空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「終わりの感覚」 ジュリアン・バーンズ 新潮クレストブックス

2014-07-06 | 読書



この物語りは、エイドリアンという優れた知性の生徒が、ロンドンの高校時代に、三人組の仲間に加わったことからはじまる。

彼について先生方も興味を示し、彼の意見を聞くことが多かった。
国語の授業で 『「誕生と交合と死亡」―― 全てはこれに帰結するとTSエリオットはそう言っているが、誰か意見は?君から聞こうか、フィン、一言で、これは 何についての詩だろか』
「エロスとタナトスです、先生」「生と死です」
「あるいは愛と死。いずれにせよ、生の本能と死の本能の衝突、そしてその衝突から派生するもろもろをうたった詩です、先生」

私(アントニー)は若さと言う囲いの中にいて、まだ真の人生に開放されていないと思っていた。本物にはまだ出会っていない、エイドリアンだけが一足先に人生と言う文学の持ち主に見えた。

「歴史とは何だろう」
「歴史とは勝者の嘘の塊です」と私は答えた。
「敗者の自己欺瞞の塊でもあることを忘れんような」
「フィン君は」
「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」

私(アントニー)が人生の終わりに向かっていて、もう終わりだと言う感覚を実感しているとき、作者は、非常に意識的にある方向を示してくれる。

彼は、60歳を過ぎ記憶を遡って手探りをしなければならない事態になっていた。それは自分自身で招いた、性格なり環境なり、経験なりをもう一度再生して見なおさなければいけないものであった。

高校を卒業して4人の進路が分かれた。私には、ベロニカという恋人ができた。彼女の名はベロニカ・メアリ・エリザベス・フォードといった。
週末に家に招かれた。だが母親は優しかったが、名家だったと言う家系や、兄のジャックがエイドリアンと同じケンブリッジに在学中と言うことが、居心地悪くさせていた。見下すような父親の皮肉や兄の無関心もあって忘れられない記憶になった。

 最後に4人であった時、
「で、ケンブリッジでジャックには合ったのかい」
「会ったことはないし、会うつもりもない、、、、、。向うは最終学年だしね。でも、噂を聞いたことはある。雑誌の記事で読んだこともある。それと、一緒にいる連中のこともね」
 それ以上言いたくないようだったが、私が許さなかった。
「で、彼をどう思う」
 エイドリアンは一瞬押し黙り、ビールを一口飲んだ、そして、はっとするほどの激しい口調で、
「イギリス人って、真摯さについて真摯でないところがあるよね。それが実にいやだ」と言った。



二年後ベロニカと別れた。

最終学年になった頃、エイドリアンからベロニカと付き合う許可を求める手紙が来た。
私は、クリフトンつり橋の絵葉書に何の支障もないとを書き送った。私は平和主義だった。
私は6ヶ月、アメリカへ放浪の旅にでた。
帰って、エイドリアンの死の知らせが来ていたのを知った。風呂場で手首を切っていた。

残念なことだ。
 
三ヶ月前にあったときは幸せそうで、恋愛中だと言っていたそうだ。
誰にも別れは言って来なかったが、ベロニカはエイドリアンを救えなかったのだ。恨んだが今は哀れんだ。

エイドリアンは私より優れた頭脳と厳格な気質の持ち主だった。論理的に考え、得た結論に従って行動した。私たちほとんどの人間は、たぶん反対のことをする。まず本能的・衝動的にものごとを決定してから、その決定を正当化するための理由をでっちあげる。そして、それこそが良識だし言う。そんな私たちへの暗黙の批判だったのだろうか。違うと思う。少なくとも、批判の意図などエイドリアンにはなかったはずだ。

あれこれ考えたが、結論は「なんたる無駄」ということだった。

私は生き残った。「生きのこって一部始終を物語った」とはよくお話で聞く決まり文句だ。わたしは軽薄にも「歴史とは勝者の嘘の魂」とジョー・ハント先生にい答えたが、今ではわかる。そうではなく「生き残ったものの記憶の塊」だ。そのほとんどは勝者でもなく、敗者でもない。


私は結婚し娘ができその後離婚した。

人生が残り少ないと感じ始めた頃、フォード夫人からの遺言とわずかな遺産が届き、エイドリアンの日記を預かっていると言う。
だがそれは今、ベロニカが持っていて、渡す気はないという。どうしても見たい。本来私のものだ。
そして、今まで思い返すことがなかった途切れ途切れの記憶を、思いつかなかった角度から見直してみる。

物忘れが始まるとき(といってもアルツハイマーのことではなく、加齢にともなう不可避の物忘れのことだ)(略)眠れぬ長い夜などに、忘れていた事実がひょっこり意識の表面に顔を出すのに任せる。だが、同時にほかのことも習い覚える。脳は決め付けられることを嫌う。

まるでゆっくり下っていけるなんて安穏とした考えは通用しない。人生はもっとずっと複雑だ、と言わんばかりだ。ときおり、脳が記憶の断片を掘り起こし、慣れ親しんだ記憶ループを混乱させる。かくいう私に起こりおおいに狼狽させているのがそれだ。


私は私が記憶している私なのか。現実は時間とともに流れ、私は今その結果を見る、そしていつか見た川べりを渦巻き遡行してきた波を思った。




トマス・H・クック的ノスタルジックな過去や謎があるのかと思ったが、読み進むと様々な言い回し、伏線がちりばめられていて読み応えがあった。
他から見えていて、捉われるものない中であっても、自分自身には、自分と言う者の輪郭が、明確に見えることはない。
最後まで読んで、再読してみるとエイドリアンの言葉の意味が理解できる。作者の描いた風景の形が、パズルのようにはまる。人生は見えるものを見たい形に導いて行く。
アントニーは混沌といい、そう納得した後では誰のものでもなく彼の混沌であったが、歴史も人生も含めて訪れる老齢とはそういうものかもしれないと思えた。
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「ガール」  奥田英朗 講談社文庫

2014-07-04 | 読書



これは参った。面白過ぎた。

この本は、ガールの実態をうまく穿り出して、それなりの仕事や生活の重さや、ガールと呼ばれる時代の女性の心理を描いて、最後はそれもパッピーだよと締めている。
時代は違っても同じような悩みはあった、気分のいいときには少し浮かれ、厳しいときも越えてきた。
そんな事も含めて良い話で心が軽くなった。
健康で、目標があるに越した事はないが、その向かうところはそれぞれ違う。



職場で、年上の男性がいる課の管理職を持たされたり、その年上がコネ昇進目前でやる気が無かったりする。
夫は余り無いタイプで面子なんてものには拘らない。仕事のストレスはやや重いが、世間離れした幸せな夫がいる(ヒロくん)

私も覚えがある、将来を考えて独立するには、住処だ。今はマンションだ。買うことに迷い、次はどこにするか迷う。気分は舞い上がったり落ち込んだり、夢と現実の間で揺れる。
(マンション)

大手広告代理店勤めている。給料も良く、会社も名詞を出すときにちょっといい気になれるランクである。百貨店の催事のプランの打ち合わせに行く。
ブランドできっちり決めていく。同行する先輩は派手目。若く見えることに自信があり、行動的だ、仕事も出来る。片や百貨店の女性の担当者安西は、キャリアスーツで決めた凄腕だった。
プランの手直しを提案されるがそれもこちらより良い案だった。イベントの当日、トークショーはうまく行った、無事進行していたが、企画した各店舗の出し物のファッションショーでモデルが出られなくなる。ひとつのテナントが欠けるのは良くない。店側の担当者の安西が急遽代役になり。大成功。
堅物のように見えた安西も同僚の応援もあり喝采をあびた。やはり彼女も若い女性だった。奇抜な先輩もそれで良い、大きな励みだと思った(ガール)

子持ちバツイチの孝子は職場に復帰した。夫が引き取るのを拒否した子供はしっかりもの、一年生で可愛くて仕方が無い。自動車メーカ-の営業部は企画が主な部署だった。残業もある、出張もある。でも両立できる自信が有った、信頼出来るヘルパーさんもいる。育児を錦の御旗にはしない。
シンブルマザーと知った同僚はそれとなく気遣ってくれる、しかし仕事ではそれを言い訳にしたくない。
企画会議がありウェブサイトを使うキャンペーンで販売部とぶつかった、土俵際で、日曜ゴルフの話が出た。その日は子供の両親参観日だった。ついに錦の御旗を振ってしまった。そして自己嫌悪に陥った翌朝、販売部の担当に謝った。すっきり、気持ちよく頑張るお母さん(ワーキング・マザー)

ハンサムで爽やかな新人がきた教育担当になったが、彼がまぶしい、気になって仕方が無い、社内中の女性は彼に妙に愛想が良いそれも気に入らない。しかし彼は一回り年下である。人柄も良い、彼女もいないらしい。なんとなく若い子からガードしたくなる。複雑な心境(ひと回り)





驚いたことに奥田さんはファッションにやたら詳しい。それもコーデネイトまで書き込んでいる。ブランドなど知らないものまで出てくる(私だけ?笑)
それは置いても、何でこんなに微妙な年頃のガールの心境がわかるの。同じ年頃の女子はこれを読んで泣くだろう(^^)。話題にもするだろう。

結びが幸せでより気分が良い。
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「生きながら火に焼かれて」  スアド   ヴィレッジブックス

2014-07-03 | 読書




この作者は今も隠れて生きている。名前も偽名では有るが職業を持ち三人の子供にも恵まれ、5人家族の幸せな家庭を築いている。

彼女は、ヨルダン川を遡り、政治や法律も届かない奥地の村で生まれた。
女に生まれただけで、家畜以下の労働を強いられ、父親の暴力は激しく、仕事以外は塀の外に出ることができない。外の文化も知らず、教育もなかった。日々働くことだけの暮らしだった。
村は男社会で、男には自由があった。家庭の中でも男だけが人間だった。
女の子は、成長して結婚の機会があれば、家の名誉のため、見得のためにできるだけ派手に支度をして、宴を開く。
そして男の子を生まないといけない。女ばかり産むと虐待されときには殺されることもある。
必要の無い子供が生まれるとソッと殺してしまう。こともある。

そして、女の子は、男を見てはいけない、手足を見せるような服を着てはいけない、結婚までは処女でいなくてはいけない。もしその掟を犯したなら、家族の名誉のために殺され、排除されてしまう。
嫁に行かない妹は弟が首を絞めて殺したようだ。


著者のスアドは、19770年後半、17歳で向かいの青年に恋をする、妊娠してしまうと、恋人は逃げ、母に知られてしまう。
彼女の処置について家族会議が開かれていた。どういう方法で誰が殺す役を引き受けるか。
身に危険を感じながらおびえていた数日後、井戸端で洗濯中に、義兄からガソリンか、灯油のような液体を頭から掛けられて火をつけられる。
燃えながら走り気を失なってしまう。目が覚めると病院にいた。一命を取り留めたが、治療も受けず乱暴に体に水をかけられベッドに寝かされていた。
そして意識ももうろうとしたまま7ヶ月で男の子を生む。

そこに<人間の土地>と言う福祉団体で働いている、ジャックリーヌがきた。医師を説得し、両親に国外で死なせることを約束し、子供を探しです。
子供とともにスイス行きの飛行機に乗せる。初めての文化に触れて適応していくように指導してもらう。子供は養子にして預け、仕事にも就く。
文字は少しだが読めるようになり、20回の皮膚移植を受け、家庭を持つことができた。

過去のストレスから開放されず、何度もうつ状態にもなる。

だが今でも世界で「名誉の殺人」と言う名の下に、逃れて名を変え、隠れて暮らしていても見つかり殺されている。

彼女はこの本を書いて多くの人に現実を理解して欲しいと訴えている。




私は以前同じ出版社の「イヴと7人の娘たち」と言うノンフィクションを読んだ。とても興味深い内容だったが、その時この強烈な題名を見た。
恐れをなして読めなかったが、最近 女性の隔離収容所が舞台のミステリを読んだ。イギリスの映画も思い出して、この本を図書館で借りてきた。
今も行われている中東を中心にした<名誉の殺人>と言う現実を知った。


<名誉の殺人>今は法的にも認められてはいない。でもとふと思った。日本のあだ討ち、上意討ち、果し合い、御前試合。武士の名誉は命がけだった。
外国でも決闘が有り、日本人が参加したというのもチラッと読んだか聞いたか。今は決闘法ができたとか、それでも人は名誉を守るために命をかける。命を奪う。
名誉が命より大事だと思う人々の犯す罪は、深い深い人の根源に連なっていて、ひとつの思想が認識されるのには100年かかると言う、しかしこのような問題は、こうした本や教育によって改められていくしかないのだろうか。

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「白ゆき姫殺人事件」  湊かなえ  集英社文庫

2014-07-02 | 読書


前に「告白」を買って読んだ。子供のことで復讐する話で、本屋大賞といって山のように積んであった。
ところが読んでみると、夜回り先生が出てきたり、今時のニュースと、可哀相な出来事と、意外な復讐法が面白いけれど。舞台が学校と言うのは意外だが、生徒と教師じゃよくないことでしょう。とつい思ってしまった。
悪の経典というのも学校が舞台で主人公が最後は何もかもぶっ壊して終わった。これは彼の精神的な歪みが原因だったけれど。

 そんな事を思いながら、また「白ゆき姫殺人事件」をリベンジのつもりで読んだ。映画も小説も大歓迎されている様子だし、どれどれどんな本?という好奇心の虫が騒いだ。後味がよくないというので、これもイヤミスというらしい。それならそのつもりで。
少しネタバレかも知れないけれど、映画化もされているし。
でも初めてなら順に読んで、後にある参考資料も進行にあわせて読むと面白い。



 美人のOLが刺されたうえ焼き殺されると言う事件が起きた。勤め先が化粧品会社で「白ゆき」と言う石鹸がヒットして世間に知られていた。
それで「白ゆき姫殺人事件」と言うことで騒がれ始めた。 
被害者の美貌は社内でも目だっていて、製品のモデルに使えばよかったと囁かれるほどだった。
 新人は二年先輩がパートナーになって教育するシステムだった。殺されたのは三木典子、パートナーは後輩の狩野理沙子だった。
彼女は典子の元で教育を受け、心身ともに美しい人だったと記者に言う。

フリーランサーの週刊誌記者が関係者に取材を始める。出身地の人たちの噂、社内のOLたちの話。同級生。
刑事に聞きこみをされるのも非日常のニュースである。
大学時代の友人から投書も来る。

 だが記者はそれをまとめるのだが、彼は事件を特集して低俗極まりない報道する。
ネットサイトでも匿名性を利用して陰湿な書き込みやふざけた話をする。

そこでは、目立たないOLが犯人にされてしまっている。


美貌が罪になることは無い、それなら美しい人は生きていけない。美しいに越したことは無い、誰でもそう思う。でも美貌談義はそっと心の中でするとして、それが事件の原因になって、取材となればどうだろう。
美人について、同僚のOLたちは隠した本音が理性の陰からちょっと覗く。
犯人は誰だろう、仕立てやすい曰くのありそうな標的を見つけて出す。
まぁそういったところを寄せ集めて、記事はできるのだろう。
本性を包み隠そうとしてまた一枚醜い皮をかぶるというような生活の中では、常に隠しているので平穏だという部分が見える。改めて根源的な悪意の姿が見える、イヤミスか、なるほどと納得した。

読みやすい上に、時代性もある、人気の秘密も少しわかった気がした。
コメント (2)
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私とカメラアイ 小紫陽花の花

2014-07-01 | 山野草
毎月来るカメラの月刊誌をみていたら、構図について特集があった。
その中で、少し悩みが溶けた気がした、一文。

写真家 高梨 豊氏 の構図についての覚書
 物事と言う言葉がありますが、写真家には「コト」を写す写真家と、「モノ」を写す写真家の二通りがあります。モノよりの作家の場合、構図を重点的に考えて作品を作り上げることができますが、コトを写す場合には構図がすべてとは言い切れません。
 私が写真を撮る際に重視するのは、構図よりも被写体に何が起こっているかという「コト」です。そのため、画面に余分な物が入っていたり、安定性を欠いた構図になる場合も多々ああります。もちろん、シャッターを切るときは4隅まできちんと見てから撮りますが、たとえ余分なものが入っていたとしても、私がとらえたい「コトが移っていればそれでよしとしてしまうのです。

高梨豊氏 1935年生まれ
     1964 日本写真評論家協会賞新人賞受賞
     2012 第30回土門拳賞受賞




私は、山野の名も無い花を写してきましたが、仲間と出掛けると、無機質な町や、建物を写そうと誘われます。余り都会には親しみを感じませんので、硬質の面白くない写真しか撮れません、なんとか心に残るシャッタチャンスが無いかと思いましたが、そういうセンスがないことに気がつきました。

やはり下を向いて今までどおり、野原の花をとることにしました。
好きだと思えば、そういう気持ちが少しでも感じられるものが写したいと思ったのです。
花の持つ心が写せないかと思っていました。

一年に一度の花の季節、体力と気力を充実させて、「コト」の中の「モノ」、その心、風情、環境、四季折々の花の心が写せれば幸せです。

好きなら何度も季節を待っています。

そしていつか光や構図がすぐにレンズの眼の中に見えてくるようになるまでカメラをもっていたいと思っています。



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「ユリゴコロ」 沼田まほかる  双葉文庫

2014-07-01 | 読書

話題になった「ユリゴコロ」は題名が意味不明なのがかえって面白そうに思った。前に「九月が永遠に続けば」を読み始めて、これは合わないと思って止めた。本欠乏時代は活字なら何でも読んで、きちんと最後まで読むと何かしら面白いところが見つかった。それが今では、部屋に本が溢れて山崩れがおきそうな有様になっている。読みたい本が多すぎるので、よく味わいもしないで止めるのに心が痛まなくなった。
この「ユリゴコロ」はとても面白かった。それでもう一度読んでみようと「九月~~」を探したが、もうどこにも無かった。たまに片付けるとこうなる 泣



二ヶ月前に母が亡くなり、祖母はケアハウスに入っていて、父が世話に通っている。その父も膵臓がんなのだが、治療を拒んでいる。
亮介には弟の洋平がいる。
亮介は家を出て、ペット同伴の、シャギーヘッドと言う喫茶店を開いている。
たまたま実家に帰ると押入れが開いていて、雑に出して片付けたようなダンボールの箱が見つかった。父のものだったが、底の方に茶封筒に入った4冊のノートがあった。

日記と言うか手記というか、誰かが書いたらしい文字がびっしりと詰まっていた。最後に空白が残っているものもあった。父のものだと思うと気がとがめたが、読んでみた。

タイトルはユリゴコロと読めた。そしてひどく特異な出来事が記されていた。
 私のように平気で人を殺す人間は、脳の仕組みがどこか普通と違うのでしょうか。脳の中ではいろいろなホルモンが複雑に作用しあっていて、そのバランスがほんの少し変化するだけで、気分や性格がずいぶん変わるのだとか (略) 私の診察はすぐすみましたが、そのあとで母はいつも、家での私の様子を長々と医師に話しました。医師は毎回同じ、低い声で話す、眼鏡をかけた人でした。ときには涙も混じる母の話を、根気よく頷きながら聞いていましたが、必要になればぼそぼそと説明をさしはさみます。言い訳めいた口調でよく言っていたのは、この子には・・・のユリゴコロがないからしかたがない、というふうなことです。・・・の部分はときによってちがうので覚え切れませんでしたが、ともかく、いろいろな種類のユリゴコロがあって、そのどれもがわたしにはないらしいのです。
書き出しがこうだった。

怖くなってダンボールを押入れに戻して、そのうち忘れるだろうと思ったのだが、最後まで読まずにいられなかった。

父が出掛けたすきに押入れを開けて、誰が書いたのかわからないまま、ノートを読み進んでいく。

亮介は幼いとき肺炎で入院したことがある。母はベッドのそばで優しく看病をしてくれた。そんな事をおぼろげながら覚えている。退院してうちに帰ると住んでいた前橋から奈良の駒川市に引っ越していた。入院前と後ではなんとなく母の印象が違っていたように思ったが、子供心の思いなどは当てにならない。

そういえば母が亡くなる前、何かにおびえているように見えなかっただろうか。

それにしても、亮介にとっても内容が重たすぎる。弟に協力してもらって、気になるところから解決しようと思う。

父に直接は聞きづらいし、弟は軽い気持ちで聞き流しているようだ。

見つけた手記も気になるが、店のシャギーヘッドでは結婚の約束をしていた店員の千絵が出て行ってしまう。なにも言わないで消えてしまった。店員なので手を抜いて採用時の書類もない。亮介は気力がうせてしまう。
だが店で何かと気に掛けてくれる年配の店員の細谷さんが、一番の支えだった。
細谷さんは千絵のことを自分のことにように調べだす。
そして行方を突き止めてくれた。

もうたまらず手記を読み終え、勇気を出して父に聞いてみた。これは誰が書いたものですか。

父はもう先が永くは無いだろう、と話すことにした。

亮介は、全てについて知ることになる。



手記と亮介の生活が交互に書かれている。不思議な出来事は緊張感があり、周りの思いやりが重く、ときには暖かく、最終章に向かっていく。
変わった設定、情景の描写が続くが読後感は悪くない。と言うより、珍しいケースをテーマにした面白い話だった。

機会があればほかの作品も読んでみようと図書館に予約した。

その本が来る頃は、周りの積読本も少しは減っているでしょう、楽しみにしている。

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