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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『総理にされた男』

2023年01月10日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

中山七里による
ポリティカル小説。

加納慎策35歳は、まだ芽の出ない役者。
家賃が払えないために、
恋人の安峰珠緒のアパートに転がり込んでいる情けない状態だ。
まだセリフのある役ももらえないのだが、
最近、劇団公演の前説で、首相の真垣統一郎の物真似をして、受けていた。
というのは、慎策は背格好から顔、声まで真垣と瓜二つだったのだ。

ある朝、珠緒のアパートを出たところで、
2人の男に無理矢理車に押し込まれ、
連れて行かれたところは、
首相官邸だった。
そこで、慎策は、内閣官房長官の樽見政純に会い、
世間には伏せられているものの
実は蜂窩織炎という奇病で、
不明状態にある総理大臣・真垣統一郎40歳が
回復するまでのしばらくの間の替え玉になってほしいと打診される。
政権交代から間のない真垣が病気となれば、
内閣が崩壊してしまい、
日本の政治に危機が訪れるというのだ。

そう簡単に受けられる内容ではないが、
慎策の役者魂に火がつき、
国民全員を相手にした大芝居も悪くないと考え、
報酬や俳優としてのデビューを引き換えに
その提案を受け入れる。

しかし元々ノンポリで、
政治的知識に乏しかったため、
党三役との初の顔合わせはうまく乗り切ったものの
やはり深い議論になるとついて行けず、
相談役兼教育係として、
大学の政治経済学部准教授を務める、旧友の風間歴彦をつけてもらう。

風間の特訓を受け、
付け焼刃で必死に知識を詰め込みながらも
本来持ち合わせている機転の早さや
真摯な態度で閣僚懇談会や通常国会を乗り切っていく慎策に対し、
樽見はおろか、野党である民生党の元代表・大隈泰治も不思議な魅力を感じ始めていた。
政治家として素人だからこそ
持ち合わせている純真さが、
国会議員になりたての時の
自分たちの姿を思い出させたのだ。

どんな議員も最初は国と国民の幸せを考えているが、
そのうち欲と泥に塗(まみ)れるようになる。
だが、真垣の影武者は違う。
総理という立場にもかかわらず
権力に対する執心は皆無、
志は一年生議員と同等。
ある種、それは理想的な政治家と言えるのではないのか。

そんな矢先、ついに、真垣が亡くなってしまった。
回復した真垣と入れ代わるという選択肢は失せ、
このままでは一生真垣のふりをして生きなければならなくなる。
風間は引き際だと忠告するが、
丁度その時、東日本大震災後の宮城県石巻市の視察をしていた慎策は、
復興の遅れを目の当たりにし、
困っている人を助けられないで、何の政治か、と
真垣のフリを続けることを決める。
復興の遅れは官僚たちの省益誘導によるものが大きいと考えた慎策は、
何度も廃案になっていた内閣人事局設置法案を提出。
大隈の協力によりなんとか可決させてしまった。

党利党略もしくは既得権益維持のため、
今までいくつの法案が流れたと聞いた。
慎策はつくづく不思議に思う。
何故、国民によって選ばれた議員たちが
国民のために働けないのだろう。
無論、そこには主義主張の違いがあり、
政治だけでは解決しない柵があり、
利益の対立がある。
しかし、少なくとも彼らの頭に
国民の利益を最優先にするという一文さえあれば、
こんなにも古いシステムが温存されるはずはない。

慎策は内閣人事局に風間を送りこむことを考えるが、
替え玉続行を反対し始めた風間を危惧した樽見が
風間をイギリスの大学ヘ異動させてしまい、
慎策は風間の助言を受けられなくなってしまう。

一方、珠緒は音信不通になった慎策を心配して警察を訪れていた。
慎策が真垣統一郎と瓜二つだと知った刑事の富樫は興味を示す。
また、珠緒はテレビに映る真垣が
慎策の癖である貧乏揺すりをする姿を見て、
真垣=慎策ではないかと疑い始める。

そんな時、更に大きな困難が慎策を襲う。
在アルジェリア日本大使館がテロリストによって占拠されてしまったのだ。
テロリストの要求は、指定地域からのフランス軍の撤退で、
要求が聞き入れられなければ、
人質を3時間に1人ずつ処刑してしまうと宣告し、
実際そのようにする。
しかし、日本政府は、「断固たる態度をとる」というのは口だけで、
アルジェリア政府とアメリカ政府の対応に丸投げするものだった。
平和憲法に頼り、
実際の危機への対応を他国に任せてきた怠慢が、
ここへきて噴出してきたのだ。
手をこまねいている日本政府に
「自国民を守れなくて、何の国家か」と憤慨する慎策。

自国の国民が一人ずつ殺され、
その映像が世界に流れる。
そんな状態に置かれてもなお、
他国に手を合わせて平身低頭し、
自らはこの島から一歩も外に出ようとしない。
それが本当に独立した国家の姿なのだろうか。

更に、樽見が心筋梗塞で倒れて亡くなってしまい、
全てのことは、慎策一人の決断に委ねられることになった。
慎策は総理大臣のニセモノだ。
顔が似ているだけで、総理大臣の椅子に坐る、
無力な一庶民だ。
その男に日本の命運がかけられてしまった。

そして、慎策はある決断をする。
それは、憲法違反のそしりを受けるものだった。
そして、事がなった後、
国民に信を問う方法として、慎策が提案したものは・・・

瓜二つの人間が重要人物の替え玉になり、
本物以上のことを成し遂げるというのは、
アメリカ映画「デーヴ」をはじめ、
既に先行作品がある。
チャップリンの「独裁者」は、
その源流といえよう。

デーヴ・・・
大統領に瓜二つのデーヴは
一夜限りの代役を引き受けるが、
大統領が脳卒中で倒れたために
彼の替え玉生活は延長される事になった。
操り人形でしかなかったデーヴが、
持ち前の誠実さで政治を改革していく様を描いたヒューマン・コメディ。

そういう意味で、斬新とは言えないが、
実際総理大臣になった男に降りかかる危機をリアルに描いた、
という点で、この作品は、重厚な作品になった。

特に、替え玉の職業を俳優にしたのが出色で、
演技者として、総理大臣を演ずる、というのは、
なかなかの趣向。
秘密を知っているのと、官房長官と風間と慎策の3人だけ、というのもいい。

実際には、政治家というのは、専門職で、
この話のように切り抜けられるとは思えないが、
まあ、そこは小説ということで。

テロリストの日本大使館占拠というのは、
秀逸なアイデアで、
この素材で、
戦後日本の政治的課題を明らかにする。
危機の時に何をするかで
政治家の資質も度量も図られるが、
慎策の下した決断は胸のすくもので、
しかも、内閣法制局の解釈では、
憲法違反に当たらない、
というのも、驚くようなものだった。

最後に、慎策が国民の向かってする演説は、
さすがに胸を打つ。

「この国は既に輝く季節を過ぎたという者がいます。
疲弊した老人ばかりが多くなり、
未来には何の希望もないと言う者がいます。
しかしわたしはそうは思わない。
この国の人間は基本的に勤勉で、
我慢強く、思いやりがあって、思慮深い。
そんな国民に未来がないはずがない。
わたしたちにはまだ未来を創る力がある。
他人の幸福を願う力がある。
希望を見出す力がある。
この人生を素晴らしい冒険に変える力がある・・・」

続きは、実際に本をお読みください。

NHK出版のウェブサイト上で
2013年10月から2014年12月にかけて連載され、
2015年8月に単行本化。

 


映画『神が描くは曲線で』

2023年01月09日 23時00分00秒 | 書籍関係

 [映画紹介] 

1979年のスペイン。
山奥の隔離精神病院を一人の患者が訪れる。
アリス・グールドは裕福な人妻だが、
夫を殺そうとしたパラノイアであるとの疑いで、
医者の紹介状を持って入院して来た。

実は、アリスは私立探偵で、
その病院で起きたある事件の捜査が本当の目的だった。
昨年、ダミアン・デルオルモという少年が、病院内で不可解な死を遂げたのだ。
その少年の死は自殺として処理された。
しかし、事件の2日後に父親のガルシアのところに不可解な手紙が届いた。
ガルシアから依頼を受けたアリスは、
犯人は統合失調症の疑いが強いと判断し、
医師と精神病院の院長アルバの協力によって潜入したのだ。

アリスが院内で襲われ、
その犯人を撲殺してしまう、という事件が起こる。
院長とはこの件で、何度も手紙のやり取りをしたのに、
院長はアリスを知らないという。
院長が判断した結果、
ガルシアから依頼を受けての潜入は、
アリスの妄想で、
実際に夫を殺そうとした事件が起こっていた。
アリスの前に
ガルシアが現れるが、
それはよく似た別人だった。
アリスは、それはアリスの財産を狙った夫の捏造だと主張するが、
鎮静剤を打たれ、隔離病棟に監禁される。

というわけで、
アリスの潜入は本物か、
夫との関係は良好か。
それとも、それ自体がアリスの妄想なのか。
という謎を含んで物語が展開する。

そして、折々挟まれる
病院の放火事件と雨の中の混乱。
そのカオスの中での第2の殺人。
時間軸が微妙にずれて、
最後に一点に収束する。

この映画、2時間半もする。
長いのだが、
長さは感じさせない。
それだけ展開が巧妙だということだ。
病院内の患者のいろいろな姿がアリスにからむ。
中には、アリスと同様に、正気ではないかと思われる存在もいる。
小人症と大きな体躯の妙な組み合わせもいる。
奇妙な双子と妹の存在もある。
医師たちはどちらの味方なのか。
院長の真意は?
アリスの真実の認定は、
病院での審査会に発展するが・・・

アリス・グールドを演じるのは、バルバラ・レニー、美人。


院長を演じるのは、エドゥアルド・フェルナンデス


原作はトルクアト・ルカ・デ・テナによる同名小説。
監督&脚本はオリオル・パウロ
Netflix オリジナルのスペイン映画。

最後に現れた人物で、
必ずしも事件が一筋縄ではないことを感じさせる。


どうも観客も騙されているらしい。
同じシーンが使われていても、
前のシーンとは微妙に異なる場面だったり、
全く同じシーンなのに、
セリフの意味が別の意味になるような演出がされているなど。

ラストは原作と違うらしい。
                                                                        


日枝神社に初詣

2023年01月08日 23時00分00秒 | 身辺雑記

今日は、朝から溜池山王駅へ。

今年の初詣。
今日、日枝(ひえ)神社へ行ってきました。

来るのは15年ぶり、
3度目ですが、
以前は桜を観に来たので、
今回が本格的な参拝。

千代田区永田町にあるこの神社。
江戸三大祭が行われる、由緒ある神社です。

江戸三大祭とは、次の3つ。
神田祭(神田神社で行われる祭)
山王祭(日枝神社で行われる祭)
深川祭(富岡八幡宮で行われる祭)

公道に面した山王橋。

長い階段なので、エスカレーターが設置されています。

横から見たところ。

頂上から見たところ。
この神社がかなりの小高い丘の上にあるのが分かります。

大山咋神(おおやまくいのかみ)を主祭神とし、
相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、
伊弉冉神(いざなみのかみ)、
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀ります。

これが正面の神門

境内。

本殿です。

創建の年代は不詳で、
文明10年(1478年)、
太田道灌が江戸城築城にあたり、
川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である
川越日枝神社を勧請したのに始まりとされています。
徳川家康が江戸に移封されたとき、
城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としました。

慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、
社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、
庶民が参拝できるようになりました。

明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、
万治2年(1659年)、将軍家綱が
赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、
現在地に遷座したものです。

昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失し、
昭和33年(1958年)に再建されました。

江戸城が皇居となったことで、
日枝神社は皇居の守り神「皇城の鎮」として崇められています。

求めに応じてご祈祷していただけます。

おみくじは日本の文化。

お神酒が供されていました。

背景の近代的なビルとのコントラスト。

御朱印と絵馬。

これは、併設された神社。

神社の中に神社があるのが包容力。

中の様子。

ここから稲荷参道になります。

朱色の鳥居が立ち並ぶ「千本鳥居」が光り輝き、
鳥居に添うように奉納幟がはためいています。

稲荷の鳥居は社殿と同様、
稲荷塗」といわれるもので、
赤ではなく朱(あけ)で彩色するのが慣例です。
この「あけ」という言葉は、
赤・明・茜といった明るい希望の気持ちをその語感で連想させ、
さらにこの色合いには
生命・大地・生産の力をもって稲荷大神様の御霊(みたま)の働きとする
強烈な信仰が宿っています。

この下にも鳥居が。

赤坂方面から来ると、この鳥居が迎えます。

今度は下から上へ。

巫女さんたち。

こういう施設も。

各所に、のぼりが。

宝物殿

入ったところに立つのは、

太田道灌像。

現在保存されている刀剣は31口で、
そのうち国宝1口・重要文化財14口・重要美術品1口があります。

第3代将軍家光の朱印状

徳川家康の朱印状。

出口で撮影禁止だったことに気づきました。

すみません、撮っちゃいました。

脇には、さざれ石が。

これが男坂。女坂もあります。

山王鳥居

実は、こちらが表参道なのです。

やはり、神社は日本の宗教文化。

身がひきしまります。

 


小説『R. S. ヴィラセニョール』

2023年01月06日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

題名は、レイ・市東(しとう)・ヴィラセニョール
という、主人公の名前。
市東は母の姓で、
父はフィリピン人のリオ・ヴィラセニョール。
初めて名刺を作る時、
市東鈴(れい)にするか、
レイ・ヴィラセニョールにするか悩んだ末に、
レイ・市東・ヴィラセニョールと印刷する。
外見は明らかにメスティソ(スペイン語で混血、混血児の意)。

美大を出て、房総半島の御宿に工房を構える若手女性染色家
父から継いだフィリピンの血と母からの日本。
日本で生まれ育ったことから、自分を日本人と考えるが、
父の抱えたフィリピン人の根っこからは逃れられない。

しかも、染色家という最も日本的な職業を選択した。
近所に住むロベルトと親交があるが、
ロベルトも父がメキシコ人、母が日本人のメスティソ。
草木染をする人で、レイの仕事を好意で手伝っている。
他に美大時代の先輩で
現代琳派の画家の根津がいる。

大学を卒業後、
江戸更紗の老舗に勤め、跡取り息子は恋愛関係に陥るが、
父親に「職人として働いてもらうのはいいが、
うちの嫁にはできない」
と言われて破局した。

デザインを考え、型紙を彫り、
それを元に色を染め、反物を作成するレイの日常が淡々と描かれる。
最近、銀座の呉服店に認められ、仕事が継続するめどが立った。
展示会で受章して、評価もされている。

並行して、月島に住む父母との交流が描かれる。
父のリオは国元の家族を養うために日本に出稼ぎに来た。
日本での1カ月の給料が、
国での1年間の年収に相当するため、
仕送りして、家族を支えた。
弟のフェルは勉強して弁護士になり、
今でも兄に恩義を感じている。

父は日本語で話す時は日本人だが、
タガログ語が話す時はフィリピン人に戻る。
日本とフィリピンの血がレイの中で相剋する。

衣桁掛けの華やかな訪問着に日本人らしい美しさを見ながら、
物足りなさか行き過ぎを見てしまうのも、
純粋な日本人とは異なる色感のためであった。
父から継いだマレー系とスペイン系の血が過敏症を起こして、
ああ色の始末が悪いと思うことがよくある。

(リオは)何十年と暮らしても違和感の塊であり、
帰るべきところを別に持つ人であった。
日本語を話し、日本女性を愛し、
麺類をすすっても日本人には見えないし、
なれない。
だから永遠に郷愁がつきまとう。

日本の中の異物という点で、
父と娘は同体であった。
日本人になれないリオはそれでもいいが、
日本人でしかないレイは
一生異物のままではいられない。

その父がガンにかかり、
残った歳月を数えるようになった時、
故郷に帰りたがるようになった。
余命いくばくもない状態になった時、
日本を訪れた弟のフェルにより、
ヴィラセニョール家の歴史が語られる。
リオの父はマルコス時代に迫害にあって死に、
マルコスに対する復讐の念があったのだ。

小説の冒頭、
ハワイでの亡命者の死に触れているのだが、
それがフェルディナンド・マルコスだと、この部分で明白に分かる。
マルコスはフィリピンを20年間支配した独裁者で、
日米からの援助金を着服し、
国家資産を着服し、
巨万の富を気づいた人物。
小説の中では「強欲な天才的な詐欺師」と表現する。
そのマルコスにの正体を暴いたのが
レイの父親のオニーで、
新聞紙上でマルコスを批判して目をつけられ、
最後は非業の死をとげる。
マルコスは民衆に追われてハワイに亡命するが、
リオはその命を付け狙う。
1989年のマルコスの死から4年後、
その死体は国に帰還をとげ、
冷凍保存して展示されるが、
リオはその死体の破損を企てる。
そして・・・

父の国を思うとき、
彼女は腐敗と暴力の歴史を憎まずにはいられない。
あまりに欲深い人たちがいて、
あまりに無力な人たちが苦労する国であった。
暗黒の時代が終わって三十年が経つ今も
腐敗と格差は続いて、
社会の中身はさほど変わっていない。

一部に藤沢周平の後継者という意見をもあった乙川優三郎だが、
最近では、時代小説よりも現代小説の作家になってしまった。
フィリピン人と日本人の血の相剋に悩む染色家という
大変難しい題材に挑戦した作品。

小説新潮に2016年7月号から11月号まで連載。
その直後の2016年11月18日、
マルコスの遺体は国立英雄墓地に土葬された。


夫人のイメルダ・マルコスは帰国後、国会議員になり、
息子のフェルディナンド・ロムアルデス・マルコス・ジュニア、
(通称:ボンボン・マルコス 65歳)は、
2022年6月、フィリピンの第17代大統領(父は第10代)に就任している。


つまり、マルコス王朝の復活である。
どうもフィリピン国民はマルコス時代への郷愁があるようだ。

マルコス夫妻がハワイに亡命した後、
住居であったマラカニアン宮殿に
1060足の靴が残されていたことは有名だが、
イメルダが亡命先のハワイで、
宮殿に残してきた豪華な靴が無いことを嘆いた事が報道されると
「同情」した人々により
「善意」で、
片方だけの靴やサイズが不揃いで履けない靴や、
古ぼけて汚れた靴が、主にアメリカ本土より
イメルダのもとに、大量に届けられた。
アメリカ人の皮肉は面白い。

 


ドラマ『中村仲蔵出世階段』

2023年01月05日 23時00分22秒 | 映画関係

[ドラマ紹介]

「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵出世階段」
(ちゅうしんぐら ラプソディー だいごばん
なかむらなかぞう しゅっせのきざはし)

江戸時代に実在して歌舞伎役者・初代中村仲蔵を描くドラマ。
5話連続。

中村仲蔵(1736~1790)とは、
血筋がモノを言い、
名門以外の人が名を成すのが極めて難しい歌舞伎の世界で、
門閥外から大看板となり、
一代で仲蔵の名を大名跡とした立志伝中の人。

孤児だった中村中蔵(のちの仲蔵)は
長唄と踊りの師匠の夫婦に育てられたが、
中村座の中堅役者・中村傳九郎の弟子となり、
役者修業に励んでいた。
しかし、病で倒れた父を助けるために
役者を辞め、豪商・吉川仁左衛門の世話になるが、
役者の夢を捨てきれなかった。
やがて三味線方の娘・お岸と結婚。
養父母の死を契機に、
以前の師匠・傳九郎の許しを請い、
4年ぶりに役者生活に戻る。
ただし、最下層の大部屋からのスタートで、
待っていたのは壮絶ないじめだった。

しかし、めげずに精進していると、
四代目市川團十郎の目に止まって可愛がられ、
猪の足を演じて観客を沸かせ、
大立ち回りのある芝居で輝き、
出世していく。
そして、ついに「名題」と呼ばれる幹部役者になる。
厳しい身分制度の江戸歌舞伎の世界で、前代未聞の昇進だ。
しかし、立作者の金井三笑に目をつけられ、
「仮名手本忠臣蔵」では、
斧定九郎という冴えない役しかもらえない。

定九郎が登場するのは、
判官の切腹の場の後で、
芝居の緊張が解け、
雑談や食事やトイレに立つ人が続出する、
「弁当幕」と揶揄(やゆ)される場面。
山賊のこしらえで、
年寄りを殺して金を盗み、
イノシシを狙った銃で間違って撃たれて死ぬ、
という、誰がやってもしどころのない役。
その上、三笑によってセリフが削られ、
残ったのは、たった一言、「五十両」。
役者としての危機に陥る仲蔵。
さて、どうやって切り抜ける・・・

にわか雨に降られた居酒屋で、
駆け込んで来た武士の姿を見て、
それまで誰もやったことのない定九郎を造形するまでの苦労話は、
講談や落語でおなじみ。
私が初めて知ったのは、三遊亭円楽の落語だった。
円楽は嫌いだったが、
この演目はよかった。

仲蔵はどんな定九郎を作り上げたか。
それまで悪役として赤く顔を塗る慣行だったのを、
全身白塗りにし、
黒羽二重に献上博多帯をまとい、
破れ傘を水に潜らせて水滴を垂らす。
そして、銃で撃たれた後は、
口に含んだ血糊が膝に落ちる。

黒と白と赤のコントラストに観客は息を飲んだ。


シーンと静まり帰った客席に
仲蔵は「受けない、失敗した」と思い込んでしまうのだが、
あまりに見事な造形に、観客が呼吸を止めたのだ。
そもそも家老の息子が、山賊姿で出て来るのに
疑問を感じていた人々は、なるほどと納得。
この演じ方は、継承され、
現代にまで続く。

もちろん仲蔵は定九郎だけを演じたのではなく、
立役・敵役・女形のほか、所作事を得意とした。
「舌出三番叟」のほか、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相、
「義経千本桜」の権太と狐忠信、「関の扉」の関兵衛、
「戻籠」の次郎作、「娘道成寺」の白拍子などが当り役であった。
著書に「秀鶴日記」、」秀鶴随筆」、自伝「月雪花寝物語」などがある。

2021年12月4日と11日にNHKのBSプレミアムで
2回に分けて放送されたもの(89分)を、
BSでの放送ではなかった映像も追加した新たな編集で
1話38分×5話に再構成し(倍の3時間10分)、
2022年12月10日と17日に地上波の総合テレビで放送。

中村仲蔵を中村勘九郎が演ずる。


明るい持ち味がうまくマッチして、
やはり血筋だなあ、と感じさせる出来。
女房のお岸を演ずるのは上白石萌音
これが素晴らしく、
気っ風の良さを演じさせ、
三味線を弾き、「奴さん」「かっぽれ」の替え歌を歌う。
はじめ吹き替えかと勘違いするほど、良い声と節回し。


四代目市川團十郎は市村正親
劇団四季の出身なのに、堂々たる歌舞伎の口跡を聴かせる。


義母の志賀山お俊の若村麻由美
どこで習ったのか見事な踊りを見せる。
仲蔵の師匠である二代目中村傳九郎を演ずる高嶋政宏もいい味。
仲蔵にインスピレーションを与える謎の侍を藤原竜也
金井三笑の段田安則
奈落の守り神の石橋蓮司
みんないい。
脚本・演出は源孝志
三味線の音楽効果は抜群。

狂言廻しのかわら版屋の吉田鋼太郎によって、
歌舞伎の基礎知識を分かりやすく説明し、
江戸歌舞伎の稽古の様子なども興味深く観ることができる。

日頃、韓国ドラマに押されている日本のドラマだが、
この「中村仲蔵」はよかった。
やはり、歌舞伎モノは、
俳優にも脚本家にも演出家にもDNAが作用するのだろう。