空飛ぶ自由人・2

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ノンフィクション『死刑のある国で生きる』

2023年04月30日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

今、死刑制度の廃止が世界の潮流で、
死刑を「すべての犯罪に対して廃止」している国は108カ国、
「通常犯罪のみ廃止」している国は8カ国、
「事実上の廃止」をしている国は28カ国。
つまり、死刑を実質的に廃止している国は計144カ国に及ぶ一方、
死刑制度を維持する国は、発展途上国や独裁国家を中心とする56カ国になる。
先進民主主義国家で死刑制度が残っているのは、
アメリカのおよそ半分の州と日本だけだ。
日本には、欧州各国から、死刑制度廃絶の圧力が常にかかっている。
題名の「死刑のある国で生きる」というのは、そういう意味で、
多くの国が死刑廃止を決めている潮流の中で、
日本がその実現に向かわない理由、
更に、その潮流の乗る必要があるのかどうか、
を問う。
死刑制度があるべきか否か、
犯罪の抑止力はあるのか、
遺族の感情はどうか。
日本独特の死生観の中で、
日本はどうあるべきかを、
豊富な取材によって解きあかそうとする試み。
スペインに拠点を置くジャーナリストだからこそ
書くことができた渾身の書である。

目次
プロローグ 処刑まで、あと一カ月
第一章 生きた目をした死刑囚(アメリカ)
第二章 廃止する勇気(フランス)
第三章 憎む遺族と守られる加害者(スペイン)
第四章 死刑の首都にて(アメリカ)
第五章 失われた記憶と死刑判決(日本)
第六章 償いのために、生きたい(日本)
第七章 死刑は被害者遺族を救うのか(日本)
第八章 現場射殺という名の死刑(フランス)
エピローグ 死に向き合って、生きる
あとがき

まず、驚かされるのは、筆者・宮下洋一氏の恐るべき取材力。
アメリカでは、処刑日が決まっている死刑囚に直接会って質問を問いかけ、
その死刑囚の処刑には立ち会えなかったものの、
執行を目撃した遺族に、言いにくい質問をぶつける。

フランスでは、死刑廃止に尽力して実現させた
元法相にインタビューして、その考えを聞く。

スペインでは、死刑にならず出所してきた人物が
被害者遺族と同じ村、
しかも50mの近くに暮らしているのを取材し、
被害者遺族の感情を問う。

そして、日本では、3人の死刑判決事件の周辺で、
被害者遺族が加害者の死刑を望んでいるのか、
執行によって救われるのか、という究極の問いについて
被害者家族を取材していく。

アメリカの死刑囚は、
妊娠中の妻と5歳の娘、義父をバットやナイフで殺害し、
家に火をつけた男。
本人に会うと、罪を認め、死刑を受け入れ、
信仰によって救われた姿をしている。

筆者は書く。

死刑の存在は、死刑囚の人間性を高めるのか。
彼は、死刑を言い渡されたことにより、
罪を悔い改め、反省し、
祈りを捧げる日々を送ることで、
人間らしさを取り戻していったのではないだろうか。

アメリカでは、死刑執行を専門に取材する記者がいるということに驚く。
AP通信社のその記者は、既に450人の死刑執行に立ち会った。
また、死刑の執行は被害者家族、加害者家族を呼んで、
公開で執行する。
(両者は接触しないように隔てられている)
しかも、その後、被害者家族は記者会見さえ開き、質疑応答に応じる。

被害者家族は、薬物の注入によってなされる処刑が
あまりにあっさりしたもので失望の様子だ。
筆者との会話。

「首を吊るとか、電気椅子にするとか、銃殺とか、
もっと残酷な死刑のほうが
あの男には相応しいと思った」
「死刑は、あなたがたが想像していたものとは
違った印象を受けたということですか」
「あまりにも簡単だったと思います。
もッと痛みを伴う刑だと思っていました。
彼はまったく痛みを感じていませんでした。
手術で麻酔を打たれてノックアウトになった患者・・・
私の目に映ったのはそれだけでした」
「つまり、彼がもっと苦しんで逝くところを期待していたということですね」
遺族は不機嫌になる。
筆者は更に訊く。
「今は幸せな気持ちですか。それとも残念な気持ちですか」
「幸せな気持ちではありませんが、
ホッとした気持ちではあります。
これで終わりました。
私たちも、先に進むことができる気がしています。
正義が実行されたのですから」

筆者の取材は日本に向かう。
次のような疑問のもとで。

死刑を廃止できるのかどうかは、
その土地に住む人々の正義の感覚に関わってくる。
ならば、死刑を維持する日本の正義とは、一体何か。
私にはまだ、その正体が分からない。
想像が許されるならば、
日本を構成する社会の縮図は、
アメリカ型でもヨーロッパ型でもない気がしていた。

日本で取材した小松博文は、
睡眠中の妻子を複数回刺し、
自宅に火をつけて殺害した男。
子供は11歳・7歳・5歳・3歳・同3歳の5人。
この事例の特殊なのは、
逮捕されてから1年後、
持病の肺高血圧症による心不全で意識を失い、
一時心肺停止に陥り、
一命をとりとめたものの、
犯行の一部始終が記憶から消えてしまったのだ。
誰もが記憶喪失は嘘ではないか、と思うだろう。
しかし、面会した筆者の印象では、
本当に記憶を喪失しているようだという。
面会した小松は、淡々と死刑を受け入れていた。

日本では、日弁連が死刑廃止を表明している。
会長の荒中(あらただし)の談話の中に、次のような部分がある。

OECDに加盟する38カ国のうち、
現在も死刑を執行しているのは
日本と米国の一部の州だけになっている。
日本はこれまで、国際人権(自由権)委員会から、
世論調査の結果(注:8割が死刑に「賛成」)にかかわらず
死刑制度の廃止を考慮するよう
何度も勧告を受けている。
このように、死刑制度の廃止せ世界的な潮流となっているのであって、
日本においても、もはや、
このまま死刑制度を維持し続けていくことは許されない」

これについて、筆者は次のように書く。

私はまず、この声明文に、違和感を覚える。
文化や歴史、とりわけ死生観が異なる欧米に、
それが「潮流」であるという理由で、
日本が本当に追随すべきなのか。
長い欧米生活の結果、
欧米が唱える普遍性が絶対的に正しいという考えを
根本的に持たなくなっている私は、
むしろその「普遍性」によって
日本の文化や死生観が揺らぐことのほうを危惧してしまう。

日弁連に所属していながら、死刑存続を公言する弁護士に取材すると、
日弁連の死刑廃止の宣言について、
思いがけない事実が判明する。

「当時、日弁連の会員は3万7600人。
大会に参加したのは、786人だけでした。
そのうち、死刑廃止賛成が546人、反対が96人、棄権が144人でした。
日弁連の問題は、
これだけで日弁連の意志と言ってしまったことです。」
私はこの事実を知るまでは、
日弁連のほぼ全会員が死刑に反対しているとの印象を持っていた。

別の弁護士は、こう言う。

「妻や娘が強姦されて殺されたら、
私は弁護士バッジを捨てて
そのまま刺しに行こうと思う。
実際に刺すかどうかは別にして、
犯人は死刑にしてもらうしかないと思う。
それは日本人の感覚なのではないですか。
死刑はよくないとおっしゃるお坊さんには、私は、
『もしあなたの家族が殺害されたとしても、
死刑はよくないと言い切れますか』と
意地悪な質問をします。
すると、大抵のお坊さんは黙ってしまうのです」

もう一人の死刑囚は、奥本章寛(おくもとあきひろ)。
赤ん坊の首を絞めた上、浴槽で溺死させ、
妻の首を包丁で刺した後、ハンマーで頭を叩いて殺害。
義母も同じように撲殺した。
妻と義母から精神的圧迫を受けての犯行で、
この死刑囚には、周囲は同情の色を隠さない。
しかし、まだ5カ月の赤ん坊まで手にかけるとは。

更にもう一人の死刑囚は西口宗宏(むねひろ)。
ショッピングセンターで主婦を拉致して、
現金とキャッシュカードを奪い、
顔をラップフィルムで巻いて窒息死させ、
死体をドラム缶で焼却。
その一週間後、84歳の資産家宅に押し入って金を奪い、
またもラップフィルムで窒息死させたもの。
筆者は主婦の遺族に会って話を聞く。
息子は言う。


「生きたまま溶鉱炉に落としたい。
お袋が殺されて、焼かれたわけでしょ。
だからお前は、生きたまま苦しみを味わって死ねという感覚ですよ」

夫は言う。

「私は、事件が起きてから、
死刑廃止論者の本もたくさん読みました。
それも一理あるとは思うのですが、
ほんならあんたの家族が同じことになっても、
同じことを言えるんかい、と。
それが私の本心ですよね。
だからこの国から死刑制度がなくならないことを、
ずっと望んでいます」

最後に、核心部分の会話。

「もし西口の死刑が執行されたら、
心の平安は訪れると思いますか」
「ひと段落したと思うでしょうね、きっと」
「もし、遺族の心に平安が訪れないとなると、
死刑は何のためにあるんでしょうか」
「僕の中では、何も解決しません。
西口が死のうが生きようが、
母親は帰ってこないわけですから」
「ならば、死刑でなくとも、
仮釈放のない終身刑という考え方もあると思うのですが」
「それやっから、まだ分からなくないです。
一瞬にして死刑を受けるよりも、
きっと苦しくて、それが死ぬまで続くことを考えればですがね」

どうやら、筆者の着地点は、このあたりにありそうだ。

気がつけば、私は、
被害者遺族の感情にび寄り添う死刑維持の立場でもなければ、
人道主義から唱える死刑廃止の立場でもなかった。
両者の正義はいずれも正しく、
反発し合う磁石のように、和解する奇跡は起こり得ない。

そして、
刑法学者の重松一義の、次の言葉を引用する。

「私は死刑制度は人類と獣類とを区別するレフリー、
分岐点として存在すべきものとの認識にあり、
たとえ千年、万年凶悪犯罪が起こらぬとも、
人類自身の戒めとして、錘として、
法として掲げつづけて置くことが、
人類の叡知であり、見識であり、
人間の尊厳と考えるからに他ならない。
法は存在すること、すなわち、
たとえ適用されずとも厳然として在ることに意味があり、
これほど重大な存在価値ある死刑制度を、
時に試行、時に一時停止、時に暫定的廃止、
そして復活すること自体に誤りがあるといわねばならない」

最後に、こう書く。

私は、人の命の大切さに重きを置くならば、
重大犯罪に手を染めた者たちが、
「より良く生きる」ためにも、
極刑に向き合うべきだと
改めて考えるようになった。
死刑囚は、そうすることで、
生の尊さを知ると思うのだ。

死刑制度はなくさなくとも、
処刑は回避できる。
そこに、今後の日本が進むべき道のヒントがある気がした。

現在日本には、死刑が確定しながら、執行されていない死刑囚が105人いる。
法律では、特別な理由のない限り、
死刑判決が確定してから6か月以内に死刑が執行されなければならないのだが、
事実上、空文となっている。
また、再審請求がある場合は、執行が停止されることから、
再審請求を繰り返して、執行逃れをしている者もいる。
死と向き合って、「よい人生」になっている例ばかりではないのも事実だろう。

そして、こうした未執行死刑囚にかかる経費は
税金でまかわれているという事実も着目しなければならない。

私は、死刑制度はあるべきだと思っている。
犯罪抑止効果とか、被害者遺族の感情もあるが、
それ以上に、
人間は自分のした行為については、
しっかり責任を取るべきだと思うからだ。
人の命を奪ったのだから、
自分の命で償うのは当然だ
まして、残酷な殺し方をした人間には情状酌量の余地はない。
命を奪われた人は、望まない形で命を断たれ、
後の人生全てを失ったのだから。
死刑囚の命も大切という論もあるが、
なればこそ、大切な命でつぐなってもらうのは当たり前だ。
どうして日本の社会は、加害者にこんなに甘いのだろう。

私は、人間だから、殺意を抱くことはあっても、
それを実行するのは、深い淵を飛び越えることだと思っている。
加害者の心の闇を理解しようとしても、
どうやっても理解不能だ。
日本の二人の死刑囚が、幼い自分の子供を残虐に殺しているのを見ると、
悪魔に魅入られたとしか思えない。
また、主婦を殺した後、ドラム缶で焼却するなど、
人間のすることではない。

死刑廃止を主張する人は、
次の声に真摯に答えなければならないだろう。

「自分の娘が殺されたのに、なぜ犯人は刑務所でのうのうと生きているのか」

そして、この声も。

「自分の子供が殺されても、裁判官は犯人に同じ判決を下せるのか」

白黒の判断が難しい問題に真正面から切り込んだ
素晴らしいノンフィクション
宮下洋一氏の、ものすごい筆力に圧倒された。
この方、スペイン在住で、
著作もまだ数冊ほど。
どうやって取材費を捻出しているのだろうと心配したら、
ちゃんと資金援助してくれる人がいた。
こういうお金の使い方を、お金持ちにはしてもらいたい。

 


映画『パリ タクシー』

2023年04月29日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

タクシー運転手シャルルは、
金欠で首が回らず、
実家の家を売ろうかと迷っている。
兄に借金もしている。
低賃金・長時間労働で家族と過ごす時間も取れない。
しかも、もう一度違反をしたら免停になる状況で、
びくびくしながら町を流していた。

そんなシャルルに、長距離客の話が舞い込む。
パリの南東部から北西部の養護施設まで
入居予定の老婆を送り届ける仕事だ。
マドレーヌという女性は92歳で、
長年住み慣れた家を名残惜しそうに見上げて乗って来た。
パリを斜めに横断する間、
マドレーヌはあちこち寄り道を指定する。
それは彼女が生まれた町、父親がナチに処刑された場所、
アメリカのGIと恋に落ちた思い出、
結婚して、DVの夫と息子と住んだ町など・・・
マドレーヌは、それぞれの場所との因縁を語って聞かせる。
それは、今の上品な容貌とは正反対の、
過酷で大変な人生だった・・・
ただのおしゃべりなおばあさんではなかったのだ。

というわけで、主な登場人物はシャルルとマドレーヌの二人。
車の中での会話に、
過去の情景が挟み込まれる。
そして、鬱屈を抱えたシャルルの心が溶け始め、
二人の間に心が通う。

どんな老人にも、
若い時があり、
未来への希望を抱く時があり、
恋に燃えた時がある。
その人生の断片
一人の老婆の口を通じて語られた時、
観る者も、その人生を辿ることになる。
そういう人生の機微を切り取った心に残る映画

乗客と運転手の心の触れ合いを描く作品は、
「ドライビング MISS デイジー」(1989))や
「グリーンブック」(2018)、
「パリの調香師 しあわせの香りを探して」(2020)、
「人生タクシー」(2015)などがあるが、
その一角に、本作が食い込んで、堅固な位置を占めた。
こういう話は、俳優の演技力がものを言う。
シャルルを演ずるコメディアンのダニー・ブーン
マドレーヌを演ずる国民的委シャンソン歌手リーヌ・ルノーの二人の味で成立する。
まさに配役の妙。
特に、リーヌ・ルノーは、撮影時、役と同じ92歳であったというから驚く。
46歳のシャルルと92歳のマドレーヌ。
丁度倍の年輪の差がかもしだす雰囲気が観客を酔わせる。

男尊女卑の暗い時代もあり、
老婆の生涯を通して、現代フランス女性史も描かれる。
重いテーマを絶妙なユーモアでくるむ、
脚本と演出が素晴らしい。
脚本・監督は、クリスチャン・カリオン

時折挿入される、シャンソンやジャズボーカルが耳を潤す。
パリの美しい街並みや交通事情がよく分かる。
タクシーの中の描写は全編スタジオで撮影された。
パリの道路を走った映像をスクリーンに映し出して、
窓外の風景として描いた。
ブルースクリーン撮影ではなかったのだ。

ラストは予定調和的だが、
それで観客はほっとする。
心に染みとおる映画だ。

編中出て来る110万ユーロは、
日本円にすると、1億5千万円。

5段階評価の「4」

新宿ピカデリー他で上映中。

 


昼食事情

2023年04月28日 10時41分18秒 | 身辺雑記

私は、朝はトースト、昼は麺、
夕食はカミさんの手料理と、
健康で真面目な食生活をしていますが、
外出した際は、町の飲食店でお昼を食べます。
それも、テレビの情報番組で紹介されたお店を
あらかじめネットで所在地を確かめておいて、訪問します。
わりとマメです。

そこで、この1、2か月食べた外食を紹介します。

まず、こちらは、渋谷にある野菜炒め専門店

注文はタブレットで。

これが定食。

相当な量です。

次は、上野アメ横にある中華料理店

左の餃子が

普通の4,5倍あります。でも、美味。

五反田のカレー専門店

牛すじ煮込み野菜カレー

製造方法が表示されています。

渋谷でよく行く中華料理店

「あめとーーく」で紹介されたことがあります。

広東麺

セットにすると半炒飯が付きます。

渋谷の宮下パークの

入口付近に出来たグルメスポット。

ご当地グルメが何軒も。

その一つでトンテキ丼を。

東京トンテキが閉店してしまい、残念。

外はこんな感じで、

外国人が好みそうです。

南船橋ららぽーとの唐揚げ専門店

門前仲町のラーメン屋。

食べても食べてもなくなりません。

おなじみの日高屋で、

レバにら炒め定食を。

これもよく行く京橋の店で、

づけ丼

量が多くて満足です。

浦安のかつやで、

カツ丼の梅。

おいしい上に、必ずくれる100円クーポンを使えば、
500円以下で食べられる、お得なランチ。

これは、以前に書きましたが、

新浦安、海に近いハイアット・リーゼンシー

ランチセット。

肉も魚も食べられるという、お得なセット。

娘は、誕生日の申告はしていない、というのですが。
シェフに超能力でもあったのか。

「マツコの知らない世界」で紹介された銀座ランチの和食店。
開店10分前に行ったら、すでに35人の行列が。
先頭の人は開店40分前に来たそうです。
テレビの力はすごい。

断念して、上野のこの店に。

「えっこうびしょく」と読む、香港料理の店。

土鍋ごはん

これは、↓の番組で紹介。

都内に3店ありますが、その上野店に。

注文すると、「25分ほど待ちますが、いいですか」と訊かれます。
本を読んで待っていると、料理が到着。
店員さんがほぐしてくれます。

お米から炊き、干し豚バラと
ソーセージのスライスを上に乗せ、
自家製醤油をかける。

お椀に盛っていただきます。

どうみても2,3人用。
食べ残したら持ち帰り可能か訊いてみようと思っていたのですが、
しっかりお腹に収まりました

日本を訪問した外国人が異口同音に言うのが、
食べ物のおいしさと安さ。
今、日本は、世界一おいしいものを安く食べさせる国になっています。

 


漫画『ジャングル大帝』

2023年04月26日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

今回は、いつもとは、変わった本を。
講談社「手塚治虫漫画全集」の
「ジャングル大帝」3巻計534ページ

数ある手塚治虫作品の中から3つを選ぶとすれば、
「ジャングル大帝」
「鉄腕アトム」
「火の鳥」
ということになるでしょうか。(私見)

「ジャングル大帝」は、
当時大阪在住で、単行本の描き下ろしを中心として来た手塚治虫が、
中央で本格的なデビューを飾った作品。


学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に
1950年(昭和25年)11月号から1954年(昭和29年)4月号にかけて
全43回を連載。
連載開始時は4ページ、
第2回からは扉ページのついた10ページに拡大になり、
連載中は最大で16ページになるなど「漫画少年」の看板作品に。
これ以後の手塚は、
単行本描き下ろしから、
月刊漫画誌に仕事を切り替え、
大学卒業後は漫画家に専念。
1951年に『少年』誌に「鉄腕アトム」の連載を始める前の初期作品だが、
その後、単行本化され、何種類ものヴァージョンが出版された。

「鉄腕アトム」でテレビアニメに進出した後、
ついに1965年、カラーアニメとして、テレビで放映。


アメリカでは「Kimba the White Lion」として人気を博した。
主人公の名前は「キンバ」と変えられていた。

アフリカのジャングルを舞台に、
ホワイトライオンのレオを中心とした一家3代と
謎のパワーを秘めるムーンライトストーンを巡って
争奪戦を演じる人間たちの群像を描く大河ドラマ。
少年向きとはいいながら、
その構想の大きさ、緻密なストーリー展開に瞠目する。

今回再度読んでみると、
手塚治虫らしさがあふれている。
たとえば、人間の計略にあって父のパンジャが命を落とした後、
ロンドンの動物園に移送される母が船の中で息子レオを産む。
母親はレオにアフリカに帰るよう勧め、
海に飛び込んだレオが
旅する蝶の群れを追って故郷を目指すという展開の妙。


アデンに漂着したレオがケンイチとヒゲオヤジの家に住み、
ムーンライトストーンを獲得する冒険団の一員としてアフリカに帰還した時、
人間の世界、都会を見てきたレオが
アフリカの自然を見て、激しく失望する場面。
そして、毛皮の置物にされた父と出会い、
ジャングルに戻った時、
動物たちに「王子さま」と迎えられ、
王国の再建を覚悟する。


動物たちを集めて、
その声でオーケストラを演奏する。


こんなこと、ディズニーだって思いつかなかった。
ついに人間の言葉を話せるようになったレオに、
ケンイチが驚いて、何度も自分の名前を呼ばせるところ。


手塚治虫でなくて、誰がこんなことを考えただろう。
そして、妻ライアとの間に子供(ルネとルッキオ)をもうけ、
それを天国の父母に報告するところ。


川を下ったルネが人間に遭遇するところ。
手塚治虫らしいロマンとヒューマニズムが横溢するシーンの数々。

背景には、大陸移動説にまつわるムーンライトストーンがあり、
その石を巡っての争奪戦。
小学生だった私は、このマンガを通じて、
大陸移動説というものがあることを初めて知ったのだった。

そして、最後にレオはヒゲオヤジを救うために命を落とし、


ニューヨークからアフリカに帰って来たルネに
ヒゲオヤジは、その毛皮を託す。

最後は↓の絵の後、

ルネに子供が生まれ、
パンジャ、レオ、ルネと孫たちに続く命の連鎖
王国の隆盛を告げて終わる。

何というスケールの大きさ。
何という豊かなロマン。

実は、学齢前の私は「漫画少年」の連載中に
この作品に触れている。
その後の単行本化で、
光文社から出たハードカバーの本(1967)を親に買ってもらった。
今も持っていたら、どれほどの価値が出るだろう。
その時の本では完結しなかったラスト
この「手塚治虫漫画全集」 (1977) で初めて読むことができた。

アニメ化された時は、ワクワクしながら観た。

主題歌は、今でも覚えている。
その後、何度も映画化されている。


手塚治虫の財産なのだ。

あとがきで書いているのだが、
「ジャングル大帝」のオリジナル原画は、大半が紛失した。
虫プロの社員がアニメ化の際に作画の参考資料として持ち帰った際、
本人が自宅で亡くなってしまい、
原画の行方も分からなくなってしまったのだ。
それで、全集にする時、始めの方は、改めて描き直したのだという。
これまで8回本になっており、
そのたびにストーリーが変わっているが、
この第3巻は、ほとんど元のままだという。

1994年、ディズニーの「ライオン・キング」が公開されると、
「ジャングル大帝」と類似している、
ディズニーが模倣したのではないかと日米で話題になった。
ディズニー側は、アメリカで放送された「Kimba the White Lion」を
スタッフは見ていないとして、模倣を否定した。
だが、スタッフの世代からして見ていないというのは苦しい言い訳で、
何らかの影響はあったに違いない。
そもそも、「ライオン・キング」の主人公の名前がシンバというのだから、
Kimba the White Lion」と、無関係という説明には説得力がない。
手塚治虫を敬う漫画家たちは、
ディズニー側に質問状を送った。

しかし、著作権を管理している手塚プロダクション並びに遺族は
仮に盗作だったとしてもディズニー側と事を構えないことを決めた。
理由は
「ディズニーファンだった故人が
もしもこの一件を知ったならば、
怒るどころか
『仮にディズニーに盗作されたとしても、むしろそれは光栄なことだ』
と喜んでいたはずだ」
というもの。
かつて虫プロに在籍していたスタッフの一人は、
文化は互いに影響しあうものであるとして
手塚プロの対応を見識であると評価している。
漫画家たちへのディズニー側の返信は、
模倣は否定しつつも、手塚治虫の業績を認め、
手塚へ敬意を表する旨が記されていたという。

なお、手塚は「バンビ」が日本で公開された翌年の1952年に
「バンビ」の漫画化を手掛けている。
その当時の日本におけるディズニー社の映画の総代理人で
大映社長であった永田雅一の許諾を得た上での
完全に合法な出版物だった。

なお、1997年、松竹が製作した「ジャングル大帝(劇場版)」は、
海外での公開上映も意図していたが、
最初のカナダ公開の際に
「ライオンキング」に類似した情景の箇所を複数含んでいることなどを理由として
ディズニープロから訴訟を起こされ、海外での公開上映を中止にした。

手塚はディズニーを尊敬しており、
「白雪姫」は映画館で50回、
「バンビ」は100回くらい見たという。

漫画を動かしたいという願望は手塚には強く、
その後、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝家」の放映などで、
アニメのパイオニアしての役割を果たした。
手塚治虫がいなかったら、
今の日本アニメの今の隆盛はなかっただろう。

手塚は、アニメ制作に向かう若者の物語として、
「フィルムは生きている」を描いている。

↓は、誕生日に娘がプレゼントしてくれた、「ジャングル大帝」のタンブラー

                                                                                             


映画『2ハート』

2023年04月25日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

2組の男女の恋愛が描かれる。
クリスは、大学でサムと知り合い、恋に落ちる。
ホルヘは、キャビンアテンダントのレスリーと機内で知り合い、恋に落ちる。
クリスはアメリカの中流家庭の息子。
ホルヘはキューバの金持ちの息子のビジネスマン。
別々の場所で生きた二組のカップルが
どの時点で交錯するのか。

ホルヘは肺に障害があり、長くは生きられないと医者に宣告されるが、
生き延びている。
クリスは突然脳動脈瘤が破裂するが、
命を取り止め、結婚し、子宝に恵まれる。

まあ、二組の恋愛事情は、
いちゃいちゃ感が強く、
何見せられているんだろ、という印象。
しかし、映画の3分の2進んだ時点で、
物語は、全く違う様相を呈する。
未見の人のため、核心部分が書けないもどかしさ。

ただ、順調に進んでいたクリスの人生は、
語り手であるクリスの
「本当のことを話そう」というセリフで暗転する。
監督は、観客を誤誘導していたのだ。
結婚式のシーンで「あれっ」とは思っていたが。

で、最後の3分の1は、
感動的で胸を打つ。
これも詳細を書けないので、辛い。
映画の冒頭で描かれていたことが
ああ、そういうことかと、意味を持って来る。
巧みな作りで、
演出も俳優もなかなかいい。

実話
2017年に出版された本が原作。
ホルヘ夫妻とクリスの家族は、
その後、親交を深める。
ホルヘは、資金を投じて、
ある非営利施設を立ち上げる。
ホルヘは2020年9月に亡くなったという。

観終えると、題名の意味が分かる。

監督はランス・フール
出演は、ジェームズ・ジャンドリッシュ
ジェイコブ・エロルディジェイコブ・エロルディ
エイダン・カントエイダン・カント
ラダ・ミッチェルラダ・ミッチェル
ら知らない人々。

 Netflixで配信中。