空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『蚕の王』

2022年05月30日 22時54分33秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

安東能明による、
「二俣事件」を題材にした小説。
安東氏は二俣町の出身。


二俣事件とは、
昭和25年に、
静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で発生した、
殺人事件
逮捕・起訴された少年は一審、二審ともに死刑判決を受けたが、
最高裁は原判決を破棄、
差し戻した後の地裁も高裁も無罪判決を出した。
死刑囚が冤罪として無罪になった初の事例。
同じ静岡県内で起きた袴田事件と並ぶ冤罪事件の一つとして知られる。


一部を除き匿名で描かれる。

昭和25年1月6日、
二俣町で、就寝中の父母と2歳の長女、
生後11か月の次女の4人が殺害された。
父親と母親は鋭利な刃物での刺殺、
長女は扼殺、次女は母親の遺体の下で窒息死した。
被害者宅の時計は針が11時2分を指した状態で破損し、
犯人の指と推測される指紋が付着していた。
建物周辺には被害者一家の靴と合致しない27cmの靴跡痕があり、
犯行に使用した刃物と被害者の血痕が付着した手袋が発見された。
犯行現場には血痕がついた新聞が残されており、
犯人は殺害した後に新聞を読んでいた可能性がある。
同じ部屋にいた長男と次男と三男及び
隣の部屋にいた祖母は無事で、
朝に起きて殺人に気づいたという。

2月23日、警察は近所の住人である少年(当時18歳・小説の中では木内郁夫)を
被疑者と推測して別件逮捕し、
少年が4人を殺害したとの供述調書を報道機関に公表、
少年を強盗殺人の罪で起訴した。

しかし、少年が無実であることは、
以下の内容から確実である。

破損した時計に付着していた、
犯人のものと推測される指紋は
少年の指紋と合致しない。
少年の着衣・所持している衣服・その他の所持品から、
被害者一家の血痕は検出されていない。
少年の足・靴のサイズは24cmであり、
27cmの靴跡痕とは合致しない。
被害者一家の殺害に使用された鋭利な刃物を少年が入手した証明が無い。
司法解剖の結果、4人の死亡推定時刻はいずれも夜11時前後であり
(検察が主張する犯行時刻は夜9時)、
少年は11時頃には父の営む中華そば店の手伝いで
麻雀店に出前に来ていたという麻雀店店主の証言がある。

しかし、少年は犯行を認めて自白し、
その供述調書が証拠として採用された。
物証には乏しかった。
また少年が犯行日時に麻雀店にいたというアリバイがあったが、
警察は少年が以前観た映画からヒントを得て、
時計を進めて11時2分が犯行時間であるように細工したとしている。

では、なぜ少年が自白したか。
当時静岡県警察の警部補であった赤松完治による、
拷問での尋問と自白強要があり、
供述調書が作成されたのだ。

小説の中で描かれた赤松は、
実名は紅林麻雄といい、
拷問による尋問、自白の強要によって得られた
供述調書の捏造を以前から行っており、
幸浦(さちうら)事件や小島(おじま)事件の
冤罪事件を起こしている。
そのどちらも死刑判決を受けたものの、
後に無罪となった。

本事件を捜査していた山崎兵八刑事(小説の中では吉村刑事)は
読売新聞社に対して、
警部補の拷問による尋問、自白の強要、
自己の先入観に合致させた供述調書の捏造を告発した。
法廷では弁護側証人として
警部補が前記のような捜査方法の常習者であり、
県警の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する
傾向があると証言した。
県警は告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、
精神鑑定で「妄想性痴呆症」とされ、
警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした。

小説は、作家(安東)が
当時の地元住人にインタビューする場面をはさみながら、
現職の吉村刑事、既に退職していた城戸孝吉の
裁判での証言、
赤松警部がなぜそのような捜査方法を取るようになったかという
原点である「浜松事件」を詳述する。

そして、清瀬一郎弁護士(実名。国会議長もつとめた人物)と出会い、
その尽力で、最高裁判での差し戻し、
地裁、高裁での無罪判決の獲得までを描く。
最後に筆者自身の真犯人の指摘までする。

赤松完治は戦前から戦中の連続殺人事件の捜査を通じて
絶対的な名声を得て、多数の表彰を受けている。
二俣事件では物的証拠を無視し、
素行不良の人間たちを延々と取り調べる様子がつづられる。
一方で、部下の面倒をよくみたり、
事件の裁判では、まるで犯行を目撃したかのように証言して
裁判官まで聞き入らせたりする、
カリスマ性のある人物だったようだ。

赤松の証言における少年の犯罪の詳細は、
全て赤松の捏造で、
「犯人しか知り得ぬ事柄」は、
捜査本部にはいくらでも事例はあるので、
捏造は簡単である。

一審、二審では死刑判決を受けたが、
昭和史に残る名弁護士・清瀬一郎がかかわることにより、
最高裁の差し戻しと地裁、高裁での無罪判決を獲得する。
最高裁は「自白の信用性」を争点に原判決を破棄。
差し戻した後の静岡地裁は
「自白の任意性に疑いがある」として無罪判決を出し、
控訴審の東京高裁もこれを支持し、
昭和57年に無罪が確定した。
元少年は無罪判決は得たが、
6年7か月身柄拘束され、
無罪確定までの7年8ヶ月、被告人の立場にあった。
家族は困窮し、塗炭の苦しみをした。
元少年は2008年10月、77歳で死去した。

清瀬一郎は、
GHQに談判して、
拷問禁止の事項を憲法に導入させた人物。
憲法第三十六条に、
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
という条文があるが、
「絶対に」と強調をした、異例の条文で、
それも、戦前の警察が
権力を乱用して、拷問をしていたことの反映だろう。
赤松は、その戦前の体質をそのまま引き継いだ人物だったのだ。
浜松は当時全国有数の養蚕地で、
蚕を育てている家がたくさんにあった。
そんな土地から「拷問王」と呼ばれる怪物が生まれたということから、
「蚕の王」というタイトルをつけたという。

紅林麻雄(赤松完治)は担当した事件が次々と差し戻され、
無罪になるのに連動して左遷され、
最後は交番勤務にまで落ちぶれ、
世間や警察内部から非難され精神的に疲弊し、
昭和38年7月に幸浦事件の被告人に対する
無罪判決が確定したことにより、
気力が尽きて警察を引退。
同年9月に脳出血により急死した。

こうして冤罪は暴かれ、
元少年は無罪になったが、
実際殺人は行われ、真犯人はいたはずである。
しかし、警察は、少年を犯人視して以降は
捜査を行わなかったので、
真犯人を探し出すことはできなかった。
また、真犯人の捜査を開始することは、
警察の間違いを認めることになるので、
そうはできなかったのである。

既に書いたように、
筆者自身の指摘する真犯人だが、
既に亡くなった人で、
抗弁のしようがない。
わざわざそんなことをする必要もあるまいに。

被疑者による現場検証に
報道陣が同道し、
写真を撮影するなど、
今とは違う当時の状況が描かれて、興味深かった。

 


映画『大河への道』

2022年05月29日 22時57分34秒 | 映画関係

[映画紹介]

題名の「大河」とは、実は「大河ドラマ」のこと。
千葉県香取市が、町おこしのため、
郷土の偉人・伊能忠敬を主役にした
大河ドラマを提案することで、
いろいろ苦労する話。

はじめは、市役所の総務課に勤める池本保治の
会議で発言を求められた時の苦し紛れの提案だったが、
知事の肝入りの企画に発展、
知事から直々指名を受けた大物脚本家・渡辺のところに
池本が依頼に訪れると、ケンもホロロの対応。
この渡辺という男、偏屈で、
テレビ界に絶望して、
もう20年間も作品を発表していない。
そこで、伊能忠敬記念館に招き、
忠敬の作った日本地図が
現代の衛星写真とほぼ一致することを見ると、
ようやく腰を上げて取り組み始めた。
しかし、あらすじ披露の会を設けると、
渡辺は衝撃的事実を口にする。
伊能忠敬は、日本地図を完成していない。
地図完成の3年前に亡くなっていて
地図は、その志を受けた弟子たちによって完成されたというのだ。

そこで、映画は渡辺の作るのあらすじに入る。
つまり、江戸時代の話になる。
伊能忠敬が完成前に亡くなっていたのは史実で、
弟子たちは悲しみの中、
師匠の志を継いで地図を完成させるため、
忠敬の死を隠して作業を続ける。
忠敬が亡くなったのは1818年で、
地図の完成が1821年。
弟子たちは、3年間も師匠の死を秘匿し続ける。
しかし、幕府を騙して、
公金を拠出させていることが露見すれば死罪は免れない。
いつまでたっても地図は完成せず
伊能が顔も見せない事を不審に思った勘定方は、
事実を探るために捜査員を派遣するが、
弟子たちは、お上からの追及をのらりくらりかわしてゆく。

地図完成の指揮を取るのは、
幕府に仕える天文学者・高橋景保(たかはしかげやす)。
伊能が50歳になって師事した天文学者・高橋至時(たかはしよしとき)の息子。
これを香取市役所の職員、池本保治役の中井喜一が二役で演ずる。
その他、地図作製の人物を
松山ケンイチ北川景子など、
香取市役所の職員が、それぞれ一人二役で演じるのがミソ。

原作は立川志の輔の創作落語「伊能忠敬物語―大河への道―」


志の輔落語の映画化は、過去に「歓喜の歌」がある。
監督は中西健二
脚本は森下佳子が担当。

面白い着想で、
予告編は、ハチャメチャな話に見えたが、
意外と真面目に、
歴史の裏面を解明する。
元々志の輔が伊能忠敬記念館を訪れた際に
忠敬が製作した正確無比な日本地図を観て感動し、
この感動を落語にと思って作ったもので、
映画の内容と一致する。

ついに、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)が完成し、
十一代将軍・徳川家斉にお披露目するシーンは、
ちょっと感動する。
家斉は、自らの治める日の本の国の形とその美しさに感嘆し、
高橋の持参した伊能の形見の草鞋に、
「大義であった」と、その労をねぎらう。
この家斉を、アノ俳優が演ずる。
意外性があるので、あえて書かない。

この時の伊能図大図が見事で、
CGによるのだが、
よくこんな形で再現出来たものだと感心する。

歴史物語を現代と過去を飛躍させながら語るという、
着想を映像化した、
ちょっと面白い映画。


自分の住む土地のことは、
地図がない限り分からないわけで、
将軍が日本の国の形に感動する気持ちも分かる。
また、忠敬の遺志を継いで地図を完成した人々のことは、
誰も知らない。
たとえば、ツタンカーメンの仮面を見た時、
ツタンカーメンのことは思っても、
その美術品を実際に作った職人たちのことは知らない。
だが、その職人たちは、
何千年もの後の人々が
その希有な美しさに感動することを知らずとも、
これだけのものを作ったことに満足して死んでいったのだろう。
そういう人物に光を当てたことでも、
この映画は意義がある。


           
伊能忠敬(いのうただたか 1745~1818)は、
1800年から1816年まで、
17年をかけて日本全国を測量して、
「大日本沿海輿地全図」を完成させた。
死後、完成させたのは弟子たちだということは、
この映画で初めて知った。

1821年7月10日、
「大日本沿海輿地全図」は、
江戸城に登城し、
地図を広げて上程した。
9月4日、忠敬の喪が発せられた。
忠敬は死の直前、
「死んだ後は、高橋至時先生のそばで眠りたい」
と語ったため墓地は高橋至時・景保父子と同じ上野の源空寺にある。

幕府に提出された伊能図
(全て手書きの彩色地図。
3種の縮尺の地図で、大図、中図、小図と呼ぶ)は、
江戸城紅葉山文庫に秘蔵され、
一般の目に触れることはなかった。
あまりに詳細な地図のため、
国防上の問題から幕府が流布を禁じたのだ。


開国後の1861年、
イギリス海軍の測量艦アクテオン号が、
日本沿岸の測量を強行しようとした際、
たまたま幕府役人が所有していた伊能小図の写しを見て、
その優秀さに驚き、
測量計画を中止して
幕府からその写しを入手することで引き下がったという。
このときの伊能図の写しを元に
1863年にイギリスで「日本と朝鮮近傍の沿海図」として刊行され、
日本に逆輸入されて、勝海舟の手によって
1867年に「大日本国沿海略図」として木版刊行された。
これにより伊能図を秘匿する意味がなくなったため、
同年には幕府開成所からも
伊能小図を元にした「官板実測日本地図」が発行され、
小図のみとはいえようやく一般の目に供されるようになった。

高橋景保は、1828年のシーボルト事件の際、
長崎オランダ商館付の医師であるシーボルトに
禁制品である伊能図を贈ったことが露顕し、
逮捕され、翌年獄死。
享年45。
獄死後、遺体は塩漬けにされて保存され、
翌年、改めて引き出されて
罪状申し渡しの上斬首刑に処せられている。
このため、公式記録では死因は斬罪という形になっている。
ひどいことをするものだ。

忠敬は、深川に住み、
測量旅行に出発する際は、
その成功を祈願して、
富岡八幡に参拝してから出発した。
今も銅像が富岡八幡境内にある。
↓は筆者が撮ったもの。


前にいる猫は像とは関係ない。

↓は、「大図」214枚の全景 (レプリカ) を見る人達。

 


地球の歩き方・旅の図鑑シリーズ

2022年05月27日 23時00分01秒 | 書籍関係

昨日のブログ「本郷散策」で、
「タモリ倶楽部」に触れましたが、
それは、↓のような内容。

「地球の歩き方」
コロナ禍で海外旅行ができないため、
売上が9割減少しているという。
そこで、方向転換して、
「旅の図鑑シリーズ」というのを出したら、
起死回生のヒットをしている。
海外取材はできないのだが、
今までのストックを活用して編集。
「世界のグルメ図鑑」や「世界のすごい巨像」などが

好調だという。

そこで、さっそく図書館で借りたのが、↓。

「世界197カ国のふしぎな聖地&パワースポット」

                                        

「世界のすごい島300」


「世界の魅力的な奇岩と巨石139選」

「世界なんでもランキング」


それぞれパラパラとめくって読むのは面白い。

ただ、写真が満載すぎて、小さいのが難か。

出版社も大変だね。


↓は、同時に借りた、「奇界遺産3」

世界の不思議な景色、風俗、建造物、施設の写真集。
佐藤健寿という人が
世界中のヘンなところを回って撮影したもの。
既に「1」と「2」が出ており、
「タモリ倶楽部」や「クレージージャーニー」などで紹介されて、
人気が高い。

A4判より少し大きい大型本だ。
これを見ると、
つくづく、世界は広い、と思わざるを得ない。

今回の写真の中では、
中国の内モンゴル自治区に作られた
マトリョーシカ・ホテルが一番面白かった。

外観はマトリョーシカそのもので、
中が空洞、
壁に沿って客室が作られている構造。

一度泊まってみたいものだ。


本郷散策

2022年05月26日 23時21分48秒 | 身辺雑記

本日は、誕生日

75歳になってしまいました。

私は常々、

「人間は75歳でダメになる」

と言っていましたが、

ついに、その年齢に到達。

せいぜい、その自説どおりにならないよう、

努力するつもりです。

 

で、本日は、有楽町で映画を1本見後、ここ↓へ。

この駅に来るのは、何十年ぶりでしょうか。

本郷3丁目の交差点。

このあたりは、丘陵地なので、

階段が沢山あります。

↓は、その一つ,Y字階段

春日通りを下ったところにあります。

↓は一番有名な坂、菊坂

こんな看板がありました。

このあたりも、坂が多い。

階段も多い。

↓ここは、鐙坂(あぶみざか)。

ここに入っていくと、

ここに出ます。

旧樋口一葉宅のそばの、一葉階段

↓は、1985年、

樋口一葉原作、蜷川幸雄演出「にごり江」で、

帝国劇場の舞台

朝倉摂の装置で出現したもの。

このあたりは、大正の雰囲気

この井戸も。

しかし、ここに到達するまでが大変でした。

入り組んでいて、なかなか見つからない。

表示はどこにもありません。

ここに来たのは、先日「タモリ倶楽部」の、

「地球の歩き方」の図鑑の企画で、

市川沙耶さんが「世界の階段」を提案した際に紹介していたから。

タモリも「行った,行った、二度行った」と大盛り上がり。

そういうわけで、本日の本郷階段巡りとなった次第。

75歳になりましたが、

まだ好奇心は失せていないようです。

その後は、↓ここへ。

耐震上問題があるというので

閉鎖されていました。

教育学部や経済学部の学生は、

正門回りで大変そう。

正門から入ります。

東大は、出入り自由です。

グッズ売り場がありました。

買ってしまいました。

図書館。

昔、ここで8時間、

自習机につっぷして8時間寝たことがあります。

三四郎池

安田講堂

ここが学生に占拠され、

機動隊と攻防戦を演じたことなど、

もはや伝説です。

この橋で弥生キャンパスの農学部に行けます。

国道の言問通りをまたぐのですから、

やはり国立大学の強さでしょうか。

↓は、渋谷のとは別のハチ公像

農学部の教授だった上野英三郎博士の愛犬ハチ公。

なんだか、じーんとしました。

ここまで来たのですから、

この坂にも。

上から降りる時と、

下から上がる時とで、

段数が違うというので、

「お化け階段」と呼ばれています。

私が数えてみたら、

上りモ下りも40段。

どうも、最初の1段を数えるかどうかで、

違いが出るようです。

というわけで、

根津駅から千代田線経由で帰宅。

やはり、75歳、ちょっと疲れた。

 


著作権裁判

2022年05月24日 22時58分52秒 | 様々な話題

昨日のブログで
小説「ラブカは静かに弓を持つ」を紹介したが、
その中に、著作権を巡る裁判が出て来る。
モデルにしたのが、
日本音楽著作権協会(JASRAC)と
ヤマハ等音楽教室の間で争う裁判で、
内容は,
「音楽教室でのレッスン時、
講師や生徒の演奏に著作権料は発生するのか」
という問題。

2017年2月2日、
JASRACが音楽教室から著作権料を徴収する方針を固めた、
と朝日新聞が報じた。
音楽教室側の動きは早く、
ヤマハや河合楽器製作所など教室を運営する事業者は、
この日のうちに会合を開いて結束を確認、
徴収に反対する「音楽教育を守る会」を結成した。

教室側は、2017年6月に
JASRACを相手取る訴訟を東京地裁に起こした。
音楽教室でのレッスン時の演奏について、
JASRACに著作権料を徴収する権利がない
ことを確認するよう求めるもので、
約250の事業者・団体が原告に名を連ねた。

裁判の途中、
「ラブカは静かに弓を持つ」で描かれる状況が起こる。

東京・銀座にあるヤマハの上級者向けバイオリン教室に
約2年間、
「生徒」として通って潜入調査した職員(女性)が証人として出廷。
「講師の演奏はとても美しく、コンサートを聞いているようだった」
と述べ、
「公衆に聞かせるための演奏といえる」という
JASRAC側の主張に沿う証言をしたのだ。
教室側の代理人は反対尋問で、
入会する際に職員が職業を「主婦」と偽っていたことを指摘したが、
職員は「JASRAC職員と名乗れば、
断られるかもしれないと思った」と説明した。

東京地裁は2020年2月、
「教室の生徒が支払うレッスン料には
音楽著作物の利用の対価が含まれている」とし、
指導時の演奏についても
支払い義務があるとする判決を言い渡した。
教室側の訴えを退ける、JASRAC側の全面勝訴だった。

教室側は判決を不服として控訴
控訴審の知財高裁でも両者の主張は真っ向から対立した。

教室側は「レッスンは数人で行われ、
講師と生徒の顔ぶれも基本的に固定される」として、
「不特定多数の公衆は教室に存在しない」と訴えた。
演奏の目的についても、
講師は「演奏技術の手本を示すため」、
生徒は「技術を学び練習するため」だと主張。
音楽教室は営利事業である一方で、
学校教育を補完する役割を果たしてきた点も
考慮されるべきだと訴えた。

対してJASRAC側は、
レッスン時の講師と生徒の演奏は
教室を運営する事業者の管理下にあり、
その演奏によって事業者が利益を得ているため、
事業者が楽曲を演奏しているとみなすことができる、と主張した。
契約すれば、誰でもレッスンを受けられることから、
生徒は「不特定多数の公衆」にあたるとも指摘。
教室の事業者に支払い義務がある、
と結論づけた一審判決の正当性を主張した。

さらに、弁論ではこんな訴えもあった。
「音楽著作物は作り手が涙ぐましい労力と時間をかけている。
1年間に700億円を売り上げている音楽教室業界にも、
音楽著作物の創造のサイクルに参加していただくことが公平で正しい姿だ」

教室内での演奏行為にどこまで著作権が及ぶのか、
も注目されるポイントだ。

具体的には
①生徒の演奏
②講師の演奏
③録音物の再生
という三つの演奏行為がある。
このうち、生徒の演奏については
22条をあてはめるのが難しいとみる専門家もいる。
このため、音楽教室側からは
「生徒の演奏には著作権が及ばないという部分勝訴でも
大きな収穫だ」(大手事業者の関係者)
との声もあがる。

著作権法22条:「著作者は、その著作物を、
         公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として上演し、
         又は演奏する権利を専有する。」

JASRAC側の主張の根幹にあるのは、
物理的に演奏をしているのは生徒や講師であっても、
収益をあげている音楽教室が
楽曲を利用・演奏しているとみなせるという考え方だ。
生徒の演奏も、教室の管理下にある以上は、
講師の演奏と同一視できるということになる。

1988年の最高裁判決で、
スナックでの客のカラオケの歌唱について、
店から著作権料を徴収することが認められた。
この最高裁判決の元になっている理論は俗に「カラオケ法理」、
専門的には「規範的利用主体論」といわれる。
JASRACはこの理論に基づいて、法廷闘争を勝ち抜いてきた。
仮に知財高裁が生徒の演奏に著作権が及ばないと判断すれば、
この理論にひびが入る可能性がある。
だからこそ、JASRAC側は「全面勝訴しか考えていない」と
強気の姿勢を崩さない。

高裁は一審判決を支持。
ただ、一審判決を一部変更して、
レッスン中の教師の演奏には「演奏権」が及ぶが、
生徒の演奏には「演奏権」が及ばない
(使用料を支払う義務がない)
と判断した。

JASRAC、音楽教室双方が
この判決を不服として、上告し、
今も最高裁で審理がおこなわれている。

JASRACは教室からの徴収額を
年間3億5千万~10億円と試算。
当面は楽器販売を手がける大手の教室から徴収し、
将来はネットで生徒を広く集める
個人経営の教室からも徴収する方針だ。

この経緯に対して、
世論は二つに分かれる。

①「教育」と考えて、JASRACはセコく請求するな。
 レッスン中、講師の演奏時間なんて1割もない。
 楽器を習いたての生徒の演奏なんてまとも音も出せない、
 それを著作権法第22条には該当すると言えない。
 個人的な楽しみのために楽器演奏を教え教わろうとする人達の前に
 JASRACがしゃしゃり出てきて著作権料を要求するのは、
 ヤクザがショバ代を要求する姿と重なり、粋ではない。
 そこまでみみっちく著作権料を取り立てるのは、音楽への冒涜。
 音楽人口の拡大を阻害し、音楽界を支える裾野を削ることにもなる。
 プロやトップアマの養成所ならともかく、
 個人の趣味レベルの零細な教室については、
 教育機関における音楽教育と同視して
 著作権料フリーでいい。 等々。

②音楽教室は営利企業であり、
 収益を上げているのだから、
 その一部を著作権者に還元すべき。
 作曲者や作詞者が収入を得て生計を立てるには
 著作権管理は必須。

JASRACが要求しているのは、
レッッスン代の2. 5%。

なお、宇多田ヒカルは
「私の曲は(音楽教室では)無料に使ってほしいな」
と発言している。


私は、聴衆の前での演奏かどうかは擱いていても、

著作物である楽譜を用いていることは確かなのだから、
営利企業として相当な利益を上げている
大音楽教室からは徴収し、
零細の音楽教室は免除でいいと思うが。
線引きは、生徒数で分ければいい。


著作権と言えば、私の経験
学生時代、ある合唱団の運営に関わった。
都内のホールで演奏会をした後、
しばらくして、音楽著作権協会から請求を受けた。
どうやら、ホールから協会に
プログラムを提出する
自動的なシステムができているようだ。
その時、「この曲は、誰の作曲のものですか?」
と聞かれた。
同じ題名で、複数の作曲家のものがあるらしい。
当時はまだパソコンもデータベースもない時代だから、
著作権協会の職員が
台帳をめくって調べたのだろう。

そういう経験があったので、
後に、あるところで、
ディズニーの曲を多数使った音楽プログラムを企画した時には、
事前に音楽著作権協会に申請をした。
無料の公演であることと、
事前に申請した誠意ある態度から、
著作権料を割引してもらったことを覚えている。

なお、一定の小節以下なら、
楽曲は無料で使用可能だという。