空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『倒産続きの彼女』

2023年01月31日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

「このミステリーがすごい!大賞」を受章した
「元彼の遺言状」の剣持麗子シリーズ第2弾

といっても、今回はその1年後輩の美馬玉子(みま・たまこ)、28歳が主人公。
剣持麗子に苦手意識を持ちながら、コンビを組まれれてしまう。
玉子は80歳を越えるシマばあちゃんの世話をしながら、
猛烈に弁護士業務をこなしている。
彼氏はおらず、時々開催される合コンに出かけては、
「なんだ、女弁護士か」
と侮蔑の言葉を投げかけられている。

今担当している案件の一つに
倒産の危機に瀕している
老舗のアパレル会社・ゴーラム商会の救済がある。
そのゴーラム商会からの内部告発で、
経理部社員の近藤まりあという女性が
転職するたびに、会社をつぶしている
というメールが届く。

調べてみると、
確かに過去就職していた3社が、
近藤の在籍時に倒産している。
それで2、3年ごとに転職して、
今いるゴーラム商会も倒産間近になっている。
しかも、近藤がアップしているSNSの写真は、
分不相応の高価なバッグを所有し、
生活ぶりも派手だ。
近藤の給料では、そんな生活は出来ないはず。

そのうち、ゴーラム商会倒産の原因である
ランダール社との契約不備が、
何らかの策略で、
事前の契約案文と実際の契約書と違っていたことが分かる。
しかし、経理部社員である近藤が関与した形跡はない。

剣持と玉子はゴーラム商会で近藤と面談するが、
その並びの会議室で、
総務社員の只野愛子が死亡する。
首元を切られて
使用された刃物には、只野の指紋しか残されていない。

その上、先輩弁護士の川村が、
事務所で背中をナイフで刺される。

謎を解明するために、
剣持と玉子は、
過去の3社の関係者に接触し、
調査を進めるが、
倒産した会社の社員を
テトラ貴金属という会社が
毎回引き受けていることも分かる。
しかも、シマばあちゃんの結婚予定の相手が
テトラ貴金属の元社長だという偶然も起こる・・・

という話に、
所長の津々井や同僚の哀田弁護士の動きがからむ。

なぜ近藤まりあは転職を繰り返し、
その都度、倒産させているのか。
その背後に、ある組織が関わっている事実が判明し・・・

とにかく話がすいすい進むので、
心地よく読み進めることができる。
が、真相の解明は、
やっぱり、???が付く内容。
要するに、軽い。

作者の新川帆立は、弁護士(作家業のため休職中)
周辺にいくらでも題材が転がっているに違いない。

 


映画『ノースマン』

2023年01月30日 23時00分00秒 | 映画関係

 [映画紹介] 

「ウィッチ」(2015)、「ライトハウス」(2019)の
超個性派監督ロバート・エガース
大資本にオファーされて作った
壮大なスケールのファンタジー巨編。

北欧の王国の世継ぎ、10歳の王子アムレートは、
父オーヴァンディル王を叔父のフィヨルニルに目の前で殺され、
母親のグートルン王妃も連れ去られてしまう。
アムレートはたった一人、ボートで島を脱出する。
それから十数年後、
アムレートは獰猛なヴァイキング戦士の一員となっていた。
ある日、スラブ族の魔女と出会い、
己の運命と使命を思い出したアムレートは、
フィヨルニルが、その後、国を奪われ、
アイスランドで農場を営んでいることを知る。
奴隷船に乗り込んだアムレートは、
親しくなった女性オルガの助けを借り、
叔父の農場に潜入し、しばらく正体を隠し、奴隷として仕え、
働きながら身辺を探る。
母は叔父との間に二人の子供をもうけていた。
そして、壮絶な復讐物語が始まる。

王子が、叔父によって殺された父王と
叔父の妻とされた母の復讐のために
叔父と対決する物語。

と聞くと、あれ、どこかで聞いた話、
と思う人もいるだろう。
そう、シェイクスピアの「ハムレット」ですね。
若い人は「ライオン・キング」の方か。

実は、「ハムレット」そのものが、
北欧に伝わるこの伝説が元になっており、
その証拠に、王子の名前アムレートAMLETHの最後のHを始めに持って来ると、
ハムレットHAMLETになる。

デンマークの歴史家サクソ・グラマティクスが
12世紀に書いた「デンマーク人の事績」(Gesta Danorum )に
その王子の原話が出て来る。

というわけで、
この映画は、北欧を舞台にした「ハムレット」の源流となる伝説の話。
10世紀初頭で、
まだキリスト教は伝搬されたばかりの、
北欧の主神オーディンが支配する世界。
ヴァルハラだのワルキューレも出て来て、
まさしくワグナーの「ニーベルングの指環」の世界。
過酷な環境の中、奴隷はいとも簡単に殺され、
彼らの日常には、暴力と死、理不尽さが蔓延している。
画面は常に陰鬱で、宿命や呪いの雰囲気が横溢する。
そして、エガースのケレン味たっぷりの演出は、
しばしば登場する長回し(それほど長くはない)に、
人物と背景を見事に配置して、
神話の雰囲気を造成する。
アイスランドの荒涼とした自然が
この復讐劇の舞台としてふさわしい。
装置、衣裳、そして自然を通じて、
しばし北欧神話の世界に浸れる。
セリフはシェイクスピアばり。

錚々たるキャスト陣も目に豊か。
アムレートには、「ターザン:REBORN 」(2016)の筋骨隆々たるスウェーデン出身の
アレクサンダー・スカルスガルド


殺される父王にイーサン・ホーク
王妃にニコール・キッドマン
道化にウィレム・デフォー
オルガに「ウィッチ」にも出ていたアニャ・テイラー=ジョイ
仇の叔父フィヨルニルにクレス・バング
アイスランドの歌手で「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000)のビョークなど。
予備知識がなければ、あれがビョークだとは分からないだろう。

こんな北欧神話の話、日本人には縁遠いが、
北米では昨年4月に劇場公開されるや
5週連続TOP10入りを果たしたというから、
アメリカの観客の奥行きは深い。

脚本は、同じくアイスランドを舞台にした「LAMB」(2021)のシオン&ロバート・エガース。

5段階評価の「4」

拡大公開中。


荒野の用心棒騒動

2023年01月29日 23時00分00秒 | 映画関係

1月22日のブログ「モリコーネ」の中、
イタリア映画の「荒野の用心棒」のところで、

この映画、
「用心棒」の断りなしのリメイクだった。
その後、訴訟に発展するのだが、
そのことについては、
日を改めて紹介したい。

と書きましたが、
今日が、その「日」。

まず、「用心棒」について。
1961年に公開された黒澤明監督の娯楽時代劇。


ヤクザの二組が対立する宿場町にふらりと現れた素浪人が、
ヤクザの用心棒として雇われ、
その実、両方を焚きつけて衝突させ、
最終的には壊滅させて、
平和な宿場町に戻して、去っていく、
という話。
興行的に大ヒットし、
翌年には続編の「椿三十郎」が作られた。
浪人・桑畑三十郎を演ずる三船敏郎は、
この作品でヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞。
その年のキネマ旬報ベスト・テンで2位に選ばれた。
海外でも高く評価されており、
2008年にイギリスの映画雑誌エンパイアが発表した
「歴代最高の映画500本」で95位にランクインした。
2005年にタイム誌が発表した
「史上最高の映画100本」にも選出されている。
                          
1964年、セルジオ・レオーネ監督が「荒野の用心棒」としてリメイク。
しかし、これは、東宝の事前承諾を得ない勝手な再映画化であった。
つまり、「盗作」。
しかも、「たまたま似てしまいました」でも、
「ちょっとアイデアを拝借しました」でもなく、
アメリカ=メキシコ国境にある小さな町に、流れ者が現れ、
縄張り争いをしていた2大勢力を焚きつけて衝突させ、
両方を壊滅して、町を去っていく。
という、ストーリーの展開、人物配置、ポイントポイントが酷似した、
言い逃れの出来ないレベルのものだった。

東宝は黒澤、脚本を書いた菊島隆三と共に著作権侵害で告訴した。
黒澤もレオーネに権利料の支払いを求める手紙を送ったが、
レオーネは黒澤から手紙をもらったことに感激し、
周りの人たちに見せびらかしていたという。

最終的にイタリア側が盗作を認めたため
日本側が和解に応じ、
1965年11月に著作権保有者の黒澤と菊島は、
「荒野の用心棒」の日本・台湾・韓国などアジアにおける配給権と、
10万ドルの賠償金、
世界配給収入の15%を受け取ることでイタリア側と合意した。
最初から原作料を支払っていれば、
もっと少ない出費で済んだだろうに。
日本では東宝の傍系の東和を通じて配給、
1965年11月25日に公開。


この裁判の過程で映画の著作者が受け取る世界の標準額を知った黒澤は
東宝に不信感を抱き、契約解除、
ハリウッドへの挑戦を決意させる要因にもなった。

という話とは別に、次のような話も伝わっている。
「荒野の七人」は東宝の権利許諾を得た正式リメイク作品だが、
「続・荒野の七人」(1966)、「新・荒野の七人 馬上の決闘」(1969)、
「荒野の七人・真昼の決闘」(1972年)などの続編が制作され、
TVシリーズなど、後発作品が多数あり、
クレジットも「原作=東宝作品『七人の侍』」となっているが、
作者である黒澤、小国、橋本は誰一人許可しておらず、
黒澤はこの件で晩年まで東宝にクレームをつけ続けていたという。

更に、
1964年までの間に、
東宝はイタリアの無名の映画会社から
「用心棒」のリメイク許諾を求める手紙を受け取っていたが、
黒澤サイドに伝えることなく無視してしまった。
イタリアの会社は「無視=勝手にしろ」と判断し、
「荒野の用心棒」を製作した。
この映画の予想を超える世界的ヒットに、黒澤サイドは座視できず、
この会社を訴え、
その訴訟の過程で
東宝が許諾申請の手紙を握りつぶしていたことを知り、
黒澤は東宝に猛烈な不信感を抱くようになり、
専属契約を解除、「トラ・トラ・トラ! 」の撮影も
東宝のスタジオで行わないなど、禍根を残した。

何だ、イタリア側は「盗作」する意図はなく、
悪いのは東宝か。

リメイクの経緯は次のとおり。

イタリアで公開された黒澤明の「用心棒」を見て感銘を受けたセルジオ・レオーネが、
西部劇に作り変えようとしたのが始まり。
レオーネは同僚の撮影監督や脚本家たちを誘って再度「用心棒」を鑑賞、
脚本執筆の参考にするために映画の台詞をそのまま書き写した。

レオーネは当初、ヘンリー・フォンダの起用を望んでいたが、
フォンダはハリウッド・スターだったため獲得できなかった。
その次にチャールズ・ブロンソンに出演依頼をするが
ブロンソンは脚本が気に入らないという理由で辞退。
さらにヘンリー・シルヴァ、ロリー・カルホーン、トニー・ラッセル、
スティーヴ・リーヴス、タイ・ハーディン、ジェームズ・コバーン等
にも打診するがいずれもも断られた。

最後に白羽の矢が立ったのが
当時テレビ西部劇「ローハイド」に出ていた
クリント・イーストウッドだった。
この時、イーストウッドが受け取った脚本の題名は
「Magnificent Stranger」(素晴らしい来訪者)で、
「用心棒」の翻案であることもすぐに読み取った。
というのは、後述する黒澤明の「七人の侍」の正式リメイク「荒野の七人」(1960)の
アメリカ題が「The Magnificent Seven 」(素晴らしい7人)だったのだ。
無名のイタリア人監督がスペインで日本映画の西部劇風リメイクを制作するという
如何にも胡散臭い企画ではあったが、
「ローハイド」出演の際の契約で、
他のハリウッド映画に出演できなかった
イーストウッドは、小遣い稼ぎと
ヨーロッパへの物見遊山気分半ばでオファーを受諾した。

それでも、イーストウッドは名無しの男の役作りに励んだ。
ブルーのジーンズをハリウッドで、帽子をサンタモニカで、
葉巻をビバリーヒルズで買った。
また「ローハイド」で使っていた、
蛇の飾りがついた銃のグリップも持ち込んだ。
ポンチョはスペインで手に入れた。

撮影はスペインのアルメリア地方で行われた。
この作品にはアメリカ、ドイツ、イタリアなど様々な国の俳優が出演しているため、
撮影時にはそれぞれの母国語でセリフを喋り、
イタリア公開時にはイタリア語、
アメリカ公開時には英語に、台詞が吹き替えられた。

結果、アメリカで大ヒット
1960年代初期からイタリアでは西部劇が作られおり、
軽侮をこめて「マカロニ・ウエスタン」と呼ばれていた。
そのイタリア製の西部劇、マカロニ・ウェスタンが世界的に知られるようになったのは
「荒野の用心棒」のアメリカにおける大ヒットからである。

アメリカに帰国後、再び「ローハイド」に出演していたイーストウッドは
ヨーロッパ全域で「A Fistful of Dollars」(一握りのドル)という映画が
人気を博しているという噂を耳にしたが、
それが自分が主演した「Magnificent Stranger」のことであるとは
全く知らなかった。


ヒットを受けて、イーストウッドは
「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」といった
マカロニ・ウエスタンに出演して、人気を得、
ハリウッドに凱旋。
その後大監督となっていくきっかけが
「荒野の用心棒」出演だったのだから、
人の運命は分からないものだ。

クェンティン・タランティーノ監督の
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」 (2019) には、
これによく似た話が描かれる。
かつてテレビの西部劇ドラマで人気を博した俳優
リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオが演ずる)は、
今は落ち目。
そこへマカロニ・ウエスタンの出演をオファーされる。
質の低いイタリア西部劇への出演は「都落ち」であると思いつつ、
いやいやイタリアに出かける。
イーストウッドがモデル?

黒澤作品は海外での評価が高いだけに、
他にもリメイクされており、
ジョン・スタージェス監督の「荒野の七人」
「七人の侍」のリメイクであることは、あまりに有名。


これは盗作ではなく、正式なリメイクで、
ユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーン、
チャールズ・ブロンソン、ロバート・ヴォーン、
ホルスト・ブッフホルツ、ジェームズ・コバーン
という、その後のハリウッドを飾る俳優たちの出世作となった。

ユル・ブリンナーが「七人の侍」に感銘を受け製作した
オマージュ色の強い作品のため、
大まかなあらすじ・登場人物の設定・台詞などの多くが忠実に再現され、
西部劇の古典とも言える名作となった。
エルマー・バーンスタインの音楽も古典となった。

その後、2016年には、
「マグニフィセント・セブン」として再リメイクされている。

マーティン・リット監督、
ポール・ニューマン、ローレンス・ハーヴェイ主演の「暴行」(1964)は
「羅生門」のリメイク。
これも舞台を西部劇に移し替えている。

ウォルター・ヒル監督の「ラストマン・スタンディング」は、
「用心棒」を、1930年代のギャング社会の設定でリメイクした、
ブルース・ウイリス主演のアクション映画。
アイルランド系とイタリア系のギャングが睨み合う町を訪れた男が、
二つの勢力を衝突させ、壊滅させる話。

リメイクではないが、1992年公開の
ケヴィン・コスナー主演の「ボディガード」で、
主人公たちが映画を見る場面で「用心棒」が登場し、
1シーンがそのまま使われている。
作品のタイトル自体が「用心棒」のアメリカ公開時の英題であり、
他にも劇中で本作を含む黒澤作品へのオマージュが見られる。

スター・ウォーズシリーズも黒澤作品から部分的な影響を受けている。
シリーズ1作目
「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」(1977)のストーリーのアイデアは、
「隠し砦の三悪人」を元にしており、
C―3POとR2D2は、
同作の登場人物である百姓の太平と又七がモデルであることを
ジョージ・ルーカス自身が認めている。

 


小説『此の世の果ての殺人』

2023年01月27日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

「この世の果て」とは、
北極でもないし、
シベリアの奥地でも砂漠の荒地でもない。
福岡県太宰府市。
なぜ、そこが「この世の果て」かというと、
直径7.7㎞を超える小惑星が地球に衝突するため、
人々が日本を脱出して、
ゴーストタウンと化した人気(ひとけ)のない町だからだ。
小惑星が衝突する日も分かっている。
2023年3月7日。
(本書の刊行日は2022年8月22日)
TNT火薬にして4千5百万メガトンに相当する
運動エネルギーを携えて、
小惑星が地球軌道と交差する。
地表に対して20度の低角度で突入、
中国上空を通過して南東に進み、
熊本県阿蘇郡に衝突

発見された時は、衝突を回避することは出来ない状態だった。
(昔、映画「妖星ゴラス」(1962)では、
 南極にロケット推進装置を沢山並べて噴射、
 地球の公転軌道をずらして惑星との衝突を回避する、
 というのがあった。)


しかも、各国政府は、「国民の不安を煽ることを控え」て、
情報を公表せず、
衝突の半年前の2022年9月7日になって世界的に情報が提供された。
それから世界各地で暴動が発生し、
9月7日の会見から3週間で、
1億5千万人が死亡した。

中でも衝突地点を抱える日本の混乱は凄まじいもので、
アジア及びオセアニアの住民は
衝突予測地点から少しでも遠ざかろうと、
南アメリカ大陸を目指して大移動を始めた。

物語の始まる2022年12月30日現在、
日本に残っている人間はほとんどいない。

で、小説の舞台である福岡県も「此の世の果て」というわけだ。

もっとも、南アメリカに逃げようと、
アフリカだろうと、地理的に逃げても、災害は及び、
衝突の衝撃と巻き上げた粉塵が大気を覆うことで、
地上は冷却化、人類の滅亡は逃れない。
金持たちは、宇宙船で脱出する「方舟」計画を立て、
また、シェルターで難を逃れようとする人々もいる。

しかし、大部分の庶民は、
そんな恩恵を受けるわけもなく、
ただ死ぬのを待つだけだ。

そういうわけで、住民がいない廃墟の町で物語は展開する。

主人公は、23歳の小春=ハル。
母は発表後、いずこへか逃走し、
父は自殺。
引き籠もりの弟・セイゴと一緒に住んでいる。
コンビニを営んでいたので、
その食料をため込んでおり、
とりあえず生き延びている。

そのハル、教習所に通い始めた。
教官はイサガワ先生という女性。
今日は仮免の山道教習。
その行き先の山で、
首吊り自殺した人々の死体を大量に見ることになる。
そして、翌日、教習車の中に惨殺死体を発見する。
殺された女性は弁護士だったらしい。
更に、惨殺された青年の死体が2件続く。
警察に届けるが、
機能を停止した警察には、一人の警察官しか残っていない。
しかし、そこで、イサガワ先生が退職した元警官だったことが分かる。

ハルとイサガワ先生は、
この殺人事件の犯人を求めて、捜査することになる。

動機は怨恨でろうか?──もうすぐ皆死ぬのに。
では、金銭トラブル?──もうすぐ皆死ぬのに。
それとも痴情の縺れ?──もうすぐ皆死ぬのに。

というわけで、もうすぐ皆死ぬのだから、
捜査して、犯人を捕まえても、
何にもならない捜査を続けていく。

という設定の面白さ。

事件は捜査されないまま、人類は滅亡する。
犯人も死ぬ。
どうせみんな死ぬのなら仕方ない、諦めよう。
──本当にそれでいいのか。

なにしろ、小惑星衝突が発表されて以来、
全世界で殺人、強姦、強盗、放火などの
重大犯罪が多量に発生しているのだ。
暴動が日常化し、集団自殺も大流行。

そんな中、あと2カ月あまりで地球が滅亡するという時に、
自動車教習所に通う女性と、
それに運転を教える教官、というのがシュール。
もっとも、ハルは実は教習所にガソリンを盗みに行って、
そこで教官のイサガワに会ってしまったため、
苦し紛れに免許を取りたい、と言っただけなのだが。

しかし、ゴーストタウンと化した町を巡ってみると、
残っている人も発見する。
電気も水道なガスもないのに。
医者をやめていない人、
弱い携帯電話の電波を求めて、
高い建物の屋上に集まる人。
残った人を集めて組織的に食料を与えている残留村の人々。
アジア各地に移動した日本人たちは、
現地で迫害を受けているという。
そんな目に遇うなら、この日本で命を終えたいという人々。

ハルとイサガワは、
刑務所から脱獄した兄を守る暁人、光の兄弟と出会い、
行動を共にする。
警察を一人で守る刑事たちとも知り合う。

やがて、惨殺された青年2人と弟・セイゴの間に共通項を発見。
更に、教習所の車の中にいた被害者の弁護士との関わりも見つけ・・・

人類滅亡前の殺人事件の捜査、という設定が
思いつきではなく、
物語の展開とうまく機能する。
そういう意味で、
極端な設定が上手に生きた成功作だといえよう。

昨年の江戸川乱歩賞受章作
史上最年少の受章者として話題になったのは、
荒木あかね、23歳。
選考委員満場一致だった。
選考委員の評価↓

本格ミステリーの骨法もよく心得ている(綾辻行人)
特A、もしくはA+、もしくはAA(月村了衛)
二人の女性のバディ感が最高に楽しい(柴田よしき)
極限状況で生きてゆくひとが、愛しくなる(新井素子)
非日常を日常に落とし込む、その手捌きは実に秀逸である(京極夏彦)

次作が期待される大型新人の登場。


私の映画体験

2023年01月26日 23時00分00秒 | 映画関係

それでは、昨日の映画紹介「エンドロールのつづき」で予告した、
私の映画体験を。

私の最も古い映画の記憶は、
「バンビ」だったと思う。
といっても、森の火事のシーンが憶えているくらい。

幼少期住んでいた伊豆の町から
電車で行く三島には、
5つの映画館があり、
私は三島大社の脇にあったエトアールという映画館で、
東映の三本立て映画に夢中になった。
「笛吹童子」とか「三日月童子」といった類の映画。
当時人気の中村錦之助より、東千代之介の方がお気に入りだった。

狩野川を渡った古奈には、
あやめ座という、映画館があり、
そこで、「七人の侍」を観た記憶がある。
座席ではなく、畳敷きの映画館で、
満員の中で「七人の侍」を観た。

小学校2年か3年の時だったと思うが、
父親が三島からおみやげを買って帰って来た。

それがおもちゃの映写機
60ワットの白熱球を入れて、
フィルム(ちゃんとした35㎜のもの)を装填し、
手廻しで回すと、
壁に映画が映った。
ディズニーのアニメで、
ミッキーマウスが輪の中を出たり入ったりした。
光源とフィルムとスクリーン
ああ、映画というのは、こうやって映しだされるのか、
と子供心に衝撃だった。
(あの機械、980円だったというが、
当時の貨幣価値では高価ったのではないか) 

しかし、近所に映写機など持っている家はなく、
唯一、持っていた同級生の家から
フィルムを借りてきて、
壁に映した。
海に浮かんだ水兵が泳いでいた。

フィルムが、ほとんど手に入らない。
では、作るしかない
紙を切って糊で貼り、
長いテープ状のものを作って、
それを一コマずつに線で区切り、
そこに馬の足の駆ける様を
少しずつ動かして描いた。
ただ、紙で、フィルムではないから、
映写することは出来ず、
想像の中で動かすだけだった。

やがて、本当にフィルムを作ることが出来る時がやって来る。
中学1年の時。
友達の家に8ミリカメラと映写機がやって来た。

それを借りて、フィルムを買い、
仲間と一緒に8ミリ映画を作った。
当時のヒット映画「地下鉄のザジ」(ルイ・マル監督 1960)を真似した
トリック撮影専門で、
レンズを半分隠して撮影し、
フィルムを巻き戻して、反対側を隠して撮影、
一人二役の合成画面を作ったり、
カメラの天地を逆にして撮影し、
フィルムを逆につないで、
食べ物が次々と口から皿に戻る映像などを作っていた。

中学の自由研究発表は、
映画の方式について。
シネラマやシネマスコープ、ビスタビジョンなどを
フィルムの実物付きで説明した。
同級生の父親が東洋現像所に勤めており、
フィルムの断片をもらうことができたのだ。

シネマスコープのフィルムを見た時の衝撃は忘れられない。
3台の映写機で投映するシネラマに対抗して発明されたシネマスコープ。
横長の画面を、普通の35㎜のフィルムにどうやって収めるのか。
撮影カメラの前に特殊なレンズ
(アナモフィック・レンズという)
を取り付けて、左右を縮小して記録し、
上映時、レンズの前に、同様のレンズを付けて、
左右を拡大して上映。
すごいことを考え、実用化したものだ、と感心した。

話を8ミリ映画に戻す。
当時のは16ミリフィルムの片側だけに撮影して、
終わるとこれを逆に入れ替えて、
残りの片側に撮影、
現像所に出すと半分に裁断してつなげた8ミリの形で戻って来た。
フィルムを送る穴(パーフォレーション)が片側にしか付いていないのは、そのため。
片側2分強で、一旦カメラを開けて逆転しなければならないから、
露光の危険があり、
黒い袋の中での手さぐり作業で
うまくフィルムを通すことが出来ず、
失敗の原因となった。

この操作をなくし、
どんな人でも撮影可能にしたのが「スーパー8」「シングル8」の登場で、
最初から8ミリの形でマガジンに入っていて、
カメラに装着すればよく、反転の必要がなくなった。また、フィルムの送り穴を小さくし、
画面の面積を1.5倍にして、
コマ数も1秒間に16コマから18コマにして画質を向上させた。
スーパー8はコダック社が開発。(1964年、昭和39年)
翌1965年にフジフィルムから発売されたのがシングル8。
カメラに装着すればすぐ撮影でき、
女優の扇千景(後の国会議員)がコマーシャルで言った
「私にも写せます」
が流行語になり、主婦層が8ミリカメラを手にした。
「マガジン、ポン! フジカ・シングルエ~イト」
というCMソングを覚えている方も多いことだろう。

その後、お金の続く限りフィルムを買って撮影し、
頼まれて学生団体の行事の記録映画を2本作ったことがある。
一つは山中湖畔で行われたセミナーの記録。
フィルムを巻き戻して「第1日目」「第2日目」などの文字を
映像に重ねるなどの凝った作りをしていた。

学園祭の様子を記録したものも作った。
この映画は、トーキーだった。

まだフィルムに磁気コーティングされるのが始まる前で、
8ミリ映画は基本、サイレントだった。
しかし、やはり音が欲しくなるのは自然だ。
テープレコーダーと連動させればトーキーにはなるが、
次第に音と映像がずれていくのが泣きどころだった。
オープンデッキテープのテープ駆動部分に
縞模様を張り付けてシンクロさせる方法など、
いろいろな工夫があった。

私のトーキーもテープレコーダーを使うのだが、
上映時、音と画像を見事に一致させた。
どうやったか?
語学学習用テープレコーダーの2チャンネルのテープの片側に
映像説明とカットの信号(舌打ちの音)を入れ、
もう一つのチャンネルにナレーションと音楽を入れる。
上映時は、
音楽や実音の音声をスピーカーから再生、
もう片方の説明の音をイヤホンで聴きながら、
映写機のスピード端子を微調整しながらシンクロさせる、
という方法。
音は速度を変えるとへんな音になるからそのままで、
誤魔化しの効く映像のスピードを調整したのだ。
舌打ち音とカットを一致させるのがミソ。

ついでに書くと、
テープレコーダーにまだステレオ音声がなかった時代、
ステレオで録音する方法を編み出した。
テープ録音というのは、テープの半分づつに録音して
往復で使用する。
そこで、2台のテープレコーダーを並べて置き、
それぞれにマイクを設置、
テープが1台目を通った後、
テープをひねって2台目の機械のヘッドに通すと、
テープの上下半分ずつに録音される。
つまり、2台の機械で2チャンネル録音。
再生するとちゃんとステレオになった。
おそらく世界で誰もしたことのないステレオ方式
(ただし、実用性なし)
を編み出した。

更に関連話題は続く。
昔、ラジオでステレオ放送があったのはご存じだろうか。
今は映画もラジオもテレビもステレオが当たり前だが、
昔(50年前)はモノラル放送しかなかった。

では、どうやってステレオ放送をしたか。

夕方、ラジオを2台用意して、
左のラジオを文化放送、
右のラジオをニッポン放送に合わせると、
ジャズやクラシックがステレオで楽しめた。
要するに、二つの放送局が提携して、
左チャンネル、右チャンネルに音を振り分けて放送したわけだ。
確かスポンサーはサンスイだったように記憶している。
我が家では、ラジオが同じ機種でなかったので、
音質が微妙に違ったが、
音が立体的に聞けることに、子ども心に興奮した。

いにしえの時代の技術者たちの工夫の産物だ。

話を8ミリ映画に戻すと、
そのうち、現像に出す時希望すると、
フィルムの端に磁性体を塗ってくれるようになって、
サウンドトラックを獲得。
録音再生が出来る映写機で、トーキー映画が出来るようになった。

それはさておき、
子供の頃の紙製フィルムは更に発展し、
架空の映画のクレジットタイトルを沢山作った。
あの巻物は引っ越しの繰り返しで無くしてしまったが、
残っていれば、宝だったろう。
ついでに書くと、
架空の映画上映会社を作って、
都内に多数の映画館を所有。
その1年分の上映スケジュールを作って悦に入っていた。
映像方式もシネラマかから360度映画
最後は全天周映画も作った。

1970年の大阪万博で360度映画や
1985年の、筑波万博の富士通館が全天周映画が登場する
遥か前に私の想像の世界では、
多数の映像実験をしていたのだ。


どうやら、私は職業の選択を間違えたようだ。
今でもアイマッククスや4DXやSCREENXなど、
新たな方式が出ると、すぐに行ってしまう。

やがてビデオ・テープレコーダーが登場し、
家庭用ビデオカメラが出来、
当初カメラと録画部分が別で
大重量に苦労した時代から
カメラと録画部分が一体となり、
8ミリビデオやVHS-Cの登場で軽量化が進み、
今は内蔵メモリーに録画する時代になった。
ビデオの編集もソフトの充実でお手軽に出来るようになった。
今ではデジカメやスマホで録画をする時代だ。
映像の保有もビデオテープからDVD、ブルーレイと進み、
今では配信で映画が見られる
こんな時代が来ることを誰が予想しただろうか。

それでも8ミリ愛好家は今でもおり、
さすがに撮影機は新しいのは出ないが、
フィルムの方は売られているという。

私の家には、映写機はないが、
編集機は残っており、
それで昔のフィルムを見ることは出来る。

というわけで、子供の時からの
私の映画体験。
「エンドクレジットのつづき」を観てて、
思い出したので、
ひさしぶりの「思い出ポロポロ」として掲載。