空飛ぶ自由人・2

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日枝神社に初詣

2023年01月08日 23時00分00秒 | 身辺雑記

今日は、朝から溜池山王駅へ。

今年の初詣。
今日、日枝(ひえ)神社へ行ってきました。

来るのは15年ぶり、
3度目ですが、
以前は桜を観に来たので、
今回が本格的な参拝。

千代田区永田町にあるこの神社。
江戸三大祭が行われる、由緒ある神社です。

江戸三大祭とは、次の3つ。
神田祭(神田神社で行われる祭)
山王祭(日枝神社で行われる祭)
深川祭(富岡八幡宮で行われる祭)

公道に面した山王橋。

長い階段なので、エスカレーターが設置されています。

横から見たところ。

頂上から見たところ。
この神社がかなりの小高い丘の上にあるのが分かります。

大山咋神(おおやまくいのかみ)を主祭神とし、
相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、
伊弉冉神(いざなみのかみ)、
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀ります。

これが正面の神門

境内。

本殿です。

創建の年代は不詳で、
文明10年(1478年)、
太田道灌が江戸城築城にあたり、
川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である
川越日枝神社を勧請したのに始まりとされています。
徳川家康が江戸に移封されたとき、
城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としました。

慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、
社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、
庶民が参拝できるようになりました。

明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失したため、
万治2年(1659年)、将軍家綱が
赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、
現在地に遷座したものです。

昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失し、
昭和33年(1958年)に再建されました。

江戸城が皇居となったことで、
日枝神社は皇居の守り神「皇城の鎮」として崇められています。

求めに応じてご祈祷していただけます。

おみくじは日本の文化。

お神酒が供されていました。

背景の近代的なビルとのコントラスト。

御朱印と絵馬。

これは、併設された神社。

神社の中に神社があるのが包容力。

中の様子。

ここから稲荷参道になります。

朱色の鳥居が立ち並ぶ「千本鳥居」が光り輝き、
鳥居に添うように奉納幟がはためいています。

稲荷の鳥居は社殿と同様、
稲荷塗」といわれるもので、
赤ではなく朱(あけ)で彩色するのが慣例です。
この「あけ」という言葉は、
赤・明・茜といった明るい希望の気持ちをその語感で連想させ、
さらにこの色合いには
生命・大地・生産の力をもって稲荷大神様の御霊(みたま)の働きとする
強烈な信仰が宿っています。

この下にも鳥居が。

赤坂方面から来ると、この鳥居が迎えます。

今度は下から上へ。

巫女さんたち。

こういう施設も。

各所に、のぼりが。

宝物殿

入ったところに立つのは、

太田道灌像。

現在保存されている刀剣は31口で、
そのうち国宝1口・重要文化財14口・重要美術品1口があります。

第3代将軍家光の朱印状

徳川家康の朱印状。

出口で撮影禁止だったことに気づきました。

すみません、撮っちゃいました。

脇には、さざれ石が。

これが男坂。女坂もあります。

山王鳥居

実は、こちらが表参道なのです。

やはり、神社は日本の宗教文化。

身がひきしまります。