空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『しろがねの葉』

2023年02月28日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

今期の直木賞受章作

舞台は戦国時代末期の石見銀山↓。

秀吉の唐入りへの徴用で民衆が苦しめられていた時代。
貧しさに耐えかねた一家が村の隠し米を盗んで夜逃げする。
しかし追っ手に見つかり、幼い少女・ウメは両親とはぐれてしまう。
道に迷ったウメが入り込んだのは、
石見国、仙ノ山と呼ばれる銀山の間歩(坑道)だった。
ウメはそこで、カリスマ的山師の喜兵衛に拾われる。
喜兵衛はウメに銀山の知識と鉱脈の在処、
そして山で生きる知恵を授け、
自らの手子(雑用係)として間歩に出入りさせた。

石見銀山は、戦国時代から江戸時代前期にかけて、
世界を動かすほどの銀の産出を誇った。
海外にもイワミの名が知られ、
一時は世界の銀の産出量の三分の一をこの石見銀山が賄ったという。

ゴールドラッシュならぬシルバーラッシュで、
報酬を求めて人が集まり、町が作られる。
自然に左右され、収穫したものも年貢で取り上げられてしまう農夫に比べ、
銀山の掘子となれば米の飯が食べられる。
もちろん危険と隣り合わせの仕事だし、
厳しい規律や統制は当然だが、
金の匂いのするところに、自動的に人は集まって来る。

夜目の利くウメは暗い間歩の中で重宝されるが、
本来、銀掘は男の仕事。
女性として成長していく中、
ウメは女であるがゆえに制限されることの多さに悩むことになる。
やがて初潮が訪れた時、ウメは間歩に入ることを禁じられてしまう。
成長したウメに卑猥な目が向けられ、乱暴もされる。
幼い頃から知っている隼人から結婚を申し込まれる。
女の使命は子どもを生むこととされる現実をウメは知る。
「銀山やまのおなごは三たび夫を持つ」
と言うのは、
粉塵と瘴気の中で仕事をする掘子たちは長生きできない。
遅かれ早かれ肺を患って死んでいく。
夫に先立たれた女は他の男に嫁ぐ
将来の働き手となる子を産むためなのだ。
「女は男の庇護の許にしか無事でいられないのか」
という女の位置。

関が原の戦いの噂が届き、
時代は徳川の世に。
役人が送り込まれ、
採掘はシステム化される。
従来のやり方が続けられなくなり、「職人芸」は途絶え、
時代の変化についていけない喜兵衛は、佐渡金山に向かう。
ウメを残して。

やがて喜兵衛も死に、隼人も死に、
次々と男たちは死んでいく
それを見送る女たちは、
その現実を受け入れ、生き続ける。

外国船の奴隷だったのを喜兵衛に買われ、懐刀となったヨキ、
混血で碧眼を持つ龍という、海の向こうから来た男、
男と同じ早死にする女郎たち、
女でありながら男装で踊ることを思いつく旅芸人のおくに
(出雲阿国のこと)
など、ウメに、それぞれ異なる人生の形を見せる。

古い職人気質で、山に生きる喜兵衛の姿が魅力的。
父親のような存在だが、
ウメは男としても慕っている。

しろがねの葉とは、
銀を吸って光る、
銀のありかを教える羊歯のこと。

戦国時代から江戸時代初期を生きた一人の女性の生きざまを通じて、
時代と世界の有り様を描く千早茜初の時代小説。
スラスラと進める本ではないが、
読みごたえがあった。

 


映画『アポロ10号1/2』

2023年02月27日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

1969年。
アポロ計画で、月に人類が向かおうという時代。
ヒューストンのNASA近くの町に住む
9歳の小学校4年の少年・スタンのところに、
NASAの職員がやって来る。
「宇宙船のサイズを
設計ミスで小さく作ってしまったので、
体の小さい君に、このアポロ10 1/2号に乗って、
月に向かってもらいたい。
極秘任務だから、親にも兄弟にも言わないで。
サマーキャンプに行っていたことにしておくから」
という話に乗って、スタンはNASAで訓練を受け、
月に向かう。


実験は成功し、
スタンは月面着陸第1号になるが、
秘密計画だったので、報道されず、
月面着陸の偉業は、
次のアポロ11号のアームストロングに譲られる・・・

という話なのだが、
メインは当時のアメリカの標準的家庭での生活や
学校での出来事が延々と続く。
これが興味深い。
監督のリチャード・リンクレイターは、
ヒューストン生まれで、当時9歳。
つまり、50年前の監督のノスタルジー作品なのだ。
アルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA」、
ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」など、
映画作家の半自伝的映画の一つ。

描き方もユニークで、
一応アニメなのだが、
実際に俳優を使って実写で撮影し、
それをロトスコープという技術で、
アニメに変換したもの。
だったら、実写で公開したらいいようなものだが、
霧の彼方の記憶を描くのだから、
アニメにした方が良いという判断だろう。
リンクレイターは、前にも、
「スキャナー・ダークリー」「ウェイキング・ライフ」という、
ロトスコープを使った映画を撮っている。

なにしろ、50年も前の話だから、
学校には体罰があるし、
人種差別も当然の時代。
それでも、ヒッピー文化は
田舎の町にも押し寄せて来る。
テレビが居間の真ん中に置かれ、
家族揃ってテレビ番組を楽しむが、
テレビは1台しかないから、
兄弟でチャンネル争いが起こり、
テレビのSFやホラーやコメディが
生活の中に入り込んで来る時代。
「ダーク・シャドウ」「宇宙大作戦」「スパイ大作戦」「トワイライト・ゾーン」・・・。
技術の躍進による未来に対する漠然とした希望があった時代のワクワク感

そして、家族は、アポロ11号の月面着陸を
8人家族で揃って見ることになる。
それより以前に息子が既に月に行ったことも知らずに・・・
肝心のスタンは中継の途中で眠りこける。

まあ、しかし、そんな実験があるはずもなく、
アポロ10号1/2というのは、
スタン少年の妄想の産物らしい。

アポロ計画が終わって既に48年。
人類は月にわずか12名の宇宙飛行士を送り込んだだけで、
月への移住も果たせずにいる。
最近、アポロ計画の再開が報道されているが、
人類が他の天体に移住するのは、まだ夢だ。

回想形式なので、
成人したスタンの声として、
ジャック・ブラックが声の出演をしている。

Netflixで配信。


トゥーランドット + チームラボ

2023年02月26日 23時00分00秒 | 演劇

今日は、昼頃から上野に出かけ、

↓ここへ。

でも、その前に、アメ横↓の

↓この店で、腹ごしらえ。

大きな餃子で有名な店です。

大きさで、普通の3~4倍、
餡の量で7倍くらいあります。
これだけで腹一杯ですが、
ラーメンも。

これは、どこにでもある味。

その後、東京文化会館へ。

何年ぶりでしょうか。

昔は、オペラを観に、よく通ってものですが。

そういえば、私のオペラ初体験は、
ここでの「椿姫」上映会。
なぜか字幕がなく、
終わった後、友人と、
「あの、椿姫を訪ねて来たおじさんは、誰?」
「パトロンじゃないの?」
とトンチンカンな会話を交わしました。


今日の演目は、↓。

既に観尽くした感のある作品ですが、
今回、チケットを取ったのは、
チームラボとのコラボであることから。

チームラボ・・・
デジタル技術を駆使した「デジタルアート」を作成する会社。
↓のような展示を東京、シンガポール、ドバイ、マカオなどで開催しています。

東京にある2箇所の展示場は、既に行ったことがあり、
「トゥーランドット」を題材に、
どんなことをするのだろう、
という関心でやって来ました。

よく見えるように、センターの席を確保。

このプロダクションは、
昨年6月にスイスのジュネーヴ大劇場でワールドプレミエを迎え、
今度の公演は、二期会による東京公演。

奇抜な演出になるだろうな、
と覚悟していたら、
まさしく奇抜な演出で、
↓のような場面が続出します。

近くにいるはずの人間を、
わざわざ切り離して、ドラマが盛り上がるはずがありません。

チームラボらしいところは、
↓この場面くらいで、

後は、照明による変化。

そのためか、舞台が暗く、
役者(歌手)が何をやっているか、よく見えません。

1幕・2幕を通して上演
初めて観ました。
更に、リューの死に続き、王のティムールも自害してしまいます。
これは初めての演出。
最後は、普通は、トゥーランドットと王子カラフが結ばれて終わりますが、
今度の上演では、皇帝の死去で終わる。
これも初めて。

今までも、奇抜な演出の「トゥーランドット」はいやになるほど観ていますが、
さすがに音楽だけは、変えられない、
と安心していたら、
えっ、と驚き。
リューの死から後の音楽が、違う

で、配られたチラシを見たら、
「ルチアーノ・ベリオによる第3幕補作版」と書いてあります。

「トゥーランドット」はプッチーニの遺作で、
癌の手術の後、心臓発作で急死し、
リューの死までしか書いていなかった。
そこで初演にあたり、
プッチーニの弟子とも友人とも言われる
フランコ・アルファーノ
プッチーニの残したスケッチに従って補作したのが、
第3幕の後半部分。

1926年、ミラノ・スカラ座での世界初演の時、
指揮のトスカニーニは、プッチーニが残した最後の音符まで指揮した後、
タクトを置いてこう言ったという。
「ここでマエストロはペンを絶ち、亡くなった」
初日はここで幕を降ろし、2日目からは補作版で通し上演。

このアルファーノ版が、広く上演されている版。

ところが、音楽出版社の依頼で、
2002年に、イタリアの作曲家ルチアーノ・ベリオが、
新たな補作を完成させた。
今回の上演では、そのベリオ版を使用。
従って、リューの死以降は変わってしまったのです。
前の版だったら、音楽的に、
最後に皇帝の死はなかっただろうに。

というわけで、音楽まで変わってしまった、奇抜なオペラを鑑賞した次第。

私は、メトロポリタンのフランコ・ゼッフィレッリのプロダクションを
こよなく愛しており、
これ以上の演出はないと思っています。
もし世界遺産に芸術部門があったら、
間違いなく世界遺産になる。
これがあまりにもオーソドックスな完成品なので、
新たな演出者は、奇抜な方向に行くしかないのでしょう。

ただ、今度の上演でも、
リューの死あたりでは、やはり胸が詰まりました。
ここは、プッチーニも泣きながら作曲したのではないかと思います。
リューのモデルは、
プッチーニとの不貞の嫌疑から服毒自殺した実在の女中、
ドーリア・マンフレーディの存在を重ね合わせる分析が行われています。

終わった後は、再びアメ横に行って、
昇龍に寄り、餃子をおみやげに買いました。

そして、いつものここへ。

家へ帰ってから、
メトロポリタンの「トゥーランドット」(1987)DVD↓を

口直しに観てしまいました。
ジェイムズ・レヴァイン指揮、
エヴァ・マルトンプラシド・ドミンゴの共演。
そして、ゼッフィレッリの演出。
最高です。

 


小説『汝、星のごとく』

2023年02月24日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

瀬戸内の島で、17歳の高校生の男女が出会う。
井上暁海(あきみ)と青埜櫂(あおのかい)。
二人は、家に問題を抱えている共通点から接近する。

暁海の家は、父親が外に恋人を作り、帰って来ない。
母親は精神的に不安定になっている。
櫂の母親は、惚れやすい体質で、
男を追ってこの島に来、スナックを開いている。
男のことになると、母であることを忘れてしまう。

島には娯楽がなく、人の噂話が唯一の楽しみ。
誰がどこで何をしたか、全部知れ渡っている。
2人が付き合っていることも、
すぐに島中に広まった。
可哀想な2人が付き合ってるのは、
二人ともお母さんがおかしいからとの尾ひれがついて。

高校を卒業した櫂は、友人の尚人と組んで、
漫画家を目指して東京へ上京する。
暁海も一緒に行くはずだったが、
母親を捨てられず、島に残る

櫂の原作、尚人の作画のコンビは、
編集者の植木の目に止まり、
連載開始、単行本も出、
人気漫画家として、
想像できなかったような大金が入って来る。

暁海が東京を訪ねる形で遠距離恋愛は続くが、
次第に二人の間にが出来、
金銭感覚も違いが出て来る。
東京へ行き変わってしまった櫂。
島と母に縛られている暁海。
二人の溝はどんどん深くなり、
やがて破局がやって来る・・・。

暁海は、会社勤めをしながら、
父親の恋人の瞳子から指導を受け、
刺繍作家として一人立ちできる日を迎える。
一方、櫂の方は、
尚人が高校生男子と付き合っていたことが
週刊誌に暴露され、
連載も休止、単行本も廃盤となる。
櫂は酒に溺れ、病気になるが・・・

これらの話に、
父親の恋人の瞳子の話、
漫画編集者の植木の話、
文芸編集者の二階堂絵理の話、
高校の化学の教師である北原先生と家族の話がからむ。

この先は、読んでほしいが、
一組の若い男女の15年間の愛と別れを描いて、哀切
愛し合っていながら、
傷つけ、傷つけられて生きていく
繊細で複雑な人間たち。
その心の動きがいとしい。
最後のあたりは、不覚にも泣いてしまった。

さすが、「流浪の月」で本屋大賞を得た凪良ゆうらしい。
再び、本屋大賞にノミネートされている。

自立した女、瞳子のセリフ。

「わたしは仕事をしていて、それなりに蓄えもある。
もちろんお金で買えないものはある。
でもお金があるから自由でいられることもある。
たとえば誰かに依存しなくていい。
いやいや誰かに従わなくていい。
それはすごく大事なことだと思う」

暁海は、瞳子の後を追い、自立していく。

プロローグに不思議な描写があり、
物語の進行に従い、
この話が、あのプロローグにどうやってつながるのか、
と不審に思うが、
最後に見事につながる。

久しぶりに恋愛小説で心が震えた

 


映画『エンパイア・オブ・ライト』

2023年02月23日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

1980年のイギリス南岸の静かなリゾート地マーゲイト↓。

その海辺に建つ名門の映画館エンパイア


そこで働く女性、ヒラリーは、
新人の移民の黒人青年スティーヴンを迎え、教育係として指導していく。

物語が進むにつれて、
色々なものが見えて来る。
総合失調症で、入院歴のあるヒラリーは、
今も病気の再発を恐れながら一人で暮らしている。
支配人のエリスとは、不倫関係で、
職場の一角で関係を結ぶ始末。
スティーヴンは大学進学を希望しながら果たせず、
夢を諦め映画館で働かざるを得ない。
映写技師のノーマンは、
昔家を捨てたことから、
成人した息子に拒絶されて、会えずにいる。
いつしかヒラリーとステーヴンの間には愛が芽生える。

「炎のランナー」のプレミア会場に選ばれ、
名士を招待してのその日、事件が起こる・・・。

「映画館に生きる人々の絆と
“映画と映画館という魔法”を力強く、感動的に描く、
珠玉のヒューマン・ラブストーリー」
というのがうたい文句の感動作、
のつもりで観ると、裏切られる。
途中からかなりビターな味付けになる。
黒人差別、男女差別、労働問題、
移民排斥運動など、
社会の動きに巻き込まれていく。

で、感動しないかというと、
そうでもなく、苦いな味わいながら、
最後は、胸を突かれる

映画館のスタッフが全員良い人なのが救われる。
老舗映画館として、設備が豪華。
以前は4スクリーンでやっていた劇場も、今は1スクリーンのみ。
他のフロアは荒廃していて、
ピアノのあるレストランは、鳩たちの巣になり、
人が訪れると、鳩が舞うのが悲しい。
映写技師の説明で、
映画は静止画が24分の1秒ずつ映し出され、
その間は暗黒。
でも、目の残像で動いて見える、とか、
昔のフィルム上映の切り換え時の技術の説明など、
今はない手法で、なつかしい。
(今はデジタル上映だが、
 昔は10分ほどのリールを2台の映写機で交互に映し、
 その切り換えのきっかけが、
 スクリーンにパンチマークとして現れる。
 その後、映画1本分をまとめる巨大リールが出現して、
 更にハードディスクでの上映となった。)

主人公ヒラリーを演じるのは、アカデミー賞女優のオリヴィア・コールマン


中年女性の孤独と愛情を演じて、さすがにうまい。
が、館長と関係をしたり、親子ほど年の離れた青年と
恋愛関係になるようなイメージには遠い。
スティーヴンを新鋭マイケル・ウォードが演ずる。


映写技師ノーマン役のトビー・ジョーンズが良い味を出している。


コリン・ファースは、なんで、この役で出演したのだろうか。

監督・脚本は名匠サム・メンデス
撮影(ロジャー・ディーキンス)が美しい。
このたびのアカデミー賞で撮影賞にノミネートされている。

「炎のランナー」、「スタークレイジー」、「9時から5時まで」など、
当時の映画が物語を彩る。
ヒラリーは映画館に勤めながら、映画を観ておらず、
最後に映写技師に頼んで、
閉館後、一人が映画を鑑賞する。


その作品がピーター・セラーズ主演の「チャンス」(1979)。
「屋敷から出た事のない庭師」の話で、
「映画館に勤めながら映画館で映画を観たことがないヒロイン」
ということか。

映画が上映される際に、
幕が開いてスクリーンが現れる。
昔の映画館はみんなそうだった。
それがワクワク感を誘った。
今はスクリーンが最初から出しっぱなしだが、
いつからあんな風になってしまったのだろう。

5段階評価の「4」

TOHOシネマズ他で上映中。