも・どんなときでも”電気が使えるという条件が存在することが条件だったのだ。

”オール電化”の発想は停電をしないことを前提だったはずだし、東京電力が進めた電気を使ってもらうことで業績を伸ばそうとした表れである。計画停電とは東京電力にとっては業績そのものを落とすことを自ら決断せざるを得ない状況なのだ。未来は電力の供給量の一定以上の捻出があってこそ豊かなものになる。

そう、よく考えれば電気を売ることで東京電力は企業として成り立っている。供給量が落ちたとて、目一杯使ってもらえることで売上が維持される。想定以上の節電ムードであれば、東京電力はやはり「電気は使ってください」と売り込みに来るはずだ。彼らが企業としての存立を成り立たせたいのならば。。。

皆さんの考えていることは予想がつく。売上が落ちても成り立つ、消費電力の少ない社会であれば、「原発は要らなくなる」と言いたいんだろうと。

そして電気を使うおよそ全てのものを悪として感じてしまう世の中になった。メールや電話、待機電力に、電力を利用するプロスポーツ、もちろんパソコンにこのブログもそう感じているであろう。節電とは段々”生活を節約する”ことにすり替わってしまっている。
それは違う。それでは今までの社会を、震災と今も無縁の国や地域の生活や文化も全て否定してしまうことになる。無駄はあったかもしれない。そのレベルの話がどこか歪に(いびつに)曲がってしまった。自分が好きでないもの・無関係なものは、全部”無駄”と感じてしまってはいないだろうか?状況が混沌としてきたせいで、すごい相互の牽制が働きすぎていると思う。

それでは、次は「原子力」以外の発電方法で、この先の生活や復興事業や進歩を賄えるのかという議題に繋がる。
化石燃料と呼ばれているもの、資源という類は無尽蔵なのだろうか?この地球上にエネルギーと呼ばれるものがどれほど埋蔵されているのかは分からない。しかしそれらを知恵として安全に利用しようとしていくのが未来ではないのか?電力というものをどこかでまだ私も含めた全員が誤解している。無くてはならないもの。社会のベースになるもの。そうだったはずだ。全ての前提だったはずなのだ。それをどこまでの安全性を高めて、かつ効率的に取り出すことができるかが必要不可欠な技術なのだ。できればそう考えて欲しい。私もそう考えるようにする。単純に「原子力を止めろ」だけでは、この後の未来はこの基礎的な電力のベースが希少になっていく(と思われる)エネルギー資源に頼り続ければ、一方的に高額に昇っていってしまい、生活が立ち行かなくなると思わざるを得ない。安全に高温度を得られて蒸気機関をフルに動かし制御できる物質が他に見付かれば別だが。。。。水力や風力とは別に、高温度を得られるものとして石炭、石油、そして原子力に辿り着いた人類の歩みは本来なら原子力を制御できる技術にもっと邁進すべきだった。その投資は論文で安全を論じきることではなくて、実際に安全技術への投資と革新を続けるべきだったのだ。
原子爆弾被爆国でかつ資源の少ない経済大国だったこの国では、その安全を推し進める進歩の歩足スピードが弱まったのである。原子力というものへの後ろめたさからだろうか。

後ろめたいという気分だけで覆い尽くされるのであれば、単純に云えば、もう進歩は無い。そう思うことに良心の呵責を感じる人々はしっかり行動に移していたはずだ。
エネルギーの還元率の向上、それをやり尽くすことには限界もある。しかしベースには安全が必要である。追い求めるものはなんだったのか、東海村の事故、中越地震のときの柏崎、色々とあったではないか。やはり安全を根幹に求めるべきだったのだろうと思う。

この先、どういう行動を取ることが正解かなんて、それは自分で決めることだ。自分自身に呵責の念が生まれないように行動すること、そして堂々としていればいい。思ったことを各々のレベルでしっかりやり遂げるべきだ。

だけど非被災者が単純に悲観ぶっていたって仕方ないのだとも思う。

働き方の模索も始まった。集団で活動する場所と時間を共有する職場という意識を、以前はSOHOという言葉だけで当時多様な働き方の模索は上手く検討・実行に繋がらなかった。あの試みが今また脚光を浴びているようだ。記事参照

寄付金に税金の還付もある。国税庁のページ
心に留めておいてもらいたい。
法人税の方はこちら
免税・税控除は決して卑怯なことではない。その重石を取れることでより多くの寄付金ができるようになると考えるべきだと思う。

我々働ける世代は叡智を結集すべき時がきたのだ。お互いに模索し続けようではないか!
ただし、これも付け加えておく。人間なんだもの、楽しんだっていいんだって!笑ったっていいんだって!何もかも泣き顔で過ごす必要なんてどこにもない。そっちの方こそ偽善だ!



とりとめも無く書き連ねたが、あまり意見としてまとまらなかった。

でも公開します。長文失礼!
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「4月馬鹿」の思い出

2011-04-03 06:10:50 | 懐かしい思い出
4月1日、エイプリルフール。
嘘を奉る祭典。今年は”なし”だったのかしら?誰も私に嘘など言ってこなかった。

まぁこの日で無邪気に嘘を言い合っていた頃ってのはいつまでだっただろう。。。

この日を嘘をついてもいい日として知ったのは、私は漫画ドラえもんの7巻だったかの「帰ってきたドラえもん」という題の話からだった。

しかも「四月馬鹿」というかなりの直球な直訳でその存在を知った。

私はドラえもんがこの話の前に未来に帰ってしまったことを知らずに読んだ。
4月1日、ジャイアンにドラえもんが帰ってきているという嘘に騙され、「今日は4月馬鹿、嘘をついてもいいのさ」と大笑いされたのび太は押入れに残されていた『困ったときはこれを開けなさい』と書かれていたドラえもん型の箱を開けるのである。(そんな日(エイプリルフールのこと)があるなんて常識として知らなかったのは、、、、自分がまだ小学校3年生くらい?)
そこから出てきたのは、飲み薬「ウソ800」(嘘八百ではなくてウソエイトオーオーと読む)。飲むと、云ったことがその場で全てウソになるという奇天烈な道具。
「いい天気だな」と云うと大雨が降り出すというもの。可笑しかったのだが、いつも一緒に喜び合うドラえもんがそこには居ない。。。。
そこで独り言のように「ドラえもんは帰ってこない。もう二度と会えない。」とつぶやいたことが嘘になり、いきなりドラえもんが部屋にいて、反対言葉で喜び合うのでした。

物語のプロットというか落ちが当時の私にはすんなり入ってこなくて、「うれしくない」と泣き合う二人の意味や「なんで帰ってこれちゃった」のかの真相、全てにポカンとしていたと思います。

それまでに4月1日は嘘をついてもいい日として暮らしたことがないとね。




ある意味、全てが”嘘”であってくれたらと、願わないでもない今日この頃でやんす。
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