空飛ぶ自由人・2

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大横川の桜

2024年02月29日 23時00分00秒 | 名所めぐり

今日は、朝早くから↓この駅へ。

大横川の桜を見るためです。

ここがその場所。

「東京で、梅と桜が同時に見られる」
という記事に、
亀戸天神と大横川が紹介されていたので、
来た次第。

まだ桜の季節じゃないのに、
と疑問の方。
この桜はソメイヨシノではなく、
河津桜です。

日本固有種のオオシマザクラとカンヒザクラが自然交配して生れた
日本原産の栽培品種のサクラ。
オオシマザクラとカンヒザクラの雑種に
さらにカンヒザクラが交雑した種で、
オオシマザクラ由来の大輪の花と、
カンヒザクラ由来の紫紅の花弁の色が特長。
更に目覚ましい特徴は、
「早咲き」

花期は2月頃で
1ヶ月と長い。

1955年に静岡県賀茂郡河津町
飯田勝美さんが河津川沿いの雑草の中で
1mほどの原木を偶然発見し、
庭先に植えたことが始まり。
1974年に「カワヅザクラ(河津桜)」と命名されました。


現在も原木は河津の↑の場所に存在しています。

原木の様子はライブ配信されています。

接木で増殖するため、
どの木もDNAが同じ。
そのため、同じ気温の場所では、
一斉に開花します。

スカイツリーも見えます。

鳩たちも見ています。

↓は静岡県河津町での様子。

河津町では、
川沿いに植えたものが
温暖な気候により2 月下旬頃から1 か月にわたり開花します。

以前、河津へ河津桜を見に行くバスツァーに参加して、
前線と遭遇した悪天候で、ひどい目にあいました。
それも、懐かしい思い出。

大横川でも一斉に開花。
訪れる人を楽しませています。

 


小説『ヒロイン』

2024年02月27日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

1995年3月、
東京・渋谷駅で、新興宗教団体による
毒ガス散布事件が起き、
5人の人の命が奪われた。
主人公の岡本啓美(ひろみ)は
実行犯として指名手配され、
容姿と名前を変えて別人になりすまし、
2012年に逮捕されるまで、
17年間の逃亡生活をする。

どう考えても、オウム真理教の地下鉄サリン事件
そして、主人公は「走る爆弾娘」と呼ばれた
菊池直子がモデルだと思われる。

実際、編集者から持ちかけられたお題は
「17年間逃げていた女を書きませんか」だったという。
作者の桜木紫乃は、
報道記事や手記などの資料に目は通したが
「かえって本当のことがわからなくなったので捨てました。
 虚構じゃないと、見えてこない真実もある」
という作家魂によって、
小説世界を構築している。

借りたのは、新興宗教団体による凶悪事件と
その実行犯として指名手配され、
17年後に逮捕されたことのみ。
つまり、逃亡生活は全て創作。
そこに様々な問題を内包させる。

啓美はバレエ教室を経営する母に、
ダンサーとして厳しく育てられたが、
期待に応えることができずストレスを溜め、
その束縛から逃れるように入信し、
18歳で新興宗教「光の心教団」に「出家」、
子供たちの教育係を担当していたが、
ある日、教団の異変に気付く。
子供たちが親と共に姿を消した。
そして、教団幹部の一人貴島に同行を命じられ、
何も知らぬままに渋谷に。
貴島は持っていたリュックを渋谷の雑踏に置き、
毒ガスを発生させるが、
啓美自身は何が行われたかは分からず、
翌日の新聞で初めて事件を知った。
つまり、全くの無実なのだが、
貴島と一緒にいたというだけで、
実行犯とされ、指名手配を受ける。

新潟の実父の元に潜伏し、
そこで、父の再婚相手のみどりと
その娘、腹違いの妹・すみれを知る。
すみれは、どういう血のつながりか、
バレエダンサーを目指し、
啓美と共鳴する。
父のDVが発覚し、
家を出た後、
公園で声をかけて来たのが、
フリーライターの鈴木真琴
真琴は、貴島を匿っており、
告白本を書かせているという。
啓美は真琴の祖母・梅乃が経営する
スナックで梅乃の孫として生きる。
つまり、鈴木真琴を騙り、
保険証も共有する。
そのスナックにも指名手配のポスターが貼られる。
出入りの中国人の技能実習生・ワンウェイと関係を持つ。

姿を消したワンウェイを追った啓美は、
残留孤児だった母の元に身を寄せたワンウェイと同棲し、
山口一と名前を変えたワンウェイの妻、
山口りりとして生き、
技能実習生逃亡の手助けをする。

「わたしたち、もともとの自分じゃないんだ」

やがて事件が起き、
ワンウェイと離れ離れになった啓美は、
友人の借金肩代わりで借財を負い、
自殺しようとしていた男を助け、
同棲生活を始める。
共に偽名の山口ハジメの妻りりとして。

こうした逃亡生活の中で、
ダンサーにさせようとした母との確執、
すみれのバレエダンサーとしての成長、
梅乃の大往生、
自殺した貴島の死体を
真琴と一緒に処分し、
ワンウェイの子を生み、
真琴に託すなど、
驚くような展開を見せる。

そして、逮捕・・・

というすさまじい逃亡生活。

実際の菊池直子の人生がどうだったか知らないが、
それよりよほど劇的な生き方だったのではないか。

ただ、よく考えてみると、
元々冤罪なのだから、
ただ貴島についていっただけだと分かれば、
刑期は短く、出所すれば、
晴れて生きることが出来たはずで、
17年の逃亡生活より
幸福になれたのではないか、
という気がするが、
そう言ってしまっては身も蓋もない。
追われる者は、それだけで逃亡するのか。

実際、菊池直子の方は、
逮捕後、裁判で無罪を勝ち取っている。
メディアの報道は嘘ばかりで、
名誉棄損の裁判でも勝っているが、
メディアの姿勢は改まらなかった。
今、菊池直子は「ブロガー」だそうだが、
あまり更新していない。
一体どんな生活をしているんだろう。

最近発覚した桐島聡容疑者の逃亡生活といい、
「他人になりすまして生きる」
というのは、どのようなものか、
興味は尽きない。
本書は、その一端を覗き見させてくれる。

また、ダンサー時代は
体型維持で100グラム単位で食事制限していたが、
教団に入ってからは、好きに食事をし、
太ってしまい、
貴島と行動を共にする時、
鏡を見て、太った自分の姿に驚く。
教団にいる間、鏡を見ることを禁止されていたのだ。
また、出家する時預けた衣服を着ると、
入らなくなっていた、
など、おもしろい描写だ。

教祖の第四夫人だった女性の言葉。

「結局、なにかを信じるということは、
 なにも信じられない自分との闘いでした。
 自分を信じられるひとは身軽です。
 自分以上の荷物がないのです。
 身軽ゆえに重いご自身と付き合ってゆけるだけの力があれば、
 神仏など頼らずとも生きていけます。
 ただ、たいがいの人は
 自身の背にある荷物が
 なんなのかを知らないまま生きていると、
 わたしは思うのですけれど」

ワンウェイが子供を残して
ひとり日本に戻った母親を探し、
会った時のことを言う。
「とてもかわっていました。
 もうわたしのこと、わすれたです」
啓美は言う。
「良かったんや、それで。
 人間は忘れるのがいちばん大変なんや。
 あんたのマーマはあんたを捨てて
 自分を手に家いれたんや。
 ええ年してそんなこともわからんのか」

親に捨てられ国に捨てられた女が、
自分の家族を捨ててやって来た祖国で、
再び息子を捨てた。
どんな理由があったとしても、
それは彼女にとって捨てるに価するものなのだ。

 


ドキュメンタリー『クインシーのすべて』

2024年02月26日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

ジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家の
クインシー・ジョーンズを扱った
2018年のドキュメンタリー。
監督・脚本はアラン・ヒックス
ジョーンズの娘のラシダ・ジョーンズ
2018年9月21日にNetflix で配信された。

「ポップスが最高に輝いた夜」を観た流れで鑑賞。

精力的に後進の指導と
黒人の地位向上事業に励む老齢のクインシーと
若い時からの軌跡を、
大量の貴重な映像を集めて
交互に描く。

とにかく、クインシーの
仕事人間ぶりがすごい。
脳の動脈瘤から生還してからも、
仕事をやめない。
「立ち止まるのは死ぬことだ」
とまで言っている。
そのため、家庭を省みず、
妻の孤独感を招き、
4回結婚離婚を繰り返す。
最後のインタビューで、
「試して成功しなかったことは?」と訊かれて、
「ハハッ、結婚かな」
と笑っている。

その人間性の暖かさから、
各界有名人との人脈が豊か。

軌跡を辿ってみると、

「11歳まで白人を見たことがなかった」
という、シカゴの黒人社会で育つ。
少年時代にトランペットを学ぶ。
10歳の頃にワシントン州に転居。
そこで盲目の少年レイ・チャールズと知り合い、
ともにバンド活動を始める。1951年、バークリー音楽大学を卒業後、
トランペット・プレーヤーとして
ライオネル・ハンプトン楽団に参加。
そこでアレンジャーとしての才能を見出され、
カウント・ベイシー、デューク・エリントン、サラ・ヴォーンら
ジャズ界のスターのアレンジを手がけるようになった。

1960年代からはプロデューサーとして活躍し始め、
1963年にレスリー・ゴーアの
「涙のバースデイ・パーティ」をビルボード1位にしたのをはじめ、
マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラらのプロデュースを手がけた。


映画音楽にも進出し、
「夜の大捜査線」や「ゲッタウェイ」のサウンドトラックも評判となった。

1978年、映画「ウィズ」の現場でマイケル・ジャクソンと出会う。
そこでマイケルが
「誰か僕に合うプロデューサーはいないかな」
と言ったところ
「僕じゃ駄目かな?」
とクインシーが返答したという話も出て来る。


そして翌年のアルバム「オフ・ザ・ウォール」から
マイケルとタッグを組むことになる。
1982年のアルバム「スリラー」
史上最も売れたアルバムとしてギネスに認定された。
300曲作り、うち12曲を選んでアルバムに。
1987年のマイケル・ジャクソンのアルバム「BAD」も
同一アルバムからのシングルカットが
5つのナンバーワン・ヒットを記録。
このアルバムを最後にマイケルとのタッグを解消する。

アメリカのスーパースターが一堂に会して録音した
チャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のプロデュースも手がけた。

2001年、ケネディセンターの表彰式で
レイ・チャールズがクインシーへの愛を歌った時、
客席で涙をこらえるクインシーの表情が印象的。
アフリカ米国人博物館のオープニングショーも
クインシーならでは集められた
豪華メンバー。

オバマ元大統領はこう言っている。
「クインシーのキャリアが興味深いのは、
 いつも最初なこと。
 誰よりも先にドアをくぐって、
 後から通る人に
 自信を与えてなくれる。
 それも上品に」

なるほど。

2900曲、300アルバムを録音。
51の映画、テレビ音楽を制作。
グラミー賞79ノミネート、27回受賞。
エミー、グラミー、オスカー、トニー各賞
全てを受賞した18人の1人。
子供7人、孫6人、曾孫1人。
現在90歳

 


亀戸天神

2024年02月25日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日は、武蔵野線西船橋で総武線に乗り換えて、ここ↓へ。

目的地は、ここ↓。亀戸天神社

平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家で、
学問の神様とも言われる菅原道真を祀っています。
通称は亀戸天神、亀戸天満宮または東宰府天満宮。

正保年間(1644年 - 1647 年)、
菅原道真の末裔であった
九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、
天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、
諸国を巡りました。
1661年、(寛文元年)、
江戸の本所亀戸村にたどり着き、
元々あった天神の小祠に
道真ゆかりの飛梅で彫った
天神像を奉祀したのが始まりとされています。

亀戸天神の境内には、
道真が好んだ梅が300本以上植えられており、
春になると、「梅まつり」が開催されます。
今年は3月3日まで。

入ってすぐ、太鼓橋の男橋

池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」に基づき、
この橋は過去を表します。

上に立つと、スカイツリーが見えます。

藤棚。

4月下旬時から5月初旬にかけて、
藤まつりが行われ。
境内の藤が一斉に開花し、神社中が藤色に染まります。
太鼓橋の上から一面の藤棚を
上から見下ろすことができます。
江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所でした。

秋には菊まつりが行われます。
道真は、梅と共に菊の花を数々の和歌を詠みました。

太鼓橋の女橋

この橋は希望の未来を表します。

太鼓橋は歌川広重の『名所江戸百景』シリーズの
「亀戸天神境内」にも描かれています。

北斎『諸国名橋奇覧』の「かめゐど天神たいこはし」にも。

本殿

境内には、いろいろな石碑や社があります。

亀井戸跡

「かめいど」の語源。

筆塚

道真公は、
空海と小野道風とに並ぶ能書家といわれたことに因み
「書道の神」と仰がれておりました。
そのことから、「筆塚祭」には書道上達、
学問の向上を願う人々が、
使い古した筆を納め、
一層の上達を祈願します。

                                                                   
松尾芭蕉句碑

晩年深川に住まいを構え、庭に芭蕉を植えたところから、
芭蕉庵と称し俳号を芭蕉と称しました。

しばらくは花の上なる月夜哉

芭蕉が吉野へ旅した時、
満開の桜とその上に浮かぶ月を詠んだ句と言われます。

花園社

道真の妻である島田宣来子および14人の子供を祀ります。
安産、子宝、育児、立身出世の守護神として信仰されています。

弁天社

1665年(寛文5 年)、
太宰府天満宮の心字池の近くに
「志賀社」というお社(やしろ)があり、
このお社は海など広く水をお守りする神でした。
この太宰府天満宮心字池畔の志賀社をここに勧請。
その後、亀戸天神の心字池を上野不忍池に見立て、
この社を「弁天堂」と呼んだことから、
七福神の1 つである弁才天として信仰されるようになりました。

琴柱灯籠(ことじどうろう) 。

柔らかな曲線の脚で支えられた灯篭。
この名前は、琴の弦を支える
琴柱の形に似ていることに由来します。

太助灯籠

塩原太助が1781年に石灯篭二基を奉納したもの。
塩原太助は江戸時代の中期から後期にかけて、
今の両国本所相生町で薪炭商を営み、
一代で富を築き、
その豊富な私財を道路の改修や土木工事など
庶民のために投じたことから、
義人としての評判を得ました。

御嶽神社(みたけじんじゃ) 。

道真の教学上の師である
延暦寺第十三代座主、法性坊尊意僧正を祀ります。
火災除、雷除、商売繁盛、開運の神様です。             

五歳菅公像

昭和52年の道真公神忌1075大祭記念とし奉納され、
台座には5歳の時庭園の紅梅を詠まれた和歌を刻してあります。

美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある                

神牛座像

903年(延喜3 年)、道真が亡くなった時、
遺体を乗せた車を引く黒牛が、歩みを止めて動かなくなり、
その場所を墓所と定めたと言われています。
その後、その場所に社殿を建立し、
御霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源で、
その年も乙丑年でした。
道真は丑年生まれ。
また、道真が京都から大宰府へ下向中、
白牛によって難から逃れることができた
という故事が伝えられており、
道真と牛との縁は深いものがあります。

神牛座像は1961年(昭和36年)、
鎮座三百年祭時に社殿の復興とともに奉納されました。
神牛に触ることにより病気を治し、
知恵を得るといわれており、
牛は天神の神使(みつかわしめ)として信仰されています。
参拝の方々が触れた部分が光っています。

紅梅殿

菅原道真公が左遷され、九州に旅立つ時、
京都の紅梅殿の庭に、日頃可愛がっていた梅を見て、

東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花
あるじなしとて春なわすれそ

と詠った和歌は有名で、
菅公を慕って飛んできたと言われるのが飛梅(とびうめ)。
紅梅殿は「飛梅」の実生(みしょう)をお祀りしたお社です。
梅が香る2月25日にお祭りを執り行い、
毎年大宰府から紅白の梅が奉納され、
学校などの公共施設に寄贈しています。

↓池のカメ。

学問の神である菅原道真を祀っているため、
毎年、受験生が合格祈願に訪ずれ、
その中には合格のお礼として本社を再び訪れ、
池にカメを放流していく人が多くいます。
そういうきまりがある訳ではなく、
亀戸という地名や池があることなどから
この行いが自然に広まったようです。
その結果、現在のように
カメが多数棲息するようになりました。

最後に、境内で咲き誇る梅の写真を。

 


バッハとモーツァルトのコンサート

2024年02月23日 23時00分00秒 | 音楽関係

今日は、雨の中、
再び、ここ↓タワーホール船堀へ。

今日は大ホールで、

この↓コンサート。

合唱NAO(なお) コーラスグループ、
演奏は東京シンフォニックアンサンブル。

開場5分前に行ったら、この行列。


高齢者が多いです。

中央のベストポジションを確保。

前半は、バッハ
カンタータ第147番「心と口と行いと生きざまをもって」
ヨハン・ゼバスチャン・バッハが
1723年に、主の母マリア訪問の祝日のために作曲したと
される教会カンタータ。

カンタータとは、
単声または多声のための器楽伴奏付の声楽作品をいいます。
バッハは、ライプツィヒの教会の音楽指導者となり、
毎日曜日の礼拝に合わせて年間50~60ほどのカンタータを
ほぼ毎週作曲、上演するという、驚異的な活動を行いました。
今日残されているのは、約200曲の教会カンタータで、
その他、50曲が紛失しています。

カンタータ第147番は、
数あるバッハの教会カンタータの中でも
抜群の人気作で、
2部10曲で構成される中、
第6曲第10曲は特に親しまれており、
(歌詞は違うが、曲は同じ)
どこかで聞いたことがあると思います。

聴きたい方は、↓をコピーして使って下さい。

https://youtu.be/XCSW4dxpW8A?t=6

続いて、
モテット第6番「主を称えよ、全ての異教徒よ」
を演奏。
モテットとは、
聖書の詩編などを歌詞にもつ多声の宗教声楽曲。
バッハは6曲(異説では8曲)モテットを作曲しています。

ここで休憩が入って、後半は、
モーツァルトのレクイエム(死者のためのミサ曲)。
モーツァルトの最後の作品で、
その死によって未完のまま残され、
弟子のジュースマイヤーにより
補筆完成されたもの。
ヴェルディ、フォーレの作品とともに
「三大レクイエム」の一つに数えられています。

実は私がクラシックの中で一番好きなのは、
バッハの「マタイ受難曲」
2位がフォーレの「レクイエム」で、
3位がモーツァルトの「レクイエム」。
全部宗教曲なのは何故でしょうか。

忘れられないのは、
「アマデウス」の中で効果的に使われたことで、
ピーター・シェーファーの戯曲(1979)では、
モーツァルトの才能を妬む宮廷作曲家のサリエリが、
策略を使ってモーツァルトを窮乏に追い込み、
「レクイエム」作曲中の体調の悪いモーツァルトを
死神の格好で精神的に混乱させ、
死に至らせる、という展開。


映画化された「アマデウス」(1984)では、
そのサリエリがモーツァルトと共に
「レクイエム」の作曲を一緒にする
という驚天動地の脚色がなされ、
(原作者自身の脚色)
モーツァルトの口述を
サリエリが採譜していく中、
「レクイエム」の曲が効果的に使われています。
この場面は鳥肌モノでした。

ちなみに、
映画「アマデウス」は、
1984年度のアカデミー賞で、
作品賞・監督賞・主演男優賞・
脚色賞・美術賞・衣裳デザイン賞・
メイクアップ賞・録音賞の8部門を受賞
私の「宇宙旅行に持っていく10本の映画」の一つです。

今回のコンサート、
コーラスは36人、
管弦楽は22人と
やや小ぶりの編成で、
どうかな、と思いましたが、
なかなかの演奏で、
この曲を聴くいつものように、
泣きそうになりました。
特に、4人の独唱者の歌唱が
視覚的に捉えられ、
ああ、こういう風に連携していたのか、
と納得しました。

また、正面の壁に歌詞の日本語訳が映し出されて、
今歌われている内容がよく分かり、
キリスト教の死生観、審判への恐れ、
復活への希望が伝わり、
なかなかの趣向でした。

↓は字幕のプロジェクター。

寒い雨の中でしたが、
心が豊かになる冬の一日でした。

指揮者は近藤直子さん、
ソリストは、↓のとおり。