空飛ぶ自由人・2

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映画『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』と『カプリコン・1』

2024年07月22日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

1969年のアメリカ。
宇宙開発競争でソ連に遅れを取ったアメリカは、
ケネディ大統領が提唱した
人類初の月面着陸を目指す
「アポロ計画」に全ての望みをかけていた。
しかし、プロジェクトの開始から8年が過ぎ、
失敗続きのNASA(アメリカ航空宇宙局)に、
国民の関心は薄れつつあり、
その莫大な予算が議会で問題にされていた。
その状況を打開すべく、
ニクソン大統領の側近モーは、
PRマーケティングのプロであるケリーを起用する。
ケリーは月面着陸に携わるスタッフに
そっくりな役者たちをメディアに登場させて
偽のイメージ戦略を仕掛けていくが、
NASAの発射責任者コールはそんな彼女のやり方に反発する。

いよいよアポロ11号の月面着陸の計画が進む中、
モーは万一失敗した時のために、
バックアッププランとして、
月面着陸のフェイク映像を準備するという
前代未聞の極秘ミッションをケリーに告げる。

実はケリーには秘密の過去があり、
受けざるを得ない。
ケリーの知人の監督が起用され、
NASAの構内に月面のセットが組まれ、
俳優の訓練も始まり、
撮影の準備は着々と進むが、
コールの知るところとなり、
阻止計画も密かに進行する。
やがて、モーは、
月面着陸の成功にかかわらず、
フェイク映像を使うと言いだして・・・・

アポロ11号は月に行っておらず、
月面着陸の映像はセットで撮影された偽物だ、
という都市伝説は根強く、
なにしろ当時、ソ連からも
負け惜しみのように喧伝された。
今でも陰謀説を信じている人はいる。

これを題材にした映画は、既にあり、
有名な「カプリコン・1」(ただし、火星着陸の話。 後述)、
フランス、ベルギー合作の「ムーン・ウォーカーズ」(2015)や
日本未公開の「operation Avalanche 」などがある。

なぜ同じ題材を、と思ったら、
アプローチが全く違う。
ほう、そういう方向に向かうか、
と途中から着地点が分からなくなった。

ケリーをスカーレット・ヨハンソン
コールをチャニング・テイタムが演じ、
モー役でウッディ・ハレルソンが共演するという
超一流の俳優を揃えたのも、
見どころの一つ。
監督はグレッグ・バーランティ

問題の月面着陸の場面では、
本物の映像と偽の映像のどちらが放送されているのか
分からなくなったりする。
そして、驚くようなハプニングがスタジオに起こり・・・
これはなかなか面白い。
伏線も用意されている。
もしそれが放送されていたら、
世界中びっくり仰天しただろう。
その方が歴史に残ったりして。

フェイク作戦が始まるのは、映画の半分あたりから。
それまではケリーとコールの
反発しあいながら引き合う、恋模様で進む。
この部分、もう少し短くできなかったか。

格納庫から発射台に運ばれるロケットの姿や
打ち上げの映像は臨場感たっぷり。
NASAの設備や構築物もリアル感があった。

5段階評価の「4」

拡大上映中。

なお、終盤に流れる曲「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、
ジャズのスタンダード・ナンバー
「私を月に連れて行って」といった意味。
1954年に作詞家・作曲家のバート・ハワードによって作られた曲。
ただ、最初のタイトルは「イン・アザー・ワーズ」(「他の言葉で言えば」)。

Fly me to the moon
And let me play among the stars 
Let me see what Spring is like
On Jupiter and Mars 
in other words,hold my hand!  
in other words,darling kiss me! 

様々な歌手によって歌われ、
1956年、ジョニー・マティスがアルバムに収録する際に初めて
「Fly Me to the Moon」の題が登場した。
1963年にペギー・リーが作者を説得し、
名前変更したというエピソードがある。
日本では1963年、森山加代子が「月へ帰ろう」 、
中尾ミエが「月夜にボサノバ」 のタイトルで、
日本語詞でカバーしている。

[旧作を観る]

監督  ピーター・ハイアムズ
主演  エリオット・グールド
音楽  ジェリー・ゴールドスミス
                                        1978年公開の米英合作映画。
日本では1977年に先行公開。
私は公開時に観ているが、
今回「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」公開にあたり、再見。

「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」は月面着陸だが、
こちらは、火星着陸の話。

人類初の有人火星探査を目的とした
宇宙船カプリコン1号が打ち上げられようとしていた。
カウントダウンが始まり、発射の数分前、
ハッチが開き、
三人の乗組員に退出命令が出される。
三人は、管制スタッフや見物客などに見つからぬように
船内から連れ出されて車に乗せられ、
砂漠の真ん中にある無人の古い基地へと連れていかれる。
ロケットは無人のまま打ち上げられてしまう。

三人は計画の責任者であるケラウェイ博士から、
事情の説明を受ける。
2か月前、
カプリコン・1 の生命維持システムに決定的な不具合があることが発覚し、
当初予定していた計画の遂行が不可能となった。
しかし計画の中止は、NASAの予算が大幅に削減される契機となるため、
何としても避けねばならない。
もっと大きな理由は、
「国家の威信をかけたプロジェクトを失敗させるわけにはいかない」というものだ。
そのため、無人のままのカプリコン・1 を火星に向かわせつつ、
その事実を隠し、飛行士が乗船していたと見せかけるというものだ。

人々と科学を裏切る結果になることを嫌った飛行士達は最初は
この命令を拒否するが、
家族の安全を人質に取られ、やむなく承服する。
こうして彼らは、
火星探査や地球との通信の様子などをセットの前で撮影し、
世界に公開するという大芝居に協力することとなる。
探査機から火星に降り立つ時は、
スローモーション技術を使ったりもする。
「息子に自分が火星に行ってきたと本当に言えるか」
と彼らの苦悩は深まる。

カプリコン・1による人類初の火星着陸は、
それが捏造であると明るみに出ることもなく、
滞り無く進行していくが、
帰還船が地球への再突入のショックにより
熱遮蔽板がはがれ、破壊、炎上してしまう。
三人の飛行士は存在してはならない人間になってしまったのだ。
その報告を受けた三人は、
身の危険から逃れるために砂漠の基地から脱出を図る。
奪った飛行機で荒野に不時着した三人は、
追究を逃れるため、別々な方向に逃走していく。

これに、NASAに勤める友人から、
本計画に妙な点があると告げられていた記者が、
行方不明になった友人の後を辿りつつ、
飛行士の一人の妻を取材し、
宇宙船からの夫の発言ののヒントから、
火星着陸そのものが捏造だった疑いを持つ。

2時間ほどの映画だが、
着陸映像捏造の話は半分の1時間ほどで終わり、
後は、三人の逃避行の話になる。
記者による謎解きなどミステリー要素も加わる。

当初はNASAは協力的だったが、
途中で内容を知ってから協力を拒否した。
それは、「新幹線大爆破」(1975)で、


内容を知った当時の国鉄が協力を拒否し、
新幹線での撮影が出来なくなり、
セットを作らざるをえなかったのを想起させる。
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」では、
NASAの協力を得られたという。
それは、映画を観れば分かる。

当時のコンピューターの
文字ばかりの白黒画面が出ると、
時代の進化を感ずる。
製作当時、CGもなく、
ステディカムも存在せず、
ドローンもまだ発明されていない時代のもので、
およそ50年の間に、
カメラワークを含め、
映像技術が進化したことが改めて分かる。
今だったら、こう撮っただろうという場面が随所に登場する。
そういう意味で興味深い再見だった。

 


映画『ふたごのユーとミー』

2024年07月18日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

タイの中学生、ユーとミーは一卵性双生児の姉妹
生まれた時からずっと一緒で、
隠し事はなく、なんでも分け合ってきた。
食べ放題のレストランや映画館で、
途中で入れ替わって、一人分の料金ですませたりする。
違いがあるとすれば、
ミーの頬に小さなほくろがあることくらいだ。

そんな二人だったが、
等分に分け合うことの出来ない事態が起こってしまう。
それは、同じ男の子を好きになってしまったのだ。

というわけで、思春期のふたごの姉妹の間に起こった
心のゆらぎを詩情豊かに描いたのが、この作品。

二人はバンコクにいたが、
家庭の事情で、母親の田舎に住むことになる。
そこで、追試の時に鉛筆を分けてくれたのがきっかけで
マークと知り合いになる。
デートは三人一緒。


でも、それがうざく感じる時が来る。
マークと二人きりで会いたいと。


初めて二人は「もう一人の自分」の存在を憎んでしまう。
「ふたごになんか生まれるんじゃなかった」
とまで口にしてしまう。

更に二人には別の問題もあった。
父母の離婚
別れた時、どちらがどちらに付いていくかを決断しなければならない。
父も母も好きなのに、
どうして二人が別々に住まなければならないのか。

その時、二人の絆をより深める事件が起こる・・・

私は女の子になったこともないし、
ふたごだったこともないので、
二人の気持ちは実感的には分かるはずがないが、
それでも、この思春期の乙女の気持ちが
ぐっと近く感じられるのは、
映画作りがうまくいっているからだ。

監督は、ワンウェーウ・ホンウィワットウェーウワン・ホンウィワットの二人。
彼女たち自身も一卵性双生児の姉妹だという。
そして、ふたごを演ずるティティヤー・ジラポーンシン
もうあちこちで明かされているから、
書いてもいいと思うが、
一人二役で両方を演じている。
知らない人は、ふたごの俳優が演じていると思うほど
たくみな編集だ。


もともとふたごの俳優に演じさせるつもりで探していたが、
うまく見つからず、
プロデューサーが友人の写真家のフェイスブックで彼女を見て、
この映画のオーディションに誘って抜擢、
結局、一人二役になった。
ティティヤー・ジラポーンシンの起用が、成功の要因だ。

映画を観ているうちに、
耳が出ているのがユー、
髪で耳が隠されているのがミー、
と区別されていると気づいたが、
そうでもない場面もところどころ有るので、混乱する。

ユーとミーの心を奪う少年マークを演じたアントニー・ブィサレーは、
ベルギーとタイの両親を持つハーフで、
将来有望。

時は1999年、
ノストラダムスの大予言や
2000年の切り替わりで
コンピューターが不具合を起こすと心配されていた時代。
タイの田舎の風景の中で、
思春期の男女の初恋を描くこの映画、
初々しい描写で、
終始、なつかしい感情が包む、
暖かい映画だった。

5段階評価の「4」

新宿ピカデリー他で上映中。

 


映画『ホールドオーバーズ』

2024年07月10日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

原題の『Holdovers』とは、
「留任者、残留者」という意味。
原題だけでは通じないので、
「置いてけぼりのホリデイ」と副題をつけた。

1970年冬、ボストン近郊にある全寮制のバートン高校。
クリスマス休暇で、生徒と教師のほぼ大半が
家族と過ごすため帰郷する中、
事情で帰れなかった5人の生徒を監督する役割を
歴史教師・ハナムが割り当てられる。
このハナム、
生真面目で融通が利かず、皮肉屋で、
生徒からも教師仲間からも嫌われている。
なにしろ、多額の寄付をしている議員の息子に
落第点を付けて、親を激怒させてもどこ吹く風。
校長(実は、元教え子)が「せめて採点をC-にしてくれ」
という頼みにも応じないのだ。

居残り生活に対しても規律を求めるハナムに
生徒たちはうんざり。
はじめ居残った生徒は5人だったが、
一人の生徒の父親が金持ちで、
ヘリコプターで迎えに来て、
4人を雪山に連れて行ってしまう。
残されたのは、最近再婚した母親から
「新婚旅行をするから来てくれるな」と断られ、
雪山の件も親と連絡が取れずに
行けなかったアンガス・タリー。


こうして、寮の料理長メアリー・ラムと
ハナムとの3人だけが
学校に残ることになる。
誰からも認められずに孤独なハナム、
親から見捨てられたアンガス、
一人息子をベトナムで亡くした悲しみを抱えているメアリー、
それぞれの心根に触れつつ、
次第に3人の間に疑似家庭的な絆が作られていく。

「ボストンへ行きたい」とアンガスが言いだし、
はじめは反対していたハナムだったが、
メアリーに説得され
「社会科見学」としてボストン行きを承諾する。
そして、ボストンで、
ハナムはハーバード時代の旧友と偶然出会い、
過去の秘密を明らかにされてしまう。
アンガスがボストンに行きたかった理由も判明し、
それはハナムとアンガスの共通の秘密となる。
しかし、ボストンでの行為が後で問題になり、
責任を追究された時、ハナムは・・・

「サイドウェイ」(2004)と「ファミリー・ツリー」(2011)で、
二度のアカデミー賞脚色賞に輝く
アレクサンダー・ペイン監督の新作。
しかも、「サイドウェイ」で主演していた
名優ポール・ジアマッティとの再タッグ。
ゴールデングローブ賞で主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。


アカデミー賞では、作品賞・主演男優賞・助演女優賞・オリジナル脚本賞・編集賞の
5部門にノミネート
メアリーを演じたダヴァイン・ジョイ・ランドルフが、
ひとり息子を失った女性の孤独を体現し、助演女優賞を受賞した。


受賞を逃したがハナムを演ずるポール・ジアマッティは受賞級の演技。
アンガスを演じたドミニク・セッサも初演技とは思えない演技を見せる。

もう50年も前の話。
全編に、古き良き時代のなつかしさが溢れる。
当時の全寮制の高校がどんなものであったか知って、興味は深い。
孤独を抱えた3人が
次第に心を通わせていく様がていねいに描かれ、
深い味わいが伝わる。
そして、最後の下りは、
激しく胸打たれる。
さすがは、アレクサンダー・ペインと思わせる作品。

最近、騒がしいものが多いアメリカ映画だが、
こういう作品が作られ、評価されているのは嬉しい

5段階評価の「4.5」

拡大上映中。

 


映画『PS-Ⅱ 大いなる船出』

2024年06月20日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

先月公開された「PS-Ⅰ 黄金の河」の続編
インドでは、前編は2022年、
後編は2023年に公開されたが、
日本では、5月6月と、1か月の間隔で、続けて公開

インドの伝説的な歴史小説
「ポンニ河の息子」(Ponniyin Selvan つまり、「PS」
を前後編で映画化。

10世紀、インド南部、タミル地方に実在した
チョーラ王朝の宮廷を舞台にした
愛憎と陰謀、国の存亡を懸けた戦いの物語。

前編のラストでは、弟のアルンモリ王子が海の藻屑と消え、
その訃報は、国全土に広まり、王国は悲しみに包まれた。
しかし、アルンモリは、何度も彼の窮地を救ってきた
謎の老婆に助けられ一命をとりとめていた。
そして、アルンモリと再会した長兄・アーディタと長女・クンダヴァイは、
密使の騎士デーヴァンにより、
王朝転覆の黒幕と計画の全貌を知る。


老王のもとに刺客が送られると共に、
アーディタは、計画を裏で操るナンディニの誘いに乗って、
その牙城に赴き、罠に自らかかり、
アルンモリにも刺客が放たれる。
王国に迫る最大の危機を三人の兄弟はどうやって乗り越えるか・・・

前編と違い、戦争シーンは最後だけで、
主に、愛憎渦巻く登場人物の数奇な運命を描く、
より重厚な人間ドラマが描かれる。
謎の老婆の正体、老王との過去だけでなく、
ナンディニの出生の秘密も明らかになる。
アーディタの苦悩はシェイクスピアのようであるし、
最後のくだりは、ギリシャ悲劇のよう。


登場人物の想いが伝わり、
胸が熱くなる人間ドラマだ。
俳優たちも難しい役どころを演じ切り、
インド映画陣の層の厚さに驚かされる。
しかし、相変わらず、顔の区別がつかないが。
また、映画における音楽の重要性も改めて知らしめてくれる。
(音楽はオスカー受賞者A・R・ラフマーン

監督・共同脚本・共同製作はインド映画の巨匠マニラトナム

5段階評価の「4」

新宿ピカデリー他で上映中。

私が観た市川妙典の映画館では、がら空きだった。
娯楽に徹した、こんなに面白い映画なのに。
しかし、10世紀といえば、
日本での平安時代に当たる。
さすがに関心がないか。

 


映画『ビューティフル・ゲーム』

2024年06月12日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

車上生活を送っていたヴィニーは、
子どもたちとサッカーに興じている姿を見かけた
コーチのマルに声をかけられて、
「ホームレス・ワールドカップ」に参加するため、
ロンドンからローマに向かう。

ホームレス・ワールドカップとは、
ホームレスによるサッカーの世界大会。
2003年から毎年開催され、
参加チームは全世界から70以上。

正規のサッカーグラウンドが
105m×68mに対し、
20分の1の22m×16mと、
フットサルより狭く、
バスケットボールのコートより、少し小さい。
コートはフェンスで囲まれ、ボールが場外に出ることはない。


選手はキーパーも含め1チーム各4人
試合時間は7分+7分。

選手資格は、16歳以上の男女で、
開催前年にどこかでホームレス生活をしていること。
主な収入の手段が路上での雑誌販売であること。
過去に行われたホームレス・ワールドカップへの出場経験がないこと。
つまり、連続出場は出来ない=選手は固定出来ない=職業化出来ない。
なのに、ブラジルとメキシコがやたらと強いのは何故?
(両国が3回ずつ優勝)

本作では、イギリスチームはもとより、
南アフリカ、アメリカ、イタリア、日本などのチームが描かれる。
クルド人問題や移民問題などが織り込まれ、
ダメチームが全員の努力で勝ち進む、
おなじみのストーリー。

最後の方でヴィニーの過去と
マルがヴィニーに声をかけた理由が明らかになる。
3位決定戦に参加できなかったヴィニーをどうするのかと思ったら、
ああいう形で締めくくるとは。
なるほど。

監督はテア・シャーロック
コーチ役はビル・ナイで、
ガッツポーズをする英国紳士・ビル・ナイの珍しい姿を見られる。

Netflix 3月29日から配信。

なお、同名のミュージカルがあり、
これは、「オペラ座の怪人」や「キャッツ」などで知られる作曲家、
アンドリュー・ロイド= ウェバーの作品。
1970年代のアイルランドを舞台に、
サッカーに青春をかける少年たちが、
カトリックとプロテスタントの熾烈な争いに巻き込まれていく姿を描く。


2000年から1年間、ロンドンで上演され、
日本でも昨年上演された。

ロイド= ウェバーが既に神通力を失ってからの作品なので、ヒットしなかった。