熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ヘイミシュ・マクレイ :2050年の日本は?

2024年03月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、ヘイミシュ・マクレイの「2050年の世界 見えない未来の考え方」について、「日本は2050年にも第4位の経済大国」という見解について書いた。
   日本経済についてだけの見解であったので、今回は、全般的な著者の未来展望について考えてみたい。
   かなり、独善と偏見があるので、多少は割り引いて考えるべきだと思うが、ほぼ正鵠を射ているので参考にはなろう。

   まず、日本は、地球上で最も高齢な社会となっていて、高齢化する先進世界の先頭を走っている。高齢化は更に進み、2050年には人口が1億人前後まで減り、労働力は総人口以上に速いペースで減少するため、高齢者がより高齢な人の面倒を見る国になる。
   大規模な移住があれば人口の減少は抑えられるが、他の国が混乱すればするほど国境を閉ざし、国民同士の自助強力の国民性が根付いており、そうはならず、外を見ずに内向きになり、日本は日本であり続ける。
   経済規模は相対的に小さくなっていくが、世界第4位の経済大国を維持し、西側連合の一員としてアメリカとの同盟関係は揺るがず、製造大国であり続けて、世界中に物理的資産や金融資産を保持し続ける。
   日本の文化は他の国々に強い影響を与え続け、高齢化に直面する他の社会の手本として、高齢化社会のパイオニアとして貢献する。

   問題は、日本は真のテクノロジーの座を維持出来るのかであるが、今の高い技術力は、1世代前に培われたスキルの上に成り立っている。日本はソフトウエアよりハードウエアに強く、輸出可能なサービスよりも輸出可能な財の生産を得意としているが、家電でリーダーだった時代は終り、世界をリードする自動車セクターの重要性も相対的に低下傾向にあり、日本の大学はレベル自体は高いものの、そこに学びに行く外国人は少ない。
   国民は文化生活を送っているが、経済のほとんどの分野で世界の最先端から遠ざかっている。
   イノベーションの歌を忘れたカナリア、国際競争力を喪失した日本企業の惨状が悲しい。

   第二の懸念は、国の財政状況、過剰債務の問題である。
   日本は、すでに公的債務の対GDP比が世界の主要国の中でも最も高く、これからも上昇し続ける。この状況は持続不可能で、どの様な形態のデフォルトになるかは分からないが、次の30年のどこかで、債務を再構築しなければならない。
   労働力が急速に縮小する中で、対GDP比で世界最大の公的債務残高は維持出来ないし、日本社会は強靱だが、混乱と痛みを伴わずに公的債務問題を解消できるとは思えない。と言う。

   これまで、何度か論じてきたので蛇足は避けるが、成熟経済に達した日本は、生産性のアップによる経済成長を望み得なくなっている以上、経済成長による債務返済は殆ど絶望的なのだが、
   MMT/現代貨幣理論に従えば、
   「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」ということであるから、ケインズ政策の実行などやむを得ず過剰債務になっても、心配はないと言うことであろうか。
   財政金融問題についての知識も乏しいし、まだ、MMT/現代貨幣理論については、半信半疑なので、何とも言えないのだが、
   債務の返済を考えれば不可能であろう、しかし、日本の異常な公的な過剰債務にも拘わらず、日本経済はビクともしていない。金利は払うとしても、このまま、塩漬けして債務償却を考慮しなければ、問題がないような気もしている。
   余談ながら、片山さつき議員と岸田首相が、今日の国会で、名目GDP1000兆円論議を展開していたが、30年間も500兆円台でアップダウンし続けて600兆円越えさえ難しいのに、馬鹿も休み休みに言え、と言っておこう。

   第三の懸念は、地政学の問題である。
   日本は内向きになりすぎて、力を増す中国に対抗する勢力にはなれない。自分の領土は防衛するが、中国の領土拡大を止める盾には加わらない。
   中国は、自国の固有の領土であるとする地域を占領すれば、そこで踏みとどまる、いずれにしても、中国の領土拡大の野望はやがて潰えると言うのが本書の大きなテーマの一つなのだが、東南アジアの近隣諸国の間の緊張を日本が傍観するとしたら、不安を感じずにはいられない。と言う。

   結論として、日本は2050年も結束力のある安定した社会であり続けるが、世界にあまり関心を持たない。国を閉じようとはしないが、相対的には犯罪の少ない環境や清潔さ、秩序を大事にする。と言う。
   島国には、世界に目を向けて、支配するとまでは行かなくても、少なくとも影響力を行使しようとする道を選べるし、世界への扉を可能な範囲で閉ざそうとすることも出来る。1950年から90年代までの40年ほどは、日本は前者の道を選んだが、今世紀に入ってから、日本は後者の道を選んでいる。日本は2050年までその道をひた走って行くだろう。と言うのである。

   日本は内向きで閉鎖的で世界に向かって国を閉ざしていると言うのは、極論過ぎるとは思うが、昔、ドラッカーが、日本はグローバリゼーションの対応に遅れていると言っていたのを思い出した。中印など新興国や東欧などが破竹の勢いで世界市場に雪崩れ込んで成長街道を驀進していた時期に、日本はグローバリゼーションの大潮流に乗れずに、鳴かず飛ばずで失われた経済に呻吟し続けた。
   私は、文革後の悲惨な中国や、発展途上状態で貧しくて発展の片鱗さえ見出し得なかった東南アジアの国々を、訪問していてよく知っているので、その後の目を見張るような最近の近代化や成長ぶりと、停滞し続けている日本の現状を見比べて感に堪えない。

   もう一つ内向き日本で思うのは、国際情勢に対する日本人の無関心さであろうか。
   ウクライナ戦争やガザ・イスラエル戦争等に対して、世界の各地で人々の激しい抗議デモなどが巻き起こっているが、日本では、関係者以外は我関せずで、安保騒動やヴェトナム反戦運動以外は、国民運動が盛り上がったことが殆どない。
   しかし、マクレイは、他の国が混乱すればするほど、日本人は国境を閉じるのは正しい選択だったという確信を強くする。とまで述べているのだが、これは看過出来ない。
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椿:式部、ハイ・フレグランス

2024年03月16日 | わが庭の歳時記
   椿式部が咲き出した。
   花弁は、紅色一重の唐子咲きで、花芯の唐子弁は白覆輪に加えて霜降り、
   複雑な花で、私の式部は、花弁化しなかった黄色い蘂がのこることがあって面白い。
   
   
   
   

   匂い椿ハイ・フレグランスも咲き出した。
   淡いピンクで華奢な花なので、開花してもすぐに傷んで、写真にならないのが惜しい。
   青い珊瑚礁も咲き続けている。
   
   
   
   

   仏前に供する樒の花が咲いている。
   
   
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最貧国ハイチの悲劇:フランス植民地のネガティブ遺産

2024年03月13日 | 政治・経済・社会
   ウクライナ戦争とガザーイスラエル戦争で影が薄いのだが、アメリカ大陸で最貧国のハイチで暴動が勃発して、治安が悪化している。
   ハイチの首都ポルトープランスの主要刑務所が2日夜、武装ギャングに襲撃され、4000人近い収監者の大多数が脱走した。
   アリエル・アンリ首相の退任をもくろむギャングのリーダー「バーベキュー」が率いるギャング団が、首都ポルトープランスの8割を掌握しており、多国籍治安部隊に対して団結して戦うと示唆し、アンリ首相が退陣せず、国際社会がアンリ氏を支持し続ければ、ハイチは内戦状態に陥り、最終的に大量虐殺が起きると警告していた。
   米政府もかねてより、アンリ氏に「政治的移行」を要請しており、アンリ首相は11日、辞任する意向を示した。

   さて、ハイチは、中米では珍しくフランスの植民地であった。フランスは、アフリカ大陸から無理矢理連れてきた奴隷を、サトウキビの大農園で働かせて生産した砂糖によってばく大な富を享受した。ハイチ国民は圧政をはねのけて、1804年に独立を勝ち取ったが、軍事独裁やクーデターなど政情不安が続き、更に過酷なフランスの搾取を受けて、政治経済社会など国家体制の基盤が整備されないまま、「西半球で経済的に最も貧しい国」となった。
   21世紀に入ってからも、国連の介入を招いたクーデターや、2010年の25万人以上の死者を出した大地震などに見舞われており、国力および国民生活は極度に疲弊した状態で今日に至っている。

   ところで、ハイチの貧しさについて、一度、このブログで書いたことがあったので、調べてみると、2018年8月のジャレド・ダイアモンド著「歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史」のブックレビューであった。
   ハイチとドミニカ共和国の際立った比較で、カリブ海に浮かぶ、同じイスパニョーラ島を、東西に政治的に分断されているのだが、上空から見ると、直線で二等分された西側のハイチの部分はむき出しの茶色い荒地が広がっていて、浸食作用が著しく進み、99%以上の森林が伐採されている。一方、東側のドミニカ共和国は、未だに国土の三分の一近くは森林に覆われている。
   両国は、政治と経済の違いも際立っていて、人口密度の高いハイチは、世界有数の最貧国で、力の弱い政府は基本的なサービスを殆どの国民に提供できない。一方、ドミニカ共和国は、発展途上国ではあるが、一人当たりの平均国民所得はハイチの6倍に達し、多くの輸出産業を抱え、最近では民主的に選ばれた政府の誕生が続いている。と書いている。
   

   さて、この発展の違いはどうして起こったのであろうか。
   ドミニカ共和国に比べて、ハイチは山勝ちで乾燥が激しく土地は痩せていて養分が少ないと言った当初の環境条件の違いに由来している分もあるが、最も大きいのは、植民地としての歴史の違いだろうと言う。
   西側のハイチはフランスの、東側のドミニカ共和国はスペインの夫々の植民地であったのだが、その宗主国の奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関して大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまったのだと言うのである。

   ここで思い出したのは、最近、フランスの植民地であったアフリカ中・西部の国で、政変に歯止めがかからないこと。
   2020年にマリでクーデターが発生。その後も21年にギニア、22年にブルキナファソ、23年7月にニジェールで時の政権が武力によって転覆し、その多くでフランスに敵対的な軍政が発足し、マクロン仏大統領が「クーデターの伝染だ」と危機感を表明した直後に、ガボンで軍が反乱を起こしてボンゴ大統領を軟禁。
   何故、フランスだけが火を噴くのか。

   フランスの植民地政策や統治形態などについて確たる知識も知見もないので、何とも言えないのだが、ダイヤモンド教授が説く如く、フランスの宗主国としてのハイチの植民地統治が、
   奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関してドミニカと大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまった。原因だとするなら、
   フランスの植民地統治の熾烈さ残酷さ、その植民地政策のネガティブ遺産が、ハイチの命運をかくまで窮地に追い込んだとは言えないであろうか。

   何故、こう思うのかは、このブログで、”BRIC’sの大国:ブラジル(23篇)”を著して、ラリー・ローターの「BRAZIL ON THE RISE」を底本にして、ブラジルを徹底的に分析して、
   世界一大自然や膨大な資源に恵まれた一等国ブラジルが、政治経済社会の機能不全で、いまだに、鳴かず飛ばずでいつまでも未来の国であって、政治的にも腐敗塗れで後進状態のまま、
   この原因の大半は、ポルトガルの植民地統治によって刷込まれたポルトガルの後進的なネガティブな遺産の為せる業にあることを説明した。
   
   植民地支配が、如何に、世界の文化文明史をスポイルして、多くの人々をいまだに苦しませ続けているか、弱者に優しい世界統治を目指すことが如何に重要か、
   戦争も必死になって忌避すべきではあるが、発展途上国へのサポートを今ほど必要とするときはない。
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椿:青い珊瑚礁が咲き始める

2024年03月12日 | わが庭の歳時記
   椿の青い珊瑚礁は、椿の栽培をはじめて最初に憧れた椿であったが、中々、手に入らなかった。
   今では、インターネットを叩けば、いくらでも探せるが、以前はそうではなかった。
   ネーミングもそうだが、深紅に近い赤紫の花弁に、ほんのりと青い色を帯びて青紫に染まる風情に憧れたのである。
   しかし、発色が不安定で、青い色を浮かせるのは至難の業であって、気象条件によって大きく変ってくる。
   まだ咲き始めたところで、最初に咲いた花は鵯に食いちぎられたが、未開の蕾が残っているので、どん花を咲かせるか楽しみにしている。
   
   
   

   咲き続けている椿は、ピンク加茂本阿弥。
   この株の実生苗が、赤花と白花の蕾を付けてスタンドバイ、
   先祖返りしてどんな花を咲かせるのか興味津々である。
   
   
   
   八重のクリスマスローズも咲き出している。
   庭師が入って、大分風通しが良くなって明るくなった庭、
   思いがけないところから芽を出して咲き出す草花を見るのも、初春の楽しみである。
   
   
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NHK 驚異の庭園 ~美を追い求める 庭師たちの四季~

2024年03月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先月、素晴しい日本庭園に関する番組「NHKスペシャル 驚異の庭園 ~美を追い求める 庭師たちの四季~」が放送されていたので、録画して見た。
   NHKのHPより番組の紹介をそのまま転記すると次の通り。
   ”世界が賞賛する日本庭園が、島根・足立美術館と京都・桂離宮にある。過酷な自然と格闘しながら、それぞれの美を追求する庭師たちに密着。徹底した美学と、驚きの技とは。海外の日本庭園雑誌のランキングで21年連続1位の島根・足立美術館の庭。日本画の巨匠、横山大観の風景画を現実世界に再現した、白砂に生える松林や人工の滝は圧巻で、5人の庭師が約2000本にものぼる膨大な樹木を葉の一枚まで徹底管理する。2位は日本庭園の傑作と評される京都・桂離宮の庭。400年受け継ぐ技“御所透かし”で、伝統を見事守る。異なる個性の2つの庭園で、美を形にする庭師たちの四季折々の奮闘を追う。”
   
   

   問題のランキングは、アメリカの雑誌Sukiya Livingが毎年12月に発表する「日本庭園ランキング」で、世界各国の読者から選ばれた20人の専門家の推薦によると言うことである。
   当然のこととして、日本人ではない外国人の目から見た、審美眼が、日本の歴史や文化文明、それに、思想哲学など美意識からは乖離した視点からの庭園評価であるから、違和感があるかも知れない。
   日本のユリがカサブランカのようになり、日本の野ばらが豪華絢爛たる派手な花になったように、西洋風に品種改良されていることを考えただけでも、その美意識の差は歴然としている。
   この番組では、足立庭園の苔庭や枯山水を紹介していたが、普通では見えないし、極論すれば、西芳寺の苔庭や龍安寺の石庭など、日本では超弩級の庭として有名だが、普通の西洋人には理解困難であろう。

   ところで、アメリア人が、アメリカでは枯らさないように木を切るが、日本ではより美しく見せるために剪定すると驚いていた。
   私は、日本の庭が美しいのは、この庭木の剪定が、最も重要な役割を果たしていると思っている。

   足立庭園と桂離宮の庭園との庭師の大きな作業の差を、剪定で説明している。
   まず、桂離宮の庭は、400年受け継ぐ技“御所透かし”で剪定して、現状を変えずに伝統を守り続けている。建物と調和させるためだという。
   
   ところが、足立庭園は、自然の石との調和を意図して、綺麗な円形の玉形になるように玉造りに剪定されている。

   前世紀のことになるが、足立美術館には、大観を見たくて一度だけ行ったことがあり、この口絵写真のように広い窓越しに庭園を見た。
   桂離宮も、アメリカ人とイギリス人の客を案内して、2度訪れていて、記憶を辿りながら、懐かしく番組を見た。
   それに、千葉でもこの鎌倉でも、小さいながらもわが庭を持っていて、ここ何十年も庭仕事の真似事をしていて、剪定もしているので、この素晴しい庭師たちの努力奮闘は痛いほど分かり、感動しながら見ていた。
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映画「敦煌」

2024年03月09日 | 映画
   井上靖の歴史小説「敦煌」の映画版で、1988年の公開であるから、NHK BS録画で見ても久しぶりである。
   小説は浪人時代に読んでいて、シルクロードに憧れて中国学の権威の集う京都に行ったのだが、お陰で、宮崎市定教授の授業を受けたり、中国関係の貴重な話を聴講することが出来た。
   後年、パリのギメ東洋美術館で、この映画にも関係する敦煌の重要文化財を見て感激したのを覚えている。

  さてこの映画は、井上靖の原作と同じなのかどうかは分からないが、ほぼ踏襲しているのであろう、映画の梗概は次の通り。
  監督 佐藤純彌   脚本 吉田剛 佐藤純彌
  北宋時代、趙行徳(佐藤浩市)は科挙の試験に失敗し、意気消沈して市場を歩いていて、売られようとしていた西夏出身の女(三田佳子)を助けて西夏語の通行手形を貰って西夏に興味を持ち、西域へ旅立つ。途中で、同行の隊商が襲われ、西夏の傭兵漢人部隊の兵士狩りに捕獲されてその兵に編入される。しかし、隊長の朱王礼(西田敏行)は文字の読める行徳に目を掛け書記に抜擢する。西夏軍がウイグルを攻略した時、行徳はウイグルの王女・ツルピア(中川安奈)を助けて匿い、恋に落ちる。やがてその才能を認められた行徳は、西夏の首都への留学を命じられるが、困って二人は脱走を試みるが失敗する。ツルピアの庇護を朱王礼に託して出発する。しかし留学期間が延び、二年後、行徳が戻ると、ツルピアは西夏の皇太子・李元昊(渡瀬恒彦)と、ウイグル支配の手段として、政略結婚させられようとしていた。婚礼の席上、ツルピアは李元昊を殺害しようとするが失敗し、城壁から身を投げる。李元昊に反感をつのらせた朱王礼は、李元昊が敦煌を制圧して入城しようとする機をとらえて、先回りして、敦煌府太守・曹(田村高廣)を味方につけて李に謀反を起こす。敦煌城内で漢人部隊と西夏軍本部隊が死闘を繰りひろげる。朱王礼は、李元昊を逃してしまい、壮絶な戦闘の後に戦死する。戦乱の中で火に包まれ大混乱に陥る敦煌で、必死になって文化財を運び出そうとする民衆を見て、行徳は敦煌の文化遺産を戦乱から守ることを決意し、城内から貴重な教典や書物、美術品など文化遺産を敦煌郊外の石窟寺院莫高窟に運び出し、後世に敦煌文化財として遺す。  
   その後、900年が経ち、莫高窟からこれら貴重な文化遺産が発掘され、敦煌は再び世界の注目を集めることとなった。

   文革が終って、やっと、国を開き始めた頃で、中国ロケの了承を取りつける難しさなどがあり、のべ10万人のエキストラ、4万頭の馬によるロケーションを敢行するなど、中国の荒野を舞台に展開される戦闘シーンのスケールの大きさ凄まじさは特筆もので、完成には25年が費されたと言うから、並の日本映画と違って桁が違う入れ込み方である。

   北宋(960年 - 1127年)は、907年に唐が滅亡し、その後の五代十国時代の戦乱の時代の後で、遼(契丹)・西夏(タングート)という外敵を抱え、対外的には治安問題を抱えていた。この西夏や遼も、後のモンゴルと同様に、夷狄の野蛮国家ではなく、結構文化文明程度が高く、中国本土の文明国家と対峙していたようで、西夏文字の卓越さなど西夏の威光を活写するなど興味深い。
   中国との合作のようであるから、時代考証にも問題がないのであろう、とにかく、軍隊組織の様子や戦略戦術などが見えてきて興味深かった。

   もう、40年以上も前の映画であるから、映画俳優も随分若くて、現在のように老成して燻し銀のように風格が出てきた雰囲気と違って、若々しくてパワフルな演技が素晴しい。
   特に、西田の隊長ぶりは板についていて、この映画の軸として重厚さと格調の高さを支えていて、実に千両役者の風格である。
   佐藤のインテリ漢人の、若い理知的な瑞々しい役作りは好感が持て、とにかく、中川安奈の品のある美しさは格別で、この二人の若い素晴しい演技が、この映画の花であろう。
   脇を支えている渡瀬恒彦 田村高廣 柄本明 新藤栄作 原田大二郎 三田佳子などの演技も、人を得て魅せてくれる。

   Japan as No.1の日本経済の黄金期に作られたスケールの大きな映画で、
   CGもデジタル技術もなく、実写でこれだけの映画を創ったのであるから、凄いことである。

   
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PS:ヌリエル・ルービニ「トランプと世界経済リスク像 Trump and the Global Economic Risk Picture」

2024年03月08日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクトシンジケートのルービニ教授の「Trump and the Global Economic Risk Picture」
   世界は戦争、大国間の緊張の高まり、その他の地政学的リスクに悩まされているが、これらの要因のほとんどは短期的には経済や市場の見通しに根本的な影響を与えていない。 しかし、11月の米大統領選挙でドナルド・トランプが勝利し、米国が攻撃的な「米国第一主義」の姿勢に戻れば状況は変わる可能性がある。トランプが提案する経済政策の課題は、今や世界中の経済と市場に対する最大の脅威となっている。と言うのである。

   国際情勢や地政学的リスクなどについて詳述しているのだが、要約すると、
   ロシアとウクライナの戦争は相変わらず残忍であるが、その世界的な影響はより穏やかになる可能性が高い。 現在、NATO の直接関与やロシアによる戦術核兵器の使用のリスクは、戦争初期に比べて低下している。
   イスラエル・ハマス戦争もこれまでのところ、地域的および世界的な経済的影響は限定的であるにすぎない。
   米国と中国の間の冷戦、つまり戦略的競争は時間の経過とともに悪化し続ける可能性が高いが、今年は関係がそれほど悪化しない可能性がある。
   台湾問題は今年後半に沸騰する可能性があるが、それが今年や来年に起こる可能性は低い。 中国の経済的弱さと脆弱さにより、米国や西側諸国との対立が薄れる可能性がある。
   同時に、西側諸国のリスク回避、リショアリング、友好国ショアリング、商品、サービス、資本、技術の貿易制限は、短期的にはあまり強化されないであろう。 戦略的競争が管理され続ける限り、世界経済への影響は控えめなものとなろう。
   成長と市場に対する最大の地政学リスクは米国選挙である。 しかしここで、トランプとバイデンが外交政策の優先事項のいくつかを共有していることを認識することが重要である。 民主党も共和党も同様に中国に対してタカ派であり、今後もそうである。
   
   トランプとバイデンの最大の違いは、NATO、欧州、ロシア・ウクライナ紛争への問題である。 トランプがウクライナを放棄し、ロシアを戦争に勝たせるのではないかと心配する向きもあるが、中国に対してタカ派姿勢を維持する公算が大きいため、中国が(台湾に関して)ロシアにウクライナを占領させるシグナルを送ることを懸念する。 さらに、トランプが本当に望んでいるのは、欧州のNATO加盟国が防衛にもっと支出することで、 そうすれば、中国を抑止するためにアジアに軸足を置く同盟の価値を認識するかもしれない。
   第2次トランプ政権が市場に与える最大の影響は経済政策を通じてである。 米国の保護主義政策がさらに厳しくなるのは間違いない。 トランプはすでに、米国へのすべての輸入品に10%の関税を課し(平均関税率は現在約2%)、おそらく中国からの輸入品にはさらに高い関税を課すと述べている。 これは、中国のような戦略的ライバルだけでなく、ヨーロッパやアジアにおける米国の同盟国(日本や韓国など)とも新たな貿易戦争を引き起こすであろう。
   世界的な貿易戦争は成長を抑制し、インフレを上昇させる可能性があり、市場が今後数カ月間に考慮すべき最大の地政学リスクとなる。 このシナリオでは、脱グローバル化、デカップリング、断片化、保護主義、グローバルサプライチェーンの分断化、脱ドル化が、経済成長と金融市場にとってさらに大きなリスクとなるであろう。
   トランプに関連するさらなるスタグフレーションリスクには、気候変動に対する否定的な姿勢や、パウエル米連邦準備制度理事会議長をよりハト派的で柔軟な人物に置き換えようとする可能性が含まれる。
   トランプの財政政策は、すでに高すぎる財政赤字をさらに拡大させるであろう。
    期限切れが迫っている減税は延長されるほか、防衛費や権利への支出も増加するであろう。 債券自警団が最終的にははるかに高い利回りで債券市場に衝撃を与えるリスクが高まる。 民間および公的債務が高水準で増加しており、そうなれば金融危機の恐れが生じるであろう。
   言われているように、「問題は経済だ、バカ」。 トランプが提案する経済政策の課題は、今や世界中の経済と市場に対する最大の脅威となっている。

   以上が、ルービニ教授の見解だが、トランプの経済政策が世界経済に打撃を与えれば、当然、雁字搦めに連結したグローバル経済であるから、ブーメラン効果で、MAGAのアメリカも返り血を浴びてダメッジを受ける。トランプ流の保護主義政策の拡大が、グローバル経済、ひいてはアメリカ経済を益々縮小させて行くのであるから、タダでさえ、疲弊弱体傾向にあるアメリカの国力の進行には益しないのは当然である。

    私が最も心配をしているのは、確たる思想も哲学もなく、嘘八百、欺瞞塗れで、バイデンが論じているように、虎の子の自由と民主主義を叩き潰そうとしているトランプの叛逆的な政治思想の台頭で、先進的な欧米社会が営々として築き上げてきた貴重な民主主義と国際秩序を毀損してしまう可能性があることである。
   尤も、バイデンの勝利で民主党政権が継続しても、現状維持が精々で国際情勢やグローバル経済が特に改善されるとは思えないし、
   過去4年のトランプ治政でもそれ程激震があったわけでもなかったので、揺り戻し程度で治ると思うのだが、
   国際情勢や地政学秩序が、独裁的専制体制に傾くのだけは回避して欲しいと願っている。
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ヘイミシュ・マクレイ :日本は2050年にも第4位の経済大国

2024年03月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   最も最新の未来論であるヘイミシュ・マクレイ の「2050年の世界 見えない未来の考え方」によると、「日本語版への序文」で、
   日本は、”世界第3位の経済大国であり、2050年にも大差の4位を維持する可能性がとても高い。民主主義の下ですべての国民が快適に生活を送っている非常に重要な成功例でもある。”
   この根拠となっているのは、2020年のIMFの推計値を元に、ロバート・バロー教授が開発したHSBCモデルで推計した「2050年の経済規模上位20か国予測」に基づいている。
   インドが第3位に躍り出るのは当然としても、中国がアメリカを抜いて第1位となり、ドイツやイギリスやフランスが日本に続いて上位を占めるのは少し疑問なしとはしない。
   ロシアを除いたBRICSやグローバル・サウスの人口大国である新興国が、成長の3要素を活用して経済成長を遂げて、成熟経済の先進国を凌駕するのは時間の問題であろうからでもある。
   いずれにしろ、多少、データが古いので、参考程度としておくことであろう。

   2月16日に「日本GDPドイツに抜かれて第4位に」を書いて、持論を述べた。
   22年の購買力平価によるGDPは、日本が6,144.60、ドイツが5,370.29(単位: 10億USドル)、実質的には、まだドイツとは大きな差があるので、円安による為替レート換算の結果だと思っている。
   しかし、ドイツとの比較は勿論、日本の労働生産性の低さが先進国でも最下位で突出しており、このままでは第4位どころか、益々、世界各国との経済成長格差が悪化して下落して行く。
   経済成長要因は、「全要素生産性の上昇(技術革新・規模の経済性・経営革新・労働能力の伸長・生産効率改善など幅広い分野の技術進歩)、労働の増加、資本の増加」の3要素なので、日本の場合、人口と資本の増加についてはあまり期待出来ないので、経済成長のためには、全要素生産性の上昇アップすることが必須である。
   特に、少子高齢化で、移民を活用しない限り、労働人口減が急速に進み経済成長の足を引っ張るので、全要素生産性上昇率と資本装備率の上昇で労働生産性を上げて国際競争力を涵養して経済の質を向上させることが重要である。
   分かってはいても、全く、このような気配はなく、鳴かず飛ばずの日本の経済が30年も続いて、いまだに先は見えず。

   ロバート・ソロー教授によると、経済成長の二つの形態は、
   フロンティアの開拓・最先端技術の開発による成長。
   キャッチアップ型、コピー・アンド・ペースト型の成長。
   前者は、未踏の新経済の開発、ブルーオーシャン市場の開発であるから正にイノベーションの世界。
   後者は、遅れた国が、ほかの国で発明されたテクノロジーを利用する方式で、新興経済国の最大の原動力で、その典型が中国。
   前者で成功を続けているのはアメリカだけで、日本も、悲しいかな、後者に成下がって、アメリカの後追い、
   良く考えてみれば、Japan as No.1の時代の成長もキャッチアップ型経済で、今までに、アメリカを凌駕して、「フロンティアの開拓・最先端技術の開発による成長」を遂げたことは、一度もなかった。

   岸田内閣の「新しい資本主義」はともかく、
   PBRを1以上指令で株価が高騰し始めたが、
   全要素生産性の上昇の担い手は、日本の民間企業であるから、特に経済団体で重要な位置を占めている企業に、創造的破壊を迫って、ゾンビ企業を排出して新陳代謝を図ることが必須であろう。
   どんな経営指標が適当かは分からないが、目標値をクリア出来ない企業に退出を迫るような多少社会主義的な経済政策をとっても良いのではないかと思っている。
   とにかく、日本企業に「創造的破壊」のエンジンを起動させない限り、日本の経済の再生はあり得ない。
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ひなまつりは春の到来を告げる

2024年03月05日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   毎年、2月の下旬に近づくと、雛人形を出して、和室に飾る。本格的な春の到来である。
   1979年にブラジルから帰国して、翌春、長女のために買ったので、もう、40年以上も我が家で春を迎えているのだが、殆ど新鮮さを保ったままでビクともしていない。
   主は、長女から次女へ、そして、次女の長女、我が孫娘に代わって、3代目だが、住処は東京、埼玉、千葉、神奈川と転々としている。オランダ、イギリスへは持って行けなかったが、寮の管理人が8年間大切に管理してくれたので非常に感謝している。

   もう、ぼつぼつ、倉庫からだして飾り付けるのが大変になったので、今回は、孫娘の父親に任せた。
   殆ど問題はなかったのだが、細かいことを言うと、大鼓と小鼓があべこべになっていた。これは、知らない人には無縁だが、能狂言に通いつめていた私だから気になったのであろう。
   桃の花の季節ではないので、わが庭に咲いているサクランボの花で代用した。

   ひな祭りの日には、近所のケーキ屋さんで、ひな人形をあしらったデコレーションケーキを買ってきて祝う。
   恒例になっているのは、次女家族親子4人が、ひな人形の周りに並んだり、ケーキを囲んでの定点写真を撮ることである。
   特に、子供たちの成長ぶりが良く分かって、印象深い記録になっている。

   さて、余談だが、イギリスの知人アブラハムズ夫人に、病気回復と更なる健康を祈って、妻と孫娘が、一所懸命に千羽鶴を折って、送った。
   1988年から93年まで、公私ともに親しく付き合ってきた友人だが、あれから、もう40年、
   主人のジムは逝って既に3年、もう一人の友人マイクも昨年亡くなり、老婦人たちだけが残っていて、イギリスがドンドン遠くなっていく感じでさびしい。
   ところで、今回、面白いと思ったのは、郵便局が国際郵便の発送システムを電子化して、「国際郵便マイページサービス」をはじめて、パソコンでプリントアウトした送り状などを持って行かないとダメになったことである。
   習熟すれば何でもなく便利で重宝なのだが、とにかく、パソコン操作から問題で、家内の事務代行を行ったが、老年にはどんどん難しい世の中になって行く。
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椿トムタム、バレンタインデー咲く

2024年03月03日 | わが庭の歳時記
   暖かい春のような日が続いているので、また、わが庭の椿が咲き出した。
   最初の1輪だけだが、鎌倉に来て庭うえした椿は、大きくても2㍍前後の小木なので、椿の庭と言った風格はまだない。

   しかし、園芸品種なので、ヤブツバキとは違った変った姿形をしているので存在感がある。
   トムタムは、白覆輪の千重咲きのピンクの椿で、蘂がないので、幸い鵯が寄りつかない。
   

   バレンタインデーは、これも千重咲きの赤い大輪の椿で、葉も大きくてしっかりとした椿である。
   バラのような雰囲気を持った、如何にも洋風の花で、シンプルな小花の侘助好みの日本人にはどうであろうか。
   
   

   クリスマスローズが、ようやく、大きく繁茂して、花を持ち上げてきた。
   
   
   
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椿エレガンス・シュプリーム咲き始める

2024年03月02日 | わが庭の歳時記
   遅ればせながら、少しずつ、わが庭の椿も咲き始めてきた。まだ、1輪2輪だが、咲き始めると嬉しくなる。
   門扉の裏のピンク加茂本阿弥は、いち早く咲き続けているのだが、開花するとすぐに鵯が来て蘂と花弁を食いちぎってしまうので、写真にならない。
   やっと、直前に追い払って取ったのが下記の写真、
   何故か今年は鎌倉山にリスや小鳥のエサがなかったのか、わが庭の木の実という実は悉くなくなってしまっている。
   

   半坪庭に主木として植えているエレガンス・シュプリームが華麗な花を咲かせた。
   この枝を挿し木した挿し木苗が2~3本あるのだが、まだ蕾は固い。
   先に咲いた仙人卜半と良く似た花姿だが、花弁化した蘂の唐子咲きが面白い。
   
   
   

   今回、嬉しかったのは、実生苗に綺麗な花が咲いたことである。
   まだ、20㎝ほどの小苗で、2つ蕾を付けて、その1輪が咲いたのだが、白覆輪なので、玉之浦の系統であろう。
   この系統で種を取って蒔いたのはタマグリッターズしかないので、その実生苗の1本だと思うのだが、親木と違って、花弁が、淡い美しい桃色で、実に優雅なのである。
   全開していないので、蘂がどうなっているのか花姿は分からないが、貴重な新種なのであろうから、木に負担にならないように、このまま、摘花して苗木を生かそうと思っている。
   
   
   
   
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トーマス・K. マクロウ著「シュンペーター伝: 革新による経済発展の預言者の生涯」

2024年03月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の原題は、
   PROPHET OF INNOVATION: Joseph Schumpeter and Creative Destruction
   イノベーションの予言者:ジョセフ・シュンペーターと創造的破壊

   京都の学生時代に、授業とは関係なく、経済成長と景気循環に興味を持って勉強していたので、真っ先に手に取ったのが、シュンペーターの「経済発展の理論」
   そして、「資本主義・社会主義・民主主義」にも手を出したが、今思えば、読んだというか目を通したと言うだけで、良く分かっていたはずがなく、当時出ていたシュンペーター関係の本や解説書などの助けを借りて、ほぼ、シュンペーターの創造的破壊などの核心部分に振れることが出来たのだと思う。
   シュンペーターの著作については、前述の2作に加えて、死後妻エリザベスの尽力で出版された「経済分析の歴史」が主著だが、恥ずかしい話、真面にシュンペーターの著作に挑戦したことが殆どない。これは、スミスやマルクスやケインズなどについても言えることで、原典を読まずに周辺知識だけで分かったような気になって、経済を論じているのに恥じ入ることがある。

   さて、このマクロウの本だが、表題の通り、創造的破壊の理論を確立してイノベーションを予言したシュンペーターの完全なる伝記で、索引と詳細な注記を含めて700㌻以上の大著であり、「景気循環論」をも含めて、膨大な著作についても解説を試みており、偉大な経済学者の生涯のみならず人間シュンペーターを語っていて、非常に啓発的である。
   はじめて、正面切って、シュンペーターに対峙した感じであるが、これまでに理解していた創造的破壊などを根冠としたシュンペーター経済学の理解に誤りがなかったことを確認出来てホッとしている。

   シュンペーターは、創造的破壊を、「資本主義・社会主義・民主主義」で次のように述べている。
   「国内外に於ける新しい市場の開拓と、職人の店や工場からUSステールなどのような大企業組織への発展は、生物学の用語で言えば、工業の突然変異と同じ過程を示している。それは経済構造を内部から休みなく革新している。古い者を不断に破壊しながら、新しい者を不断に創造しているのである。この”創造的破壊”こそ、資本主義にとって本質的な事実である。それが資本主義の存在の仕方であり、すべての資本主義の企業が生きて行かなければならない環境である。」
   殆どすべての企業は、如何に強くて成功していても必ず革新に失敗して、自動車が馬車を、電灯がガス灯を凌駕したように、新しい革新技術で装備したイノベーターの追い上げ参入によって駆逐される。責任ある実業家は、足下から崩れ落ちる地盤の上に立っていて、日々、たちまち変化することが確実な環境下で事業を行っているという教訓を無視すれば命取りとなることを銘記すべきだというのである。
   この記述の中に、既にシュンペーターは、ドラッカーの経営学の核心を暗示し、クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」の思想的根拠を示している。

   更に、シュンペーターの偉大なところは、この創造的破壊という革新が、資本主義だけではなく一般的な物質的進歩の牽引力であると洞察していたことである。経済学という学問に一種の創造的破壊を適用したと言われているが、色々な社会現象における進化発展を考えても、創造的破壊現象は機能しており、言い換えれば、トインビーの「チャレンジ&レスポンス」の文明発展論にも相通じる思想でもあり非常に興味深い。
   また、イノベーションを起動する企業家の企業家精神を具体的に「戦略」と結びつけて経営戦略論に言及し、「ベンチャーキャピタル」という言葉をコインしたのもシュンペーターであり、アントレプレナーを論じながら、経営学の基礎を提示していて、経済学者のみならず歴史学者であり社会学者でありギリシャやローマ哲学にも通じていた博識多才の面目躍如である。

   興味深いのは、ケインズが、資本主義の変化に於ける革新の重要な役割を無視すると言う致命的な過ちを犯していたことに鑑み、シュンペーターが、おしむらくも、ケインズから重要なことを学ぶと言うことを一切しなかったことである。
   弱肉強食、盛者必衰、下克上の資本主義の本質が創造的破壊だと、経済格差の拡大をも避け得ぬ現象だと意に介せず、ダイナミズムの極致とも言うべき競争優位の資本主義経済を説き続けていたシュンペーターには、静態的で短期的なマクロ経済の均衡には興味がなかったのであろうか。
   しかし、シュンペーターの代表的弟子のサミュエルソンやトービンなどのノーベル賞学者がケインジアンだというのが面白い。
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わが庭:サクランボ暖地咲く

2024年02月29日 | わが庭の歳時記
   サクランボの暖地が咲き出した。
   自家結実性だと言うことで、1本でも実が成るサクランボなので庭植えして、大分大きく育っている。
   3月頃に白い花が咲く早咲きで、花が終わって4月下旬~5月上旬頃になると赤い小さなサクランボの果実が実るのだが、昨年は、気付いたときには、小鳥に全部食べられてしまっていた。
   花を楽しもうと思ったので、実には執着はないのだが、わが庭の果実や花は、小鳥やリスとの共存なので、管理が難しい。
   ロンドンのキューガーデンに住んでいたとき、庭に大きなアメリカン・チェリーの木が植わっていて、季節にはサクランボがたわわに実って壮観だったが、ある日、沢山のクロウタドリの大軍が来て1日で食べ尽くしてしまった。
   残念だったのは、木から摘果したサクランボが酸っぱかったのでダメだと思って、果物屋でアメリカン・チェリーを買っていたのだが、たわわに実ったサクランボの枝を花代わりに飾っていて、偶々、食べてみると市販のサクランボ以上に美味しいのに気付いたのである。果物は何でもそうかも知れないが、もぎたてよりも、しばらく熟成させた方が良いのであろう。庭のキウイでその経験をしている。
   さて、今年はサクランボ暖地を食べられるかどうか。
   
   
   
   
   
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残念ながらあぜくら会退会

2024年02月27日 | 生活随想・趣味
   残念ながら、とうとう、日本芸術文化振興会の国立劇場のチケットセンターあぜくら会を退会することにした。
   先日、都響の定期会員券を放棄したのと同じ理由で、東京への行き帰りが不自由になってきたからである。
   毎年鑑賞していた2月の「式能」さえ諦めたので、決心がついたのである。

   2010年頃から、国立能楽堂に通って、能狂言鑑賞に馴染み始めて、事前予約の可能なあぜくら会に2012年から入会したので、ほぼ、12年間お世話になった。
   歌舞伎や文楽は、あぜくら会とは関係なく、1993年の帰国以降歌舞伎座や国立劇場や国立文楽劇場に通っていたのだが、それまで、無関心であった能狂言に入れ込み始めて、頻繁に国立能楽堂に行くようになったので、あぜくら会に入会したのである。
   それ以前に宝生能楽度などに行って能狂言を見た(?)記憶はあったのだが、食わず嫌いで避けていた能狂言に馴染めずして何の古典鑑賞かと、意を決して能楽堂に通い始めた。
   月4回くらい開かれる能楽堂主催の定期公演などを殆ど鑑賞し、他の特別公演などにも足繁く通ったので、少なくとも、2~300回は能楽堂に通って、分かってか分からずか、相当の曲を聴いて観たことになる。
   幸い、京都で学生生活を送り、古社寺行脚や歴史散歩に明け暮れて、平家物語や源氏物語などの古典の世界にドップリと浸かった生活に馴染んでいたので、能舞台の背景などその思い出を反芻しながら、能楽事典や解説書の助けを借りてバックグラウンドを補強して、二重にも三重にも楽しむことができた。

   そのお陰もあって、隣の国立演芸場にも通い始めて落語の面白さ奥深さも楽しむことが出来たのは幸いであった。
   秒単位のチケット争奪戦を制して聴いた小三治の国宝級の語り口が忘れられないし、歌丸の地味深いしみじみとした話芸の温かさにも感動した。

   少しでも良い席で鑑賞したいと思うのがファン心理、
   1日早く先行予約できるとしても、あぜくら会のチケット購入サイトは、開始時間の10時には、殆どアクセス不可能で悪戦苦闘、
   そんな話も、今は昔、懐かしい。
   そう言えば、ロイヤル・オペラも、ミラノスカラ座も、ボリショイオペラも、オペラ座の怪人も、・・・すべて、このパソコン1本で予約を取ってきた。悲喜こもごもであったのを思い出す。

   しかし、ロンドンに5年間住みながら、そして、会員権を持ちながら、一度もゴルフのクラブを握らずに、シェイクスピアやオペラやクラシック鑑賞に明け暮れていた私には、30年ほどの日本古典芸能鑑賞のうち、後期の10年くらいのあぜくら会でお世話になった古典芸能の舞台が、特に質の高い貴重な生活空間を与えてくれたと感謝している。
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わが庭・・・椿仙人卜半・沈丁花・蕗の薹

2024年02月25日 | わが庭の歳時記
   暖かいのか寒いのか、気温のアップダウンが激しくて冷たい雨交じりの良く分からない天気が続いているが、自然界はドンドン変化し続けている。
   庭に出たら、徐々に陽が長くなって春の息吹、前日とは変った花木の動きをしているのでビックリする。

   椿の仙人卜半が開花しているのに気がついた。
   なぜ、仙人というのか分からないが、ピンク地に唐子咲きの微妙なコントラストが面白くて、趣味で集めた蘂が花弁化した複雑な椿の一環でもある。
   
   
   

   沈丁花が、咲き始めた。
   ほんのりと初春の香である。
   
   
   

   蕗の薹も顔を覗かせた。
   今年は綺麗に芽が出ているので、天ぷらにして楽しめるかも知れない。
   千葉に居た時に、近所に春の新芽を天ぷらにして春を祝う知人がいて大いに楽しませてもらったのを思い出す。
   
   

   まだ、花は数ヶ月先だが、牡丹とゆりの芽が出てきた。
   今年は、自然界は不作で餌が少ないのか、先日、リスに夏みかんを総べて食べられしまったと書いた。その空っぽになって干からびた皮を、鵯がつついて落しているのだが、今度は椿の花弁を狙って蘂を食い切っている。
   写真の椿は、タマカメリーナ、何故か、蘂を残して花弁を小刻みに食いちぎっているので、鵯の仕業ではなく、もっと小さな鳥、メジロであろうか。
   とにかく、わが庭にも、地球温暖化の影が忍び寄っている感じである。
   
   
   
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