[映画紹介]
1969年のアメリカ。
宇宙開発競争でソ連に遅れを取ったアメリカは、
ケネディ大統領が提唱した
人類初の月面着陸を目指す
「アポロ計画」に全ての望みをかけていた。
しかし、プロジェクトの開始から8年が過ぎ、
失敗続きのNASA(アメリカ航空宇宙局)に、
国民の関心は薄れつつあり、
その莫大な予算が議会で問題にされていた。
その状況を打開すべく、
ニクソン大統領の側近モーは、
PRマーケティングのプロであるケリーを起用する。
ケリーは月面着陸に携わるスタッフに
そっくりな役者たちをメディアに登場させて
偽のイメージ戦略を仕掛けていくが、
NASAの発射責任者コールはそんな彼女のやり方に反発する。
いよいよアポロ11号の月面着陸の計画が進む中、
モーは万一失敗した時のために、
バックアッププランとして、
月面着陸のフェイク映像を準備するという
前代未聞の極秘ミッションをケリーに告げる。
実はケリーには秘密の過去があり、
受けざるを得ない。
ケリーの知人の監督が起用され、
NASAの構内に月面のセットが組まれ、
俳優の訓練も始まり、
撮影の準備は着々と進むが、
コールの知るところとなり、
阻止計画も密かに進行する。
やがて、モーは、
月面着陸の成功にかかわらず、
フェイク映像を使うと言いだして・・・・
アポロ11号は月に行っておらず、
月面着陸の映像はセットで撮影された偽物だ、
という都市伝説は根強く、
なにしろ当時、ソ連からも
負け惜しみのように喧伝された。
今でも陰謀説を信じている人はいる。
これを題材にした映画は、既にあり、
有名な「カプリコン・1」(ただし、火星着陸の話。 後述)、
フランス、ベルギー合作の「ムーン・ウォーカーズ」(2015)や
日本未公開の「operation Avalanche 」などがある。
なぜ同じ題材を、と思ったら、
アプローチが全く違う。
ほう、そういう方向に向かうか、
と途中から着地点が分からなくなった。
ケリーをスカーレット・ヨハンソン、
コールをチャニング・テイタムが演じ、
モー役でウッディ・ハレルソンが共演するという
超一流の俳優を揃えたのも、
見どころの一つ。
監督はグレッグ・バーランティ。
問題の月面着陸の場面では、
本物の映像と偽の映像のどちらが放送されているのか
分からなくなったりする。
そして、驚くようなハプニングがスタジオに起こり・・・
これはなかなか面白い。
伏線も用意されている。
もしそれが放送されていたら、
世界中びっくり仰天しただろう。
その方が歴史に残ったりして。
フェイク作戦が始まるのは、映画の半分あたりから。
それまではケリーとコールの
反発しあいながら引き合う、恋模様で進む。
この部分、もう少し短くできなかったか。
格納庫から発射台に運ばれるロケットの姿や
打ち上げの映像は臨場感たっぷり。
NASAの設備や構築物もリアル感があった。
5段階評価の「4」。
拡大上映中。
なお、終盤に流れる曲「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、
ジャズのスタンダード・ナンバー。
「私を月に連れて行って」といった意味。
1954年に作詞家・作曲家のバート・ハワードによって作られた曲。
ただ、最初のタイトルは「イン・アザー・ワーズ」(「他の言葉で言えば」)。
Fly me to the moon
And let me play among the stars
Let me see what Spring is like
On Jupiter and Mars
in other words,hold my hand!
in other words,darling kiss me!
様々な歌手によって歌われ、
1956年、ジョニー・マティスがアルバムに収録する際に初めて
「Fly Me to the Moon」の題が登場した。
1963年にペギー・リーが作者を説得し、
名前変更したというエピソードがある。
日本では1963年、森山加代子が「月へ帰ろう」 、
中尾ミエが「月夜にボサノバ」 のタイトルで、
日本語詞でカバーしている。
[旧作を観る]
監督 ピーター・ハイアムズ
主演 エリオット・グールド
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
1978年公開の米英合作映画。
日本では1977年に先行公開。
私は公開時に観ているが、
今回「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」公開にあたり、再見。
「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」は月面着陸だが、
こちらは、火星着陸の話。
人類初の有人火星探査を目的とした
宇宙船カプリコン1号が打ち上げられようとしていた。
カウントダウンが始まり、発射の数分前、
ハッチが開き、
三人の乗組員に退出命令が出される。
三人は、管制スタッフや見物客などに見つからぬように
船内から連れ出されて車に乗せられ、
砂漠の真ん中にある無人の古い基地へと連れていかれる。
ロケットは無人のまま打ち上げられてしまう。
三人は計画の責任者であるケラウェイ博士から、
事情の説明を受ける。
2か月前、
カプリコン・1 の生命維持システムに決定的な不具合があることが発覚し、
当初予定していた計画の遂行が不可能となった。
しかし計画の中止は、NASAの予算が大幅に削減される契機となるため、
何としても避けねばならない。
もっと大きな理由は、
「国家の威信をかけたプロジェクトを失敗させるわけにはいかない」というものだ。
そのため、無人のままのカプリコン・1 を火星に向かわせつつ、
その事実を隠し、飛行士が乗船していたと見せかけるというものだ。
人々と科学を裏切る結果になることを嫌った飛行士達は最初は
この命令を拒否するが、
家族の安全を人質に取られ、やむなく承服する。
こうして彼らは、
火星探査や地球との通信の様子などをセットの前で撮影し、
世界に公開するという大芝居に協力することとなる。
探査機から火星に降り立つ時は、
スローモーション技術を使ったりもする。
「息子に自分が火星に行ってきたと本当に言えるか」
と彼らの苦悩は深まる。
カプリコン・1による人類初の火星着陸は、
それが捏造であると明るみに出ることもなく、
滞り無く進行していくが、
帰還船が地球への再突入のショックにより
熱遮蔽板がはがれ、破壊、炎上してしまう。
三人の飛行士は存在してはならない人間になってしまったのだ。
その報告を受けた三人は、
身の危険から逃れるために砂漠の基地から脱出を図る。
奪った飛行機で荒野に不時着した三人は、
追究を逃れるため、別々な方向に逃走していく。
これに、NASAに勤める友人から、
本計画に妙な点があると告げられていた記者が、
行方不明になった友人の後を辿りつつ、
飛行士の一人の妻を取材し、
宇宙船からの夫の発言ののヒントから、
火星着陸そのものが捏造だった疑いを持つ。
2時間ほどの映画だが、
着陸映像捏造の話は半分の1時間ほどで終わり、
後は、三人の逃避行の話になる。
記者による謎解きなどミステリー要素も加わる。
当初はNASAは協力的だったが、
途中で内容を知ってから協力を拒否した。
それは、「新幹線大爆破」(1975)で、
内容を知った当時の国鉄が協力を拒否し、
新幹線での撮影が出来なくなり、
セットを作らざるをえなかったのを想起させる。
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」では、
NASAの協力を得られたという。
それは、映画を観れば分かる。
当時のコンピューターの
文字ばかりの白黒画面が出ると、
時代の進化を感ずる。
製作当時、CGもなく、
ステディカムも存在せず、
ドローンもまだ発明されていない時代のもので、
およそ50年の間に、
カメラワークを含め、
映像技術が進化したことが改めて分かる。
今だったら、こう撮っただろうという場面が随所に登場する。
そういう意味で興味深い再見だった。
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