マッカーシーのピュリッツアー賞受賞作。終末の地球を歩く父と子の姿を、悲しみに満ちているが乾いた筆致で描いた。人類は自ら招いた恐怖と絶望を超えられるのかと、少年を通して語りかける。感動作。
父親と少年が、何もかも燃え尽きた地表を南に向かって歩いている。
理由は 訳者あとがきから
舞台はおそらく近未来のアメリカで、核戦争かなにかが原因で世界は破滅している。空は常に分厚い雲に覆われ、太陽は姿を現さず、どんどん寒くなっていく、地表には灰が積もり植物は枯死死、動物の姿を見ることはほとんどない。生き残った人々は飢え、無政府状態の中で凄惨な戦いを続けている。そんな死に満ちた暗澹たる終末世界を、父親と幼い息子がショッピングカートに荷物を積んで旅をしていく。寒冷化がいよいよ進み次の冬が越せそうにないため、暖かい南をめざしているのだ。
これで状況が十分説明されている。こうなった原因は語られず、現状の荒みきった地球、わずかに生き残った人たちも既に人でなくなっている世界。
分厚い灰が積もりその細かい塵が空に舞い上がり上空で雲になり雨を降らせる。日が差さず空が白んできたことで朝かもしれないと思う。
飢えた一握りの生き残りがお互いを食う。柔らかい人の肉をむさぼる。通り過ぎた後には略奪と破壊と死だけが残されている。
父親と少年は、持ち出した食料が尽きてくると、焼け残った家や小屋をあさる。少年は常に父に付き添い話しかける。
その声はこの世の、地球の生命が尽きようとしている中で、唯一人間らしい響きを残している。だが父親は少年の魂から出る声に従うことが出来ない。少年を死なせないためには、人らしい生き方など捨てなくてはならない。タダ生き伸びるために死力を尽くしている。
生き続けるためには、敵は殺さなくてはならない、銃はそのために離さない。弾が尽きるまで。
厳寒のなか海に浮かぶ廃船にも泳いでいく、厨房に何か残ってないだろうか。
父親は、火を炊かねばならない、そうしないと少年が凍える。
少年はいつも火を(と共にあり)運んでいる、善き人であろうとしている。
父は肺臓をやられ血を吐いている。死んでも息子を守らなくてはならない。
こうして、穢れのない少年の言葉が、汚れきり腐った道程に火を灯し、それに読者は同行する。
変化のない枯れた木立と燃え尽きたかっての家の残骸、焼死し打ち捨てられた人々を越えて、日々ただ暖かいだろう南に進んで歩き続ける。
食べられそうなものならどんなものでも食べ、泥水を漉してのみ、流れている黒い水の中に入って体を洗う、そんな光景に付き添う。
話の終わりまで変化のない道筋を、憑かれたように読んでしまう。
小さな出来事におびえ、拾ったり見つけてきたボロ毛布を体に巻きつけ、やっと南の海に来た。そこは黒く汚れた波が打ち寄せていたやはり死んだ海だった。
このまま長く生きていると世界はいずれ完全に失われてしまうだろうと思った。盲いたばかりの人の世界が徐々に死んでいくように全てがゆっくりと記憶から消えていくだろうと。
旅の途中で父親が思った、そんな風景の未来が見えた。
父は命がつきそうだった。
パパと一緒にいたいよ。
それは無理だ。
お願いだから。
駄目だ。お前は火を運ばなくちゃいけない。
どうやったらいいかわからないよ。
いやわかるはずだ。
ほんとにあるの?その火って?
あるんだ。
何処にあるの?どこにあるのかぼく知らないよ。
いや知ってる。それはお前の中にある。前からずっとあった。パパには見える。
ぼくも一緒に連れてってよ。それはできない。
お前が話しかけてくれたらパパも話しかける。
ぼくに聞こえるの。
ああ聞こえる。話をしているところを思い浮かべながら話すんだそうすれば聞こえる。練習しなくちゃいけないぞ。諦めちゃいけない。わかったかい?
わかった。
迷子になっても見つけてくれる、善意が見つけてくれるんだ。パパは言った。
少年は生き残りの人が近づいてくるのを見た。