空飛ぶ自由人・2

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浦安シティオーケストラ演奏会

2024年05月26日 23時00分00秒 | 音楽関係

今日は、浦安市文化会館↓で、


↓のコンサート。

私の誕生日祝賀演奏会。
(ウソ。今日が誕生日というのはホント)

浦安シティオーケストラは、
1989年創立の
千葉県浦安市で活動しているアマチュアオーケストラ
毎週日曜日の午後、練習を行い、
年に2回演奏会を開催。

今日は、その第61回定期演奏会。

曲目は、
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」Op.9
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74「悲愴」

指揮は、東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻を卒業された河上隆介氏。


ヴァイオリン独奏は浦安出身のヴァイオリニスト、清水ちひろさん。

最初の曲は、
ルイ・エクトル・ベルリオーズ
(1803年12月11日~1869年3月8日・65歳没)
が1844年に作曲した管弦楽曲、
序曲「ローマの謝肉祭」作品9。

題名から想像される
「ローマの謝肉祭」というオペラは存在しない。
オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」(1838)の
第2幕の前奏曲として作曲されたもので、
このオペラは失敗に終わったが、
ベルリオーズは自身の作品に対する愛着から、
このオペラから主要な旋律を引用して
単独の管弦楽曲へと編集、演奏会用序曲となる。
ベルリオーズの序曲の中では今日最も頻繁に演奏されている。

次の2作は、
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
(1840年5月7日~1893年11月6日・53歳没)
の曲。

ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35は、
1878年に作曲されたヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲。
ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスの
いわゆる「三大ヴァイオリン協奏曲」に、
本作を加えて「四大ヴァイオリン協奏曲」と言われることもある。          
依頼したヴァイオリニストから「演奏不可能」と拒絶されたこともあり、
初演は、3年後の1881年12月4日、
ロシア人ヴァイオリニストのアドルフ・ブロツキーの独奏、
ハンス・リヒター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われた。
しかし、指揮者も楽団員も作品を好まず、
全くの無理解のうちに演奏を行ったため、
その演奏はひどい有様で、
聴衆も批評家もこの作品をひどく批判した。
しかし、ブロツキーは酷評にひるむことなく、
様々な機会にこの作品を取り上げ、
しだいにこの作品の真価が理解されるようになったという。

 

チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」は、
1893年の作。
作曲への着手は2月4日、完成は3月14日、
10月28日、作曲者自身による指揮で初演。

それから9日後の11月6日にチャイコフスキーは急死
死因には諸説があるが、
会食時に、周りが止めるのを聞かずに生水を飲んだことで
コレラに感染したとされる。
直接的な死因は、併発した肺水腫だった。

死因の「諸説」だが、
チャイコフスキーは同性愛者で、
ある貴族の甥と男色関係を結んだため、
この貴族が皇帝に訴えて秘密法廷が開かれ、
そこでチャイコフスキーの名誉を慮って
砒素服毒による自殺が決定・強要されたという説。
しかしこの説は、後の綿密な研究により、否定されている。

交響曲第6番は、
チャイコフスキーの作品にありがちな、
初演時の聴衆の反応は好ましいものでなかったとされる。
不評の理由は作品の持つ虚無感と不吉な終結によるものと思われる。

衝動的情熱、自信、活動への渇望~愛~失望~死 
と、全体で人生を標題している。

普通、交響曲の典型的スタイルは、
素早い楽章~ゆっくりな楽章~舞曲~素早い楽章
で、最後は盛り上がって終わるが、
この作品は、「死」で終わるため、
静かな終わり方を迎える。
いつ拍手していいか戸惑うほど。

「悲愴」とは、悲しく、いたましい様

しかし、チャイコフスキーは、初演の不評にもかかわらず
「この曲は、私のすべての作品の中で最高の出来栄えだ」
と周囲に語るほどの自信作だったようだ。                     

チャイコフスキーの葬儀は
11月9日に国葬で行われた。
六頭立ての馬車に棺が乗せられ、
最初にマリインスキー劇場へ運ばれた。
その葬列は聖職者、遺族、各界代表者、法律学校の学生など長いもので、
道の両側には見送る群衆が1万人にも達した。


葬列はマリインスキー劇場から
カザン大聖堂に向かい、ここで葬儀が行われた。
大聖堂には本来の収容人数を超えて、
8千人以上の人々が参列した。
葬儀は2日かけて行われ、
チャイコフスキーの生前の希望で、
アレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフビン墓地に葬られた。

葬儀の2日前、11月7日には
交響曲第6番が
エドゥアルド・ナープラヴニークの指揮によって再演され、
大きな反響を呼んだ。

浦安シティオーケストラは、団員80名で、
こんなにもアマチュア音楽家が活動していることに驚く。
しかも、週1回の練習でここまでの演奏を聴かせるとは。

アンコールは、
チャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ」
(弦楽四重奏曲第1番の第2楽章)

カミさんと二人、
至福の誕生日でした。

ところで、会場で配られていた↓このチラシ。

合唱サークルが16もあります。
浦安は、ダンスサークルも多い。
他にクリニックと薬局も多い町です。

 


「エリザベート」コンサート in シェーンブルン宮殿

2024年04月02日 23時00分00秒 | 音楽関係

ウィーン生まれの世界的ヒット・ミュージカル、
「エリザベート」のコンサート形式の上演。


ハプスブルク王朝ゆかりの
シェーンブルン宮殿で行われた。

シェーンブルン宮殿・・・
オーストリアの首都ウィーンにある宮殿。
ハプスブルク帝国の歴代君主が、
主に夏の離宮として使用した。
現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。

ミュージカル「エリザベート」は、
ハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフの妃となり、


皇太后との確執の軋轢、
伝統と格式を重んじる宮廷との葛藤で苦しみ、
自由に生きることを望みつつ
革命の勃発、皇太子ルドルフの自殺などに翻弄され、
やがてウィーンを離れヨーロッパ中を流浪する日々を送り、
その旅の果てに
無政府主義者に暗殺された皇后エリザベートの
波乱に満ちた生涯を描く。
中央ヨーロッパにおける帝国支配の終焉と
新時代の萌芽を描いた作品。

ミヒャエル・クンツェ(脚本・作詞) 、
シルヴェスター・リーヴァイ(作曲・編曲) の名コンビによる
美しいメロディと
躍動するスペクタクルに溢れた史劇ミュージカルの傑作

1992年ウィーン初演以来、
日本、ハンガリー、スウェーデン、オランダ、ドイツ、
イタリア、フィンランド、スイス、ベルギー、韓国など、
世界中で翻訳版が上演(14カ国、9言語、観客動員数1200万人) され、
日本でも宝塚歌劇団と東宝による再演が重ねられた
人気ミュージカル。
ただし、アメリカでは上演されていない
ウィーン・ミュージカルはブロードウェイと体質が違うので、
受け入れがたいらしい。
笑いがないとブロードウェイではヒットしないので、
陰鬱のウィーン・ミュージカルはやはり受けない。
「ダンス・ウィズ・バンパイア」は惨敗、
「レベッカ」は上演の予告はあったが、
何時の間にか絶ち消えになった。

 別説には、アメリカ人にはハプスブルク家の話など全く知らないから、とも。

初演から30周年の記念すべき2022年の夏、
登場人物たちが実際に起居した
ウィーンのシェーンブルン宮殿で
欧州のミュジーカル・スターによって演じられた
コンサートの収録映像。

このコンサートは、
2019年に始まったが、
2020年、2021年はコロナ禍で中止になり、
2022年6月30日、7月2日は
3年ぶり2度目の上演となった。
今年も行われる予定。

エリザベートは、マヤ・ハクフォート
エリザベートの少女時代は、アブラ・アラウィ
トート(死)は、マーク・ザイベルト
暗殺者ルイジ・ルキーニは、ダフィット・ヤーコプス
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフは、アンドレ・バウアー
皇太后ゾフィーは、ダニエラ・ツィーグラー
皇太子ルドルフは、ルカス・ペルマンが演じている。
いわばヨーロッパでの「エリザベート」の選抜キャストの趣。
演出は、ギル・メマート
指揮は、ミヒャエル・レーマー
ウィーン劇場協会管弦楽団が演奏。
作曲者のシルヴェスター・リーヴァイが
一曲だけ指揮を振る。

出演者たちはちゃんと扮装し、
動きもついていて、
コンサートというよりはミュージカル舞台寄り。
コンサートの目玉は、
1994年以来、
世界最長期間エリザベートを演じ続けたマヤ・ハクフォート。
ただ、年齢的に少女時代を演ずるのは無理らしくて、
若い女優が演じ、
途中で、入れ替わるという演出。
ただ、それでもしっかりおばさんで、
エリザベート役にはやや無理があった。
トート役はかっこいいし、声もいい。
皇帝ヨーゼフ役、皇太子ルドルフ役も
役柄をよく理解した演技で苦悩が表現されていた。

私は1996年、東京宝塚劇場でこの舞台を観ているが、
全く記憶にない。
キム・ジュンス主演の韓国版は、
3、4回観ているが、
今度のは本家本物のドイツ語版。
ああ、こういう語感で歌われていたのか、
と初めての感覚。
字幕が出るので、ストーリーが良く分かった。

暗殺者ルイジ・ルキーニを狂言回しにし、
エリザベートにつきまとい誘惑する「死」(トート)という
死の抽象概念を擬人化した存在
天才的な設定が生きる

「最後のダンス」、「私だけに」、「闇が広がる」
「ミルク」、「キッチュ」など名曲ばかりの中、
エリザベートが皇帝ヨーゼフとの
心のすれ違いを
積荷も目的地も違う二艘の船に例え、
海上で偶然すれ違うことはあっても、
二人が相容れることは決してないと告げる
「夜のボート」が印象的だった。

「私が旅に出るたびに、
 カモメの群れが船のあとについてきた。
 その中には必ず、
 ほとんど黒に近い濃い色のカモメが一羽いる。
 時にはその黒いカモメが、
 大陸から大陸へと移動する間、
 ずっと私に付き添っていたこともあった。
 その鳥は私の運命なのだと思う... 」
というエリザベートの自作の詩から
「死」が着想されたという。

2時間があっという間に過ぎ、
大変な傑作だと
改めて認識させられた。
これを観れないアメリカ人は可哀そうだ。

ミヒャエル・クンツェとシルヴェスター・リーヴァイのコンビ作品は、
「エリザベート」の他に
「モーツァルト! 」(1999)、
「レベッカ」(2006)、
「マリー・アントワネット」(2006)などがある。

 


相撲博物館

2024年03月08日 23時00分00秒 | 音楽関係

先日、両国を訪れて、


野見宿禰(のみのすくね)神社に行く前に
訪れたのが、ここ↓国技館の中にある、

相撲博物館

日本の国技といわれる相撲の資料を収蔵した施設。

1954年(昭和29年)9月の
蔵前国技館完成時に併設される形で開館し、
1985年1月の両国国技館完成に伴い現在地に移転。

入場料は無料。
ただ、国技館に併設しているため、
国技館で本場所や有料の催し物がある際は、
国技館の入場券を持っている方しか入れません。

中は一部屋に集結。

今は、辰年にちなみ、
龍にまつわる展示が中心に。

 

龍の絵柄の化粧まわしや
浴衣などが展示されています。

土俵は、意外と狭い。

相撲は神事であることを示す展示。

相撲はスポーツではありません。

野見宿禰神社の授与所も開設。

歴代の国技館。

なんといっても花形は横綱

このディスプレイで歴代横綱を見ることが出来ます。

                
栃錦・若乃花の「栃若時代

柏戸・大鵬の「柏鵬(はくほう)時代

同時昇進ですが、柏戸の方が早い代なのは、
先に引退した力士が早い代に数える慣例のため。

若乃花・貴乃花の「若貴時代」。

親子三代の名跡継承、
兄弟横綱など、
日本人好みの要素が沢山あり、
この頃が大相撲の華の時代でした。
まさか、後であんなに不仲になるとは。

私は千代の山のファンで、


1957年1月場所で全勝した時には、
小学生だった私は、
人生初にして最後のファンレターを送りました。

千代の山の流れを組む、出羽海部屋の佐田の山もファン。

引き際が潔かった。

一緒に画像を見ていた
見知らぬ中年男性と想い出話。

近辺には、こんな面白いものもあります。

 


バッハとモーツァルトのコンサート

2024年02月23日 23時00分00秒 | 音楽関係

今日は、雨の中、
再び、ここ↓タワーホール船堀へ。

今日は大ホールで、

この↓コンサート。

合唱NAO(なお) コーラスグループ、
演奏は東京シンフォニックアンサンブル。

開場5分前に行ったら、この行列。


高齢者が多いです。

中央のベストポジションを確保。

前半は、バッハ
カンタータ第147番「心と口と行いと生きざまをもって」
ヨハン・ゼバスチャン・バッハが
1723年に、主の母マリア訪問の祝日のために作曲したと
される教会カンタータ。

カンタータとは、
単声または多声のための器楽伴奏付の声楽作品をいいます。
バッハは、ライプツィヒの教会の音楽指導者となり、
毎日曜日の礼拝に合わせて年間50~60ほどのカンタータを
ほぼ毎週作曲、上演するという、驚異的な活動を行いました。
今日残されているのは、約200曲の教会カンタータで、
その他、50曲が紛失しています。

カンタータ第147番は、
数あるバッハの教会カンタータの中でも
抜群の人気作で、
2部10曲で構成される中、
第6曲第10曲は特に親しまれており、
(歌詞は違うが、曲は同じ)
どこかで聞いたことがあると思います。

聴きたい方は、↓をコピーして使って下さい。

https://youtu.be/XCSW4dxpW8A?t=6

続いて、
モテット第6番「主を称えよ、全ての異教徒よ」
を演奏。
モテットとは、
聖書の詩編などを歌詞にもつ多声の宗教声楽曲。
バッハは6曲(異説では8曲)モテットを作曲しています。

ここで休憩が入って、後半は、
モーツァルトのレクイエム(死者のためのミサ曲)。
モーツァルトの最後の作品で、
その死によって未完のまま残され、
弟子のジュースマイヤーにより
補筆完成されたもの。
ヴェルディ、フォーレの作品とともに
「三大レクイエム」の一つに数えられています。

実は私がクラシックの中で一番好きなのは、
バッハの「マタイ受難曲」
2位がフォーレの「レクイエム」で、
3位がモーツァルトの「レクイエム」。
全部宗教曲なのは何故でしょうか。

忘れられないのは、
「アマデウス」の中で効果的に使われたことで、
ピーター・シェーファーの戯曲(1979)では、
モーツァルトの才能を妬む宮廷作曲家のサリエリが、
策略を使ってモーツァルトを窮乏に追い込み、
「レクイエム」作曲中の体調の悪いモーツァルトを
死神の格好で精神的に混乱させ、
死に至らせる、という展開。


映画化された「アマデウス」(1984)では、
そのサリエリがモーツァルトと共に
「レクイエム」の作曲を一緒にする
という驚天動地の脚色がなされ、
(原作者自身の脚色)
モーツァルトの口述を
サリエリが採譜していく中、
「レクイエム」の曲が効果的に使われています。
この場面は鳥肌モノでした。

ちなみに、
映画「アマデウス」は、
1984年度のアカデミー賞で、
作品賞・監督賞・主演男優賞・
脚色賞・美術賞・衣裳デザイン賞・
メイクアップ賞・録音賞の8部門を受賞
私の「宇宙旅行に持っていく10本の映画」の一つです。

今回のコンサート、
コーラスは36人、
管弦楽は22人と
やや小ぶりの編成で、
どうかな、と思いましたが、
なかなかの演奏で、
この曲を聴くいつものように、
泣きそうになりました。
特に、4人の独唱者の歌唱が
視覚的に捉えられ、
ああ、こういう風に連携していたのか、
と納得しました。

また、正面の壁に歌詞の日本語訳が映し出されて、
今歌われている内容がよく分かり、
キリスト教の死生観、審判への恐れ、
復活への希望が伝わり、
なかなかの趣向でした。

↓は字幕のプロジェクター。

寒い雨の中でしたが、
心が豊かになる冬の一日でした。

指揮者は近藤直子さん、
ソリストは、↓のとおり。


ジュンスのガラ・コンサート

2023年10月31日 23時00分00秒 | 音楽関係

今日は、昼から家族3人で、↓ここへ。

この写真では、どこか分かりませんね。

そうです。有楽町の国際フォーラム

今日は、一番大きい↓Aホールで、

パームツリー アイランド ガラ コンサート

「ガラ」とは、フランス語で「祭典」を意味し、
「ガラ コンサート」とは、
何かを記念して企画され、特別な催しとして行われる演奏会。

「パームツリー アイランド」(椰子の木の島)は、
韓国のミュージカル俳優キム・ジュンスが
一昨年独立して
立ち上げた音楽事務所。
ジュンスを含み7人のミュージカル俳優が所属しており、
今回のコンサートは、
その7人のミュージカル俳優が歌うコンサート。

所属俳優は、

キム・ジュンス

出演作:「ドラキュラ」「デスノート」「モーツァルト」「エリザベート」など

 

キム・ソヒョン


「エリザベート」「モーツァルト」「オペラ座の怪人」「マリー・アントワネット」など


チョン・ソナ


「メンフィス」「ウィキッド」「アイーダ」「笑う男」など

 

ソン・ジュノ


「ムーラン・ルージュ」「モーツァルト」「エクスカリバー」など

 

チン・テファ

「エリザベート」「ドラキュラ」「スウィーニー・トッド」など

 

ソ・ギョンス

「キンキーブーツ」「デスノート」「ウィキッド」など

 

ヤン・ソユン


「ギリシャ」など


先立って9月22日から24日まで
韓国の世宗文化会館大劇場で2度目を開催。
その日本版。

このブログの読者はご存じのとおり、
我が家は、キム・ジュンスの熱心なファン
新作ミュージカルが韓国でかかると、
家族で出かけるほどでした。

コロナで遠ざかっていましたが、
今回はジュンスの方から来てくれるというので、
家族で出かけた次第。

入り口は、ご覧のとおりの混雑。

撮影は禁止なので、
前のコンサートの様子を掲載します。

曲は、
「デス・ノート」「ジキルとハイド」
「エリザベート」などから選曲し、
更に、「リトル・マーメイド」や「美女と野獣」、
「アナと雪の女王」などディズニー・メロディーも。
演奏は20人ほどの編成の日本人メンバー。
音合わせは昨日初めてだったそうです。

途中、出演者7人が勢ぞろいしてのトークも。
日本語と韓国語が混じるトークでした。
ここで、ジュンスが「代表」と呼ばれていることが発覚。

感想は、
とにかく、韓国のミュージカル俳優の歌がうまい! 
特に、ジュンスの代表作「エリザベート」からの曲が迫力満点で、
「エリザベート」、もう一度観てみたいと思わされました。

2時間半の公演で観客はすっかり満足。
来年も開催の予定だというので、期待が高まります。

12月からは、「ドラキュラ」に4人が出演の予定。

ジュンスのご両親にも、7年ぶりくらいに会えました。

秋の午後、素敵な時間を過ごすことができました。
娘は夜の部も観るため、残りました。