空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『かさなりあう人へ』

2024年10月30日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

スーパーで、商品を盗んだ野々宮志乃は、
万引きGメンから声をかけられる。
咄嗟に志乃は、店の駐輪場にいた箱根勇に、
「あなた」と夫のごとく呼びかけた。
「あなたのせいで万引きと間違えられてるの。
 あなたが三日も帰って来ないから」
勇は反射的に夫婦を装い、志乃を助ける。
「うちの妻が、どうやら誤解をさせるような行動を取ったようで」

という、ちょっと奇妙な出会いから始まる
男女の関係を描く。
実は、その数日前、
志乃の勤める店の寝具売り場に
客として勇は訪れており、
食事に誘ったのだった。
窮地を救ってくれた代わりに、
志乃が勇に食事をおごるというのだが・・・

志乃は眼前で夫に死なれた40代の販売員。
勇は離婚して娘とも別れた50代の会社員。
心の傷を抱えた男女
大人の恋愛を描く作品。

白石一文の得意の分野。
だから、すらすらと読める。
何ら劇的な展開はないのだが、
主人公の男女を取り巻く環境が
次第に読者の心に染みてくる。

勇は大学時代の親友・長谷川と始めた会社を経営していたが、
妻との離婚の慰謝料に充てるために、
会社の株を長谷川に買い取ってもらった。
今は主従の関係で、
新事業の開発のために東京の戸越銀座に赴任している。
長谷川が福岡の本社から訪ねて来て、
実は別れた勇の妻と再婚しようと思うと打ち明ける。
娘の智奈美も知っているようだ。

志乃は、亡くなった夫の母・幸と同居している。
従って、死別した夫のことを常に意識せざるをえない。
最近、幸が昔勤めていた食堂の店主と
不倫関係にあったことを知らされる。

勇は、佐賀の団子屋の東京進出のための仕事をしている。
コンサルタントの鎌田と仕事をしていて順調だが、
鎌田の背信行為が発覚する。

等々という話が並行して進む。
以下、略。
ちょっとあらすじに書くのが困難な小説。

死んだ人間というのはまるで冷めた料理のようだ。
冷めても美味しい人間なんて滅多にいないのだ。

「切れた関係のほとんどは
修復する必要がないんだよ。
そもそも、大事な人間関係なんて
一生のうちで一つか二つで充分なんじゃないかな。
あとは一期一会で一括りにしちゃっても全然構わないんだ」。
                                        半世紀を生きてきて分かったことがある。
卑しい人間というのは顔に出る。
たとえどれほど豊かな暮らしをしていても、
豪邸に住み、高級車を乗り回し、
年中着飾って金目のものに
取り囲まれていたとしても、
それでも卑しさというのは
どうしたって顔やその人の醸しだす雰囲気に
滲み出てくるのだ。

「(俺は〉女の人の真ん中の部分が好きなんです。
「それってどういう部分ですか?」
「美しさとやさしさですかね。
男という生き物には
この二つの要素が
決定的に欠けているんで」

などと、含蓄のある表現が多い。

直木賞受賞作「ほかならぬ人へ」とのつながりについて、
筆者はこう語る。

「ほかならぬ人へ」は、
運命の人と結ばれる純粋なまでにまっすぐなラブストーリーです。
ラストで主人公の宇津木明生は、
最愛の人である東海倫子を亡くして、号泣します。
「かさなりあう人へ」では、
大切な人をなくした人が、
そのあとどう生きていくのかを書こうと決めていました。
人を失ってからの人生が、
ずっと「余生」だなんてことはありません。
その後の人生でも新たな出会いはあって、
前の人と今度の人とはどうちがうのだろうとか、
次こそはうまくやろうとか、
いろんなことを思うはずです。
大切だった人を忘れてしまうのではなく、
その人を思い出し、過去の人々を重ねながら、
今、目の前にいる人と会っている。
折り重なる出会いの蓄積が、
今の自分を作っていることを
「かさなりあう人へ」で描きました。

まさしく大人が読む、大人の小説
題名のとおり、人と人の重なり合いを描く、
奥深い作品だった。

 


映画『八犬伝』・小説『曲亭の家』

2024年10月29日 23時00分00秒 | 映画関係+書籍関係

[映画紹介]

「八犬伝」にまつわる映画だが、
曲亭馬琴の書いた「南総里見八犬伝」本編ではなく、
山田風太郎の書いた「八犬伝」が原作。

「南総里見八犬伝」は、
室町時代後期を舞台に、
安房里見家の伏姫と
愛犬の八房(やつふさ)の因縁によって結ばれた
八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説。


共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、
それぞれ、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある
数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、
八房の体にあった模様・牡丹の形の痣が身体のどこかにある。
関八州の各地で生まれた彼らは、
因縁に導かれて互いを知り、
里見家の下に結集する。

この物語を背骨としながら、
本映画は、「八犬伝」を書いた馬琴の創作活動を描くという
二重構造を持っている。
馬琴は葛飾北斎に「八犬伝」の構想を語り、
北斎に挿絵を依頼する。
馬琴から筋を聞いた北斎はさらさらと情景を描いてみせ、
それが馬琴の創作意欲をかき立てる。

馬琴はこの物語の完成に、48歳から76歳に至るまでの後半生を費やした。
従って、映画の中で馬琴はどんどん歳を取っていく。
やがて視力を失うと、
息子・宗伯の妻であるお路の口述筆記により
最終話まで完成させる。

その二重構造から次第に見えて来るのは、
“虚”と“実”のせめぎ合いだ。
8人の剣士たちの戦いを描く物語の“虚”と、
その物語を生み出す馬琴の創作の苦悩に迫る“実”。
馬琴が執筆する“架空の物語”と
その創作過程の“実話”の世界。

その対立は、鶴屋南北を登場させることにより
クライマックスを迎える。
「仮名手本忠臣蔵」に「東海道四谷怪談」を複合させた南北に、
どちらが“虚”で、どちらが“実”かを問わせる。
勧善懲悪、善因善果、悪因悪果を描こうとする馬琴に対し、
善と悪が逆転する四谷怪談の世界を見せる南北。
馬琴は、正しいものは本来報われるべきと考えるが、
南北は正義が報われる話など非現実的だという。
この時、呈示された、善因悪果、悪因善果が
馬琴の心を悩ませる。
生涯を通じて悪事をはたらなかった馬琴に、
息子の病死、失明という悪果がなぜ襲って来るのか。
それは、渡辺崋山の言葉によって氷塊していく。
正しいと思うものを命尽きるまで貫けば、
それが「実」になると華山は言うのだ。

「八犬伝」のパートはCG満載
「馬琴」のパートは対話劇。
鶴屋南北との対峙は、
芝居小屋の薄暗い奈落で、
暗がりに逆さに顔を覗かせた南北との対立。
うまい演出。
時代を超えて、
物語を創作する意味を問う内容で、
奥が深い。
死の床にある馬琴を
八犬伝の8犬士たちが迎えに来るラストに
創作者の夢が詰まっている。

曲亭馬琴を役所広司(さすが)、
葛飾北斎を内野聖陽
馬琴の息子・宗伯を磯村勇斗
宗伯の妻・お路を黒木華
馬琴の妻・お百を寺島しのぶ
八犬士の運命を握る伏姫を土屋太鳳
怨霊・玉梓(たまづさ)を栗山千明が演ずる。
歌舞伎「東海道四谷怪談」の舞台では、
伊右衛門を中村獅童、岩を尾上右近が演ずる。


監督は「ピンポン」「鋼の錬金術師」の曽利文彦

それにしても、想像力満載の「八犬伝」を
江戸時代の庶民が好んで愛読したとは。
何と当時の日本人の教養レベルの高いことよ。

なお、馬琴と義娘・お路との関係は、
西條奈加の小説「曲亭の家」に詳しく描かれている。
2021年11月8日のブログ「1」で取り上げているが、
今はアクセスできないので、
私のパソコンの内部に保存されているものを再録する。

 

再録
                                        [書籍紹介] 

「曲亭」とは、「南総里見八犬伝」を著した、
江戸時代の戯作者(今で言う小説家)、
曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)のこと。
滝沢馬琴と表記するものがあるが、
これは明治以降に流布した表記で、
誤った呼び方であると
近世文学研究者から批判されている。

「椿説弓張月」(ちんせつゆみはりづき)、
「南総里見八犬伝」、
「近世説美少年録」など、
81歳で亡くなるまで旺盛な執筆力をあらわし、
ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた
日本で最初の著述家であるという。
代表作である「南総里見八犬伝」は、
日本文学史上最大の長編小説で、
28年をかけて完結した、全98巻、106冊の大作。

本書は「心淋し川」で直木賞を取った、
西條奈加の直木賞受賞後第一作の書き下ろし長篇。

馬琴の息子に嫁いだ、医者の娘・お路の目から
馬琴の姿を描いている。

父は作家、夫は医者、という
望外の良縁と思って嫁いだ家は、
何事にも細かく口を出して支配しようとする横暴な舅・馬琴、
病弱で藩医のつとめも果たせない上、
癇癪(かんしゃく) 持ちで、
一度怒ると手が付けられなくなる夫・宗伯(そうはく)、
傲慢で冷たい姑(しゅうとめ) ・お百・・・。
修羅の家庭だった。

お路が身を粉にして尽くしても、
馬琴はもちろん、義母のお百も、宗伯からさえも、
ねぎらいの言葉ひとつかけてもらえない。
「どうしてこんな家に嫁いでしまったのだろう」
と後悔しつつも、
お路は耐え忍び、家を切り盛りする。

当時は戯作隆盛で、
山東京伝や式亭三馬、十返社一九、柳亭種彦など、
なだたる作家の作品であふれていた時代。
その中でも、旺盛な筆力を誇る馬琴は異彩を放っていた。
なにしろ、印刷や挿絵にも口を出し、
製本されたものの中に、
たった一つの誤字脱字を見つけても、
刷り直しを求める。
戯作という大きな創造に身も心も捧げている義父、
そしてその父の偉大さに劣等感を抱く夫。
その狭間でお路は家事に精を出し、三人の子をなす。
馬琴は大らかさに欠け、
些細なことも四角四面に始末をつけなければ納得せず、
その一方、繊細で傷つきやすく、
自らは人と争うことを厭う。
そういう義父にお路は反発する。

やがて馬琴の目に障害が置き、
まず右目が光を失う。
医者の忠告で仕事を減らすことをせず、
前にも増して執筆に打ち込む。
そして左目も見えなくなっても、
八犬伝だけは完成させなければ、と、
執念を燃やす。

宗伯が亡くなり、
馬琴はお路に後述筆記を依頼する。
版元が派遣した筆耕者は、
馬琴の厳しい叱責に耐えられず、
何日と持たず、次々と人が変わる。
お路は固辞するが聞かず、ついに引き受けるが、
それがお路の新たな地獄の始まりだった。                     なにしろお路には学がない。
馬琴の口にする重厚な言葉を
文字に変えるのは大変な作業だった。
たった数行だけで疲れ切ってしまう。
その上、馬琴の叱咤は苛烈を究める。
いちいち挟まれる説教も長い上に嫌味ったらしい。
何度も衝突し、職務を放棄するお路。

ドストエフスキーも後述筆記をしたが、
アルファベット(ロシア文字)と違い、
漢字である。
困難は比較出来ない。

しかし、道端で耳にした大工たちの
八犬伝を読んだ喜びの声に、
自らの使命を感じ、
放棄を恥じ、職務に戻る。

こうして八犬伝は完結する。

最後に馬琴はお路にねぎらいの言葉を残す。

馬琴が没した後、
お路は、女子供のための
「仮名読八犬伝」の執筆を勧められる。
版元は、
あなたこそ馬琴先生の唯一の弟子だったと言う。                  「仮名読八犬伝」は、
幕末まで、およそ二十年に渡って続いた。
作者は曲亭琴童(きんどう)。
お路の筆名である。

縁あって作家の家に嫁いだ嫁の、
偉大な作家の創作を巡る
数奇な運命
なかなかの興味深い本だった。


あゝ総選挙

2024年10月28日 23時00分00秒 | 政治関係

衆議院議員選挙が終わり、
自民、公明両党合わせて過半数を割り込んだ。
政権与党の大敗北である。

この結果の予兆として、
9月の自民党総裁選があった。
1回目の投票で過半数に達した候補者がいなかったため、
2回目の投票で石破茂氏が自民党総裁に就任し、
首相に選ばれた。

その後、わずかな時間で、
石破氏の変節が明らかになった。
総裁選の間、
就任してすぐには解散はせず、
国会での論戦をした上で、
信を問うと言っていたのに、
直ちに解散総選挙を行うと
路線変更をした。
自民党総裁選や新内閣発足の勢いを
衆院選にそのまま持ち込んだ方が有利だと、
森山幹事長、小泉選対委員長の説得に
石破氏が折れたためだと言われる。
首相就任から8日後の衆院解散、
26日後の投開票という
「戦後最短日程」での決戦。
「総裁選での石破人気があるうちに」
という目論みだったのだろうが、
それは第一の判断ミスだった。

そして、派閥パーティーのノルマ達成分以上の
金銭還元を受けて、
それを報告書に記載しなかったという
政治資金規正法違反事件を巡る
国民の怒りは、自民党内の処分では
到底収まるものではなかったのに、
それが分からなかった。
これが第二のミス
国民は、国会議員たちが
こんなに姑息な手段で金銭を取得していたことに、
なんと品性下劣な人たちだと、あきれ、嘆き、
これに鉄槌を打たなければならないと決心していたのだ。

自民党は政治資金問題があった前議員らを
非公認にする対応をとったものの、
その裏には、旧安部派の勢力を削ごうという
目論みのあったことを
賢い国民はちゃんと見抜いていた。
それにしても、10人を公認せず、
34人を比例区との重複立候補を認めない、
とすることで、
貴重な自分の党の議席をなくそうというのだから、
まともではない。
これが第三のミス

そして、極め付きは、
非公認候補が代表を務める党支部に
党本部が2000万円を支出したことが判明し、
非公認がまやかしであることが明らかになってしまった。
これが第四のミス

こうした数々の判断ミスを重ねた末が
自民党65議席減の191議席という結果だった。

そもそも、石破氏を総裁に選んだ時点で、
自民党支持者の中の
強固な保守層は、
石破自民党から心が離れていた。
その証拠に、史上3番目の低投票率で、
低投票率は組織票のある自民有利、
という定説が成り立たなかった。
それを見抜けなかったのも
判断ミスの一つだろう。

重大な判断ミスを重ねたのだ。
その責任は取らざるを得ない。
森山幹事長や小泉進次郎選挙対策委員長らの辞任に加え、
「首相の責任は重大で、続投は難しい」
という声が沸き起こるのを止めることは出来ないだろう。

いや、自分が最高指揮官で負けたのだから、
誰に言われるまでもなく、
自分から潔く辞任するのが筋だと思うが。
それとも、「史上最短の内閣」と言われたくないのか。

石破氏は選挙前の勝敗ライン
自公合わせて過半数確保、としていた。
それが達成されなかったのだから、
進退を問われるのは当たり前。
かじりつく方が筋が通らない。

選挙の結果は、
石破氏の「国民的人気」というものが、
マスコミが作り上げた虚構であったことが明らかになってしまった。
顔のことを言っては恐縮だが、
颯爽としたイケメンの小泉進次郎氏ならまだしも、
あんな陰気な顔で三白眼の人に
人気があると考える方がどうかしている。


総裁選の第2回投票で、
石破氏に投票した自民党議員たちも、
その架空の「石破人気」に乗ったのだ。
そのことは、総裁選後の本ブログで、
今回の総裁は、
国会議員が選んだものだ。
その選択の結果は、
議員たち自身が受け止めなければならない。
仮に落選したとしても、
それは自身の選択の結果だ。
と書いたとおりだ。

結局、石破氏は「党内野党」の人だったのだ。
自民党執行部への批判をしていただけの人物だ。
それがいざ責任ある立場に立った時、
その重さに愕然としたのではないか。
それは、2009年の総選挙で
政権交代を成し遂げた当時の民主党が
野党時代の主張をことごとく反故にしたのに似ている。

来年7月の参院選を考えると、
改選対象の自民党参議院議員たちは
内心おだやかではないだろう。
「石破では闘えない」
それが今回の衆議院議員選挙で明らかになってしまったのだから、
「石破降ろし」の声は起きるに違いない。
なにしろ、先の自民党総裁選が
「岸田では衆院選を闘えない」という
声の高まりで岸田氏が立候補を辞退したことで始まったのだから。

では、これから日本の政治はどうなるのか。
他の政党を組み込んでの連立の再編をするのか、
それとも、「少数与党」として、
他の党と政策ごとに協力する「部分連合」
政権運営を継続するのか、
あるいは、野党側が連合して、政権を奪取するのか、

1993年の衆院選では、
宮沢首相率いる自民が過半数割れし、
野党の新生党や日本新党が躍進し、
その後の連立協議で、
「非自民」勢力が
日本新党の細川護熙代表をかついで新内閣を樹立した。
自民党は下野したのだ。
その後、自民党と社会党とさきがけで
「自社さ連立政権」として自民党は政権に復帰した。

2009年の衆院選では、
民主党が過半数を制し、
政権交代が実現した。

日本維新の会、国民民主党が
今、連立に参加したら、
裏切り行為と見られる。
立憲民主党を中心とした野党連合は
事実上考えにくい。
まさか自民党と立憲民主党の「与野党大連立」などはあるまい。
それこそ、政権交代を標榜していた
立憲民主党が国民を裏切ることになる。

今後、日本の政治は揺れ動く。
衆院選後30日以内に特別国会が召集され、
首相指名選挙が行われる。(11月7日の公算大)
与党が過半数割れしたことで、
維新や国民を含めて与野党の駆け引きが活発化する。

混乱は続くが、
しかし、この選挙結果をよしとする人もいる。
長かった自民党独裁体制が終焉、
自民の政権が続いたとしても、
少数与党のために、
他党の意見を取り入れざるを得ないという形で
良い政策が進むのではないか、
国民民主党や日本維新の会の主張が受け入れられて
自民党の古い体質ではできなかったことが
改善されるというのだ。
たとえば、政治資金パーティーの禁止、
企業団体献金の禁止、
政策活動費の廃止など、
すぐにでも立法化できるものがある。
それだけでも日本の政治は変わる

そう期待したいが、
さて、どうなるか。


小説『照子と瑠衣』

2024年10月26日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

直木賞作家・井上荒野による
ともに70歳の女性2人の愛と友情を描いたシスターフッド小説

専業主婦の照子は横暴な夫に愛想をつかし、
シャンソン歌手の瑠衣は
老人マンションの陰湿な人間関係に嫌気が差し、
照子の運転するBMWで逃避行を果たす。
「まだまだこれから、なんだってできるわよ、あたしたち」。
到達したのは、長野のとある別荘地。
そこで一軒の別荘の鍵を破壊して無断で住居に。
照子は町内の喫茶店で占いを始め、
瑠衣はレストランで歌を歌い始める。
本物の別荘の持ち主が現れることを恐れつつ、
地元に定着していくが、
実は照子にはある目論みがあって・・・

親友同士の女性二人が
車で逃避行をする、
となれば、
往年の名作映画「テルマ&ルイーズ」を思い出すが、
主人公の名前が照子と瑠衣となれば、
この映画を意識したことは明らか。
作者によれば、
最初は「ワルナスビとワルボックリ」(植物の名前)という題名で、
「テルマ&ルイーズ」は後から出てきたものだという。
ただ、「テルマ&ルイーズ」のオマージュということは知らせたいと思って、
「照子と瑠衣」にした。

「テルマ&ルイーズ」・・・
1991年の映画。
「1990年代の女性版アメリカン・ニューシネマ」
と評されたロードムービー。
監督はリドリー・スコット。
ジーナ・デイビスがテルマ、スーザン・サランドンがルイーズを演じ、


キャリア初期のブラッド・ピットも脇役で出演し、注目された。


アカデミー賞では、監督賞、主演女優賞(サランドン/デイヴィス共に)、
撮影賞、編集賞、脚本賞の延べ6部門でノミネートされ、
脚本賞(カーリー・クーリ)がを受賞した。
スコット監督自身の監修により製作された4Kレストア版で
今年リバイバル公開された。

まあ、70歳の老女の話だし、
ここは日本なので、
映画のようなレイプや殺人事件や銀行強盗は起こらない。
犯罪と言えば、別荘の不法侵入くらい。
あとは、ごく平和的に話は進む。
ラストも映画のような結末にはならない。
ただ、主人公が70歳というのがミソで、
それまでの人生を捨てて、
新たな人生に歩み始めるのが現代的。
趣味が合ってるわけでもないし、
性格も違う2人なのに、
なぜかウマが合う。
中学時代の同級生で、
卒業以来初めてのクラス会で再会して親しくなった仲。

作者は言う。

「私、自分が老人に近づいてきたのもあると思うんだけど。
 老人だからっていろんな欲望が
 なくなるってことはないと思うんですよね。
 もちろんできなくなることが増えてくるんだけど、
 だからって心の中まで老人にふさわしくっていうか、
 みんなが思っている「老人」にふさわしく
 枯れていく必要はないんじゃないかって思っていて。
 死ぬ時まではやりたいようにしていきたいっていうのが
 あるんですよね」

作者は今、63歳。
なお、父は作家の井上光晴

 


映画『トラブル・バスター』

2024年10月25日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

大型家電量販店で働くコニー。
離婚した彼は、娘のジュリアと
隔週で会えることを楽しみにしている。


ある日、大型テレビを設置するために訪れた家が
殺人事件の現場となり、
そこに居合わせたコニーは、
殺人容疑で誤認逮捕されてしまう。
無能な弁護士だったため、
有罪判決を受け、無実の罪を着せられ、
刑務所に収監されたコニーは、
自ら真犯人を追い、
証拠を集めて無実を証明することを決心し、
刑務所から脱獄を決行。
殺された被害者が口にした、携帯電話を探すが、
うまくいかず、
他の犯罪者の脱獄の片棒を担ぐことになってしまう。
しかし、予期せぬトラブルに次々と見舞われ・・・。

という、典型的な巻き込まれ事件。
真犯人は意外なことから判明し、
後半は犯人との対決になるが、
犯罪ミステリーというよりは、
コメディの味付けが強い。
冤罪を晴らすストーリーだが、
重苦しい雰囲気は全くなく、
むしろ軽快なテンポで進む。
次々と襲って来る難題を解決して、
コニーが無実を証明するまでの過程は、
スリリングでありつつも、
コミカルな要素が随所にちりばめられている。

1988年公開のスウェーデン映画のリメイクだが、
ストーリーは現代風にアレンジされている。
家電マニアであるコニーの専門知識を生かして
犯人を追い詰めるところなど、現代風だ。
テンポも良く、展開も見事。
途中から相棒になる女警官との関係もイイ。

監督は、スウェーデン出身のジョン・ホルムバーグ
主人公・コニーを演ずるのは、フィリップ・バーグ


映画全体に、なんとも言えないユーモアが漂うのは、
この人の功績だ。

Netflix で10月3日から配信。