空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『スタッフロール』

2022年08月31日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

映画の創造物・クリーチャーの制作者を巡る物語
2部構成になっており、
第1部は1948年から1986年までの、
特殊造形師、マチルダ・セジウィックの物語。
子供の頃、父親の友人、脚本家のロニーが影絵で作った
犬のモンスターにとりつかれるマチルダ。
やがて家出して、ニューヨークの造形師、老ヴェンゴスの弟子となる。
ある時、ロニーがハリウッドの赤狩りで同志を告発した裏切り者で、
イギリスに逃れて事故死したことを知る。
ベトナム戦争で下半身を失ったリーヴと組んで、
ロサンゼルスで造形師として仕事を得るが、
ライバルのモーリーンからCG(コンビューター・グラフィックス)の試作品を見せられ、

恐ろしくて仕方がない。
あれがもっと進化したら、
どんなことが起きる?
何十年もかけてきた特殊造形を、
CGが粉々に壊す様しか見えない。

と、ショックを受け、映画界から身を引く。
しかし、最後に担当した「レジェンド・オブ・ストレンジャー」の大ヒットで、
犬の怪物「X」を造形した人物として、伝説の人物になる。

第2部は一挙に飛んで2017年のロンドン。
CGクリエイターのヴィヴィアン・メリルは、
伝説の造形師マチルダの特集番組で、
マチルダがCGを嫌悪していたことを知り、衝撃を受ける。
そこへの彼女の所属するスタジオが、
伝説の映画「レジェンド・オブ・ストレンジャー」のリメイク
造形を請け負う話が持ち上がる。
しかし、「X」をCGで造形することに
批判が巻き起こる。
担当したヴィヴィアンにも迷いがある。
そこへ、かつてマチルダにCGの台頭を示唆した
モリーナが現れ、
マチルダと会うことを勧め、
住所を書いた紙を渡す。
「X」の実物を見られることを期待したヴィヴィアンは、
ニューヨークに向かうが・・・

昔、映画の中の怪物や宇宙人は、
ラテックスのかぶりもので作られた、
「特殊メイク」で、
あくまでもB級映画の扱いだった。

しかし、時代が変わり、
映画の中に造形物があふれるようになった。
そして、CGの進歩によって、
造形物もCGで作られるようになった。
今は風景も自然も建造物もCGで何でも作られ、
亡くなった俳優さえCGで蘇る時代になった。

そうした変遷をマチルダというアナログの造形師と、
ヴィヴィアンというデジタルのCGクリエイターを通じて描く、
興味深い読物。

1980年代から、
特殊メイク、特殊造形、特殊効果──スペシャル・エフェクトの黄金時代になる。
そのことを、こう書く。

十数年前には考えられないことだった。
──スクリーンにこれほど多くの異形の者たちが映り、
本当に目の前で起こったかのように思わせ、
建造不可能な建物や乗り物が登場するなどとは。
一生忘れられないクリーチャー、
醜くて美しいありとあらゆる生き物、
これまで想像の中にしか存在し得なかった世界が、
次々と生まれていた。

マイケル・ジャクソンでさえ「スリラー」で特殊メイクでゾンビと踊る。

世の中には空前のホラー、スリラー、ファンタジー、SFのブームが巻き起こった。

そして、コンピューターの進化。

手作業で生み出せる映像表現が限界を突破したのは
キューブリックの「2001年:宇宙の旅」だが、
コンピューターを使って映像革命を引き起こしたのは
ルーカスの「スター・ウォーズ」だった。

題名の「スタッフロール」とは、
映画のエンドクレジットで、
関わったスタッフの名前が延々と表記されること。
ここに載らない関係者も沢山いる。
マチルダは一度も載ったことがなく、
「レジェンド・オブ・ストレンジャー」のリメイクで
その名が載るかどうかが焦点となる。

本編の中で、
「CGには偽物を見せられている」と揶揄される場面がある。

「CGなんていらない。
CGがすべてをダメにしたんだ。
映画から魔法が消えた。
想像力や造形技術を持った天才たちが、
数学で頭がいっぱいのロボットたちに仕事を奪われたせいさ」

ヴィヴィアンはこう考える。


「映画は科学だ。
そして科学は進歩する。
科学が進歩すると人間の想像力は更にその上を行こうとする。
非現実的な夢を見る。
それを再現することができるのはコンピュータ・グラフィックスだ」

「想像力は魔法、創造力は科学」という言葉も意味深い。

映画は科学の産物だ。
フィルムも映写機もサウンドトラックもカラーも科学が生んだ。
科学を用いて想像力を発揮し、創造する。
従って、技術の進歩によって表現力も変わる。
CGによって表現の可能性が広がるなら、
それは良いことだ。

問題は、その進歩についていけない人が批判すること。
映画の歴史はその繰り返しだ。
トーキーになった時、
「活弁にこそ映画の味みがある」という人がいた。
カラーになった時、
「白黒映像にこそ映画の美がある」という人がいた。
ワイドになった時、
「3:4のスタンダードこそ、映像の黄金比だ」といった人がいた。
何のことはない。
技術の進歩についていけずに、
過去に拘泥しているだけのことだ。
今頃になって、サイレントがいいだの、白黒であるべきとか、
ワイドはいやだ、と言う人はいないだろう。
CGも同じ。
技術の進歩によって表現の幅が広がったことで、
SFやファンタジーだけでなく、
あらゆる表現が豊かになったのだ。

そうした映像の歴史を感じさせてくれる一篇。
それにしても深緑野分の引き出しは多い。

 


映画『アキラとあきら』

2022年08月30日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

池井戸潤の小説の映画化。

出版までには、次のような経緯がある。
「問題小説」(徳間書店)に2006年12月号から2009年4月号まで
3年かけて連載。
その後、書籍化されることなく眠っていた「幻の作品」だったが、
WOWOWのドラマ製作スタッフが偶然発掘し、
池井戸氏にドラマ化することを熱烈オファー。
ドラマ化するにあたり大幅な加筆をして、
徳間文庫より2017年5月17日に文庫本として刊行され、


その直後、7月9日から、WOWOWでテレビドラマとして放送された。
今回の映画化は、そのWOWOWによるもの。

階堂彬(かいどうあきら)と山崎瑛(やまざきあきら)という、
漢字が違うが、同じ発音の名前を持つ二人の人物の関わりを描く。

山崎瑛の実家は零細工場で、
瑛が小学生の時に、工場が銀行に見放されて倒産し、
一家は夜逃げ同然に引越しする。
銀行に恨みを持つ瑛だったが、
高校2年生の時、
父が再就職した親戚の工場の経営が傾いた時、
産業中央銀行の真面目な行員が
融資を継続できるように奔走してくれ、
工場を立て直すことができ、
銀行員の対応の違いで、
企業が救われることもあることを胸に刻む。
やがて瑛は東京大学経済学部に入学し、
その優秀さから、
産業中央銀行の人事部から声がかかり入行した。

階堂彬は、大手海運会社である東海郵船の御曹司。
父の後を継ぐだけの人生を拒否し、
産業中央銀行に入行する。

産業中央銀行では3週間に及ぶ新人研修が行われ、
その目玉とも言える「融資戦略研修」の最終対決に選ばれたのが、
彬のチームと瑛のチームだった。
一方のチームが融資を受ける企業側、
もう片方のチームが銀行に分かれての対決だ。
彬がなったのは、融資を受ける企業側で、
彬は融資を受けるために、データを粉飾する。
しかし、銀行側の瑛のチームは粉飾を見破り、
「融資見送り」の結論を告げた。
見事な対決を見せた研修は
行内でも伝説として語り継がれるものとなり、
2人のアキラは同期300人の中でも
特に優秀な存在として知れ渡ることになる。

しかし、順調に出世を遂げる階堂彬に比べ、
山崎瑛は零細企業の家族を救うための温情があだとなって、
地方支店に左遷されてしまう。
それでも腐ることなく、誠実な行員生活を送った瑛は、
実績を挙げ、数年後、本部に奇跡の復帰を成し遂げる。

一方、彬の父の死後、
東海郵船を引き継いだ彬の弟・龍馬は、
叔父たちの策略によって
叔父たちが経営する高級リゾート施設の連帯保証をして、
倒産の危機に陥る。
その再建のために彬は銀行を辞め、
瑛が銀行の担当者となり、
二人のアキラはタッグを組んで、
東海郵船の建て直しに立ち向かっていく・・・

彬も瑛もその根底にあるのは、
「カネは人のために貸せ」
という、新人研修で語られた羽根田融資部長の言葉だった。
二人のアキラが正反対の境遇にいながら、
目指すものは同じ。
池井戸潤らしく、銀行の話で、
理想のバンカー像を造形する。

二人のアキラには抵抗できない「宿命」があり、
それを乗り越えることが課題なのも大きなくくりだ。
幼い頃二人は一度(原作では2度)だけ偶然接触しており、
その「宿命」が最後に分かる。
映画にない小道具の使い方がいい。

2時間という制約の中で、
原作の枝葉を取り払い、
そのテイストを損なうことなく、
骨組みしっかり脚色した池田奈津子の腕が冴える。
監督は三木孝浩

山崎瑛を演ずる竹内涼真
階堂彬を演ずる横浜流星の二人が
大変魅力的で、画面を支える。


脇を固める俳優たちも力量を発揮する。

山崎瑛の銀行家魂と
階堂彬の同族企業に対する愛情は、
本作の中核をなし、
しばしば胸が熱くなった

池井戸潤の映画化作品の中で、
これが一番ではないか。

5段階評価の「4.5」

なに、ドラマ版では、山崎瑛を斉藤工が、海堂彬を向井理が演じた。

拡大上映中。

 

 


死刑囚とプライバシー

2022年08月29日 23時00分00秒 | 様々な話題

最近、死刑囚によって、
奇妙な提訴がなされた、と報道されている。

提訴したのは、東京拘置所に収容中の確定死刑囚の男性。
2007年に死刑判決が出、
2013年に最高裁で死刑が確定した。

14年以上にわたり、
着替えや排泄の様子まで、
24時間カメラで監視され続けたが、
こうした運用はプライバシー権の侵害だとして、
国に1892万円の賠償を求める訴訟を、
近く東京地裁に起こすというのだ。

この男性は、一審で死刑判決を受けた2007年から東京拘置所に収容され、
理由の説明がないまま、天井にカメラがついた「カメラ室」に入れられた。
3畳半ほどの居室に、カメラの死角になる場所はなく、
24時間監視され続け、着替えや排泄も撮影されていた。
(トイレ使用中は、下半身を隠す衝立がある、という説もある) 

この記事に対して、
ネットにコメントが多数寄せられて、
みなさんの意見を読むことができたのだが、
1日ほどでコメントが表示されなくなり、
「違反コメント数などが基準を超えたため、
コメント欄を自動的に非表示にしています。」
と書かれている。

コメントが人権侵害や差別に当たりうる投稿は禁止されており、
それに該当したらしい。

同内容の別な記事では
まだコメント欄は非表示になっていない。

こちらの記事では、
賠償額の根拠も示され、
「プライバシー権侵害は甚大で、
精神的損害は1カ月10万円をくだらない」とのこと。
10万円×12カ月×14年間=1680万円だが、
それ以外にいろいろ加味されているのだろう。
それにしても、10万円の根拠は?

カメラ室に関する法律はなく、
刑事施設長が決める細則で規定されている。
東京拘置所の場合は「特別要注意者」は
原則としてカメラ室に収容するとしており、
死刑囚については「特に厳格な監視の必要がある者」とされる。

一方、2018年には熊本地裁が、
216日間にわたってカメラ室に収容した事例で
「必要性がなくなったにもかかわらず、
漫然と収容を継続することは許されない」
として3カ月間の収容について慰謝料を認める判決を出している。
ただし、この囚人が確定死刑囚であったかどうかは、
記事からは判然としない。

拘置所がカメラで監視する理由は、
自殺されたら困るからで、
それは間違っていないと思うが。
逆に一般室に入れて自殺でもされたら、
それはそれで、拘置所は激しく非難されるだろう。

コメントの内容で番多いのは、
死刑確定後、6カ月以内に執行すると、
法律で定めているのに、
なぜ長期にわたり死刑が執行されないのか、
執行されていれば、
こんな問題は起こらないだろう、
という意見。

刑事訴訟法では、
法相が死刑判決確定から6カ月以内に執行を命じ、
5日以内に執行するよう定めている。
しかし、このような迅速にされた例は、ほぼない。
7月現在、未執行中の確定死刑囚は106人いるという。
無為の囚人に食べさせている、
その経費は税金だ。

死刑執行は法務大臣のサインが必要で、
歴代の法務大臣は、それを回避してきた。
中には「私は仏教徒だから、サインしない」
と言った法務大臣もいたし、
サインして死刑執行を多数させた大臣には
「死刑執行人」という烙印さえ押された。

死刑判決確定後6か月という期間制限は
あくまで努力目標を定めたものに過ぎない、
という意見があるが、
法律に定められているものが「努力目標」だとは恐れ入る。

執行をためらう理由は「冤罪」の可能性がある場合だが、
衆人監視の中の殺人行為で、
冤罪の余地がない者でも執行されていない。
要するに、法務大臣の腹が座っていないからだろう。

もう一つ執行が延びる要因は、
死刑囚から再審請求が多数出されているからで、
執行逃れのための再審請求の側面が大きい。
棄却されても請求を繰り返す死刑囚もいるため、
「先延ばしのために請求している」との批判もある。

法務省内には、再審請求中の死刑囚には執行しないという
「暗黙のルール」があるという。
法律より「暗黙のルール」が優先される、
というのもおかしな話だ。

記事を読んで不思議なのは、
そもそも死刑囚にプライバシーを主張する権利があるのか
ということ。
犯罪(しかも殺人)を犯して逮捕され、
刑務所(死刑囚の場合は拘置所)に収監されて、
自由を拘束されて
監視下に置かれている立場で、
プライバシーも何もないと思うが。

それに、賠償金を得て、どうするというのだろうか。
死刑執行後、家族に残すとでもいうのだろうか。
どうも、「人権派」の弁護士に丸め込まれているとしか思えない。

コメント中、次の主張が端的に世論を代表しているだろう。

自分が他の人の命を奪っておいても尚、
自分の権利のみを主張するのはあまりにも身勝手だと思う。

まさか、このコメントが違反だとは言うまい。

 


小説『威風堂々』上・下

2022年08月27日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

明治維新を推進した大隈重信の一代記。


伊東潤により、
佐賀新聞に2019年8月2日から2020年12月31日まで連載された。

私は日本の歴史において、
国家的危機時、日本人が奇跡的な形で変革を遂げたことが
2度あると思っている。
一つは明治維新、もう一つは敗戦

その明治維新は、
欧州列強の圧力で
アジア諸国のように植民地化される危機に際し、
それを回避し、近代化を成し遂げた。

その中心にいた大隈重信を通じて、
維新の志士たちが
何と闘い、何を成し遂げたかが、よく分かるのが本書だ。

何と闘ったか。
それは、265年続いた幕藩体制だ。
大政奉還という知恵を使って、
徳川幕府は倒れたが、
武士たちの頭の中は、
「家」と「藩」というものが、
隅々まで支配していた。
それはそうだ。
生まれた家柄で藩の中の職務が決まり、
それをしてさえいれば、
「禄」が与えられる。
その体制に265年間もどっぷり浸かっていたのだ。
そう簡単に頭は切り替わらない。
ゼロから新国家を立ち上げるどころか、
幕藩体制というマイナスからの出発だった。

だが、幕府がなくなり、
藩がなくなり、
禄がなくなってしまった。
武士たちが全員失業した。
よくぞ「廃藩置県」という方策を考え、
実行したものだと感心する。

そして、武士たちの頭の中が、
藩ではなく、日本という概念が定着する。

佐賀の国学者、枝吉神陽がこう言う。

「これからは皆、一藩士ではなく、
一日本人として振舞うように」
「日本人、ですか」
「そうだ。われらは日本人だ。
同じ家中ということ以上に、
同じ日本人だという自覚が、
この国には必要なのだ」
──日本人か。いい言葉だな。
この時、大隈は新たな時代の到来を感じた。

佐賀藩の一藩士・大隈八太郎が


激動の幕末の中で、
成長し、時代を押し出していく姿。
次第に大隈は「藩」というものから「国家」を中心に考えるようになる。
そして、武士や商人などという身分の違いが
いかに馬鹿馬鹿しいかを痛感するようになる。

「このままでは、この国は外夷の食い物にされる。
それを防ぐには、迅速な近代化が必要だ。
近代化のためには
幕藩体制の頸木から脱さねばならぬ。
つまり諸藩の富や兵を中央政府が一元的に管理するのだ。
それが版籍奉還であり、
版籍奉還こそが近代化への第一歩となる」
「つまるところ、おはんは藩も武士もなくすっちゅうとな」
「ああ、なくす。
そんなものはこの国にとって百害あって一利なしだ」

明治維新は、藩主や重鎮でなく、
下級武士によってなされたのだ。

大政奉還は元々佐賀藩の志士たちの立案だったが、
それを船で送ってくれた土佐藩の後藤象二郎に話したために、
建白書を先に出され、
功を土佐藩に奪われてしまった、などという話は初めて聞いた。

廃藩置県も元々は大隈が推進していたが、
諸般の情勢から、西郷隆盛にその役を代わったというのも興味深い。

大隈は「国際法」を重視し、
諸外国と対したというのも、なかなかのものだ。
あの短い期間に、
そこまで意識が到達していたのは驚嘆に値する。

薩摩と長州という、
維新の功労者が、
政府の要人を独占することに
大隈は激しく闘う。
明治政府の中にも、
幕藩体制の残滓が強く残っていたのだ。
藩閥政治を終わらせることが大隈の大きな目標になる。

武士が失業し、その不満分子が世間をかき乱すのとも
大隈は戦わなければならなかった。

江戸時代の武士たちは、
仕事をせずとも家禄で食べていけた。
それが士族には染みついているので、
働くという概念自体が欠落しているのだ。

鉄道の敷設にも大隈は深く関わる。

「この国が近代国家となるために必要なのは物流です。
それを支えるのは国家の背骨たる鉄道です。
すでに欧米諸国には鉄道が通り、
国内の重要な町を結んでいます。
鉄道によって人も物も迅速に移動できるようになり、
産業が急速に発達しています。
物流なくして国家なし。
鉄道なくして物流なし。
これは欧米の常識でもあるのです」

実は、この考えには、
物流によって藩という境界をなくする意図があった。

そして、大隈の業績の一つは、教育の機会均等
それを実現するために東京専門学校、後の早稲田大学を作る。

「これからの世界で最も大切なのは教育です」

福澤諭吉との対比も面白い。
福澤はついに、政治には関わらなかった。
下野を繰り返しても、
再び必要とされ、
総理大臣を2度もつとめた大隈とは対称的である。
その初対面の描写。

福澤の身長は高く、肩幅も広く、骨柄もいい。
だが何と言ってもその顔だちが立派だった。
──どこから見ても美丈夫だな。
学者肌の人物に美丈夫は少ない。
美丈夫は周囲からもてはやされるので、
こつこつと努力を重ねるようなことはしないからだ。
──だが、この男は違うようだ。

福澤により、
地方分権と地方自治が提言されるのも興味深い。

福澤は国権を二つに分け、
第一を政権とし、
立法、軍事、外交、徴税、貨幣鋳造など
全国一致を必要とする権限を有するものとする。
第二を治権とし、
警察、道路などの営繕、学校、衛生など
地方ごとの事情に通じた施策を必要とする権限を持たせるという考えを述べた。

なるほど、地方分権は福澤諭吉の提案だったか。

そして、福澤は言う。

「最も大切なことは、
国民に言論の自由を保障し、
イギリスをモデルとした議員内閣制と
二大政党制を軸とした国会を早期に開設することです」

国会の開設は地方議会の開設にも通じる。
今に至る国の形は、
明治の時代に作られたのだとうよく分かる。
本当に明治の元勲たちの知恵はほとほと感心する。

しかし、明治政府も政争にあけくれ、混迷する。
内閣は何度も倒れ、大隈もその渦の中に巻き込まれる。

伊藤博文や大久保利通らの歴史的人物も登場する。
大隈と道は違えど、
「この国を良くしたい」という思いは一つだということはよく分かる。

それにしても、明治維新という大仕事がどうして成し遂げられたか。
それについては、こう書く。

「日本は三千年の歴史を持つ道徳国家だ。
この道徳は日本国民の中に染み込んでおり、
欧米のように権利ばかりを主張し、
義務を怠るような国民性ではない。
明治維新後、日本は「和魂洋才」を合言葉に
西洋文明を取り入れ、
アジア諸国の中で、
いち早く産業革命の果実を手にした。
それができたのは道徳精神を持つ優秀な国民がいたからだ。
本来なら清国こそアジアのリーダーたるべき存在だ。
しかし清国人は利己的で道徳心を持たない。
だから目先の利益に囚われ、
長い目で産業を育て、時には利他的なこともする文化が育たなかった。
しかし誇りばかりは高い。
これでは近代化は図れない」

多くのことを成し遂げた大隈は、
大正11年(1923年)、1月10日、永眠する。
享年83歳。
数々のことを成し遂げた大隈だが、
海外に行きたいという夢は、ついにかなわなかった。

最後にこう書く。

幕末から明治維新という動乱期に青春を迎え、
明治国家の建設という大任を負った一人として壮年期を過ごし、
さらに大正時代まで国家に貢献してきた大隈の人生は、
才ある者として最高のものだったに違いない。

まさに威風堂々としたその人生に悔いなどなかったばずだ。

 


映画『13 ザ・ミュージカル』

2022年08月26日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

両親の離婚により、
ニューヨークの大都会から
母の生家であるインディアナ州の小さな町ウォーカートンへ引っ越した
12歳のエヴァン・ゴールドマン。
エヴァンの一番の関心事は、
目前に迫った「バル・ミツバー」のこと。

バル・ミツヴァー・・・
ユダヤ法を守る宗教的・社会的な責任を持った成人男性のこと。
また、子供がこの責任を持てる年齢に達したことを記念して行われる
ユダヤ教徒の成人式のことも指す。
男児は13歳に達した後の安息日に、
トーラー (ユダヤの律法) を朗読したり、
朝の礼拝を執り行ったりと様々な作法があるが、
特にユダヤ法で決まっているわけではないので、
宗派によって異なる。

女児は12歳になった時で、
女児の場合はバト・ミツワーと呼ばれる。
意味はともに「戒律の子」。
聖書的根拠はなく、
キリスト教の堅信の影響を受けて発達したと考えられている。

ニューヨークでなら、友達を沢山呼んで祝ったはずなのに、
友達が一人もいない田舎町で
どうしたら盛大な祝いにできるのか。
転校先の学校では複雑な人間関係に直面、
エヴァンは果たして夢にまで見た
バル・ミツバーを実現させることはできるのだろうか・・・

という、ユダヤ教徒の少年には重大問題だが、
大多数の観客には、どうでもいいような話。
なにしろ中学生の話だから、
恋のさや当てや友情や初キスなど、
他愛ない内容

しかし、圧倒的に音楽とダンスがいい
ブロードウェイで作詞・作曲を務め、
3度のトニー賞受賞に輝いたジェイソン・ロバート・ブラウンが、
本作のために新曲を書き下ろした。

2007年初演、2008年にブロードウェイ進出を果たしたミュージカルの映画版。
舞台は4ヶ月ほどで終了し、特に賞を受賞したわけでもないが、
史上初となる、キャストもバンドも全員ティーンエイジャーのみで上演されて話題に。
それ以来、高校演劇において定番となった
非常に人気の高いミュージカル。
(映画版ではエヴァンの両親に祖母、ラビなども出てくる。)

監督は「ハイスクール・ミュージカル」などのタムラ・デイヴィス

ウォーカートンの人口が「2244人」と出て、
母子が移住してきたから→「2245人」→「2246人」と増えるのが笑わせる。

8月12日からNetflix で配信