空飛ぶ自由人・2

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堀切菖蒲園

2024年06月15日 23時00分00秒 | 名所めぐり

コロナの隔離期間が過ぎて、
外出が可能になりましたので、
先日、ここへ。

駅名になっているくらいですから、
駅の近くかと思いましたが、
意外や、徒歩10分ほどの場所にあります。

スマホのナビを使おうと思いましたら、

こういう案内板がありました。

民家の中の道を通り、


やがて、会場に。

入園は無料です。

花ごとに名前が付けられています。

同じような写真で恐縮ですが、
しばらくご覧下さい。

200種6000株の花菖蒲が植えられており、
見ごろは、6月の中旬(今! )。

今年度も堀切菖蒲園と都立水元公園で
葛飾菖蒲まつりが開催されています。


地元住民・商店街・行政等による運営協議会によって、
パレードなどのイベントが行われます。

始まりには二説あります。

室町時代、堀切村の地頭久保寺胤夫が
家臣の宮田将監に命じ、
陸奥国郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて栽培を始めた。

江戸時代、百姓の小高伊左衛門が
趣味で各地の花菖蒲を集めて庭で栽培したのが始まり。

の二説。どちらでしょう。

江戸時代には「江戸百景」に数えられ、
名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場します。

歌川広重 名所江戸百景「堀切の花菖蒲」↓。

戦前まで、堀切には幾多の菖蒲園がありましたが、
1959年、堀切園を東京都が購入、
東京都立堀切菖蒲園として公開。
1975年、葛飾区に移管されました。

休憩所。

ジジババばかりです。外国人はいません。まだ知られてないのでしょうか。

3種の違い。

菖蒲の季節以外はどうなるのだろう、と思いましたが、
↓のような花ごよみ、花木ごよみが作成されています。

水元公園には、来年行ってみようと思います。

                                        


お台場へ

2024年05月13日 23時00分00秒 | 名所めぐり

近所のシェアサイクルステーションで、電動アシスト自転車を借りて、

旧江戸川を渡り、

葛西臨海公園

子供の日とあって、この混雑。

以前、水族館は大人も無料だったような気がするのですが・・・

その後、荒川河口橋で荒川を渡り、

タワーマンションを見つつ、

お台場へ。1年ぶり。

海岸が出来ています。

歩きやすいように。

こんな行事も。

ステージでは、この子たちの晴れ舞台。

その後、普段行かないところへ。

この角度で見るのは、初めて。

都民の憩いの場。

マリオカートがこんなところも。

レインボーブリッジを渡って来たのでしょうか。

船の科学館

南極観測船、宗谷

大型旅客船がこんなところに停泊。

湾岸署って、本当にあるんだ。

このあたりは、全く来たことがありません。

林立するキリン。

自転車道と歩道が分けられています。

人の姿は少ないですが、いることはいます。

ビッグサイトを横に見て、

帰りは、一つ横の道を。

東京といえども、緑が一杯です。

初夏の緑に満たされたサイクリングでした。

 


宮下パーク

2024年05月09日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日のこと。

渋谷で映画を1本観た後、

↓ここへ。

宮下パーク

住所は渋谷1丁目。

1953年(昭和28年)、
渋谷区宮下町の「宮下公園」として整備。
山手線と明治通り、渋谷川暗渠に挟まれた
幅35m、長さ330mの緑地公園だった。

東側の高台である美竹町には、
広大な梨本宮邸があったことから「宮下町」の名が付いた。
その町名は
1966年(昭和41年)の新住居表示の実施とともに消滅。
宮下公園の名称にその名を留める。

1990年代以降は
多数のホームレスが住み着き、
老朽化が進行した。

その後、再整備反対運動など、
紆余曲折を経て、


公園を地上17mに浮かせ、
下3層に商業施設を整備した、
今の形が出来上がり、
2011年3月30日に
リニューアルオープンした。

渋谷駅方面から来ると、


まず、「渋谷横丁」という飲食店施設があり、


全国各地のグルメが楽しめる。

明治通りに面した路面店には、
ブランド店が入り、


2階・3階は店舗が並ぶ。

3階にはフードコートがある。

南北に別れ、


南北両端に大階段を配置し、

中央では美竹通りに公園をかぶせ、
通りを見下ろせる象徴的な大階段も設けた。

4階北側には、
sequence MIYASHITA PARK 
というホテルがあり、

地上18階で、
客室数は240室
4階は公園からつながるフロアとなり


カフェ&バーとロビーが一体となっている。

旧宮下公園は、屋上に移設され、
鉄のツインアーチ構造を持つ
緑の天蓋で覆われている。


屋台や出店があり、

 


思い思いに座ることが出来る。

こんなオブジェも。

ビーチサッカーのコートや、


旧・宮下公園に存在した
ボルダリングウォール、


スケートボードパークも整備。

渋谷の変貌は、まだまだ続く。

 


根津神社のつつじ苑

2024年05月01日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日の根津神社の続き。

今、つつじが花盛り。

商店街もイベントに。

正面の鳥居から早くもつつじが見えます。

ここは、つつじ苑と呼ばれ、

入場するには、500円を寄進。

ながらかな坂道と階段を巡って、つつじを鑑賞します。

ツツジは、ツツジ科の植物で、ツツジ属の植物の総称
主にアジアに広く分布し、
ネパールでは国花となっています。
練馬区など一部の市区町村でもシンボルにされています。
ちなみに、浦安市の市花はツツジ。
今の季節、市内でツツジが咲いています。
日本では古くから園芸品種として交配され
美しい品種がたくさん生まれたため、
種類が多いのです。

この地が甲府宰相徳川綱重の下屋敷であった時、
綱重が植えたことに始まったといいます。

現在、約100種3000株が咲き誇っています。

つつじは早咲き、中咲き、遅咲きのものがあり、
徐々に咲き移っていくのが特徴。

昔は、つつじが岡とも呼ばれ、小高い丘からの景色も見どころ。

千本鳥居もこのように見えます。

その中に屹立する大木。

つつじまつりは、昨日まで。
でも、まだ咲いているでしょう。

 


根津神社

2024年04月23日 23時00分00秒 | 名所めぐり

今日は、朝から根津へ。


珍しく、カミさんも一緒です。

目的地は、ここ。

根津神社。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が
1900年近く前に創祀したと伝えられる古社で、
東京十社の一社に数えられています。

東京十社とは、↓。

根津神社が現在の姿を整えたのは、
江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉の治下にあった宝永3年(1706年)。
当時嗣子のなかった綱吉は、
甥で甲府藩主の綱豊(綱吉の兄、後の六代将軍家宣)を世嗣に定めたが、
根津にあった甲府徳川家の江戸屋敷で出生した綱豊は
根津権現を産土神としていたことから、
綱豊が江戸城へ移る際に、
藩邸跡を根津権現へ献納し、
社殿を造営したもの。

主祭神は、
須佐之男命(すさのおのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
誉田別命(ほんだわけのみこと)

正面の鳥居から入って、

神橋

御遷座300年を記念に造営されました。

楼門

江戸内の神社の楼門で唯一残っているもの。

ここから、国宝が続きます。

唐門

社殿

江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉による造営で、
お参りする際、目の前にあるのが拝殿。
その奥に本殿・幣殿があります。
一番奥にある一段高い建物が神様のお住まい「本殿」。
拝殿と本殿をつなぐ中間を「幣殿」といい、
権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされています。

社殿7棟が国の重要文化財に指定されています。

全て本物の漆塗りです。

願掛け榧(カヤ)の木

神使の白蛇が住処とし、
人々が願いごとをするとその願いが不思議と叶ったと言われています。
絵馬の撮影は禁止です。

透塀

社殿の周囲を囲んでいる塀。
細い木で菱形に組まれた窓から中が透けて見えるのでこの名があります。
全長200mの塀が300年経っても歪みなく、
最近の調査で地中8mの深さまで
基礎工事がされていることが分かりました。

西門

棟門という形式の門。
2本脚のシンプルな形で構造上強度に欠けるため、
現存するものが少ない貴重なものです。

北門

このあたりは屋台が並びます。

この日は平日だからか、
閉店の屋台が多かったです。

社務所(客殿)

古木が多く、

保護されています。

神楽殿

文京区の無形文化財に指定されている
社伝神楽「三座ノ舞」などが奉納されます。

千本鳥居

乙女稲荷に通じる参道には奉納された数多くの鳥居が並びます。

徳川家宣公胞衣塚

綱豊(六代将軍家宣)が生まれた屋敷のため、
家宣の胞衣(胎盤)を収めた場所。

乙女稲荷

池を見下ろす舞台造り。
祠は穿たれた穴の中。
古い記録には穴稲荷とあります。

庚申塔

暦の庚申の日の夜に集まり寝ずに夜を明かす、
江戸時代に流行した民間信仰があり、
道の辻などに塔が建てられました。
道路拡幅の際、根津神社へ遷されたものです。

塞大神碑

悪疫が入らぬよう道を守る神で道祖神とも言われます。
駒込追分の一里塚に立てられていたもので、
これも道路拡幅の際、根津神社へ遷されました。

駒込稲荷

根津神社が千駄木村より遷座する前、
この地が甲府宰相徳川綱重の下屋敷だった頃の守り神。

文豪の石

夏目漱石や森鴎外も氏子で、
境内散歩の際に腰を下ろした石。
これは、拝借した写真。
当日見つけられなかったのは、
参拝者が座っていたため、
ゆかりのある石とは思えなかったので。

森鴎外碑銘水

日露戦争戦勝記念に陸軍軍医監だった森林太郎(森鴎外)が
戦利砲弾を奉納した時の台座を転用したもの。
これも見つけられなかったので、拝借した写真。

観光ルートになっているのと、

とにかく外国人が多い。


どうやって名所を知るのでしょうか。

今の時期に訪れたのは、
つつじ苑の一般公開だったからですが、
つつじ苑の写真は、後日。