2008.05 アグロステンマ
こんな話を聞いた。友人の同僚で、足が少し不自由になった人がいた。彼女はそのことを「こんなにおぞましくて」と言ったそうだ。身体の一部に少しでも障害があると生活に支障があることを自覚する。そして他人から見た姿はいかにもおぞましく映るのではないか。という意味の言葉だと思ったそうだ。
でもその人の言った意味はそうではなかった。
定年になっても資格を生かして職場も与えられていたので、仕事を続けていたのだが、いつも朝早く出勤している、どうしたのかと思っていると、始業時間まで体育館で時間をかけてゆっくりゆっくり歩いていたそうだ。
「彼女は昔の大和言葉に堪能でね、、おぞましいというのは、悍しいと書いてタケダケシイと読むそうで、とても強いという意味だって。今の猛々しいにも通じるようよ」という。
「おぞましいというのは強いことらしいよ」
私は初めてそんな言葉を知った。
「自分は不自由をこんなにも強く感じている、そんな強い人なので、不自由くらいには負けない、ということを言ったようなのよ」と友人は言った。
そして、毎日体育館で歩いている姿に感銘を受けたそうだ。
おぞましいとは、今ではとてもいやな感じがする、忌み嫌われるというようなものに対して使われている。でもルーツはそれだけではではなかったらしい。
五感に強く訴えるほどインパクトあるものに使う言葉だったのだろうか。
あぞましいという言葉でさえおぞましく余り使いたくないが、言葉に深い理解があると、違った意味が含まれているのだろう。
日ごろ使っている言葉というものから自分の知った世界だけで生きている狭さも感じてしまった。。
昨日は、一年に一度の友人たちの会があった。和やかに話し合う姿を見ながら、若かった頃から過ごした歳月が、それぞれの形になって実を結んでいるのを見聞きしてきた。
いい友人は世界を広げてくれる。
追記
昨日読んだ本のなかにこんな一文を見つけた
吉古は、ヨーロッパにきてから、意外なことをいくつも知った。
ナポレオン一世は騎兵の運用について天才的な戦史をいくつも残した人物だが、そのくせ本人は乗馬がへたなのか騾馬に乗っていたという(略)
騾馬はおとなしい。しかも悍威の気象がまるでない。騎兵の馬は悍ぶってたけだけしい気象のものを駿馬とする伝統があるから、騎兵隊ではむろん使っていない。
司馬遼太郎 「坂の上の雲」 馬より ブロック体は管理人仕様
なるほど自分をおぞましいと話した人は駿馬だったのだろう。
ご返事が遅くなりました。
もう卒業なさったのですか。残り少ない…そうですね。
この話をしてくれた友人とはまだ付き合いが続いていますが、口数は少ないのに心に残ることを言う人です。
少し前に、「いろいろ計画しても時の方が早くて」というと「人知でどうにもならない先のことなど考えず今よ今」と言いました。
なるほど、今か。と思ったのですが、山あり谷あり生きるのが長くなると別れも多くなったり、聞きたくないことも聞いてしまったり、しんどいですね。
遅くなりましたせめて健康で、平穏に一日過ごしたいです。また明日いい一日を。
メモがわりの小さい世界のブログなのでコメントいただくと気がつかないで、びっくりします。
この友人は高校時代からの山仲間で、無口な人なのですが、この話はとても印象的でした。
2009年のコメントなのでもうひと昔以上になりますね。
それでも生きづらいのは変わりません。おぞましく生きるのは何年たっても変わりません。でもこの人のように強く生きていけたらとは思います。無理かもですが。
見えないおぞましいものとも、美味く付き合っていきたいです
やはり「おぞまし」は「おぞし=悍し」からきていて、勝ち気、とか強情、という意味なのですね。私も勉強になりました。精悍、と言うのですから悪い意味ではないはず。
ほんと、日本語は深いですね。
彼女は本当に自分の「おぞましさ」を愛している・・私もそうなりたいわ。