今日は、午後からこの駅↓へ。

このような道を歩いて、

このような建物を見つつ、


ここへ。


目的は、
「スター・ウォーズ シネマ・コンサート2025」

シネマ・コンサートとは、
映画のセリフや効果音はそのままに、
音楽だけ消去し、
映画全編を上映しながら
フル・オーケストラが音楽パートを
生演奏でお届けする、
至極の映画体験。
今回が初めてではなく、
2017年、2018年、2019年、2023年に
開催されていますが、今回のは、
「スター・ウォーズ セレブレーション」日本開催記念行事の一つ。
「スター・ウォーズ セレブレーション」関連では、
たとえば、京葉線沿線の
シネマイクスピアリや
ユナイテッドシネマ幕張で、
「スター・ウォーズ」の9作品を連続上映するイベントや

京葉線の車両全部「スター・ウォーズ」の宣伝、


などがありますが、
これもその一つ。
私は、この会場は初めて。

なぜ2つの列に分けたかというと、

SS席の人は、
↓の左のデザインチケットをいただけるからです。


8千名が入る広い会場で、

最上階までぎっしり。


私の席は、↓。

拡大すると、↓。

スクリーンは、このように見えます。

演奏中は撮影禁止なので、
以前行われたコンサートの写真を借ります。





雰囲気は伝わりましたでしょうか。
4月18日からに三日連続で、
18日は、エピソード4「新たなる希望」、
19日は、昼の回は、エピソード4、
夜の回は、エピソード5「帝国の逆襲」、
20日は、エピソード6「ジェダイの帰還」。
私の回は、エピソード4「新たなる希望」、
つまり、第1作。

1977年、アメリカ公開。
1978年、日本公開。
私は昔の日劇で観ました。
「スター・ウォーズ 第一世代」です。
その後も、ビデオ、VHD、レーザーディスク、
DVD、ブルーレイと
新たな形で発売されるたびに買っていますから、
何回観たか分かりません。
今回は昨日の「スター・ウォーズ セレブレーション」に
行った後ですから、
改めて新鮮な思いで観ました。
過去の日本公演でも指揮したニコラス・バックと
東京フィルハーモニー交響楽団の演奏。
映画音楽界の巨匠ジョン・ウィリアムズによる音楽は、
その年のアカデミー賞作曲賞を受賞。
とにかく、のべつ音楽が鳴っています。
ただし、宇宙港の酒場の場面だけは、
生演奏でなく、
映画の音声を使っています。
なぜでしょうか。
マーク・ハミル
ハリソン・フォード
キャリー・フィッシャー
の若々しい姿を見られるだけで、嬉しい。
途中、休憩が入り、
最上階から見ると、こんな感じ。

これで字幕は読めるのでしょうか。
観ていて感じたのは、
当時は、誰も、このシリーズが50年も続き、
一つのコンテンツとして、
莫大なファンを獲得するなどとは
思ってはいなかったでしょう、ということ。
撮影の時も、
様々な戸惑いや迷いがあったといいます。
今50年の歴史を振り返れば、
感慨深いものがあるに違いありません。
これだけ脈々と一つのシリーズが
命を長らえるとは。
そんな気持ちを抱きながら、
生のオーケストラ演奏で観る、
「スター・ウォーズ」第1作でした。
先程、当時の撮影での戸惑い、と書きました。
少し、そのあたりの実情をしるします。
ジョージ・ルーカスは、
かつてのアメリカ娯楽映画の復権を意図し、
古典コミック「フラッシュ・ゴードン」の映画化を企画します。
しかし様々な問題が絡んで頓挫したため、
その構造を取り入れたオリジナル作品「スター・ウォーズ」の脚本を執筆。
しかし、「アメリカン・グラフィティ」(1973)の内容を酷評した

ユニバーサル上層部は、ルーカスの企画に許可を出しませんでした。
他にユナイテッド・アーティスツとディズニーにも持ち込んだものの断られ、
(3社は、後で悔やんだでしょうね)
結局20世紀フォックスの社長であった
アラン・ラッド・ジュニアとの直談判で、
同社での配給が決定しました。
撮影は1976年にチュニジアでのロケから始まったものの
トラブルが続発し、
もともと内向的であったルーカスは
多忙からくるストレスで心臓発作を起こしそうになり、
一時入院したほどでした。
製作時、ほとんどの関係者は
「毛むくじゃらの猿が二足歩行しているし、
ヒロインは変な団子を髪に付けているし、
変テコな映画だ」
と思ったといいます。
中には「ゴミ映画だ」とぼやいたカメラマンもおり、
スタッフの中にすら内容を理解せず、
真面目に制作に取り組まない者がおり、
続くロンドンでの撮影でもルーカスを悩ませました。
ストームトルーパーの衣裳を着せられた
俳優たちは、「へんな衣裳」と思った、
というのは、私の勝手な想像。

ルーカスがスピルバーグやブライアン・デ・パルマなどの
同業の友人たちを招いて、
自宅で完成前のラッシュ試写を行った際のこと。
上映終了後、気まずい空気が流れ、
デ・パルマは「ダース・ベイダーは陳腐な悪玉」、
「フォースという名の都合のよい便利な魔法」、
「レイア姫の菓子パンのような三つ編み」、
「冒頭の長すぎる説明」などと酷評。
立腹したルーカスは
「よく言うね。君は映画で成功したことがないくせに。
僕はせめて5千万ドルは儲けてやる!」
と言い返したといいます。
ところが、反対に、スピルバーグは
「5千万ドルなんてものじゃない。
1億ドルは儲かる」と絶賛しました。
さすが、先見の明があったんですな。
ただ、当時のアメリカの各映画館は、
SF映画を、子供やマニア向けのB級映画と低くみなしていたため、
上映することを渋り、
20世紀フォックスは
他の映画作品との抱き合わせるかたちで
売り込みを行わざるを得なかったといいます。
第1週の上映館は、全米でわずか50館。
ルーカス自身も自信を失って、
興行が大失敗すると思い込み、
結果を聞くまいとプレミア公開翌日にハワイ旅行に出かけ、
(オーストラリアという説もある)
電話もテレビもない別荘に籠もっていたといいます。
その前にルーカスはプレミア公開時に
チャイニーズ・シアターで行列に出くわしたが、
本作だとは知らずに
「こんなにヒットする映画なんてうらやましい」
と思ったといいますが、
ちょっと出来過ぎて、疑わしい話ですね。
ルーカスは、自身が受け取る本作の収益歩合と、
スピルバーグが製作中であった「未知との遭遇」の収益歩合を
交換しようと持ち掛け、
本人以上に本作を高く評価していたスピルバーグは、
これを了承し、収益の2.5%を交換することにしました。
公開と同時に大ヒットしたことを、
電話のつながらない場所にいたルーカスを訪ねていち早く伝えたのも
スピルバーグでした。
結果として「スター・ウォーズ」は「未知との遭遇」を超える大ヒットとなり、
現在になってもその印税収入は、スピルバーグに利益をもたらしているそうです。
ちなみに、日本では、

「未知との遭遇」の4か月後に公開されましたが、

評論家の評価は「未知との遭遇」が圧倒的に高く、
まさに、今日の隆盛を予想出来た人は誰もいなかったのです。
(キネマ旬報のベストテンで、
「未知との遭遇」は4位で、
「スター・ウォーズ」は9位。)
第2作のエピソード5「帝国の逆襲」(1980)公開の時には、

もはや評価は定まっており、
世界中が新作の公開を待ち望んでいたのです。