熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

三菱東京UFJフィナンシャルグループ第11期定時株主総会

2016年06月29日 | 経営・ビジネス
   株主総会集中日であったが、結局、英国EU離脱問題直後であったので、金融機関がどのように考えているのか知りたくて、三菱UFJに出かけた。
   事情で遅れて入場し、既に会社説明が終わって質疑応答に入っていたのだが、株主質問で、会社は、このUK問題には言及しなかったことが分かった。

   Brexitについての質問に対しては、リーマンショック時と違って、金融機関には十分な体力がついて強固になっており、危機的な状況も起こっていない。今後、EUの枠組み如何によっては、影響が長引くかも知れないが、注視して対応したい。と言った説明であった。
   株主が、某社の株主総会では、為替対応にはすでに織り込み済みだととの回答があったと言っていたが、要するに、先が読みづらいと言うことでもあろうが、いずれも、この程度の対応のようで、大きなジオポリティックスなりジオエコノミクスの雪崩現象の始まりだと言う認識がないのが、一寸寂しい。

   このBrexitだけの影響ではないのだが、株価低迷についての株主質問について、平野社長が丁寧に答えていた。
   最大の要因は、金融市場の不安定、中国経済の悪化、Brexitなどによる経済状態が悪いことで、これに、国際金融機関からの規制強化、海外リスク、マイナス金利などの国際的低金利動向などが作用して、世界中の金融機関の株価が軒並みに低下している。
   これに対する対応だが、中期経営計画に乗っ取って構造改革を実施すると言った話は当然として、興味深かったのは、日銀のマイナス金利に対応した顧客のニーズに沿った商品の開発や、資金収益に依存しない経営、すなわち、手数料収入、助言アドバイス、資産運用事業などを強化したいと言う姿勢である。
   銀行の存在価値は、昔から、必要とする産業や企業に融資して、殖産興業に資して、経済社会の発展のために貢献することではなかったのか。

   三菱自動車については、結果的には、日産との統合によって、大きなアライアンスに参画することによって、開発部門のてこ入れなど問題の解決に期待していると言うことで、先にも、三菱商事のところで書いたが、ほっとしているのが、三菱グループの本音ではないかと思っている。

   特に、問題となる総会ではなく、平凡に終了した。
   いつも思うのだが、日本企業の株主総会は、肝心の議案に対する質疑応答は殆どなく、苦情処理や株主懇談会の様相を呈した年中行事に成り下がってしまっているような感じであるのが気になる。
   総会屋の是非はともかく、あの緊張感漲った株主総会は、過去のものになった。

   さて、この三菱UFJの総会の会場である武道館は、丁度、50年前に、ビートルズの公演が行われて、日本中を沸かせた記念すべき日。
   銀行も変わったが、世の中も様変わり。

   九段下のお堀端のカンゾウの花や堀の睡蓮がひっそりと咲いていた。
   
   

   昭和館の図書館で、とっと姉ちゃんと暮しの手帖の展示をしていたので、一寸立ち寄って神保町に向かって帰った。
   
   
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わが庭・・・ユリが咲くと一気に華やぐ

2016年06月28日 | わが庭の歳時記
   アジサイが全盛期だが、ばらは返り咲き程度で、少し寂しくなった庭に、
   他より少し遅いのだが、わが庭にも、ユリが咲き始めた。
   昨年に庭植えしたのをそのまま放置して、それが咲いているので種類が良く分からないのだが、今咲いているのは、カサブランカ系統なので、オリエンタル・ハイブリッドなのであろう。
   千葉に居た頃には、鉢植えのユリは、開花後に葉を残して肥培して球根を大きくして、良い球根を選んで新しく買った球根と一緒に植えなおしていた。
   しかし、たくさん植えておくと、庭にそのまま放置しておいても、翌年、適当に咲くので、その方が、イングリッシュ・ガーデンのように風情があると思って、手を抜いているのである。
   
   
   
   

   ユリは、日本原産のものを、シーボルトがオランダに持ち帰って、イースター・リリーとして有名になったと言うのだが、そのヤマユリが元になってカサブランカが作出されたというのであるから、椿や皐月などとともに、日本の誇るべき花である。
   ボッティチェッリの聖母画などで、背景などに描かれている純白のマドンナリリーは、地中海沿岸から中東にかけてが原産地のようで、バチカン市国の国花だと言う清楚な花だが、バリエーションが豊かで美しい日本のユリとは、かなりイメージが違う。

   ユリは、雄蕊の花粉が衣服などに着くと、大変なので、生け花にするには、この優雅に揺れるぼってりとした雄蕊を落として花瓶に挿す。
   しかし、やはり、この雄蕊を切ってしまえば、ユリではなくなってしまうので、私は、雄蕊を残したままで、玄関口の廊下に置いている。
   
   
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英国のEU脱退Brexitについて・・・P・クルーグマン(NYT)

2016年06月27日 | 政治・経済・社会
   ブレグジット(British+exitイギリスがEUを脱退すること)が、現実となった。
   私自身は、イギリスがEUに留まるべきだと思っていたので、一寸、残念だが、通貨ユーロを採用して経済統合を図ろうとしながら、財政を外して、更に、政治統合を実現できなかったが故に、ギリシャ問題を惹起したり、色々な不協和音の台頭で暗礁に乗り上げるなど、このままでは上手く行く筈がないと思っていたので、EUが曲がりなりにも安定した国家連合として脱皮するためには、通過しなければならなかった試練であったような気もしている。
   しかし、問題は、EU脱退後のイギリスが、どのようにして独立国家として生きて行くかである。

   私自身、自分の考えはあるのだが、ポール・クルーグマンが、ニューヨーク・タイムズに「Brexit: The Morning After」と言うコラムを書いて、今回の「Brexit」について興味深いコメントをしているので、これに触れながら、考えてみたい。
   また、ジョージ・ソロスから、「Project Syndicate」に、「Brexit and the Future of Europe」を発表したとメールしてきたので、読んでみたし、電子版で、ロンドンのThe Economistの記事を拾い読みしているのだが、とにかく、興味深い。

   さて、クルーグマンの見解だが、今回の英国のEU脱退について、英国にとっては、経済的な悪化は皆が恐れているほど大きくはなく、どちらの結果にしても、むしろ、政治的な恐怖の方が大きいと言う。

   まず、経済的な問題だが、確かに、英国はより貧しくなり、EU離脱でEUとの貿易に影響が出てくるであろうが、先進国同士のWTOの税率は低いし、その他の貿易慣行も,
それ程、厳しくないので影響はそれ程でもない。
   しかし、欧米間では、お互いの市場へのアクセスが保証されているかどうかが、貿易を意図した長期的な投資を促進するかなどに大きく影響し、その保証が危うくなったり、貿易戦争などが勃発すると、英国は、打撃を受ける。
   現在は、財政的な影響や貿易の悪化や英国及び世界の景気後退などについての話し合いが行われるのであろうが、まだ不透明である。
   ポンドも暴落したが、70年以降3回の大暴落に比べて、8%であるから、それ程、壊滅的ではない。
   英国の国家債務は、ポンドで借りているので、アルゼンチンのように通貨暴落によりバランスシート危機は起こりようがなく、また、資本逃避や金利上昇の心配も、殆ど生じておらず、健全である。
   尤も、世界の株価はダウンし、経済悪化を懸念して中銀が金融緩和に走り、不確定要素のために投資が落ち込んでいるのだが、どこまでが、Brexit の影響かは判然としない。

   私は、Brexitによって、7つの海を支配した大英帝国の唯一の残照であったシティの金融センターの凋落が引き金を引いて、一気に、英国経済が収束していくのではないかと心配している。

   クルーグマンは、経済的な恐怖よりも、ヨーロッパと英国にとってもっと深刻な問題は、政治的な影響だと言う。

   EUは、平和と経済統合を通して政治的連合を構築しようとする深淵なるものだが、深刻なトラブルに直面している。
   Brexitは、ポピュリスト/分離主義者/ 外国人排斥運動が、ヨーロッパ大陸に影響力を得たはしりである。
   これに加えて、ヨーロッパ経済が、弱体化しており、現世の不況の主要候補( prime candidate for “secular stagnation)であり、投資を抑圧する人口減少などによって引き起こされる絶え間ない小不況(persistent low-grade depression )が続いて先行きが見通せず、人々は、ヨーロッパの未来について悲観を募らせている。
   しかし、EU残留派が勝っていても、この苦しみは消えない。大きなミステイクは、統一政府不在下で、果たして単一通貨が機能するのかどうか、注意深く考えもせずに、単一通貨ユーロを採用したことである。無責任な南部諸国の人々によって持ち込まれたmorality play、それに、所得水準の格差も大きく文化的にも違っている多様な国々の国境を開放して労働移動の自由を確立したのだから、これが、どのように作用してどのような結果を招くのかか、十分に考えもしなかった。
   Brexitは、この問題の主たる症状であって、それに伴う政権への信頼性の欠如である。英国として、Brexitに対してしかるべき知見を具えていたにしろ、ユーロ危機も、政府不信の一因であった。
   Brexitは、頭にできた腫瘍、今後、ヨーロッパレベルでどんなことが起こるのか。
   いずれにしろ、キャメロンの大失策によって実施されたこの投票の結果は、英国の政治に最悪の要因となって作用するであろうことは間違いなさそうで、トランプ以上に、ボリス・ジョンソンが首相になる可能性が高いとすれば、イギリスの将来は、どうなるのか。
   So calm down about the short-run macroeconomics; grieve for Europe, but you should have been doing that already; worry about Britain.

   私自身は、クルーグマンの見解には、殆ど異論はないのだが、今回感じたのは、直接民主主義と言う国民投票の大変なインパクトとその恐ろしさである。
   日本でも、憲法改正について、国民投票を考えているようだが、果たして、民意を問うと言うお題目には格好の手段だが、ある程度常識なりカウンターベイリング・パワーが働く代議制民主主義の方が、適切だと思えるケースが多い。
   メディの報道によると、今回のイギリスの投票で、
   勝利したBrexit賛成派は、高齢者、低所得層・労働者、低教育水準、イングランドの地方、ウェールズ
   Brexit反対派は、若者、富裕層、高教育水準、イングランドの都市部、スコットランド、北アイルランド、
   と言った傾向があったと言う。

   TPPと同じで、日本の大人たちも、殆ど良く分からずに、賛否両論を戦わせて世論操作されて押し切られた感じだが、ソロスのコメントによると、英仏海峡のカレーに雪崩れ込む難民たちの情景に英国人が恐怖を感じたと言っており、過激なポピュリスト政治家たちの激しいアジ演説に煽られると、時には、ひとたまりもなく世論操作されてしまう。
   それに、殆どの国民が、現在の政治や生活に不満を持っているので、その課題がTPPであろうとBrexitであろうと、政府批判票が、国民投票のネガティブ要因として作用する。

   この国民投票は、法的拘束力はないと言うし、英国の下院議員の75%は、Brexitに反対だと言う。
   英国国民が、投票結果に後悔し始めて、再投票要求の署名が350万人を超えたと言い、ロンドンは独立を画策し始めて、スコットランドは、EU残留派なので独立のための最国民投票を実施すると言う。
   しかし、国民投票を実施して、UKの運命を決してしまった。
   とは言え、これ程重要な決定を、殆ど賛否相半ばで、国民を真っ二つに分断したままで、結論を下して、民主主義を産み育てたイギリスの将来を決めて良いのかどうか。
   時間が経てば、何らかの平衡状態に収束して行くのであろうが、益々、複雑怪奇になってきた宇宙船地球号の将来が危ぶまれている。
   
   
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国立演芸場・・・一龍斎貞水「四谷怪談」

2016年06月26日 | 落語
   今月の国立演芸場の国立名人会は、
   人間国宝一龍齋貞水が届ける本物の恐怖 道具入りの演出と圧巻の話芸 と言うことで、講談「四谷怪談」。
   中入り前には、
   一龍齋貞友の講談「木津の勘助」、林家今丸の紙切り、春風亭柳橋の落語「妾馬」
   しかし、中入り後は、貞水の「四谷怪談」のみ。

   「講談師、夏はお化け、冬は義士で飯を食い」と言うことのようだが、貞水の怪談には定評があり、特に怪談に関しては特殊演出効果を駆使した「立体怪談」と、その取り組みが関心を呼び「怪談の貞水」と言われているのだと言う。
   この日は、正に、その定評のある「立体怪談」で、幕が揚がると、舞台そのものが、墓場の破れ屋敷の風情で、苔むした演台を前にして、貞水が座って語り出すと言う手法である。
   別の公演のチラシにあったのだが、”貞水の迫力ある声と表情に、照明や道具、音楽という演出を加えた「立体怪談」は、まさに“恐怖”倍増! 悲しみ、恨み、恐怖におののく人物たちを巧みに描き分ける、貞水の変幻自在の芸には感服
   とにかく、薄暗い舞台で、ストーリーの展開に合わせて、変幻自在に変化する演台の下から差し込む照明が貞水の表情を変え、不気味に奏でられる下座音楽が感興を添え、火の玉が飛び出し、障子に幽霊の影が浮かび出て、血しぶきが飛ぶ。
   話術の冴えも、ここまで昇華されると、一人芝居の迫力を越えて、グランドオペラのスケール展開である。
   私としては、オドロオドロシイ怪談と言うよりは、壮大なシェイクスピア戯曲を観て聴いているような感慨を覚えて感激であった。
   
   
   さて、「四谷怪談」だが、4代目鶴屋南北の代表作「東海道四谷怪談」が元になっているようで、歌舞伎の舞台となり、ここは、
  塩冶家の浪人四谷左門の娘お岩とお袖の姉妹を巡る怪談劇で、お岩の極悪非道の夫民谷伊右衛門が、伊藤喜兵衛の孫娘に惚れられて、婿に伊右衛門を迎えたい喜兵衛が仕込んだ毒薬によって、お岩の面相が爛れて醜くなり、騙されたと知って激しい恨みを残して壮絶な死を遂げる。この後、お岩の幽霊が出没して伊右衛門を悩ますと言うストーリーがお馴染みである。

   しかし、この貞水の講談の「四谷怪談」は、ほぼ、この「お岩無念」や「伊藤喜兵衛の死」のパートを語っているのだが、少し、話が変っていて興味深い。
   メモを取っていないので、詳細は紹介できないのだが、伊右衛門と喜兵衛の孫娘との結婚画策までは同じなのだが、毒薬の話ではなく、邪魔になったお岩が、夫伊右衛門が借財をしたと騙されて救済のために岡場所に売り飛ばされ、顔が醜いので客を取れず下働きで扱き使われる。偶然出会った下賤に伊右衛門の真実を聞き知ったお岩は、恨み辛みに狂って姿を消す。その後、出没して伊右衛門たちに祟り、孫娘も喜兵衛も殺されて行き、伊右衛門は、僧侶に頼んでお岩の怨霊を地中に封殺するのだが、仲間割れした仲間が怨霊を解き放ったので、再び伊右衛門に祟り始める。
   最後には、伊右衛門が、お袖と夫によって殺されてストーリーが終わるようだが、貞水の講談は、前半途中で幕となった。
   講談は、何回か聴いてはいるのだが、講談師が釈台を叩いて語り続ける舞台なので、このような音や光や舞台そのものが躍動するパーフォーマンスアーツ仕立ての「立体怪談」を観て聴くと、一気にイメージが変わってくる。
   同じような落語の舞台も観て聴いた記憶があるが、やはり、舞台に幅と奥行きが出て豊かになって良い。
  
   一龍齋貞友の講談「木津の勘助」は、正に、大阪のおばちゃん講談師が、立て板に水の名調子全開で語っていると言う雰囲気だが、沢山のポピュラーなテレビアニメの声優をしていて、七色の声で変幻自在の豊かな語り口の魅力は抜群であり、とにかく、面白くて感激しきりであった。
   春風亭柳橋の落語「妾馬」は、長屋の住人八五郎の妹が、お殿様の妾となって出世し、呼び出された八五郎が、殿様の前で頓珍漢の受け答えをするのだが、面白いので家来に取り立てられると言う「八五郎出世」噺である。
   さすがに、ベテラン柳橋の名調子で聴かせる。
   
   
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三菱商事株主総会、同期会、そして、国立能楽堂

2016年06月24日 | 今日の日記
   今日は、私にしては、かなり早く鎌倉を出た。
   東京に出るのは、いくら早くても、大体、11時の歌舞伎公演開演を目指すのでもっと遅い。
   この日は、三菱商事とみずほFHに行けたのだが、面白いのは商社だと思って、浜松町で下りて増上寺を目指した。

   さて、三菱商事の株主総会だが、
   何故、面白いと言ったのか、資源に入れ込み過ぎて、エネルギーと金属部門で、大赤字を出して、初の赤字に転落したことである。
   詳しい説明がなかったので、以前に報じられた現代ビジネスの記事を借用すると、
   ”4,300億円と予想される減損損失の内訳は、AAS社株(チリで鉱山と製錬所を運営する「アングロ・アメリカン・スール(AAS)社」に対する出資(簿価4,700億円)への出資分が2,800億円。豪州のLNG開発計画の見直しに伴う減損が400億円、同じく豪州の鉄鉱石事業の減損が300億円、南アフリカのフェロクロム事業の減損が200億円などとなっている。これらと比べると損失額は30億円と小さいが、シェールガス事業の再評価に伴う減損も発生する見通しだ。”と言うことである。
   事業の損益で赤字が積み上がった訳ではなく、バランスシート上の減損なので、市況の激変と言う側面があるけれど、要するに、予測なり経営判断を誤ったと言うことであって、経営戦略なり戦術のお粗末さの帰結であろう。
   会長は、原油が50ドルから70ドルへと5年間も上昇基調にあった時期の経営判断であったと言うのだが、その投資戦略なり経営判断が適切であったのか、問われるところであろう。
   
   これに懲りてか、向こう3年間の経営の考え方として4本柱を打ち立てているのだが、
   その内、「経営基盤の再整備」で、「キャッシュフロー重視の経営」は当然として、「資源」と「非資源」のバランスの見直し、
   「成長に向けた打ち手」で、「事業のサイクルを踏まえた入れ替えの加速」なども当たり前だと思うのだが、「事業投資」から「事業経営」へシフト、の2点については、疑問を感じる。
   資源分野は、原料炭・銅・天然ガスへ経営資源を集中して他を抑え、主体的に強みや機能を発揮できる分野に投資を集中すると言うのだが、セグメント別の売上高や事業費率が分からないので何とも言えないのだが、要するに、資源に偏っていた経営を非資源へ比重を移すと言うことであろうか。
    さて、「事業投資」から「事業経営」へのシフトだが、単純な投資ではなくて、事業の中に入り、三菱商事の「経営力」をもって主体的に価値を生み出し成長して行くと言うこと。
   簡単に言えば、商事の社員が、投資先の会社に入って経営を行う経営に参画すると言うことだが、そんなことが出来る十分な能力なり資質を持った社員がいると言うのであろうか。
   ローソンで実績を上げた新浪剛史社長のケースもあるのだが、これは、投資するだけではなく、その経営にも最大の関心を払って運営すると言う姿勢だととらえておくのが無難であろうか。
   いずれにしろ、大三菱が、今後の経営の柱として、今更、打ち出すべき戦略なのであろうか、疑問に思った。

   もう一つ、興味深かったのは、大株主でもある三菱自動車の燃費詐称問題について質問された時に、改変の激しい自動車業界において、三菱自動車が、果たしてこのままでよいのか、グループに入ってシナジーを追及することも大切で、むしろ、日産との統合は、そのチャンスを得たのではないか、と言ったニュアンスの回答をしていたことである。
   社長が、東南アジアで三菱自動車の車を売っているので、サポートしたいと言っていたが、私自身は、三菱自動車は、企業のコンプライアンスなど経営には問題があっても技術力などは十分にあるのだし、いわば、バーゲン価格で、大三菱グループを巻き込んだのであるから、日産にとっては、願ってもない統合だと思っている。

   昼から、前の会社での同期会があったので、途中で、三菱商事の総会を出た。
   都営に一つ乗って三田に出て、田町の「牡丹」に向かった。
   集まったのは9人、現役はわずかで、殆ど、悠々自適の老人生活である。
   途中、イギリスのEU離脱如何が心配で、何度もスマホでチェックして、テレビをつけっぱなしにしている妻からの電話を待っていたのだが、仲間たちは、殆ど関心がなかった。
   ゴルフや病気の話、とにかく、いまだに、半分故郷でもあるイギリスの帰趨や国際経済の動きに気を揉んでいる私の方がおかしいのかも知れない。
   お開きの少し前に、妻から、EU離脱が決定的と言うテレビ報道の情報が入った。
   お開きの後、田町の駅近くの居酒屋で、騒いで来年の再会を約して別れた。
   その後、しばらく時間があったので、神保町で本屋をはしごして、夕食を取り、北参道から国立能楽堂に行った。

   この日は、「能楽鑑賞教室」のうちの「外国人のための能楽鑑賞教室」であった。
   日本人用の公演は、10回あるのだが、普及公演なので学生や生徒の団体目当てのために空席が少なくて思うように予約できなかったので、解説は英語でも問題はないし、偶々、最後まで空席が残っていた外国人用のチケットを取ったのである。
   解説は、リチャード・エマート、能に見えて殆ど半世紀で、武蔵野大学文学部教授。
   歌うように美声で能を謡う、凄い先生で、語り口も簡潔で清々しい。
   狂言は、野村万蔵と小笠原匡の「柿山伏」。
   能は、「小鍛冶」。
   シテ/観世喜正、ワキ/殿田謙吉ほか。
   このシリーズの公演のなかでも、是非鑑賞したいと思っていた演者出演のプログラムであったので、素晴らしい舞台を楽しむことが出来た。

   
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イアン・ブレマー・・・「世界はどこに向かっているのか?」

2016年06月23日 | 政治・経済・社会
   日興アセットのパンフレットの演題は、「スパーパワー~Gゼロ時代のアメリカの選択と世界に及ぼす影響~」なのだが、むしろ、英国のEU残留如何からヨーロッパを皮切りに、現下の世界情勢をカレント・トピックス風に語ったと言えよう。
   この数日、ブレマーについて、そして、これまでにも、ブレマーの見解については、何度も触れており、お馴染みなのだが、今回の講演で、2点だけ、新鮮味を感じたので、これについて考えてみたい。

   一つは、中東の難民問題については、震源地はヨーロッパにあって、いわば、ブーメラン現象だと言う指摘である。
   ヨーロッパの国々や企業が投資など経済活動を積極的に行っていた北アフリカや中東が、リーマンショック以降、ヨーロッパ経済が悪化して、その煽りを受けて、一気に政治経済社会が混乱し悪化した。アラブの春を引き起こしたのも、ヨーロッパ主導であったと言うのである。
   アメリカは何をした?何もしていない。この地域の現状を悪化させた元凶は、総て、ヨーロッパだ、と語気鋭く指摘した。

   わが庭のように、利益追求を求めて積極的に経済活動展開してきた好況の時期には、ウィンウィンであっても、バランスが崩れると一気に関係が悪化して混乱に陥る。
   ヨーロッパは、完全に陸続き。中東とアフリカとも陸続きであるから、一気に危機は国境を越えて伝播して行き、難民問題も深刻さを増す。
   海に隔てられた日本も同じだが、アメリカも、カナダとメキシコと言う良好な関係にある隣国に接した海に囲まれた国であり、幸せだと言う。

   私はオランダに3年間住んでいたが、車で走れば1時間で国境を超えるような小国でありながら、トップ建設会社の社長が、私に、地域毎に8つの支店を設置しないと仕事にならないのだと語っていた。
   信じられないのだが、言葉も違えば、人種民族宗教文化伝統などが入り組んでいて、複雑だと言うことであろうが、ヨーロッパには、これに、更に、雑多な多くの国がモザイクを鏤めたように国境を接して犇めいているのだから、EUが上手く機能すること自体が、奇跡と言っても良いのではなかろうか。
   イギリスのEU離脱闘争も、EU内の極右派などの嫌EU感情の高まりも、当然と言えば当然の帰結なのである。

   イギリス人の友人の高名なアーキテクトは、「キエフからダブリンまで、ヨーロッパは一つ」と言っていたのだが、これも知人の有力下院議員は、言下に否定して、「こんなに、異民族が犇めいていて、文化や価値観の違う人間がいるのに、ヨーロッパが一つなどと言える筈がない」と言っていたのを思い出す。
   ブレマーは、英国のEU残留の可能性は60%と言っていたが、ヨーロッパ人だと思っていないイギリス人が多いので、どんな結果になるのか。
   私も、5年間暮らした国なので、心配している。

   もう一つのブレマーの興味深い指摘は、テクノロジーの進歩の速さとそのインパクトについてである。
   テクノロジーの進歩とグローバリゼーションの進展によって、アメリカや先進国の労働者たちの仕事が後進国に奪われて、特に、中産階級の窮乏空洞化を招くなど、格差の拡大を惹起し、先進国の経済社会に問題を起こして来た。
   しかし、これからは、テクノロジーの更なる進化によって、新興国や発展途上国から先進国へ、労働者の雇用関係に、逆流現象が起こってくると言うのである。
   良く聴き取れなかったのだが、意図するところは、デジタルファイルやCADや3Dプリンターなどを使ったデジタル製造へのメイカームーブメントや、IOTやクラウド、AI人工知能、ロボットイノベーションなどのテクノロジーの進化によって、仕事そのものが高度化して行き、新興国や発展途上国の単純労働を駆逐して、逆に、先進国の労働市場を活性化すると言うことであろう。

   日本は、少子高齢化だ、移民を入れないなどと言われて、労働人口の減少が危惧されているのだが、その心配をする必要がないのみならず、技術日本は、そのような社会変化にはうってつけではないかと言うのである。
   しかし、このことは、労働のみならず、生きて行くためには、芸術やスポーツ、或いは、匠の技など突出した特別な特殊能力がない限り、益々、勉強して、知能や技術を高度にレベルアップすべく努力し続けなければならないと言うことを意味している。
   たとえ、労働市場の振り子が、先進国へ振れたとしても、更に、熾烈な競争社会が勢いを得て、格差社会への潮流は収まりそうにはなさそうである。

   さて、このイアン・ブレマーの講演は満席で、熱心なシニア―・ビジネスマンが多く集っていた感じで、普通の投資講演会とは一寸違った雰囲気であった。
   英国のEU脱退問題が尾を引いたと言うこともあろうか、風雲急を告げるジオポリティックスやジオエコノミクスの世界への関心が高まっていると言うことであろう。
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イアン・ブレマー &御立尚資著「ジオエコノミクスの世紀」(3)

2016年06月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ジオエコノミクスのみならず、現下のGゼロ世界における最も重要なプレーヤーは、間違いなく、中国であろう。

   ブレマーの持論で興味深いのは、
   1980年以降、特筆すべきは、中国の成長だが、経済的影響力が伸びたからと言って、中国の軍事的役割が広がっているわけではない。習近平政権は、当面は、アメリカの軍事力には対抗できないことを理解しており、また、多くの点でそれを望んでいない。東アジアは別として、アメリカが従来通り軍事的優位を保ち、中国の経済成長を阻み、発展の障害となる世界的な紛争と言うリスクが抑えられ、世界的なリーダーとして役割を果たすべきプレッシャーから解放されれば、中国にとっては、むしろ、好都合なのである。と言う主張である。
   日米安保条約による核の傘の下で、平和を維持し経済成長を謳歌してきた日本のように、パクス・アメリカーナ(Pax Americana)が、中国の成長発展に大いに寄与してきたと言うことであろう。

   中国が、軍事力において、アメリカには、はるかに及ばないし、当分、凌駕出来そうにないと言うことについては、これまで、このブログで、ナイ教授やルトワックなど専門家の対中論で紹介してきた。
   中国の外交政策については、先に、ルトワックの「中国4.0」などで論じてきたように、大分、変化をして来ており、確たることは言えないが、ISを叩けば国内のウイグル問題に火をつけるであろうから避けるにしても、対中東や対アフリカなど国際紛争には消極的であり、むしろ、ロシアとは違って、活性化する自国の経済を基盤に、密かに力をつけて行こうとしていると言うブレマーの指摘が正しいかも知れない。

   リーマンショックにも殆ど無傷で急速な経済成長に奢った中国が、誤って、アジアの近隣諸国に取った強硬政策によって、インドを含めたアジア諸国に警戒心を起こさせてアメリカ政府との関係改善の切っ掛けを与えて、包囲網を構築されつつあるなど、裏目に出ている。
アメリカとの同盟関係にない弱小のベトナムなどには度々喧嘩を売り、台湾に対しては態度を硬化することがあるが、中国は、アジアの中でさえも、強硬姿勢を貫くことは逆効果であると感じ始めている。
   ルトワックは、プーチンなら、尖閣諸島を占領するであろうが、習近平は、瀬戸際政策を行っても、占領と言う挙に出ることはなかろうと言っているのだが、南沙諸島への中国の動きを見ていると、国際法を振りかざしても強硬姿勢を取れないなどどうしようもない場合や、相手が弱くて反発しなければ、どんどん、強硬姿勢を貫いて既成事実を積み上げて陣地を広げて行く、と言う戦略を推し進めているようで、イラクのクウェート侵攻やアルゼンチンのフォークランド侵攻のような、反発がなくてうまく行けば「やり得」的な外交を彷彿とさせる。
   両方とも、アングロサクソン的な志向を貫いて、米英が腕力で解決したのだが、南沙諸島問題の解決を図るには、最早、そんな時代ではなくなってしまったのである。

   ところで、経済外交は、別な側面を見せていて、株式市場の混乱や予想以上の景気減速などによって、経済的には苦境にあるが、
   経済上の国際的な影響力を伸ばして、世界の現状を打破する取り組みについては、極めて積極的である。
   中国は、IMFや世銀などでの支配的な地位を利用して、国際的な影響力を発揮し続けているのみならず、AIIBやBRIC's銀行などの新たな国際機関を創設して、アメリカに代わって資本と基準を提供することで、アメリカ主導で打ち立てられた世界経済の秩序に全面攻撃を加えて、新秩序、チャイナ・スタンダードを構築しようと目論んでいる。
   この点を憂慮して、オバマ大統領がTPPを積極的に推進しているのだが、AIIBなどのように、経済的な理由とは言え、英国を筆頭に独仏など同盟先進国が、すり寄るなど、政治的戦略も、経済パワーには勝てないと言うことであろうか。

   しかし、国営企業の民営化ではなく、その立て直しに注力する国家資本主義の中国だが、中進国の罠をクリアするためには、国営企業への依存度を減らし、国民の創意工夫と潜在能力を涵養し、経済の活性化を図らなければならない。
   国内の富裕層と有力者たちが現行体制から恩恵を受けている国営の有力企業から、何億人へと富の移転を図らなければならないのは当然だが、果たして、習近平政権は、私利私欲のためにシステムを歪めた人物たちをを更迭するなど、既得利権者を成敗して、富の分配を公平化して、市場原理に導かれた革新・消費型のミドルクラス経済へ飛躍させることが出来るのか。
   格差拡大が、中国の政治経済に深刻な打撃を与え始めており、これは、中国にとって大変な難題だが、中国国内で勢いを増しているこの歴史的改革の進行如何が、中国の将来を決すると言うことであろう。

   ブレマーは、両国とも紛争を望んでおらず、関係はかなり良好だと言う。
   国民と政府の政治的価値観が著しく異なるに2大国が対立すれば、20世紀の冷戦よりもはるかに危険なものになるかも知れない。
   しかし、核を装備した大陸弾道ミサイルは、壊滅的な破壊力を持つが、どこから発射されたか容易に追跡可能であり、核攻撃の応酬が県されることもなかろうし、サイバー攻撃の激しさは増すであろうが、多くの人命を奪わずとも壊滅的な被害を与えられる。
   冷戦との決定的な違いは、いわば緩衝材としての鉄のカーテンが存在して、資本主義社会と共産主義社会の通商関係は隔絶されていたが、現在は、完全に相互依存関係にあって、米中が壊滅的な対立関係にはなり難い。と言うのである。

   トーマス・フリードマンの「マクドナルドのある国同士は戦争しない」と言う「紛争防止の黄金のM型アーチ理論」や、それを発展させたデル・システムのようなジャスト・イン・タイム式サプライ・チェーンで密接に結合された国々の間では、旧来の脅威を駆逐(?)するので戦争など起こらないとする「デルの紛争回避論」に近い理論展開だが、ある程度は、戦争なり紛争の回避要件にはなろうが、現に争いは起こっているし、それ程、単純なものではなかろう。
   いずれにしろ、「金持ち喧嘩せず」で、社会が豊かになれば、何の利もなく失うものが多いので、厭戦思想が強くなるのは、真実であろう。

   南沙諸島で、中国が強気に出ているのは、アメリカの意思なり姿勢を試しているのだと言うのだが、東南アジアを巻き込んだ米中対決だけは避けたいことである。
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国立演芸場・・・花形演芸会スペシャル

2016年06月20日 | 落語
   今回の花形演芸会は、恒例の表彰式と受賞者の会である。
   毎月の花形演芸会には、時々、出かけているのだが、このスペシャルは2度目である。
   出演者は、殆ど知らないのだが、今回は、上方落語の、桂吉坊と笑福亭たまを聞きたくて行ったようなものである。
   吉坊は、前回、演芸場に遅刻して、一番最初に登場したので聞きそびれたのだが、彼の著書である「桂吉坊がきく藝」を読んで、大変な才人であることを知って、今回は、是非聴きたいと思った。
   この著書は、落語なら、談志と米朝、能狂言なら、千作と宝生閑、歌舞伎役者なら、團十郎と藤十郎、文楽なら、住大夫、その他は、小沢昭一、喜味こいし、伊藤四朗と言ったその道の第一人者、半分は人間国宝と言う芸術家に正面からぶつかって、取って置きの芸談や人生訓を引き出しているのであるから、勉強熱心とその造詣の深さにびっくりする。
   類書の対談本や聴き取り本より、はるかに面白くて楽しい。

   この日の演題は、「四段目」
   歌舞伎仮名手本忠臣蔵の「四段目 判官切腹の段」である。
   隣の大劇場でもやっている歌舞伎は、良く観に行く、歌舞伎の派手さ、豪華さが好きで、現実を忘れる。落語で語っていると、風景が見えてくると言う。

   昨年、この演芸場での上方落語会で、米團治が、トリで、「蔵丁稚」を語ったのだが、これが、江戸落語になって、「四段目」。
   芝居好きの丁稚の定吉が使いに出た途中で芝居小屋に沈没して帰って来ず、遅く帰って言い訳ばかりするので、旦那が、引っ掛けて白状させ、堪忍袋の緒が切れて蔵にぶち込む。空腹を紛らわせるために、定吉は、蔵の中で、仮名手本忠臣蔵の四段目「判官切腹の場」を一人で演じる。丁度、判官が切腹の寸前、由良之助が駆けつけるところで、刀を振り回している定吉を見た女中が空腹で自殺と仰天して旦那に注進したので、飯の入ったお鉢を、戸を開けて差し出し、
「御膳(御前)ッ」「蔵の内(内蔵助=由良助)でかァ」「ハハァ~!」「待ちかねたァ……」
   旦那が、今月の「忠臣蔵」は良いそうで、何でも、五段目の山崎街道に出てくる猪の前脚を藤十郎が、後ろ脚を仁左衛門がやるそうだと言って、定吉を引っ掛けて馬脚を現させるところが秀逸である。
   実際には、下っ端役者が、イノシシの縫い包みを被って、舞台を駆け抜けるだけ。

   とにかく、この歌舞伎のこの舞台は、歌舞伎は勿論、文楽でも何度も見ているので、吉坊の語りが、上手い所為もあって、手に取るように舞台が目の前に展開する。
   米團治も上手かったが、吉坊も、あの可愛い童顔とは思えないような、毅然とした瑞々しい威厳と風格を備えた塩谷判官を演じて感動させる。

   笑福亭たまは、京大経済学部卒、私の後輩である。
   当時は落研などなかったように思うのだが、何十年も経てば、大学も変わろう。
   前回、たまは、「寿限無」を語ったのだが、今回は、「火炎太鼓」。
   京都の落語を披露すると言って、短い、ダジャレ風のコントを語ったが、京都の落語などあるのであろうか。
   古道具屋の甚兵衛が、埃まみれの太鼓を買ってきて、店先で埃払いに叩いていると、偶々、通りかかった大名がその音を聞いて興味を持ち、供の侍を通して、屋敷に持って来いと指図。殿さまは目利きで、この太鼓は国宝級の価値ある名品「火焔太鼓」だと鑑定して三百両でお買い上げ。三百両を見せられた女房が、びっくり仰天し、また、買ってきてくれた言ったのだが、ダメだ、あれは、「買えん太鼓」。
   舛添問題で、まくらに時間を費やしたので、30分の話だが、上方風にアレンジして短く語ると言って、身を乗り出して、身振り手振りの派手な語り口の名調子で語り切った。
   真面目に、ケインズやフリードマンを勉強したのであろうか。

   この日、トリを取った大賞の蜃気楼龍玉は、「夏泥」。泥棒に入ったのだが、赤貧洗うが如しの食い詰めた大工の家、悲惨な状態を見て情に絆された泥棒がいたく同情して、逆に、カネを置いて帰る話。帰りに、泥棒と叫ばれてびっくりするのだが、名前を聞かなかったからだと言う、「また、来月来てくれ」。語り口は、実に上手いのだが、泥棒は縁起の良い噺だと言うものの、話が一寸暗い。
   司会進行を務めた桃月庵白酒は、「新版三十石」。浪花節なのか講談なのか落語なのか、訛りのきつい田舎の老人が、広沢虎造の「石松三十石船」を語っているのだが、途中で、携帯が掛かってきたり、入れ歯を落としたり・・・
   三遊亭萬橘は、「看板のピン」。格好いい親分の真似をして、賭場で失敗する馬鹿な若造の話で、落語の定番ストーリー。
   瀧川鯉橋は、「犬の目」。いい加減な眼医者が、手術のために、患者の目をくりぬいて犬に食われたので、犬の目を代わりに入れると言う奇天烈な話。電信柱を見ると片足を上げると言うオチ。

   この日、昼前に東京に出たので、昼過ぎ開演の中席も聞いたのだが、トリの遊三が、「井戸の茶碗」を語った。
   やはり、ベテランの味で、面白かったが、何度聞いても、このようなほのぼのとした人情話の方が、私は好きで、落語であっても、暗い噺や品のない噺など、聴くに堪えない噺は、嫌である。
  
   ところで、この日、ロケット団とホンキートンクの漫才があったのだが、ミヤコ蝶々南都雄二や夢路いとし・喜味こいしで漫才に興味を持ち始め、宮川大輔花子やオール阪神・巨人などの上方漫才馴れした私には、良さが分からずついて行けない。
   隣にいた昔のお嬢さんと今のお嬢さんが、何を聞いても歓声を上げて笑い転げていたのだが、歯切れが良くてテンポの速い、何を言っているのか良く分からない東京の漫才は苦手である。
   毒にも薬にもならないような上方漫才への親しみも、上方落語への傾斜も、私自身が、やはり、元関西人であったと言うこと故かも知れないと思っている。

   末筆になってしまったが、当日の紅一点、特別賞の講談の感だ阿久鯉は、「天保六花撰 玉子の強請」。
   珍しくも、善玉となったお数寄屋坊主の河内山宗俊が、胸のすくような強請で極悪商人を脅しあげて雇人を助ける話。
   名調子が冴えて感動的。
   
   
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イアン・ブレマー &御立尚資著「ジオエコノミクスの世紀」(2)

2016年06月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の第3章は、イアン・ブレマー単独の「Gゼロ・アジア」。
   冒頭、ブレマーは、次のように言及している。
   世界全域で、権力を行使できる軍事力、経済力、文化的影響力を兼ね備えた国は、アメリカだけだが、ベルリンの壁崩壊後、国内外の変化によって、超大国としてもメリットが以前より減った一方、負担は増えている。
   冷戦を知らない若い世代をはじめアメリカ国民は、膨大な資金を投入して戦ったイラクとアフガニスタンが、何の安全も繁栄も齎さず、嫌気をさしているので、税金を湯水のごとく使いかねない軍事活動を認める筈がない。
   アメリカの弱体化が進む一方、アメリカに対抗できる新興国も台頭し、かっての同盟国も、アメリカの持久力に疑問を持ち、自国の利益を守る政策を推進し始めている。
   1930年代以来初めて、リーダー不在のGゼロ世界に生きることになった。

   Gゼロ現象が最大の影響を及ぼす地域は、地政学的ホットスポット、新興勢力、紛争の可能性がどの地域よりも多く、しかも、有力な国が多過ぎて、地域協調が十分にはかれないアジアである。と言う。

   まず、今回は、北朝鮮問題について考えてみたい。
   ブレマーの見解は、次の通り。
   核兵器と、韓国を壊滅させられるだけの通常兵器、そして、世界最大規模の常備軍を持っており、その将来は、アジアにおける最大の不確定要素である。
   この国がこれほど長く存続しているのは、韓国と中国が、十分な資金、食料、燃料を援助することで、衝撃を吸収できるだけの力を東アジアが蓄えるまで衝突をうまく回避してきたからである。
   衝突のタイミングはコントロール不能だし、その時期は分からないが、北朝鮮がいずれ崩壊することを我々は知っている。

    朝鮮統一後に、北朝鮮の潜在生産力と核開発計画を引き継げば、、アジアの安全保障における韓国の存在感はぐんと上がる。
   しかし、それに至るまでには、膨大なコストとリスクが生じる。
   朝鮮半島の南北格差の比は、1990年代の東西ドイツの格差以上に激しく、北朝鮮は、当時の東ドイツ以上に、文化的・精神的に孤立した状態であり、東西ドイツ統一よりも、はるかに困難を伴う。

   北朝鮮政権が、その一連の出来事に対するコントロールを失うのを待たずして、この国の体制は崩壊し、南北統一に向けた真剣な取り組みが開始されるかも知れない。
   北朝鮮は、どんな最後を遂げるのか。
   北朝鮮の度重なる好戦的な発言が、国の食料とエネルギーの主な供給源であり、政府と財政の後ろ盾でもある中国政府の不興を買っている。
   中国が、現政権が、自国の安定を脅かす存在になったと判断したら、諸外国と積極的に手を組み、北朝鮮内部で既に起こりつつある変化を加速させようとする。

   さて、ブレマーの最後の指摘だが、私は、北朝鮮と中国の間にかなりの不協和音が発生するなど、如何なる事態が起ころうとも、中国が、北朝鮮を見限って窮地に追い込むことはあり得ないと思っている。
   中国の南沙諸島問題やアセアン諸国への経済進出などに対して、アグレッシブな国粋的な外交で近隣諸国から不興を買っている今日、特に、貴重な友好国である北朝鮮の崩壊を招けば、膨大な貧しい難民が越境して雪崩れ込み、なおかつ、仮想敵国のアメリカとの緩衝地帯を放棄することになるので、絶対にそのような愚を冒す筈がない。
   北朝鮮への食糧やエネルギーなど経済や財政サポートについては、中国経済のスケールからすれば、それ程過重な負担ではない筈で、逆に、北朝鮮が崩壊すれば、その中国への影響は、安全保障の問題のみならず、政治経済社会へのダメッジは、計り知れない筈である。
   日本の立場は微妙であるのだが、欧米列強の対北朝鮮対応は、核兵器を保有する危険な独裁国家としてのリスク一辺倒だが、ウクライナがロシアに対するように、中国に対する北朝鮮の位置づけは、正に、ジオエコノミクス的にも、歴史的文化的にも特別な関係にあることを理解すべきであって、たとへ、事情によって中国が欧米列強に歩調を合わせるような姿勢に傾こうとも、国連外交では、解決不可能である。

   ところで、北朝鮮の核問題について、
   ロシアのプーチンが、クリミア併合時での、原爆対応に言及しており、再び、核拡散問題が脚光を浴び始めたのだが、核戦力を保持していなかったが故に、フセインのイラクが崩壊したので、核武装が唯一の国家存続の切り札だと信じている北朝鮮は、恐らく、核兵器の放棄には、同意しないであろう。
   北朝鮮にとっては、イランのような解決によって、国際社会への復帰が実現すれば良いのにと思っている。
   南北の統一については、是々非々主義で行くべきで、必ずしも統一国家を目指す必要はないのではなかろうか。
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イアン・ブレマー &御立尚資著「ジオエコノミクスの世紀」(1)

2016年06月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   Gゼロ後の日本が生き残る道と言うサブタイトルがついている「ジオエコノミクスの世紀 」だが、要するに、地政学と経済を合成したような政治経済学的な視点からの国際情勢および日本の立ち位置に関するカレント・トピックスを語った本である。

   Wikipediaでは、
   Broadly, geoeconomics (sometimes geo-economics) is the study of the spatial, temporal, and political aspects of economies and resources. The formation of geoeconomics as a branch of geopolitics is often attributed to Edward Luttwak, an American economist and consultant, and Pascal Lorot, a French economist and political scientist.
   ジオエコノミクスとは、経済と資源の空間的時間的政治的側面の学問である。地政学の一分野としてのジオエコノミクスの形成は、エドワード・ルトワックとパスカル・ロロに帰せられる。と言うことだが、ルトワックが登場すれば、戦略論、
   世界の平和と安全保障の問題を論じるには、今や、地政学のみならず、グローバルベースの経済や資源の動向を加味しなければ、意味をなさないと言うことであろう。

   この本では、多岐に亘って論じられているのだが、まず、現今の国際情勢を大きく変えたのは、エネルギーと中東の動向なので、これについて、考えてみたい。
   この本では、御立氏は、狂言回しのような役割を演じているので、ブレマーの見解について論じることになる。

   まず、OPECは、最早、形骸化して、世界のエネルギーの生産と影響力の中心は、西半球、カナダやメキシコやブラジル、に移行し、アメリカ国内で拡大中のシェール革命によってさらに顕著になる。サウジアラビアの原油生産は、政府が決めるが、アメリカの生産量には市場原理が働いて、価格が上がれば生産が増え、下がれば減るので、原油価格が当面、構造的に下がり続けるだろうと考えられる。更に、自然エネルギーを活用するために必要な電池技術も急激に向上する筈なので、油価は下がり続ける。と言っている。
   中国経済悪化で、エネルギーの争奪戦が収束したことも、原油価格が下落の一途を辿った原因のの一つであろうが、やはり、最大の要因は、アメリカのシェール革命で、アメリカが世界一の産油国となって、石油市場の支配権を握ったからであろう。
   BRIC'sが、中進国の罠や政治的失敗などで、経済成長が止まったとするならば、次は、ネクストイレブンがどのような経済的な展開をするのかによるのだが、新しい産業革命の登場なり経済は循環するので、予測は不可能である。

   もう一つのエネルギー市場の変化は、イランとの核協定の締結で、イランが石油市場に参入したことであろう。
   それに、イラクは広い領土を失い、戦争を続けているが、戦地と原油産出現場の距離が離れているおかげで、この35年間で最大レベルの産出量を維持していると言う。
   石油の需要減に逆行する供給増の可能性は、市況を悪化させる要因であり、対岸の火事ながら、ヴェネズエラ経済は危機的状態であり、ロシア経済の圧迫要因ともなっており、皮肉にも、アメリカ外交にとっては、好都合かもしれない。
   
   油価の低下によって、多くの関係国の情勢が、一気に不安定になったのだが、一番厳しい状況になったは、サウジアラビアである。
   イランとの関係が改善すれば、サウジアラビアは、自分たちの要求には、アメリカは歯牙にもかけないであろうと心配しているが、現に、アメリカには、サウジ人よりはるかに多いイラン系アメリカ人が沢山暮らしており、イランの人口もサウジアラビアの3倍であり、アメリカ政府が中東での負担軽減のためにも、市場としても、アメリカの視点から見れば、サウジを支援してイランを孤立させるよりも、両国の勢力均衡を下支えする方が国益にかなっている。と言うのである。

   イランの最高指導者が、サウジが、イエメンの反政府組織「フーシ派」に対する大量虐殺に関与したと糾弾したが、このために、両国は非常に危険な状態に陥っている。
   両国は、イエメン以外にも、レバノンやシリアなどで戦火を交えており、ISが一掃されたら、両国はイラク国内で全面戦争に突入するかも知れない。
   それが現実となった時に、初めて、原油価格高騰の地政学的要因が生まれる。と言う。
   中東の安定勢力の核であった、ビン・ラディンなど多くの過激派を生んでいるサウジアラビアが、ガタつけば、中東の危機は、一気にテンションが増す。

   中東では、破綻国家が増えており、イラク、シリア、リビア、イエメンは、既に、そのリストに入っている。
   アメリカが、民主主義化を期待して戦争に突入したイラクは惨憺たる状態であるし、アラブの春などは瓦解して夢の夢、文明の衝突と言うよりも、西欧先進国とは文化そのものが相容れないと言うことであろうか。
   多くの国がアメリカの積極的な介入を期待しても、世界の警察であることを放棄したアメリカは、何かしても自分たちの得にはならないと思っているし、また、その能力もなくなってしまっている。

   Gゼロになってしまって多極化した世界で、どのようにして国際秩序を維持して平和安定を目指すのか、覇権国家としての地位を放棄したアメリカの中東政策一つをとっても、鉄壁の同盟国であったイスラエルやサウジとも、イラン接近で軋み始めており、火薬庫であった筈のパレスチナ問題の影が薄くなって、中東全域が、深刻な国際紛争地域に様変わりしてしまった。

   人類の文明が生まれ出た人類の故地とも言うべき中東が、ジオエコノミクスの現在の問題の最前線と言うのも、実に皮肉なものだが、問題の一端が石油であるから、火が付くのも早いかも知れない。
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わが庭・・・椿ジュリア・フランス咲く

2016年06月17日 | わが庭の歳時記
   季節外れだが、タキイから買った椿苗のうち、ジュリア・フランスが咲いた。
   1メートルくらいの苗木なので、まだ、鉢植えだが、来年以降を見越して、庭に植え付けようと思っていたところである。
   タキイによると、
   繊細なごく淡いトキ色の八重咲き。花弁数が多く幾重にも重なる姿が美しい、花径約10cm。大輪。ツバキ科【洋種ツバキ】
   椿園によると、
   白八重中〜大輪 2月〜5月咲、花弁数が多いので、咲始めから最後まで折り重なるように花が開く。フランス育種の白八重でウエディングドレスを想像させる美しさ。
   と言うことであるが、フランス作出の椿は、珍しいと思っている。
   
   
   
   ばらは、咲き終わって花柄を処理したところだが、ダッシー・バッセルとコルデス・ジュビリーが二番花を咲かせ始めている。
   HTなら、秋の花を期待して、蕾はすべて落とすのだが、イングリッシュ・ローズは、返り咲きにまかせて、秋を迎えようと思っている。
   
   
   
   

   アジサイの季節だが、わが庭には、白い大きなアジサイが1本あるだけで、昨年、鉢花から移植した2本は、まだ、育種中で、花には、少し早いので、開花を抑えた。
   ユリの蕾が色づき始めたので、もうすぐ咲き乱れるであろう。
   
   
   
   

   もう一つ面白いのは、取り残したニンジンをほっておいたら、大きく育って花を咲かせた。
   綺麗と言う感じではないが、知らなかったので、面白かった。
   収穫など出来なかったのだが、今年も、メロンとスイカを植えたのだが、花が咲き始めた。
   中々、難しいのだが、受粉だけは、こまめにやろうと思っている。
   その横で、野生化したハーブも満開である。
   
   
   
   
   

   黄色い花を誇示しているのが、ビョウヤナギ。
   花が散って、綺麗な実をつけ始めた。
   
   
   

   実と言えば、今年は、剪定のタイミングが悪かったのか、梅や梨の花付きが悪く、結実しなかった。
   特に、梅など沢山実がなって、梅酒を作っていたのだが、今年は駄目である。
   ところが、相変わらず沢山実をつけて大きくなり始めているのは、キウイである。
   ヤマボウシも実を付けている。
   梅雨があければ、真夏。
   梅雨の合間の太陽がまぶしい。
   
   
   
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安野光雅著「わが友の旅立ちの日に」

2016年06月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先月、津和野に行き、安野光雅美術館に行ったこともあり、書店で、この本を見つけて読み始めた。
   孫誕生時に、読んで貰いたいと思って「ZEROより愛をこめて」を書いたのだが、その孫も青年になり、本が読まれない時代だから、なおこの本を出したいと考えて、書名も変え全編書き直して出版した。
   いくら時代がかわっても、「本を読んで、自分で考えることが大切なことはかわらない」と言う強い信念があって、あらためて、日頃考えていることを、若い人に向けて書いたと言う。

   最終章の「オランダイチゴ」で、
   イチゴが結実した後、葡萄枝(ランナー)を数本伸ばして、その先に子苗をつくって命を伝えて行く様子や、独力で獲物を仕留めた子ライオンが、親兄弟を蹴散らして必死に獲物を守ろうとするのがライオンの旅立ちだと言う挿話を書いて本を締めくくり、最後に、アザミの絵をバックにして、「わかれの歌」を載せている。
   勿論、わが友、前途ある若人の旅立ちへの「わかれ」であるから、篤い思いが満ちている。

   菊池寛のように生きたかったと言っていて、菊池が学校を中退して図書館で勉強したと言うところで、
   図書館で勉強することは全く賛成です。「そもそも勉強と言うものは、すべて独学」つまり、大学へ入っても独学しなければ、学問は身につかないのです。」と書いている。
   このことは、学校へは殆ど行かずに図書館に通い続けて勉強した20世紀最高の経営学者ピーター・ドラッカーや、読書三昧・世界放浪旅(?)で偉大な建築家になった安藤忠雄東大名誉教授が、証明している。
   私自身も、大学と大学院ではそこそこには勉強したつもりだが、今、自分にあるとするならば、その知見なり教養の殆どは、その後長い人生で読み続けた大部の本のお陰であることは間違いないと感じている。

   さて、私が安野光雅の本や絵を見ていて感じるのは、本来は豊かな文系脳だと思うのだが、しかし、かなり理系脳がかった両刀使い、言い方を変えれば、恵まれたπ型人間で、非常に、発想がユニークで、斬新、それに、既成観念や先入観からフリーであるような気がすることである。
   それに、好奇心なり知識欲が旺盛なために、ダボハゼのような貧欲さで間口に捕らわれずに、知や情報にアプローチするのであろう、
   とにかく、幅が広くて奥行きが深く、話術の冴えのみならず、ぐいぐい惹きつけて展開して行く話が興味深くて面白いのである。
   津和野の安野光雅美術館のプロレタリウムでも、科学と芸術のコラボレーションの大切さを語っていたし、作品の中でも数学を扱ったり、科学的技術的志向の発想による芸術的な追及を伺わせたり、びっくりするような面白さが随所にある。
   安野光雅が、あれ程、詩情豊かなメルヘンチックな絵を描いたり、懐かしくて琴線に触れて離さない温かい森羅万象を描き続ける秘密の一端も、このあたりにあるような気がしている。

   安野光雅の本であるから、エッセイ集とも言うべき単行本だが、冒頭の「お前はピエロ」と言う黒地の切り絵10枚以下多くの風景画などが掲載されていて楽しませてくれる。
   「蚤の市」「ニューオリンズ」「ロンドンの繁華街」など絵付け前の細密な絵などは、特に、興味深かった。

   まず、森鴎外の「即興詩人」の「口語訳」の話から始まって、文化と文明の話になり、「走れメロス」を話題にして、筋書きはともかく、「教科書に載る」のは、どうかと思うと持論を展開し、
   シェイクスピアの「ヴェニスの商人」から、ユダヤ人論に入り、「アンネの日記」でアンネは自殺ではなかったと言って、一気に、藤村操の自殺論へ飛ぶ。
   これで、紙幅の半分を費やしているのだが、本を読むことをテーマにしているものの、数珠つなぎに繰り広げられて行くストーリー展開が面白い。

   デカルトからパスカル、ゲーテの「ファウスト」からコペルニクスの地動説、
   これに加えて、若かりし頃の人生を語りながら、人の心、自殺、出家、恋愛、「思う」と「考える」、科学と科学技術等々、一所懸命生きることの幸せと悲しみ、優しい滋味にあふれた人生訓を語り続けて、なるほどと思わせて飽きさせないところが、流石に、安野光雅である。
   それに、安野光雅は、大分先輩だが、わが老年には実に懐かしい語り口とその余韻が、何とも言えない味があって良い。
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六月大歌舞伎・・・渡海屋・大物浦

2016年06月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座は、義経千本桜。
  「碇知盛」「いがみの権太」「狐忠信」の3部構成で、名場面をまとめた半通し狂言と言うべき公演である。
   いわば、何度も見ている舞台なので、今回は、第1部の「碇知盛」だけを観に行った。
   「いがみの権太」は幸四郎の素晴らしい舞台は既に見ており、仁左衛門の権太が決定版だと思っているし、狐忠信も、菊五郎や先代の猿之助の凄い舞台を観ており、それ以上はなかろうと、特に、食指が動かなかったのである。

   20年以上も毎月歌舞伎座に通い続けている所為もあろうが、最近、歌舞伎に対するマンネリ意識が強くなってきたのか、一寸、抵抗を感じ初めてもいる。
   伝統を重んじる歌舞伎の世界でも、特に古典歌舞伎に関しては、余程の舞台でない限り、役者の演技の差以外には、殆ど新鮮味を感じなくて、飽きてきているのは、私自身が、歌舞伎鑑賞そのものを、本当は好きではないのではないかと思ったりしている。

   同じパーフォーマンス・アーツにしても、ワーグナーやヴェルディなどのオペラや、ベートーヴェンやモーツアルトの交響曲や協奏曲、シェイクスピアの戯曲など、好きな演目については、何度同じものを観に行き聴きに行っても、ワクワクして楽しめるのは、演出や演奏、舞台展開などが、そのパーフォーマンス毎に変化があり、それに、かなりのインターバルを置いて観聴きするので、新鮮さなり感動が、全く、違ってくるからであろう。
   尤も、歌舞伎と違って、鑑賞歴5年の能や狂言については、まだ、勉強中なので、新鮮さが残っており、文楽の方は、同じ20年以上でも、年に7~8公演くらいなので、この程度なら、リピートしても、それ程、同じ演目を頻繁に観聴きしている感じはしていない。

   さて、義経千本桜は、平家物語を題材に取りながら、平家が壇ノ浦で滅んだ後日譚で、義経は、頼朝に面会すべく鎌倉に向かうのだが、対面を拒まれて、腰越で弁明の手紙を認めて頼朝に送り京都へ戻る。その後から、義経が吉野から奥州へ向かう前までのストーリーを展開している。
   しかし、平家物語の「判官都落」には、
   ”大物の浦より舟に乗って下られけるが、折節西の風はげしくふき、住吉の裏にうちあげられて、吉野の奥にぞこもりける。吉野法師にせめられて、奈良へ落つ。奈良法師にせめられて、また、都へ帰り、北国にかかって、終に奥(州)へと下られける。”と言う、これだけである。
   これに、能の「船弁慶」に想を得て、渡海屋・大物浦の舞台が形作られたと思うのだが、
   この義経千本桜には、壇ノ浦などで亡くなった筈の平家の重要人物3人、壇ノ浦で壮絶な死を遂げた勇将知盛、清盛直系のの嫡孫・重盛の嫡男・維盛、平家きっての猛将で、壇ノ浦で八艘飛びの義経を追い詰めたと言う教経を、生存していたと言う設定で、義経を狂言回しのようにストーリー展開した面白い物語である。
   知盛は「碇知盛」のタイトルロール、維盛は「いがみの権太」の主要登場人物、教経は「狐忠信」で義経と対峙する。
   桜の季節でもなく、吉野の千本桜が登場するのでもないのに、舞台で、豪華絢爛、春爛漫と咲き誇る桜で舞台を荘厳されるのは、何故なのか、それは、スーパースターで美しい義経が「満開の桜」であるからだと、橋本治は「浄瑠璃を読もう」で語っている。
   頼朝に追われて奥州に逃げて死んで行った義経だが、頼朝に追討されたのではなく、自分の意思で生きたのだとする義経の在り方を肯定するために、作者たちが書いた浄瑠璃のためのもう一つの「平家物語」だと言う発想が面白い。

   さて、碇知盛だが、知盛は、壇ノ浦での自害で、死後自分の身を敵に晒さないように、碇を担いで飛び込んだとか、鎧を二枚着てそれを錘にして入水したとか言われていて、壇ノ浦のみもすそ川公園に碇を持ち上げた知盛像が立っていて、凄い迫力である。
   この「碇知盛」は、この逸話を踏襲したのであろう、知盛が岩の頂上に上り詰め、碇綱を体に巻き付けて巨大な碇を海に投げ入れて、碇綱の勢いに引っ張られて仰向けに海中に引き込まれて行く壮絶な最期が、この舞台のクライマックスである。

   碇知盛は良いとしても、私が多少違和感を感じるのは、知盛の描き方で、
   平家の滅亡は、すべて父清盛の悪逆非道の報いであり、特に、安徳帝が姫宮でありながら、それを父平清盛が外戚になりたくて男宮と偽って皇位に就けたので、天照大神の罰があたったのだと知盛に述懐させる安直さ、
   更に、義経から安徳帝を守護するので心配するなと言われて、知盛が莞爾と打ち笑みて、「昨日の仇はけふの味方、アラ心安や嬉しやな」と言う歯の浮いたようなどんでん返し。
   「見るべき程の事は見つ」と言って、碇を抱えてとも、鎧を二領纏ってとも言われて入水して壮絶な死を遂げた知盛が、そんなナンセンスな言葉を吐くわけがない。
   尤も、この歌舞伎は、スーパースター義経を美化した物語であるから、異を唱える方がおかしいのであろうけれど。

   さて、今回の義経の渡海屋・大物浦は、お安&安徳帝で、初お目見得する武田タケル君の初舞台の鑑賞が、第一の目的であった。

   これは、5年前に、このブログで、”市川右近・安寿ミラの「シラノ・ド・ベルジュラック」”を書いた時に記したのだが、このタケル君が、わが親しい友人の孫息子であったことである。
   その時の記事を引用すると。
   ”余談ながら、劇場ロビーで、場違いなところで近所の知人夫妻に会ったと思ったら、お嬢さんが右近丈と結婚しているとかで、終演後に、可愛い10か月の右近二世を乳母車に乗せた明子夫人に会った。元々評判だったが、素晴らしく魅力的で、一寸、エキゾチックな雰囲気のある美人である。
   このあっこちゃんだが、可愛い頃しか会ってなくて、その後、マニッシュでTVを見ただけだが、非常に心の優しい良い子で、迷子になった子猫が可哀そうだと言って近所の家を一軒一軒すべて回って飼い主を捜していたのが印象に残っている。
   右近二世は、非常に目の大きくてしっかりした顔つきの可愛い男の子で、10か月だと言うのに、バイバイと手を振って声を出していたし、非常に表情が豊かなので、素晴らしい歌舞伎役者になるであろうと、勝手ながら、初舞台を楽しみにしている。”

   その初舞台が、猿之助に抱かれて可愛く登場する安徳帝として初舞台を踏むと言うのであるから、当然、家内を連れて歌舞伎座に行ったのである。
   凛とした透明で柔らかな初々しい声が、今でも耳に残っているが、栴檀は双葉より芳し、2時間の大舞台を勤め上げた品のある素晴らしい初舞台であった。
   
   更に、慶事が続くもので、歌舞伎美人によると、
   ”2017年1月、新橋演舞場「寿新春大歌舞伎」で、市川右近が三代目市川右團次を襲名、息子の武田タケルが二代目市川右近を名のって初舞台を踏むことが発表されました。”
   市川右近の舞台は、何度か観ており、その素晴らしいパーフォーマンスについては、このブログでも印象記を書いている。
   昨年、国立劇場七月歌舞伎「義経千本桜」の同じ渡海屋・大物浦の舞台で、菊之助が銀平&知盛を演じた時に、右近は入江丹蔵を演じていたが、今回は、相模五郎で登場した。
   ヤマトタケルで凄いタイトルロールを演じれば、シラノ・ド・ベルジュラックのような東西きっての大舞台をも感動的にこなし切り、コミカルタッチのちょい役さえも実に上手い。
   二代に亘っての素晴らしい歌舞伎役者としての未来は約束されたようなもので、楽しみであり、これは、マンネリと言わずに劇場に通おうと思っている。

   銀平&知盛を演じた染五郎は、先に勧進帳の弁慶を演じてから、随分、芸が大きくなった感じで、幸四郎や吉右衛門の芸に近づいてきたように思う。
   スケール、迫力、それに、芸の細かさなど、自然な芝居の流れのなかに、流石と思えるような工夫なり思い入れを感じたのである。
   女房お柳&典侍の局の猿之助は、やはり、座頭役者の風格で、余人をもって代えがたい風格と艶があり控えめながら輝いている。それだけに、タケル君の初お目見得が幸いであった。
   松也の颯爽とした義経も、中々、魅せてくれた。
   2時間ノンストップの舞台であったが、楽しませて貰った。

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ラリー・ダウンズ+ポール・F・ヌーネス著「ビッグバン・イノベーション」(その2)

2016年06月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ビッグバンと言う切り口は違っても、イノベーション関連の書籍なので、その成功や不成功の経緯などが、ドキュメンタル・タッチで、描かれていて非常に興味深いのだが、類書と異なるのは、ビッグバン・イノベーションを生み出す戦略は勿論、一夜にして爆発的な成長発展から衰退に転じる超破壊的な変化から生き延びるための手法まで、ビッグバン・ディストラプションへの12の戦略・戦術的ルールを、丁寧に説いていることである。
   このルールは、特に、目新しいルールではないが、激動する時代の潮流と激しい科学技術の革新に翻弄されている企業環境の中で、如何に生きて行くべきか、現下の経営に対する戦略策定にも資する点が多くて傾聴に値する。

   ところで、ビッグバン・イノベーションを4つのステージに分けて分析しているのだが、特に興味深かったのは、頂点に上り詰めた成長発展の段階から、一夜にして一挙に奈落の底へ突き落とされる第3ステージの「ビッグクランチ(超崩壊)」である。
   クリステンセンは、、イノベーションで成功を納めた企業が、好況を謳歌するあまり、迫りくるローエンドながら革新的な新しいイノベーションの胎動を軽視・無視して、成功に安住し、現事業に固守し縛られて、新しいイノベーションが台頭した時には対抗できずに駆逐されて行くケースを示して、成功故に失速する「イノベーターのジレンマ」を説いた。

   しかし、このビッグクランチは、多少、予知の可能性があるにしても、殆ど予期しなかったような商品やサービスが突然登場して、絶頂期を謳歌していたビッグバン商品やサービスを、瞬時に駆逐して崩壊させる凄まじい現象である。
   スマホやネットで知的情報武装した熱しやすく冷めやすい顧客が、一夜にしてそっぽを向くと、瞬時に市場は崩壊し、それを察知した投資家が出口に殺到して企業価値は暴落し、積み上げた利益も一気に消失する。
   サプライチェーンを破壊するので関係業界をも苦境に陥れ、負債化する過剰な在庫や戦略的資産をうまく処理できなければ、企業の命運を左右するのだが、超時間短縮されたシャークフィン型サイクルの崩壊局面においては、ドミノ倒しと同じで、一たび、ビッグクランチに突入するとなすすべがなくなる。

   著者は、この章の冒頭で、スターバックスが、セミオートマチック式のぺリズモ801を採用した時、それを真似たマックなどのファストフッドチェーンの追い上げを食ってビッグクランチに陥ったのを、現役復帰したシュルツが、原点のハイエンド・コーヒーに戦略転換を図って救ったと言うイノベーター企業の悪夢について記している。
   丁度、この頃、私は、ニューヨークに行っていて、落ちぶれたスターバックスと安くてまずまずのマックのコーヒーを同時に経験していて、このことは、良く知っている。

   目まぐるしいスピードで変化する日本の家電業界。
   ソニーが、2013年2月に発売したエクスペリアZは,発売僅か10週間で60万台売り上げるヒットとなったが、すぐに売り上げはストップし、同年5月には生産を中止した。
   ソニーには、最早、ウォークマンの世界は、夢の夢。

   この章で興味深いのは、フェイスブック上で動くプラウザゲームを開発したジンガが、市場の需要と市場の飽和するタイミングを読み間違えて、ビッグクランチ直前のドロー・サムシングの親会社OMGPOPを電撃買収して大損した話。
   イノベーターは、爆発的な需要を満たすために膨大な在庫を確保しておかなければならないのだが、作り過ぎたらどうするのか、アマゾンのキンドルの追撃を図ったバーンズ&ノーブルが、一時的ながらブレイクしたヌックを作り過ぎたために、失速で膨大な在庫に苦しんだ話。
   ナイキなどは、製品デザインのみを自社で行って、アジアの会社へ委託生産のリーン方式だが、こんな場合も、自社生産ではなくて、ファブレスが、涵養であろう。
   ビッグバン破壊への最善の経営戦略は、須らく、企業体質を、出来るだけ、アウトソーシングなどで外部を巻き込んで、シンプルに軽量にしておくこと、これに、尽きるように思う。

   最後に、これからの企業経営に非常に参考になるのは、フィリップスのケースで、最大の売れ筋製品であった照明事業を分社化して、最盛期の白熱電球の生産を中止してしまったことである。
   白熱電球は、極めてエネルギー効率が悪く、光よりも熱を発するのでエネルギーの無駄が多く、地球温暖化防止など法的な要求もあって、LED開発に転進した。
   フィリップスは、白熱電球に代わる破壊的製品が必ず現れると言う厳然たる事実と、その製品が登場した時には破滅的な打撃を免れ得ないと言う可能性を受け入れた。
   時間的余裕をもって古い生産設備を処分してコンパクト蛍光灯やLED用の原材料を扱う、新しいサプライヤーとの関係を深めていった。  
   環境NGOや市民社会団体と協力して、各国政府が製造業者に白熱電球の生産中止を要求するよう先頭に立って働きかけ、「持続可能なビジネスリーダー」と言う貴重なブランド・エクイティを獲得した。と言うのである。
   企業が、経済的価値(利益)と社会的価値を同時に追求しながら実現するとするマイケル・E・ポーターの説く「CSV(共通価値の創造)」経営への一つの試みでもあろう。

   このケースなどは、経営者の英知で、ビッグクランチを回避して、ビッグバン・イノベーションを実現したと言うよりも、リードタイムも長いし、企業自らが策したクリステンセンの破壊的イノベーションの成功例と言えよう。
   経営の深化と言うべきか、トランジスター革命で、ソニーなどの新興のメーカーによって、真空管が駆逐されて、大手電気機器メーカーの経営に打撃を与えたと言う時代の経営とは、雲泥の差である。

   著者は、この爆発的成長から「突然死」に陥る「ビッグクランチ」を回避するために、3つの施策を開陳している。
   ①市場の飽和に先んじる。
   ②負債化する前に資産を処分する。
   ③リードしているあいだに撤退する。

   説かれていることは、良く分かるのだが、言うは易し、行いは難し。である。
   これに似たことで、一番肝に銘じているのは、私の場合は、雀の涙のような自分の株式運用で、予測が外れっぱなしで、いまだに、かなりの評価損を抱えており、大学で経済を専攻し、大学院で経営学を学びながら、何をしているのだと、家族に言われっぱなしであることである。
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鎌倉便り・・・フラワーセンター大船植物園:花菖蒲咲く

2016年06月11日 | 鎌倉日記
   梅雨の合間を縫って、久しぶりに、フラワーセンター大船を訪れた。
   ばらは、まだ、かなり、咲いているが、一輪一輪見ると、やはり、最後の花で、遠目には見られるが、乳母桜の風情である。
   あのうららも、パット・オースティンも寂しい。
   私などは、ばらが最盛期を過ぎると、すぐに、綺麗な花を落とすのだが、この植物園は、最後まで咲かせている。
   
   
   

   今は、やはり、はなしょうぶの時期である。
   この植物園には、幅4~5メートルほどの長い一直線のはなしょうぶガーデンが設けられていて、肥後系、江戸系、大船系といった調子で、種類ごとに一列ずつ植えられている。
   私など、無頓着に眺めているだけなので、花しょうぶ、アヤメ、カキツバタの区別さえ分からないし、美しければ良いと思っている。
   岸辺に、キャンバスを立てて、素人画家が、水彩画を描いているのだが、私には、もはや、そのような根気がないのが一寸寂しい。
   
   
   
   
   

   今、展示場で、日本花菖蒲協会が、「花しょうぶ展」を開いている。
   愛好家が、一鉢一鉢、丹精込めて育てた花しょうぶが展示されていて、綺麗である。
   一番、貴重な花はどれかと聞いたら、係の人が立ち上がって案内してくれたのだが、「宇宙」と言う花だと言うことであった。
   どうも、ひ弱くて希少性が高いような感じがしたが、1輪だけ咲いていた。
   
    
   

   園内で、雰囲気があって、咲き始めていたのは、池の睡蓮であった。
   温室の睡蓮は、一年中咲いているのだが、微妙に、選手が入れ替わっている。
   
   
   
   

   宮城野萩やアジサイが、咲き始めているが、まだ、少し早いようである。
   スカシユリが、華やかに咲いている。
   木の花では、夾竹桃、ブッドレア、草花では、コスモスが咲き始めている。
   
   
   
   
   
    
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