空飛ぶ自由人・2

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『“安倍後”を襲う日本という病』

2023年01月19日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

気骨の論客・門田隆将氏と
報道番組のプロデューサー結城豊弘氏の対談を収録。

目次は、
第1章 安倍元首相暗殺事件とマスコミのひどさ
     (「ああ、日本が終わった... 」
        国際的、歴史的に評価された総理大臣 ほか) 
第2章 「偽善」メディアが衰退する理由
     (犯人と警察に踊らされたワイドショー
        煽り煽られて番組を構成 ほか) 
第3章 報道に関わった大事件の数々
     (「自慢話」か「経験の継承」か
       グリコ・森永事件で敷かれた「報道管制」 ほか) 
第4章「マスコミ不信」がフェイクニュースを生む
     (1億人がそれぞれ情報発信ツールを持つ時代
      「まだマスコミの報道なんて信じているんですか」 ほか) 
第5章 テレビはまだ変身できる
     (地方テレビ局の逆襲が面白い
      大阪・関西万博で魅力を発信!  ほか) 

「“安倍後”を襲う日本という病」という題名から、
安倍さん亡き後、日本の安全・防衛はどうなるか、
経済はどう変化するか、日本人の誇りの行方は、
中国、ロシア、北朝鮮、韓国との対応は、
を問い、その中でのマスコミ偏向を指摘する
という内容かと思ったが、
ちょっと違った。
安倍銃撃事件についての報道の怪しさ、
統一教会問題へのポイントずらし、
国葬問題への論点移行の中で、
安倍さんの功績や国際的評価がぼやけてしまったことを嘆くだけで、
今後のことについては、あまり触れていない。

そして、結城さんといえば、
テレビ界の現状に対する愚痴ばかり。

というわけで、
少々「看板に偽りあり」の内容だったが、
いくつかの指摘が門田さんらしい。

安倍さんが統一教会シンパの根拠とされた
統一教会関連イベントへのメッセージだが、
その「ワールドサミット2022」にメッセージを出したのは、
トランプ氏をはじめ、
フィリピンのアロヨ大統領、インドのデベ・ゴタ元首相、
欧州連合元委員長のホセ・バローゾ氏ら錚々たる顔ぶれ
そもそも、このサミットの共同組織委員長が
潘基文(パン・ギムン)前国連事務総長だ。
潘氏からメッセージを依頼されて断る人はいるまい。
そういうことは、マスコミは報じない。

マスコミが安倍さんを叩く根本原因の指摘。

現実政治家の安倍さんは、
憲法改正を唱え、日米同盟の強化も図り、
さらには集団安保体制の構築を目指していた。
中国にとっては、
本当に「安倍晋三」という存在自身が障壁だったわけです。
だから、日本の代表的な親中メディアである「朝日新聞」が延々と叩いてきた。

まさに安倍さんは「強い日本」を目指し、
それを叩くメディアは「弱い日本」を目指していたことが
中国の意向であることがよく分かる。

核シェアリング問題について。
日本が核武装することは、
NPT(核兵器の不拡散に関する条約)脱退が条件だから、
国際的制裁を受けるから、できない。
日本の米軍基地に核を置くことも難しい。
従って、

核は国土に置かず、
運搬も自衛隊がやらず、
アメリカの原潜に積んだ核について、
つまり、“核抑止力”を日本も共有し、
そして「責任も共に負う」と表明できれば、
今までと「実質」を変えることなく、
「宣言」するだけで
核抑止力の割合を高められる~

その他、重要な指摘。

もちろん平和を語るのは重要です。
しかし、語って欲しいのは、
その「平和を守る」ための現実的手段なんです。
ただそれが空想的平和主義に陥っているなら
「批判は免れませんよ」と言うだけです。
ウクライナの現実を見ても、
「抑止力をアップしないと、
戦争を防ぐことはできない」と、
皆が言っています。

「平和9条を変えろ」と言うと、
「平和憲法、戦争放棄、戦力不保持の憲法を変えるなんて、
あなたは戦争をしたいんですか」と言いますが、
“逆”ですよ。
平和を守るために憲法改正が必要なんです。

どうすれば戦争が起きないか。
「この国を相手にしたら痛い目に遇う」
と思わせることなんです。
日本は確かに日本一国では中国に立ち向かうのは難しい。
しかし日米同盟が強固で、
「日本に手を出したら確実にアメリカが出てくる」と思えば、
そう簡単には手を出せません。

かつて日本にも革命の危機はあった。
既に半世紀以上も前のことだが、
社会主義国家への革命の可能性はなかったわけではない。
しかし、今はそんな芽はない。
国民は社会主義、まして共産主義になることなど、
全く望んでいない。
しかし、半世紀前の思想の残滓は残っている。
その人たちを門田氏は「ドリーマー」と呼ぶ。

私が「ドリーマー」と呼んでいるのは、
左右といった政治思想の問題ではなく、
「リアリズムに基づかない空想的平和主義」や
「できもしない理想主義」「きれいごとの偽善」に
拘泥している人たちのことです。

「少年法」によって少年犯罪の犯人が守られていることについて、
次の指摘は驚いた。

たとえ容疑者が少年であっても、
凶悪事件は少年法の範疇ではないんです。

酒鬼薔薇事件の「少年A」のように、
被害者児童の首を切り落として校門にさらしたり、
光市事件のように
泣いている乳児を叩きつけて殺し、
母親までレイプして殺害するようなものは、
当然、含まれません。
これらせ「非行」はなく
重大なる「凶悪犯罪」だからです。

確かに、死体から首を切り落としたり、
母親を死姦するなど、
「少年」を越えて、「異常者」の所業だ。
それは「少年法第1条」にある
「非行のある少年に対して性格の矯正」
の範囲を越えている。

その概念を精査せず、
一律に年齢で少年法を適用することはおかしいだろう。

安倍銃撃事件も
精神鑑定に6カ月を要し、
ようやく起訴になった。
6カ月もかかったのは、
20年も前の母親の高額献金の恨みが
殺人事件にまで発展するのに無理がある、ということだろう。

私は安倍銃撃事件には、
日本の未来に関わる思想と思想の衝突が関わっているような気がしてならない。
そうでなければ、
警備の隙間をついた、
改造銃からの、1発の銃弾が
一人の政治家に致命傷を与える、
という不思議なことが起こる可能性が薄すぎる。
相当熟達した者でなければ、
拳銃での狙撃は、近距離でさえ当たらないというのに。
安倍氏は、日本の行く末を憂い、
強い国にしようと努力した政治家だ。
弱い国のままに置いておきたいという
一つの強固な意思が
なんらかの形で噴出した気がしてならない。

看板倒れの本書だが、
いろいろなことを考えさせてくれた。