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日韓通貨スワップ協定再開!

2023年07月02日 23時00分00秒 | 政治関係

29日、7年ぶりの「日韓財務対話」で、
日韓通貨スワップが再開されるという報道を聞いて、
心底驚いた。
いくら弱腰の岸田政権でも、
そこまではやらないだろうと思っていたからだ。

通貨スワップとは、
金融不安などの危機が生じた国から要請があった場合、
米ドルなどの外貨を一時的に提供して支援する仕組み。
それにより、国家的デフォルト(債務不履行)を回避することが出来る。

韓国は1997年のアジア通貨危機の際、
ドルが不足して、国家破綻の危機に陥り、
IMF(国際通貨基金)からの資金支援で乗り切った経験がある。

アジア通貨危機以降、
自国通貨に信用の無い各国は
為替安定のため、
信用のある国際通貨を持つ国とのスワップ協定を成立させることによって、
自国通貨の信用不安を防止するようにした。

日本と韓国は2001年に協定を締結したが、
その後、韓国大統領による竹島上陸や、
慰安婦問題などで両国関係が極度に悪化する中、
段階的に規模を縮小し、
2015年2月の期限満了時に
協定を延長せずに打ち切りとなっていた。

しかし、構造的に金融不安を抱える韓国からは、
スワップ協定再開の打診が度々なされており、
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の日韓関係改善の努力に協力する形で、
今回、再開に応じたもののようだ。

そもそも、こんな重大な事柄が
「日韓財務対話」などという場で決定していいのか、
との疑問も起こる。

私は、日韓通貨スワップ協定の再開はあり得ないと思っていた。
なぜなら、打ち切りとなった様々な要因が全然払拭されていないからだ。
大統領の竹島上陸、慰安婦合意の反故、
大使館前・領事館前への慰安婦像の設置、
自衛隊機へのレーダー照射、旭日旗への執拗な攻撃、
自称徴用工裁判での日本企業への賠償金請求・・・
これらは全て、韓国側から一方的に仕掛けられたもので、
日韓関係悪化の原因は韓国側にあることは明白だ。
それらを解決しないままの通貨スワップなどあり得ない。

ある新聞社のアンケート調査では、
「日韓通貨スワップ協定で、
正式要請があれば再締結に応じる日本政府の方針について、どう思うか」
というアンケートでは、
賛成がわずか7%、
反対が圧倒的に多く、93%であった。
その国民の声に岸田政権は耳を傾けなかったのだ。

国民が反対するのは、
日韓通貨スワップのメリットは一方的に韓国にあり、
日本には全くメリットがないからだ。
日本は外貨が足りなくなることなど、まずあり得ない。
現在日本は、アメリカ合衆国・欧州連合・イギリス・スイス・カナダとの間で、
無期限・金額無制限の通貨スワップ協定を締結しているから、
仮に通貨危機になったとしても、それが有効に生きて来る。
つまり、日本が韓国から外貨を分けてもらうことなど、
万に一つもなく、
この協定は、韓国だけが恩恵を受ける内容なのだ。

韓国は世界第9位の外貨準備高を誇っているというが、
その内実は、程度の良くない債券で、
現金化に困難がある。
韓国の国内銀行は、恒常的な「米ドル不足」に悩んでおり、
現状は日本の銀行などから米ドルを借りて凌いでおり、
何かの拍子に、オーバーナイト金利の貸出、
つまり翌日渡しの当座貸出を受けられなくなったら、
米ドルの「超短期の借金」が返せなくなる危険性が指摘されている。
そういう内実を抱えているのをよく知っている韓国経済界は、
通貨スワップの再開を望んでいたのだ。

しかし、再開交渉は進んではいなかった。
それは、韓国人のプライドがかかった問題だという。
韓国側から日本に頭を下げて頼むと、
韓国人のプライドを守れない、というのだ。
麻生太郎財務相(当時)が、交渉の裏話として、
日本側から「大丈夫か」と確認を取ると、
韓国側から「借りて下さいと言うなら、借りることもやぶさかではない」
との回答があり、
金を貸す側が頭を下げるという話は聞いたことがないので、
交渉から手を引いた、
との経緯を披露している。

以上の経過を見つつ、
私は、通貨スワップがないままに、
ドル不足になった韓国経済が破綻して、
デフォルトに陥るのを期待していた。
ウォンの下落が報道されるたびに、
そうなる日を心待ちにしていた。
人が悪い、と言われそうだが、
韓国が日本に対してやってきた、
無理難題、侮辱、天倫に反する数々を考えると、
天がそれを許すまいと思っていたからだ。

そこへ来て、今回の再開。
前述したとおり、
日本には何のメリットもない、一方的な恩恵を韓国に与える決定。
岸田政権は、数年前に外した「ホワイト国」に韓国を回復し、
輸出手続き上の優遇措置の対象国(グループA)に戻すことを既に決めている。
あまりに露骨な韓国すり寄り。
なぜか。
多分、尹錫悦大統領が日韓の関係修復に努力しているのだから、
それに協力してやろう、という動機だろう。
「窮鳥(きゅうちょう) 懐(ふところ) に入(い) れば
猟師といえども、これを撃たず」
武士道精神
それは一部理解できるが、
今まで何回も煮え湯を飲まされた相手だ。
もう少しやり方はなかったか。
たとえば、レーダー照射問題の謝罪とか、
慰安婦像の撤去とか、
引き換え条件を出す手はなかったか。
交渉事とは、相互に条件を出し合うもの、
互いの国益をぶつけ合うものだ。
日本にメリットがない協定を結ぶとすれば、
一連の反日暴挙など、
懸案事項について韓国側に国内での解決や説明を求め、
譲れない条件を示すのが普通の外交姿勢ではないか。
相手が強く望んでいるのだったら、
それくらいの条件を出してもよかったのだ。
いや、わざわざ尹錫悦大統領を窮地に立たすことはない、
という「大人の判断」が働いたのかもしれない。
日本人は、そういう潔癖なところがある。
世界から見れば「お人好し」だが、
それでも、日本人は、相手の弱みにつけこむことをよしとしない体質がある。
それは、日本人の美点だ。
韓国人も、そういう日本人の美点に気づき、
人の良い、やさしい心を持った隣人ということに
いい加減に気づいたらどうか

ただ、交換枠は最大100億ドル(約1兆4400億円)。
停止時は700億ドルだったから、
かなりの減額で、
経済分野での日韓関係改善の象徴という意味合いが大きいのは確かだ。
韓国は再び通貨危機に陥った場合、
外貨保有額が最低約1200億ドル(約12兆7000億円)不足する
との予測が出ている。

この問題について、
自民党から反対の声が出てもいいと思うが、
そんな声はなぜか聞こえてこない。
しかし、さすがにネットの住民は怒っている

○ありえない! 何でしれっと合意してる?
日本にとってメリットは何もない!

○日本を恨み続けて金を要求し続ける国に、
なんの得もないスワップをしないといけないのか。

○また振り出しに戻るわけですね。
10年前の繰り返し、それを何度も何度も繰り返して、
政府の人間はいったい何を学んできたのでしょう。

○スワップ協定を結ぶ前にやる事があるだろう。
火器管制レーダー照射事件もそうだが、
竹島の不法占拠等の解決が先送りにするな。
それらの問題解決せずにスワップを結ぶのは反対する、
まず韓国が今までの事をきちんと解決する姿勢が無ければ、また騙されるだけ、
韓国には不信感しかない!

○いい加減に国民は怒るべきだが、
メディアがこれらを報道しないのはちょっと致命的かもしれない。

○確か前回、不要だけど日本とスワップ協定をしてあげているんだ、
との韓国の捨て台詞で辞めた筈だった。
なのにまた「大人の態度」で、
「韓国さま、スワップ協定をやらせてください」ってか。
日本人のプライドはどうでも良いのか。
岸田首相の支持率が更に低下するわけだ。

○これは絶対に許せない。
この政権は民主党政権と同じく
明確に日本に対して敵意を持った人間が運営していると見做されても仕方ない。

○この政権に任せておくと
日本の国益なんて度外視でアメリカ(民主党)と
韓国と中国の為の日本にしかならない。
一体誰のために日本国民は生きているのか。

○もう自民党は選ばない
誰も止めれなかった自民党員の
償いは次の選挙で全て取ってもらう

○マジ次は自民に投票しない。やりたい放題すぎる。

○次の衆院総選挙は自公でかなり議席減らすやろうな。
現状の野党も不甲斐ないので政権交代までは至らないが、
連立の枠組みが変わる(自公→自維国など)可能性はあると思う。
岸田氏にはこの合意の「本意」を国民に説明する責任があると思うのだが。
少なくとも日本には一つの「利」もあるとは思えない。
国民は納得していないと思いますよ

○岸田総理は外務大臣時の軍艦島世界遺産や
慰安婦合意の韓国の裏切りを忘れてしまったのか?
とんでもないお人好しだ。
レーダー照射、徴用工、福島原発処理水も全く片付いておらず、
国民に何ら説明もないのにこの始末か。
国民は猛烈に怒っているということが未だに理解できていないのか。
とにかく最低最悪の政権だ。
次の総選挙ではかなり痛い目にあうだろうが、
本人もわかっているだろうから解散にはうってでないだろうな。

○数々の反日暴挙をほとんど棚上げにしてスワップ再開だなんて愚策すぎる。
関係改善の象徴的意味合いが大きいって楽観視している場合じゃない、
日本は少し強く押せば簡単に折れると誤ったシグナルを発したも同然、
対韓だけでなく米中北露を含む全世界が同様に考えるだろう。
                                        

私は、政治の安定を求めることから、
長いこと自民党に投票してきた。
しかし、今度の通貨スワップ再開では、
本当に怒った。
次の衆議院選挙では、
絶対自民党には投票しない
野党の停滞が著しいが、
何とか維新には、
政権を受け持つ政党として成長してもらいたいと思っている。
そういう人は多いのではないのか。


張本勲氏の発言

2023年05月27日 23時00分00秒 | 政治関係

野球評論家・張本勲氏の発言が話題を呼んでいる。


朝鮮日報の単独インタビュー(5月13日付)で、
「言ったら大変なことになるから誰も言わないけど、
私は日本人ではなく在日韓国人だから、
(韓国は)私の祖国だから言いますね。
いつまで日本に『謝罪しろ』『金を出せ』と
繰り返さなければならないのですか?
恥ずかしいです」

大阪市立大学名誉教授で在日韓国人3世でもある朴一氏はこう語る。
「張本さんは尹錫悦大統領と同じく、
韓国という国の未来を考えると、
日本と協力して経済や安保を優先すべきだと主張しているのでしょう。
韓国国内でも若い世代を中心に半分くらいは
賛成するのではないかと見ています。
ただし、植民地支配時代を知っている高齢者層は
尹大統領の考えに否定的なため、
張本さんの発言に反発を覚えるかもしれません」

この張本氏の発言は、
韓国人の一定数の思いを反映していると考えていいのではないか。
もう反日はいやだ。
過去のことをいつまでも言いつのるのは、うんざりだ、と。

文在寅の時代は、反日ムーブメントの中で、
そうしたことは思っていても、声に出すことはできない状況が続いた。
それが尹大統領が本気で日韓問題の解決に動き出したことで、
韓国内でも変化が起きていることは間違いない。
最近では韓国から日本への旅行者が急増し、
韓国内でも日本ブームが起きているのもそうしたひとつの証だろう。
少なくとも、文時代の「NO JAPAN」が、
政治的なものであったと示していることは確かだ。

先頃、尹錫悦大統領がワシントンポストのインタビューでした発言も驚かされた。
「100年前のことのために
『日本はだめだ』『ひざまずき許しを請え』という考えには同意できない」
また、閣議ではこう言っている。
「我々の社会には『排他的な民族主義』と
『反日を叫び政治的な利益を得ようとする勢力』が存在する」
「日本はすでに過去数十回にわたって、
歴史問題について、反省と謝罪を表明している」
また、こうも言っている。
「ヨーロッパは過去100年間で幾度かの戦争を経験してきたにもかかわらず、
将来に向けて協力する方法を見つけた」

これらのことを総合すると、
尹大統領が前任者文サンとは違う、
まともな考えの持ち主だと分かる。

国と国の間で争いごとがあっても、
それは永遠には続かず、
ある時点で決着する。
戦争にまで進んだ時でさえ、
その決着は平和条約という形で納める。
一方が他方に対して賠償という形を取ることもある。
しかし、平和条約以降は、
過ぎ去った過去として、
心の中でどう思うかはともかく、
国家間のことは正常に戻すというのが鉄則だ。
それが知恵というものだ。

日本と韓国の間は、
36年にわたる併合状態(植民地ではない)を決着させるためにしたのが
1965年の日韓基本条約だ。
そもそも日本と韓国の間には交戦状態があったわけではない。
だから賠償金は発生しないが、
その代わりに出したのが、経済援助だ。
無償3億ドル、有償2億ドルの援助は、
当時の韓国の国家予算の2倍を越えるものだった。
それ以外も含めると、結局11億ドルもの援助を行い、
それによって、韓国は発展した。

それらのことは国民に伝えられていない。
または、意図的に忘れ去られている
それを言い出せば、反日の根拠を失うからだ。
そして、日韓基本条約締結時は問題にもならなかった
慰安婦問題を持ち出し、
徴用工への補償は韓国政府がすると約束した日韓基本条約を忘れ、
蒸し返して来る。
謝罪に至っては、何度も何度も謝罪しているのに、
それは全部無かったことになっている。

今回の尹大統領の発言は、
初めて韓国大統領がそのことに言及したのだ。

日韓併合は時の韓国政府の要請でなされたことを忘れ、
日本は韓国を支配し、ひどいことをした
という「作られた記憶」が一人歩きをし、
いつまでもぶり返す。
日本が軍隊を送って侵略したのではないのに。
日本の教科書に難くせをつけ、
竹島を実行支配しているにもかかわらず、
その正当性を必死になって主張する。
旭日旗を「戦犯旗」などと失礼な呼び方をし、
似たデザインのものに抗議をする。
狂気の沙汰である。
最近では「反日種族主義」という書物が出版されるように、
それは間違っている、という主張もようやくなされるようになってきている。

なのに、何故、韓国の反日が止まらないのか。
それは野党とメディアが、そう誘導するからだ。
彼らには、反日が仕事になっている。
日韓の関係が良くなっては困るので、
慰安婦問題もニセ徴用工問題も、
どんな案が出ても反対する。
解決したら仕事を失うのだ。

野党が政権を取ったら、
また反日がぶり返す。
だから、日本人の目には
「また政権が変わればちゃぶ台返しがあるのではないか」
と疑いを消し去ることができない。

一つの国が他方の国を
一方的に避難し、謝罪を求め続ける。
何回謝罪しても、
もっと謝罪しろ、「心から」の謝罪をしろ、
ついでに金も出せ、
と言い続ける。
やはり、異常なことだろう。

日本で育った張本氏が
「いつまで日本に『謝罪しろ』『金を出せ』と
繰り返さなければならないのですか?
恥ずかしいです」
と言ったのもうなずける。

隣の国同士がいつも良好な関係でいるとは限らない。
むしろ、反駁しあうことの方が多いだろう。
しかし、お互いに助け合い、協力しあって、
両方とも発展する、
ということの方が両国のためになることは
火を見るより明らかなことである。

私がこのブログで度々書いているが、
「そんなことにエネルギーを割く暇があったら、
その精力を建設的なことに向ければ、
もっと良い国が出来るだろう」

 


徴用工問題

2023年01月21日 23時00分00秒 | 政治関係

日韓の懸案となっている
徴用工裁判と現金化の問題で、
韓国政府は最終案を出してきた。
「三権分立」を盾に逃げ回っていた前職の文さんに比べて、
とにかく解決したい、
という尹錫悦現大統領の努力は買える。

韓国側の「解決案」は、
政府傘下の財団が
日本企業の「賠償」を肩代わりする
というもの。

はて、こんな案は当初から取り沙汰されていたと思うが、
今更、何故、
という気もするが、
とにかく出て来た「解決案」。

で、その帰趨は?
予言してもいいが、
これは頓挫するだろう。

というのは、
「裁判」の原告側がこの案を受け入れていないからだ。
当事者の一方が納得しないまま、
政府間で「合意」したとしても、
原告側は「受け入れていない」と言い続ければ尾を引く。
原告側は繰り返し「現金化」を請求し続け、
政権が変われば、
合意は反故にされる。
それは、2015年の「慰安婦合意」の推移を見れば、明らかだ。

何故原告側が「解決案」を受け入れないか。
その目的が「金」ではなく、
日本企業と政府の「謝罪」を求めているからだ。
原告の一人は、政府案が出た後、記者会見を開き、
「あす死ぬとしても韓国が払う汚い金は受け取らない。
日本から金を受け取るとしても
日本がひざまずいて謝罪するまではどんな金も受け取らない。
私が望むのは日本の謝罪」
と言っている。
解決案が「政府が代わって支払いますよ」
と言ったところで、
「我々の欲しいのは金ではない」
というのだから、解決にはならない。
まあ、本音では、金は欲しいのだが、
金だけもらって解決では、
応援した世論に申し訳が立たない。
日本側の謝罪はあり得ないから、
解決には永遠に到達しない。
つまり、「解決する気がない」のだ。
「解決する気がない」相手には、どんな解決案もあり得ない
それは、「慰安婦問題」と同じだ。
原告の意図は、日本に対して難題を突きつけて
困らせることにあるのだから、
逆に「解決」しては困るのだ。
だから、韓国政府が開いた公開討論会に、
原告側は出席を拒んでいる。

元徴用工については日本側は
「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決した」としており、
実は、政府レベルでは韓国も解決していることを認めている。
だから、2012年の大法院(最高裁判所)の
賠償請求を認める判決は、
国際法上は違法、
ただ、日本を困らせる、という結果だけが有効なのだ。

しかし、韓国政府が示した「肩代わり案」は、
別な観点から問題がある。
肩代わりを認めるということは、
いったん日本企業の責任を認めたことになるからだ。
肩代わりした財団には
日本企業に対する請求権が残る。
いわば、請求権が移動しただけだ。
故に、「肩代わり」をするとされている韓国の財団による
求償権(賠償を求める権利)は絶対に否定しなければいけない。

更に、「肩代わり」をするとされている韓国の財団には、
日本の企業や政府からも資金を提供することを求めている。
そんなことをしたら、日本の責任を認めることになってしまう。
日本企業の拠出など求めず、
韓国政府が支払えばいいことだ。
日韓請求権協定の締結で、
日本は韓国に5億ドルを支払っている。
当時、日本政府は元徴用工に個別に払うことを提案したが、
韓国政府がまとめて支払うことを求めてそうなった。
支払う責任は韓国政府にある
その点をちゃんと主張して、
これは、韓国の国内問題だと切り捨てた方がいい。
つまり、韓国政府の案に対して、
良いとも悪いとも言わずに、
「韓国がそうしたいなら、そうすれば」
という姿勢を貫くのだ。

一部に、
韓国を突き放すようなことは、
日本の安全保障のことを考えれば良くない、
という意見もあるが、
安全保障は相互のものなのだから、
それとは切り離して考えるべきだろう。

今回肩代わりしたとしても、
原告側がそれ以降は
日本企業の資産の強制売却手続きができなくするだけの話であり、
判決の降りた事実は、ちゃんと残る。
そもそも、「日韓併合は違法な植民地支配でその賠償は請求権協定の対象外」
とした判決は、
韓国の一方的主張でしかない。
日韓併合は、当時の国際法に照らして合法に行われたもので、
それさえ否定するのは、歴史を認めないことに等しい。
1965年の日韓基本条約締結時、
どれだけ関係者が苦労したかを無にするものだ。

いずれにせよ、
80年以上も前のことを
蒸し返し蒸し返しして関係を破綻させようとする。
やはり、韓国人の性格の悪さに起因しているとしか思えない。

かつて、賢人・曽野綾子さんは、
次のように書いた。

友だちの一人が、
いつもいつも70年昔のことを
恨みがましくなじるようなことを言う性格だと、
誰しも付き合うのに
気が重くなって当然だろう。

これは比喩だが、
ある友だちがいて、
70年前、自分の隣に住んでいる一家が、
自分たちに対して
どんなひどい仕打ちをしたかというような話を
繰り返すとすれば、
それは聞いていても楽しくない話だから、
それとなく
その友だちとは疎遠になるだろうと思う。

許されようと許されなかろうと、
人間としての個人や国家は、
歴史的過去を背負っているが、
その人や国家の品格は、
近年と現在、
どのように生きているかで判断される。

人の過去ばかり責める人と、
私は友だちにならない。
70年前、
ほとんどの日本人はまだ生まれていないか
幼い子供だった。
他人の祖先のやったことまで引き合いに出して責めるのは、
日本では卑怯なこととなっている。
私は他者を
現在のその人の生き方で判断する。

 

 


野田さんの追悼演説

2022年10月25日 23時00分00秒 | 政治関係

本日の衆議院本会議で、
安倍晋三元首相に向けた追悼演説が行われた。
演説に臨んだのは、立憲民主党の野田佳彦元首相。


党首経験者クラスの追悼演説は対立政党党首が行う慣例となっている。
(例外あり)
追悼演説が今頃になったのは、
当初、8月の国会で
自民党の甘利氏がすることになっていたが、
反対の声が上がり、
10月まで延期になったため。

かつて野党時代の自民党総裁だった安倍氏と、
首相だった野田氏は、
党首討論の場で、
衆議院の解散をめぐる“真剣勝負”に臨んだ間柄。
この党首討論で野田氏が衆議院の解散を明言し、
その結果民主党が敗北、
安倍氏が首相に就任した、という因縁がある。
そのことにも触れた野田氏の23分に及ぶ追悼演説は、
国葬時の菅さんの追悼の言葉に匹敵する
感動的な内容だった。

その全文を掲載する。

本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、
去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、
演説中に背後から銃撃されました。
搬送先の病院で全力の救命措置が施され、
日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、
あなたは不帰の客となられました。
享年67歳。
あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。
次の世代へと伝えたかった想い。
そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。
すべては、一瞬にして奪われました。
政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。
人々の暮らしや命がかかっています。
マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、
後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。
改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。
しかしながら、私は、前任者として、
あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。
我が国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。
先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を
我が身に体したことのある一人として、
あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。
そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、
議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。
あなたは、昭和29年9月、
後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、
東京都に生まれました。
父方の祖父は衆議院議員、
母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。
「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、
公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。
成蹊大学法学部政治学科を卒業され、
いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、
外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、
政治への志を確かなものとされていきました。
そして、父晋太郎氏の急逝後、
平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、
見事に初陣を飾られました。
38歳の青年政治家の誕生であります。
私も、同期当選です。
初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、
あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを
鮮明に覚えています。
そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、
インタビューに答えるあなたの姿がありました。
私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段を
またたく間に駆け上がっていったのは、
周知のごとくであります。
内閣官房副長官として
北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、
自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、
あなたは、平成18年9月、
第90代の内閣総理大臣に就任されました。
戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、
翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、
1年あまりで退陣を余儀なくされました。
順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、
初めての大きな挫折でした。
「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」
と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、
諦めてしまうことはありませんでした。
最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、
思いを寄せる雨天の友たちや
地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、
反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。
挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、
あなたは、人間として、政治家として、
より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、
たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、
その言葉を自ら実践してみせました。
ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。
あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを
説得力もって語れる政治家でした。
若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。
その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、
再び自民党総裁に選ばれたあなたは、
当時内閣総理大臣の職にあった私と、
以降、国会で対峙することとなります。

最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。
私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、
衆議院の解散期日を明言しました。
あなたの少し驚いたような表情。
その後の丁々発止。
それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。
それは、与党と野党第一党の党首同士が、
互いの持てるものすべてを賭けた、
火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。
あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。
いや、私にとっては、仇のような政敵でした。

攻守を代えて、
第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、
本会議場や予算委員会の第一委員室でした。
少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。
張り詰めた緊張感。
激しくぶつかり合う言葉と言葉。
それは、1対1の「果たし合い」の場でした。
激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。
あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、
国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、
心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、
平成24年12月26日のことです。
解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、
あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。
同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、
勝者と敗者の二人だけが同室となれば、
シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。
その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、
安倍さんの方でした。
あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、
「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。
「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
「自分は5 年で返り咲きました。
あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
温かい言葉を次々と口にしながら、
総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、
励まそうとしてくれるのです。
その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、
あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。
でも、今なら分かる気がします。
安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、
入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、
福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。
わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、
誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。
あなたもまた、絶望に沈む心で、
控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、
思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、
どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。
あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成24年暮れの選挙戦、
私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。
「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」
私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、
聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。
他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。
語るも恥ずかしい、大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、
永遠の後悔です。
いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、
7年8か月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。
あなたの仕事がどれだけの激務であったか。
私には、よく分かります。
分刻みのスケジュール。
海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。
その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。
容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。
在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
第一次政権から数え、通算在職日数3188日。
延べ196の国や地域を訪れ、
こなした首脳会談は1187回。
最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、
日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、
ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、
あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と
親密な関係を取り結んだことです。
理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、
被爆者との対話を実現に導く。
かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、
ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、
こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。
ただ、それだけではなかった。
あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。
あなたが後任の内閣総理大臣となってから、
一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。
平成29年1月20日、通常国会が召集され政府演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて
「おことば」が発せられ、
あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、
1時間あまり、語らいました。
お互いの立場は大きく異なりましたが、
腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
そして、
「政争の具にしてはならない。
国論を二分することのないよう、
立法府の総意を作るべきだ」
という点で意見が一致したのです。
国論が大きく分かれる重要課題は、
政府だけで決めきるのではなく、
国会で各党が関与した形で協議を進める。
それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、
確固たる主義主張を持ちながらも、
合意して前に進めていくためであれば、
大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。
冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、
天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。
立場の違いを乗り越え、
どこかに一致点を見出せるのではないか。
以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、
当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を
五・一五事件の凶弾で喪いました。
失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」
安倍さん。
あなたの政治人生の本舞台は、
まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。
再びこの議場で、あなたと、
言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、
火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
7年8か月、あなたの政権が続く間、
私はずっと「前内閣総理大臣」と呼ばれ続けました。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂莫の念だけが胸を締め付けます。
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。
どんなに政治的な立場や考えが違っていても、
この時代を生きた日本人の心の中に、
あなたの在りし日の存在感は、
いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。
長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、
歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。
安倍晋三とはいったい、何者であったのか。
あなたがこの国に遺したものは何だったのか。
そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、
日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、
遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。
そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。
国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、
あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、
この議場に集う同僚議員たちとともに、
言葉の限りを尽くして、問い続けたい。
問い続けなければならないのです。

なぜなら、
あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、
言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、
私たちは、言論の力を頼りに、
不完全かもしれない民主主義を、
少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。 

最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、
民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。

こうした誓いこそが、
マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、
私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、
人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣。
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、
この決意を届け、
私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。 

                   
歴史に残る名演説

歴史に残る名演説。
総理大臣という職の重さを実感し、
政治的に敵であっても敬意を忘れない。
相手を非難罵倒することだけに腐心する、
小粒の国会議員たちよ、

この志を聞け。

 


独裁者の延命

2022年10月14日 23時00分00秒 | 政治関係

中国共産党大会が16日から始まるが、
益々独裁の方向に進んでいる。

というのは、習近平国家主席が3期目の続投をするための
規約改正がされようとしているからだ。


中国共産党は、国家主席は2期10年まで
という決まりを鄧小平が作った。
これは、毛沢東のような独裁者を再び出さないための安全装置を意図したもの。
前国家主席の胡錦濤もこのルールに従って、
2012年の党大会で退陣し、
後任の習近平に政権をバトンタッチした。
その先人の知恵が生んだ良き伝統を
習近平はやすやすと破ろうとしている。

中国共産党は、
もう一つ、指導者は68歳以上は引退するという慣例もあった。
これは世代交代を促進し、長期政権を阻止するためのものだ。
習近平は現在69歳。
当然、身を引くべきなのに、これも破ろうとしている。

その上、「二つの確立」として、
「習氏の党中央・全党の核心としての地位」
「習氏の思想の指導的地位」
の確立を意味するものを
党規約に明記し、
習氏への絶対的忠誠を党内に求める規定がされようとしている。

党規約に盛り込まれている指導思想で
個人の名前に「思想」がついているのは
「建国の父」とされる毛沢東の「毛沢東思想」だけだが、
「習近平思想」が党規約に明記される予定だという。
個人崇拝を党の規約で決めるというのだから、
ただごとではない。

こうして習氏の体制が5年、場合によっては10年続く。
10年後といえば、2032年だ。
その間に世界はどう動くのか。

習は「中国の夢」を語り、
「中華帝国」の再興を目指す人だ。
そのために、「一国二制度」の約束を破って香港を吸収し、
台湾を狙い、場合によっては沖縄まで狙っている。
つまり、21世紀は中国が世界の騒乱の中心になる世紀なのだ。

中国の憲法は、中国共産党の指導による、としている。
つまり、党規約の方が憲法より上だ。
その党規約で個人崇拝を決めるとは。
中国共産党の人々は何とも思わないのか。
中国の人民は行動を起こさないのか。

2020年に実施されたロシアの憲法改正も異常だ。
プーチン大統領の任期の「リセット」がされたからだ。

憲法改正前のプーチン大統領の任期(2期12年)は、
2024年までだった。
ところが、憲法改正によってこれまでの任期をリセット、
つまり無かったことにして、
新たに最長2期12年、
2036年まで大統領職に就けることにしたのだ。

更に、大統領の権限が強化され、
議会が承認した首相を解任する権限や、
大統領経験者には不逮捕特権適用、
大統領経験者は終身上院議員とする、
という滅茶苦茶な改悪がなされた。

異常な憲法改正だが、
国民投票の結果、
約78%の賛成で承認された。
大規模な改正であったにもかかわらず、
コロナ下、国民的議論がなされないまま短期間で成立した。

憲法改正の結果、
2000年の大統領就任から
実に36年間も実質的な権力を持ち続けることになる。
その権限の強化の結果が
今のウクライナ侵略につながったといっても過言ではないだろう。

「権力が長引けば、腐敗につながる」
というのは、歴史的に証明され、教訓としている。
だから、民主的な各国は権力に制限をつけている。
アメリカ合衆国の大統領2期8年はよく知られているし、
守られている。
韓国大統領の1期5年は異論はあるが、
仮にその任期を変更する憲法改正が行われたとしても、
その改正をした時の大統領には適用されない、
という予防策を講じている。

独裁者はその統治期間を長引かせたい、というのは当然だ。
だから、弾圧をする。
独裁国家の人民は悲惨で不自由な生活を強いられる。

ひるがえって、日本を見てみよう。
日本共産党の志位和夫
共産党のトップである委員長として22年の歳月を重ねていることをご存じだろうか。


というより、共産党のトップはそもそも長い。
委員長のポストが設けられた昭和45年以降、
委員長をつとめたのは
宮本顕治、不破哲三、村上弘、志位和夫の4人しかいない。
終戦直後の昭和20年から45年までの間、
トップだった書記長職をつとめた徳田球一、野坂参三を加えても77年間で6人。
うち村上は病気を理由に1年半で退任しているから、
実際は5人がトップだった。

なぜ長期にやれるのか。
選挙で負けても、他の政党のように、
責任を取って辞任することはないからだ。

そもそも、一般党員はトップを選べない
中央委員会なる組織が委員長を選ぶ。
中央委員と准中央委員は党大会で選挙によって選出される。
しかし、中央委員会が候補者を推薦する制度だというから、笑える。
代議員(選挙人)も自由に候補者を自薦も含めて推薦することができるが、
前例は少ない。
つまり、代議員そのものが党中央によって統制されている。
中央委員会総会(年2回以上開催)が最高決議機関だが、
常任幹部会や書記局、中央機関紙編集委員会などが
日常的な指導や事務をつかさどる。
総会から総会のあいだ中央委員会の職務をおこなうのは幹部会で、
幹部会の職務を日常的に遂行するのは常任幹部会。
つまり、中央委員会の日常的任務をになう機関は常任幹部会であり、
幹部会委員長が党首として扱われている。

他の政党が、選挙に負けて責任をとって辞任したり、
党員が参加した党首選で選ばれたりするのは、
権力にとっての弱点だと思っているのだろう。
他の政党とは様相が異なり、
党組織の中での権力闘争によって、
党首となるのだ。
つまり、独裁制
日本共産党も、中国共産党やロシアと体質は同じだ。
根本に共産主義という、
既に滅亡した思想の残滓が残っているとしか言いようがない。

会社のトップもそうだが、
あまりに長期にわたって社長が変わらない会社の先は見えている。
後継者を育てるのが最後の仕事だと言われている。
それを怠ると、「老害」と呼ばれる。
共産党は老害の温床だ。