空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

『開業医の正体』

2024年06月29日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

題名からすると、
悪徳開業医の暗部を暴く、
という本かと勘違いしそうだが、
そうではなく、
開業医の表も裏も知り尽くした
経験豊かな現職医師の現実を書いた良書。

筆者の松永正訓(ただし)さんは、
1961年生まれの63歳。


1987年、千葉大医学部を卒業して小児外科医師となり、
2006年、「松永クリニック小児科・小児外科」を開業。
医師としては37年、
開業医として18年のキャリアを持つ。

クリニックはどうやってどう作られるのか、
お金をどう工面したか、
収入は? 
どんな生活をしている、
患者と患者家族に思うことは?
診察しながら何を考えているか
などの一般人の疑問に丁寧に答えてくれる。

ビルの一角に診療所を運営する医者を「ビル診」というが、
一人のビル診が、いやいや仕事をしている様を見て、
ビル診にだけはなるまいと決意する。
しかし、一戸建ての診療所を持つには、資金が足りない。
しかし、医療に特化したリース会社の説明を聞いて驚く。
「建て貸し」という方法があるのだという。
希望の土地を選んで、地主の大家にクリニックを建ててもらう。
そして、20年契約で、家賃を払って診療するのだという。
家主は安定した店子を確保。
なにより、医者に対する信頼があるのだろう。
設備その他は、リース会社に借りる。
借入金は5000万円、リース代1200万円。
というわけで、わずか200万円の自己資金で開業し、
予定の15年を待たずに、繰り上げ返済した。
もちろん、医師の手腕が問われるわけで、
患者の信頼を獲得し、
地域に根ざせるかどうかが成否を決定する。
この松永さんという人は、
患者に寄り添う医師だからそれができたのだろう。
ちなみに、松永さんのクリニックの来院患者は年間1万6千人ほど。
月にすると、1333人。
週2回休診として、20日で割ると、1日67人
大繁盛である。

よく、医学部に進む人は親が医者でないと無理、
と言われるが、
それは、私立医大の場合で、
確かに6年間の授業料の総額は、2千万円を越える。
だから、医学部は、親が金持ちでないと無理なのだが、
公立はそうではなく、
松永さんの場合、国立大学の千葉大の授業料は月に1万5千円だったという。
だから、同級生に親が医療関係者という人はあまりいなかった。

医師の形態は、大学病院の医師、一般病院の医師、開業医の3つだが、
最初から開業医になれるわけではない。
大学病院、一般病院での勤務医の経験を積んで、初めてなれる。
つまり、開業医はベテランなのだ。
大学病院のミッションは、研究と臨床と教育。
一般病院のミッションはほとんどが臨床。
開業医は臨床専門
全体の中での役割は、病気の見極めで、
難しい病気をまだ進行していないうちに見抜き、
大きな病院に紹介する。
設備の問題で開業医での対応が不可能な場合があるからだ。
厚生労働省の指導で、
普通の患者はかかりつけ医
装置や技術が必要な患者は大病院と役割分担が決まっている。
これは、あまり一般に理解されていない。
大病院の紹介状なしの初診料が7000円と高く設定されているのは、
かかりつけ医師と大病院の振り分けを促進するためなのだ。
大病院は、あくまで緊急や重症、難病など、
診療所で手に負えない患者を診る所だという考え方だ。
だから、軽い風邪などで大病院にかかるのは、本当は勧めない。
あまり患者で混雑すると、
本来の機能が果たせないからだ。

医師の収入は、平成18年のデータで、
病院勤務医の年収は1479万円、
法人の開業医の年収は2530万円、
個人開業医の年収は2458万円だという。
個人開業医の数字は、借入金の返済や修繕のための準備金などを差し引いた額。
勤務医の平均年齢は43.4歳、
開業医の平均年齢は59.4歳。
2020年のデータでは、開業医の平均年齢は60.2歳と上がっている。

その他、患者との関わりの実例、
スタッフの選び方など
沢山紹介されているが、
詳細に書くスペースがないので、
後は、興味ある方は読んで下さい。

最後に、松永さんのクリニックの将来。
というのは、近く大家との20年契約が切れる。
64歳で引退したいと言うと、友人に「無責任だ」とたしなめられた。
日本人男性の平均健康年齢は72.68歳で、
そこまで働いて地域に恩返し、という考え方もある。
しかし、いつかは必ず終わりが来る。
このまま大家に建物を返して終わりでいいのか。
息子二人は医療医とは別の道を歩いている。
最善は、居抜きで引き継いでくれる医師が見つかることだ。
そうすれば、蓄積した膨大なデータが生きる。
クリニックの継承を斡旋してくれる会社があり、
そこに譲る場合の価格を資産してもらったら、
営業権と保有資産を合計すると、5118万2498円になるという。
長年の地域での医療活動がそれだけの価値を生んだのだ。

この話を読んで、
地域開業医の立つ位置が分かった気がした。
開業医院の中に蓄積された記録は、
地域住民の膨大な医療データなのだ。
つまり、地域の宝
廃業するのではなく、
看護師ともども継承してもらえば、
雇用が確保されるだけでなく、
そのデータが全て生かされる。
松永さんのクリニックが
良い後継者に恵まれることを期待したい。

なお、松永さんは他にも著作があり、
2013年、「宿命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語」で、
第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞している人なのだという。


文章がうまいはずだ。


映画『ノンちゃん雲に乗る』

2024年06月28日 23時00分00秒 | 映画関係

[旧作を観る]

「旧作」と書いたが、これは、「超旧作」
1955年の作品。

原作は1951年に出版された石井桃子の児童文学作品で、


鰐淵晴子の主演で映画化されたもの。

実は、私の生涯の映画経験の中でも、
ごく初期、5番目あたりに位置づけられるのではないか。

最初に観た映画の記憶は「バンビ」。
「七人の侍」「オズの魔法使い」の後あたりに、
故郷の小学校の講堂で観たと思われる。

当時、小学校巡回映画、というのがあって、
映写機、フィルムと映写技師がやって来て、
学校行事として、映画会が実施された。
「オズの魔法使い」もそれで観た。
学校以外でも、映画館まで子どもたちを連れて行って映画を見せる、
という行事もあり、
三島の映画館で、南極探検隊の記録映画を観た記憶がある。
東京に出てからも、時々そういう行事があって、
中学時代、徒歩で行った渋谷・百軒店(ひゃっけんだな)の映画館で
新藤兼人監督の「裸の島」(1960)や東宝のSF「世界大戦争」(1961)を観た。


映画館の周りはラブホテル街なので、
引率の先生はどのルートを通ったのだろう。
それとも、まだラブホ街にはなっていなかったのか。
高校の時、
記録映画「東京オリンピック」を
目黒の権之助坂にあった映画館で
集団で観た記憶がある。

今回、何故この映画を観ることになったかというと、
「徹子の部屋」に木野花さんが出演した時、
子どもの頃、松島トモ子がアイドルだった経験を語り、


新宿の劇場でトモ子さんと遭遇した話をしていた。
で、私がカミさんに、
実は、私も子どもの頃、松島トモ子のファンで、
「村の駅長さん」というレコードを買ってもらって、
聞いていた話を披露。


大人になってから、
映画会社の試写室でトモ子さんと一緒になり、
よほど声をかけようと思ったが、断念した、
という話につながり、
そういえば、子供の頃「ノンちゃん雲に乗る」という映画があったな、
ああ、でも、あれは、鰐淵晴子か、
ということになり、
ツタヤズィスカスで調べたら、在庫があったので、
レンタルしてもらった、
という、連想ゲームみたいな話。

というわけで、本日、「ノンちゃん雲に乗る」を再見。

製作会社は新東宝


戦後の東宝争議で、分離した会社。

盛大に泣くノンちゃん(田代信子)で始まる。

この冒頭部分は覚えていた。

木に登り、白鳥の舞をしているうち、


池に落ちてしまう。

気がつくとそこは水の中の空の上。
雲の上には白いひげを生やしたおじいさんがいて、
熊手ですくって助けてくれた。

おじいさんを演ずるのは、徳川夢声

ノンちゃんはおじいさんに、自分や家族の身の上を打ち明ける。

というわけで、ノンちゃんの日常が描かれる。

↓は、昔の学校の教室。「級長」なんて言葉を久しぶりに聞いた。

↓学校からの帰り道。のどかな田舎の風景。

ノンちゃんは両親と兄の4人暮らし。

その生活のあり様が、なつかしくも暖かい。

なにしろ、テレビも電話もない。
電気は通っているが、ガスはプロパンだし、水道はない。

従って、夕食後は、↓のような家族団らんとなる。

母親役は原節子。きれい。


前年から病気療養していた復帰作として注目された。

父親役は藤田進

親子の仲はむつまじいが、
悪いことをすると、
父親はちゃんと叱り、時にはビンタもする。
昔の家庭はそうだった。
私も、夕食の時、不用意な発言をして、
父親に殴られたことがある。
どんな発言だったかは、言いたくない。

どこの家にも雛飾りがあった。

ノンちゃんが泣いていたのは、
母は兄が黙って東京に出かけたことで、
連れて行ってもらえなかったのを拗ねていたのだ。

おじいさんと話しているうちに、
父母や兄との生活がなつかしく、
最後は家に帰る。
「オズの魔法使い」の「カンザスに帰りたい」か。

最後はノンちゃんの願望だったヴァイオリンを弾き、

バレエまで披露する。

そういえば、鰐渕晴子は「天才少女ヴァイオリニスト」ともてはやされたのだった。
三島の公会堂に来た時、見に行き、
「ユーモレスク」を聞いたことを思い出した。
引率した先生が小学校2年の先生だったから、
私が8歳の時か。

監督は倉田文人という人で、
演出、カット割など、ことごとく、普通で、
当時のものだからリズム感は悪い。
今の映像作品にあふれかえっている子どもが観たら、
退屈に思うだろうが、
1955年当時、テレビもなく、
娯楽は映画だけ、という時代には、
子どもたちは息をひそめて観ていたのだ。

この映画に描かれているのは、
今の時点で描く、作られたノスタルジーではなく、
まさに、1950年当時の生き生きとした生活。
昔の日本人の家庭の原風景を見せてもらった
懐かしさに満ちた映画だった。

鰐淵晴子は、
↓のような美少女。

1945年生まれで、
ヴァイオリニスト・鰐淵賢舟と
ハプスブルク家の末裔の一人である
オーストリア人の母・ベルタの間に出生。
由緒正しい家柄なのだ。

ちなみに、松島トモ子も1945年生まれ。

川端康成の「伊豆の踊子」は何度も映画化されているが、
第3作のヒロインが鰐淵晴子。


田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、
吉永小百合、内藤洋子、山口百恵と連綿と続く、
「伊豆の踊子」ヒロインの一角を占めている。


あゝ都知事選挙

2024年06月27日 23時00分00秒 | 様々な話題

今日は、少々ユーウツな話題。
というよりも、情けない話。
東京都知事選挙のことですよ。

「緑のタヌキ」「白いキツネ」の化かし合い、もそうですが、
大量泡沫候補とポスター掲示板の件。

今回の都知事選には
過去最多を上回る56人が立候補。
昔から東京都知事選挙では
その注目度からか、
多数の候補が立候補する傾向にあり、
近年では1991年に16人、
1999年には19人、2007年には14人、
2014年には16人、2016年には21人、
2020年には22人が立候補し、
今回は新記録の56人が立候補した。
「選挙公報」も莫大な量になるし、
政見放送も11時間かかるという。

多数立候補について、過去の事例では、
1960年4月の栃木県・桑絹村における村長選挙では
分村を巡って村長派と対立した陣営が大量立候補をしたため、
202人が立候補する事態が発生した。
1995年の参議院議員通常選挙では東京選挙区で、
改選議席4に対して72人が立候補したこともある。
選挙の確認団体となるには一定の候補者をそろえる必要があったため。

で、今回の都知事選挙、56人のうち
名前の知られている4、5人を除いて、ほとんどが泡沫候補だ。
泡沫候補(ほうまつこうほ)とは、
当選する見込みが極めて薄い選挙立候補者。
「立候補しても泡のように消えてしまい落選する候補」
という意味からつけられている。

もちろん、立候補するのは自由で、
自分の政治的信条を広く伝える機会を作るのは重要だ。
しかし、立候補が多すぎると、
事務処理上大変なので、
そのために「供託金」制度がある。
立候補の際、一定額を供託し、
有効投票数の10分の1以下しか得票できなかった場合、
供託金を没収する仕組み。
これによって、むやみやたらと立候補者が出ることを予防するためだ。
ちなみに、都知事のような首長選挙の供託金は300万円
前回の2020年選挙の時は、
3位までが10分の1をクリアし、供託金没収をまぬがれた。

(先にあげた桑絹村村長選挙当時は、
 1962年の法改正以前で、
 町村の首長選挙の供託金は不要だったため、
 202人という大量立候補が出現した。)

供託金を没収されてでも、
自分の政治的信条を広く人々に伝えたい、
という人は立候補すればいい。

ただ、供託金300万以上の金が行政の負担になる。
ポスターの印刷費1枚134円が公費負担の他、
ハイヤー、レンタカー、ガソリン代、運転手代、
選挙ハガキ、選挙事務所の看板、選挙運動用の自動車看板、
個人演説会の看板など、
選挙公費負担は一人あたり、最大680万円になる。
こんなことは誰も知らない。
「公費負担」というが、実は「税金」だ。
だから、供託金を支払っても、
当選の可能性のない立候補は、
社会的経費の点からは、
実は迷惑な話なのだ。

しかし、今度の立候補最多56人というのは、ちょっと違う。
政治団体「NHKから国民を守る党」(以下「N党」)が
24名の大量立候補者を立て、
「掲示板ジャック」をしたのだ。
計画的に。

立候補者のポスターを1枚1枚、
計24枚を貼ったというのなら、仕方ない。
しかし、そうではなく、
N党に寄付をした人(立候補者ではない)の作ったポスターを
貼る場所として、N党の候補者のスペースを提供しようという
おかしな話だ。

5月末までなら5000円、
6月1~19日で1万円、
20日以降は3万円を党に寄付すれば、
都内1万4000箇所の掲示板のうち1か所で
好きなポスターを貼れる権利を差し上げようという。
一つの掲示板には最大24枚のポスターを貼ることができる。
5月末までに、全部の権利が完売したとして、
5000円×1万4000箇所で、総額7000万円。
「N党」の供託金総額7200万円に迫る。
立花孝志党首の定例会見では、
5000円コースは約850か所、1万円コースは約150か所、
3万円コースは約25件の“お買い上げ”があったと報告した。
425万円の「売上」だ。

その結果、↓のような光景が現出した。

左右2列ずつ、下1列に同じポスター24枚。

では、24枚のポスターが、なぜ全体を囲むような「凹」型に貼られているのか。

ポスターの貼る場所は、くじによって決まる。
告示日当日に候補者もしくは代理人が、一回目のくじ引きをして、
くじを引く順番が決まる。
そして、2 回目のくじ引きで引き当てた番号がポスターの番号となる。
中央の部分を獲得できるのは、くじで24番までを引いた人だ。

「N党」はくじ引きに参加せず、
24番までが決まった段階で人数分並んで、
25番から48番までの連番を獲得したらしい。
全て計画的だ。

しかも、ポスターの内容が問題。
写真は、候補者とは全く関係のない人物キックボクサー
生き物のイラストなど。
女性専用風俗の広告もあり、
SNSに誘導されるQRコードが記載されていた。
警視庁が、風営法に抵触するとして警告し、
別のポスターに貼り直した。


中には、全裸に近い写真を掲載する者も出て来て、
「子供の目に触れる」と抗議が殺到、
迷惑防止条例に抵触するというので
注意を受け、撤回した。

次々と滑稽な話が出て来る。
こんなことは初めて。
おそろしく品性の無い話だ。

この前代未聞の事態に、林芳正官房長官は記者会見で
「(掲示板は)候補者以外が使用できるものではない」と発言。
松本剛明総務相も
「公選法上、掲示の権利を売買するものとはされていない」と述べた。
しかし、林長官は、
「記載内容を直接制限する規定はない」とも述べている。

要するに、今回の事態は、誰も想定していないものだった。
立候補者以外の人のポスターを貼るなどとは、誰も考えなかった。
しかも、金を払って、その権利を買うなどとは。
普通の常識ある人ならしない
なのにした。
おかしな精神構造の人間が。
少数の変わった人のせいで、
費用もかかり、
それだけでなく、
選挙制度までおちょくられた。

もう時代が変わったのだ。
長年続いた制度の疲弊が現われたのではないか。
選挙のたびに作られ、
投票が終わると解体される掲示板。
誰が見るというのか。
候補者のポスターは、投票所前に掲げれば十分で、
1万数千箇所も掲示する必要はない。
税金コストだけでなく、選挙管理委員会の人的コストも抑えることができる。

さて、このポスター事件、どういう展開になるか。
今は警察は動いていない。
選挙結果に影響が出たと批判されるのを恐れているのだ。
しかし、投票が終わった途端、
動き出すと思われる。
公職選挙法第144条の2第8項には、
選挙運動のために使用するポスターは、
掲示場ごとに候補者1人につきそれぞれ一枚を限り掲示するほかは、
掲示することができない、
と書かれている。
候補者1人につき、それぞれ一枚。
候補者でない者がポスターを貼ることができない。
まして、与えられたスペースを売買出来るものではない。
明らかな公職選挙法違反だ。
選挙が終わったら、立花孝志党首党首は逮捕されるだろう。

このことに関連して、
「れいわ新選組」の参議院議員1年ごと輪番制を思い出す。

2023年1月16日、
うつ病の症状により議員活動を休止していた水道橋博士が議員辞職。
比例代表だったため、個人得票順で次点となっていた大島九州男が
繰り上げ当選となった。
山本太郎代表は、記者会見で「残りの任期を有効に活用したい」として、
「れいわローテーション」と名付けて
比例名簿登載者のうち個人得票の多い順に5人が1年ごとに辞職し、
残り任期を5人が交代で務めると明らかにした。
議員職のリレー。
これも、想定外の出来事だ。
経験が必要な国会議員を、1年ごとに取り換えるとは、と批判が集中した。
結局、大島氏が辞職に納得しなかったため、
「れいわローテーション」による議員の交代は頓挫。
かろうじて、常識が守られたのだ。

この二つの事例は、
普通の常識のある人なら、するはずのないことだ。
なのに、恥じらいもなく、してしまう。
最近、日本は、こういうヘンテコな人物のすることで、
浸食されている。
外国人が見たら、笑うだろう。
「日本人って、馬鹿なの?」

今回の事態、「罰ゲームだ」と言った人がいるという。
「普段政治に無関心だから、これは都民に対する天罰です」と。

都民も、日本国民も可哀そう。

 


小説『県警の守護神』

2024年06月25日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

新種の警察小説

交番勤務の桐島千隼(きりしま・ちはや)は、
管内のマンションで女性の叫び声があったという連絡を受け、
先輩警官の牧島と共に現場に駆けつける。
途中、バイクに乗っていた少年の自損事故に遭遇し、
怪我人のそばに行って介抱していた時、
やってきた後続車にはねられ、
病院に担ぎ込まれる。

数日後に目覚めた千隼が知ったのは、
事故に遭った少年は死亡、
はねた自動車は逃走中、
というものだった。
しかも、千隼が行くはずだったマンションでは、
代わりに行ったと思われる同僚の女性警官・国多(くにた)リオによる
発砲事件が起こっていた。

2か月の療養期間を経て、出署した千隼を待っていたのは、
起訴されたという知らせだった。
原告は、死亡した少年の母。
現場にいた警官(千隼のこと)が適切に行動していれば、
少年が落命することはなかっと、
加害公務員の千隼に
1億円の損害賠償を請求するという民事訴訟だった。
弁護士は丸山京子。
警察相手の訴訟に熱意を持つエキスパートだ。

千隼が驚いたのは、
パトカーを運転していたのが千隼になっていた上、
パトカーのドライブレコーダーの映像が
係員の操作ミスで消去してしまったというのだ。
病院でまだ意識がもうろうとしていた頃、
訪れた野上副署長により、
供述調書に、読まずにサインさせられてまったのが、
この結果だ。
供述調書の内容は変えられないという。

警察側の担当は、訟務係
そこにいる荒城巡査長は、
元判事で弁護士資格を持つという変わり種だった。
外部の弁護士を使わず、
荒城に担当させた事案は、ことごとく勝訴し、
内部では、「県警の守護神」と呼ばれているという。

荒城は、裁判に勝つためなら、
手段を選ばない、という男で、
事実の隠蔽、改ざんはお手の物、
場合によっては、偽の証人をでっちあげる、
ということさえやってのける。

千隼といえば、交番勤務の父親に憧れて警官を志すが、
警察官採用試験にことごとく落ち、
仕方なく、競輪選手に転身、
ガールズレースを戦い、
年間賞金女王の称号を3回も獲得、
オリンピックにも出場し、銅メダルを取った。
しかし、マスコミの注目にいやけがさし、
猛勉強して、警察官採用試験に再チャレンジして合格。
競輪選手を引退して、警察官になったという、
これも変わり種。

荒城と千隼という変わり種同士がぶつかりあう。
なにしろ、勝つためには、嘘も方便という荒城と
「警官なので、嘘をつけない」という千隼の
真正面の衝突なのだ。

というわけで、
警察の訟務係という舞台で展開する
警察ドラマ兼裁判ドラマ。

今までの警察小説には全くない新機軸
筆者の水村舟は、
旧警察小説大賞に応募して、受賞はしなかったが、
改名した「警察小説新人賞」(賞金300万円)にも応募、
いずれも訟務係が舞台という執着ぶりで、
成長を認められて受賞したもの。

千隼の事件は警察側の勝利で終わり、
他に行き場のない千隼は
荒城の下に配属され、
同じ日に起きた
女性警官発砲事件の民事訴訟を担当し、
再び丸山弁護士と対決することになる。
調査を進めるうち、
二つの事件がリンクしていたことが見えて来る・・・

警察対民事訴訟や訟務係という着眼点が目新しく、
それだけで興味を引く。
千隼の造形が面白く、
父の姿に憧れて警察官になり、
困った人に駆けつけて救うことが警官の本分としている精神の持ち主で、
刑事などめざさず、
パトカーでの巡回が最高の職務と考えている人物。
従って、嘘に嘘で固める荒城と相容れるはずがなく、
「警官だから嘘をつけない」を裁判の場でも実行してしまう。
正義感まっしぐらで機転の利かないのだが、
対する荒城や副署長、元の教官や定年間近の警官など、
嘘を平気でつき、隠蔽に走る警察幹部との対決がすがすがしい。

今の千隼に課せられた仕事。
それは、思い描いた警察官の仕事とはかけ離れすぎている。
裁判が終わっても、もう、交番に戻る資格がないような気がした。
例えば──交通違反者をつかまえて文句を言われたとき、
私は以前のように、毅然と、
「誰でも決まりは守らないといけません。
決まりを破って人を警察が見逃すことはできません」
とき言い返すことができるのだろうか。

いろいろ瑕疵はあるが、
将来を期待できる新人作家であることは間違いない。


音楽朗読劇「イノック・アーデン」

2024年06月24日 23時00分00秒 | 演劇関係

[演劇紹介]

一昨日は、浦安市文化会館小ホ-ルで、

↓の公演に出かけました。

「イノック・アーデン」は、
ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人、
アルフレッド・テニスン(1809- 1892)による物語詩。


1864年作。

ある田舎の港町に、三人のおさななじみが暮らしていた。
船乗りの息子で孤児のイノック・アーデン、
粉屋の一人息子フィリップ・レイ、
そして、町一番の器量良しのアニー・リー。
やがて三人は成長し、
イノックとフィリップはアニーに恋心を抱くが、
アニーが選んだのは、イノックで、
フィリップは遠くから二人の様子を眺めるばかり。

イノックとアニーは結婚し、
3人の子どもに恵まれるが、
イノックはケガをして、家計が苦しくなり、
誘われてアジアへの航海に出て、
消息を絶ってしまう。
困窮に陥ったアニーを助け、
子どもたちを学校に行かせたのが、
粉屋を継いだフィリップだった。

10年の歳月が経ち、
フィリップはアニーに求婚するが、
「あと1年待ってくれ」と答え、
ついにイノックは帰らぬ人と諦めたアニーは
フィリップと結婚し、子どもをもうける。

一方、船が難破して、孤島で生き延びたイノックは、
望郷の念と、アニーへの想いで生き延び、
近くを通りかかった商船に救助される。
しかし、苦労のために、イノックの容貌は一変していた。
故郷にたどりついたイノックを待っていたのは、
妻が旧友と再婚したという現実だった。
イノックは密かに新居を訪ね、窓から
子どもたちに囲まれて幸せなアニーとフィリップの姿を見て、
身を引く決心をする。
面替わりしてしまったイノックのことは
町の誰も気づかず、
死の間際に、宿屋の女将に自分が誰かを明かす。
イノックの死を知った町の人々は、
かつてないほどの盛大な葬儀をして、
イノックを天国に送り出すのだった。

このように、おさななじみの恋、
遠くに旅立った夫を待つ妻、
その貧困を援助する旧友、
夫をあきらめての再婚、
難破での望郷、
救助と帰還、
妻と旧友の幸福を守るために身を引く男の心情、
などが散りばめられたストーリーが受け、
沢山の言語に邦訳され、
和訳も数多い。
(長谷川康訳、入江直祐訳、長谷川康訳、幡谷正雄訳、田部重治訳、
 竹村覚訳、酒井賢訳、原田宗典訳、原田俊孝訳など)

この物語詩にピアノで音楽をつけ、
朗読劇に仕立てたのが、
リヒャルト・シュトラウスで、
グレン・グールドのピアノ、
名優クロード・レインズの朗読は
1961年にレコード化され、CDにもなった。

今回の公演は、
女優の泉田洋子さんがギタリスストの建孝三さんとの話の中で企画し、
はじめ、ピアノ譜をギターにしようとしたが、
果たせず、作曲家の二橋潤一さんに依頼して、
新たにギター曲として作曲してもらったもの。
ピアノ版のものは、
石丸幹二をはじめ、
あちこちで上演されているが、
ギター版は新作。
昨年初演し、今回はうらやす財団の主催で、
浦安市文化会館での上演のはこびとなった。

泉田さんのきれいな声の朗読と


建さんの華麗なギターの掛け合いが


物語世界を盛り上げ、
ホリゾントに映し出される波の模様とあいまって、
「イノック・アーデン」の世界が展開する。

なお、朗読の部分は、
泉田さんの手で、枝葉を削ぎ落し、
聴衆に分かりやすく編集されている。
プログラムには「原作は2時間以上と長く」とあり、
上演後のトークでも「普通にやると3時間かかる」と言っていたが、
何かの思い違いで、
オリジナルの英語版もそれほどは長くない。

イノックが幸福な家庭の様子を見て身を引くクライマックスで、
音楽がなかったのは何故だろう。

ピアノ版、ギター版、それぞれの良さはあるが、
この物語はヴァイオリンの旋律の方が合うような気がした。

ドラマチックでロマンあふれる物語、
映画にはうってつけだが、
映画化されたという話は聞かない。
それとも、英国では映画化されたが、
日本に来なかっただけだろうか。