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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

エッセイ集『針と糸』

2025年06月27日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

小説家の小川糸さんのエッセイ集。
毎日新聞日曜版に2016年10月から2018年3月まで
連載したものをまとめた。

第1章 日曜日の静けさ
第2章 母のこと
第3章 お金をかけずに幸せになる
第4章 わが家の味
第5章 双六人生

の5つの章に分かれ、
各章十数の項目を綴る。
各項目は3ページほどなので、
気軽に読める。

女性の書いたエッセイは、
私のような黄昏期の男性には
あまり胸を打つものはないが、
ドイツと日本の比較は面白かった。

というのは、小川さんはベルリンに移住し、
そこでの生活の有様を綴っているからだ。

たとえば、ドイツでは、
日曜日はお店がほとんど休みになる。
日曜日が買い物日になる日本とは大いに異なる。
                                        町全体がしーんとして、
人々は、家にいて心と体をそっと休める。
基本的に、日曜日は友人や家族と静かに過ごすのだ。
私はこの、日曜日の静けさがとても心地いいと感じた。

日曜日はお父さんもお母さんも子どももお休み。
だから、どこの家でも、
みんなが平等に家族団欒の時間を楽しめる。
そういうシステムが定着しているのだ。

だから、ベルリンから日本に戻ると、
日曜日の過ごし方に戸惑ってしまう。
行楽地に出かけたり、
デパートで買い物をしたり、
そして、ぐったりと疲労して、
疲れた顔のまま月曜日を迎え、
一週間が始まる。
いっこうに疲れが取れない。

休暇の取り方も日本とは違う。
まとめて1か月くらいバカンスを取る。

休む時は休み、働く時は働く。
勤勉に働くためには、
ちゃんとした休暇も必要で、
結果的にそうした方が効率がいいということなのだろう。

働き方も違う。

ドイツでは、長時間会社にいることが
決して評価の対象にならないというのも
よく耳にすることである。
評価どころか、むしろ減点の対象で、
休日出勤も残業も、
基本的にはありえないとのこと。
いかに効率よく時間内に仕事を終わらせるかが大事で、
仕事が終わればプライベートの時間だから、
仕事のあとまで会社の同僚と飲みにいったりすることもないそうだ。
確かに、そういう姿を見ることはほとんどない。

第3章の「お金をかけずに幸せになる」も示唆深く、
ベルリンにいると、
お金を使わなくちゃ、という脅迫観念にかられない。
どうしたらお金をかけずに楽しく生活できるか
どんどん物欲がなくなっていく、という。

半年ぶりに、日本に帰国した。
日本にいて強く感じるのは、
消費を促すあの手この手の巧みさである。
まるで、お金を払わなければ幸福が得られないと
信じ込まされているがのようだ。
日本には、物もサービスもあふれている。

コップやフライパンなど、
不用品も捨てず、
家の前の道路に出しておくと、
少しずつ持っていかれて、
最後はなくなるのだという。
日本では、不用品はお金を払って持っていってもらうのに。

「お客様は神様です」というのが日本だが、
ドイツでは対等だという。

お店でも、決して客が偉いのではなく、
店の人と客は対等である。
裏を返せば、客は、お金を払って、
店の人から商店を売ってもらっているのである。

ヨーロッパの冬は長く厳しい。
寒さはなんとか耐えられても、
つらいのは夜が長いことだという。
朝は9時くらいにならないと明るくならず、
午後も3時を過ぎるともう暗くなる。
アルコール依存症や鬱病が多いのもそのせいだ。

モンゴルに旅行した時の話も興味深い。
ゲルでのモンゴル人一家との生活。
何が最も過酷だったかというと、食事だ。
とにかく野菜が一切なかった
食事の中心となるのは、
肉と乳製品。
朝、昼、晩と、すべて肉がメイン。
モンゴルの遊牧民の中には、
生涯一度も野菜を食べずに人生を終える人もいるそうだ。

ドイツは教育は無償で、病院も金がかからない。

当然のことながら、
社会保障を充実させるためには、
税金が高くなる。
けれど、税金がきちんと自分たちの元に戻ってきていると
実感できるシステムが成り立っているので、
高くとも納得できる。

この「税金が自分たちに戻ってきているとの実感」がミソ。

ドイツ製品は、大きく、重い。
ちょっと機能がいいな、と思う製品は、みな日本製。

日本もドイツも、
物作りの才能が長けているのは一緒だけれど、
その目指しているところは違うのかもしれない、
ということに、最近気づいた。
ドイツが目指しているのは、
丈夫で、とにかく長く使うことができる製品だ。
対して日本は、
使いやすく便利な製品を生み出そうと改良を重ねる。

等々。
外国には外国の良さがあるし、
日本には、日本の良さがある。
でも、やはり、日本がいい。


小説『桜ほうさら』(上・下)

2025年06月23日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

主人公の22歳の若侍・古橋笙之介(ふるはし しょうのすけ)は、
今の千葉県の小藩・上総国搗根藩(かずさのくに とうがねはん)の
小納戸役を務める古橋宗左右衛門の次男坊。

話は4つの部分に分かれており、

第1話「富勘長屋」は、
笙之介が江戸に出るに至った、
父の冤罪の経緯と謎を提示する。
ある日突然賄賂を受け取った疑いをかけられ、
動かぬ証拠とされたのは、
宗左右衛門自身も驚くほど
そっくりの手跡で書かれた偽文書だった。
宗左右衛門の自刃で古橋家は断絶となり、
父の汚名をそそぎたい笙之介は、
江戸深川の富勘長屋で写本の仕事で生計を立てながら、
密かに事件の真相究明を探る。

第2話「三八野愛郷録」は、
「古橋笙之介」の名前を当てに訪ねて来た
長堀金吾郎という人物の訪問の事情。
隠退した主君が読めない文字で著す符丁(暗号)を
主君が若い頃交流があった
古橋笙之介なら読み解けるのではないかと探していたのだ。
これで10人目だという。
やがて、ある人物が現れて、
主君の符丁を読み解いていく。

第3話「拐かし」(かどわかし)は、
貸席屋の三河屋の一人娘のお吉が失踪し、
身代金300両を要求される。
その受け渡しの見届け人になった
笙之介は、三河屋の中に潜む秘密に触れていく。

第4話「桜ほうさら」は、
父の筆跡そっくりに作った代書屋の消息を探る中、
搗根藩の中に潜む
時期藩主の跡継ぎ問題のお家騒動をあぶり出す。

つきつめれば、第1話と第4話で成り立つような話だが、
第2話と第3話の二つを挟むことで、
話に厚みが出る。

この本筋の話に様々な人物がからむ。

兄の古橋勝之介、母親の里江(さとえ)、
藩校「月祥館(げっしょうかん)」の佐伯老師、
搗根藩江戸詰留守居役の坂崎重秀(さかざきしげひで)、
富勘長屋の差配人勘右衛門(かんえもん)、
書物問屋「村田屋」の村田屋治兵衛(むらたやじへえ)、
長屋の子どもたちの太一、おきん、
船宿・川扇の女将・梨枝、
など多彩。
中でも桜の化身とも言うべき謎の女性・和香との恋愛模様もからむ。
長屋の人々の温かい情愛がよく描かれている。

かろやかで暖かい宮部ワールドだが、
家族の中に潜む闇を織り込んでおり、奥は深い。
また、人の筆跡そのままに真似ることのできる代書屋・押込御免郎の
世を拗ねた姿に
人間の中に潜む大きな闇も描いている。

起こし絵、符丁、救荒録など
初めて読む概念もあり、
宮部みゆきの勉強ぶりも伺える。

2009年3月号から2012年10月号まで
PHP研究所刊の月刊文庫『文蔵』に連載されたのち、
加筆・修正されて2013年3月に単行本が刊行された。
文庫本で上下2巻、830ページ。
長大な話だが、
途中遅滞なく読み進められる。
というのも、登場人物が多彩で魅力的なため。
また、全体を貫く背骨もしっかりしており、
その背骨に肉付けされる話の描写は手を抜いていない。
というか、かくも見事な構想の長大な作品を仕上げる
宮部みゆきのストーリーテラーの腕前に感心させられる。
どうやってストーリー作りをするのか、秘密を覗いてみたい。

題名の「桜ほうさら」は、
甲州弁の「ささらほうさら」
(悪いことが重なって、めちゃくちゃ)からきている。

シリーズ「きたきた捕物帖」は、
本作の何年後かを扱い、
富勘長屋の舞台や登場人物も重なる。

2014年1月1日、
NHK総合の正月時代劇で放送された。


主演は玉木宏。
和香に貫地谷しほり。
坂崎重秀に北大路欣也、
船宿の女将に高島礼子ら。

 


『いまの日本が心配だ』

2025年06月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

筆者の李相哲氏は、
中国出身のメディア史学者。
龍谷大学社会学部教授。
現在65歳。
1987年、27歳の時来日、
上智大学大学院で博士(新聞学)学位取得。
そのまま日本に住みつき、
1998年に日本国籍を取得
日本名は竹山相哲。
中国出身だが、日本愛は半端ではない。
本の表紙の日本の和服がよく似合う。
その立場から
日本の現状を憂い、心配して著したのが本書。

「はじめに」で、こう書く。

37年前に私が日本にやってきたとき、
日本は世界ナンバーワンの国でした。
日本の一人あたりGDPはアメリカを抜いて世界一でしたし、
日本の株式時価総額は、アメリカの1. 5倍、
世界全体の株式時価総額の実に45%を占めていました。
その時、中国は、経済規模では日本の約8分の1、
一人頭の収入は日本の82分の1でした。
その日本はいまどこに行ってしまったのでしょうか。

私も個人的には、
いまでも日本は世界最高の国だと考えていますし、
信じています。
食べ物もおいしいし、安いし、人々も親切だし、町もきれい。
生活の便利さも世界最高ですし、空気もおいしい。
「何が問題か」と反問する方もいるでしょう。
しかし、いま、確実に日本は世界から取り残されているような気がします。
いま、目に見えるものはともかく、
日本の内部で起きているさまざまな変化は、
良い変化ではなく、悪い方向へ向かっているような気がして仕方ありません。
この本は、私がこよなく愛する、美しき良き日本を、
これ以降も持続できるように、
現実に目を向けてほしいと、
日頃悩んでいたことを整理したものです。

目次は次のとおり。

はじめに
夢を追って日本へ

第一章 日本は夢の国ではなくなった

日本は夢の国だった
私は何をしに日本に来たのか
日本の現実は甘くなかった
あの夢の国はどこへ行ったのか

第二章 アナログからデジタル化失敗のつけ

いまの生活に満足、なのに何が心配か
NTTはどこに消えたのか
シャープは台湾の子会社に
日本は何を間違えたのか
デジタル化の失敗で何が起きているか
日本の失敗は挽回できるレベルか
チャンスはあったのに
完璧なアナログ社会がいまは重荷
日本の沈下は進行中
日本企業に人材が集まらない
日本をダメにする教育システム

第三章 甘っちょろい「善人政治」が問題

専門性を問わない日本の大臣
台湾や韓国と何が違うのか
日本の足を引っ張るのはデジタル化か
日本問題の根源は選挙制度にある
甘っちょろい政治家で大丈夫か
「善人政治家」で日本は大丈夫か
様変わりした日本の官僚
劣化が進む日本的システム

第四章 ジャングルの中の日本が危ない

日本が危ない
日本の自立、自存の道
「非核5原則」を見直せ
むしろ「核保有3原則」が必要
日本を繁栄に導いた3つの軸
日本も汗をかかないと
アメリカに頼って本当によいのか
トランプ政権に頼ってよいか
トランプ政権とどう付き合うか
日本と韓国が抱える共通の課題
安保上、日韓は「運命共同体」
韓国とはどう付き合うべきか
北朝鮮に振り回されないために
交渉に必要なのは圧倒的力
北朝鮮とはどのように交渉すべきか

第五章 「明治維新級」の改革が必要

まずは、政治システムを変えよう
選挙制度を変えよう
教育にも競争原理を導入する
大学教育を企業につなげよう
日本の英語教育を見直す
若者の国家への奉仕を義務化する
メディア業界に新しい風を

あとがき

かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本が
この30年の間に、なぜ衰退したと言われるようになったか。
主に、次の点をあげる。

・アナログからデジタル化への失敗
・日本企業に人材が集まらない
・日本をダメにする教育システム
・優秀な人ほど、議員や官僚にならない
・政治システムが問題
・諸悪の根源は選挙制度
・中国、ロシア、北朝鮮に囲まれているのに、安全保障体制が問題
・他国の善意に頼るという外交は通用しない

特に、政治システムでは、
議員内閣制で国会議員が順番で大臣になり、
専門家が大臣にならないのを問題にする。
デジタル化を進めるには、
専門性を持った人物が大臣になるべきだという。
大臣の半数までは民間人を登用できるはずなのに、
結局国会議員のたらいまわし。
その結果、パソコンの知識のない人物がデジタル担当大臣になったりする。

二世議員が多い原因は、
祖父、父、息子へと継承される「家業」としての政治で、
金がかかり、普通の人が立候補できないシステムにある。
それには、得票率に基づいて、
選挙活動で使った費用を国が補填する制度を勧める。
たとえば5%の得票者に対しては、
選挙費用の半分を補填、
10%以上の得票者に対しては全額を補填する。

そして、究極的には、
総理大臣の公選制を勧める。
今のような国会議員の中の力関係で首相に選ばれる制度では、
思い切ったリーダーシップを発揮できないからだ。
公選制で選ばれれば、
政党の派閥に忖度する必要がなく、
多くを民間から閣僚に充てることが出来る。                                       

最後に、今の日本の凋落から抜け出すには、
明治維新級の大改造が必要だという。

しかし、あの安倍晋三さんでも出来なかった改革だ。
それ以上にリーダーシップを発揮できる人材を待つしかないのか。

李氏は帰化したとはいえ、元は外国人。
その善意の外国人に、
これほど心配かけるとは。
私が生きている間に、
日本は変わることができるのだろうか。

 


『看取られる神社』

2025年06月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

衝撃的な題名。
廃寺同様、神社も廃されることがあるのか。
著者の嶋田奈穂子さんは、
滋賀大学非常勤講師。
人間文化学、地域研究の専門家。

インドで調査旅行をしている時、
同行していた恩師が亡くなり、
その死を看取った経験が
神社の看取りに重なっている。

「なぜあそこに神社があるのか」という設問に対して、
日本中の神社を訪問して、その意味を探る。

衝撃的な事実を知った。
日本に神社は7万8千602あり、
コンビニの数より多い、
とはよく言われるが、
その78602の数字は、
神社本庁が把握している、法人格を持つ神社の総数であって、
法人格を持たない、
地域に根ざした神社の数は入っていないということだ。
それらの神社を数に入れたら、
その総数は驚異的なものになるに違いない。

本書の中で、滋賀県守山市の野洲川流域の神社を調べる下りがある。
ある神社を調べようとして、
滋賀県神社庁の発行した「滋賀県神社誌」を見ると、
掲載されていない。
つまり、法人格を持っていないのだ。
恩師の「ゼンリンに載っているだろう」という助言に従って、
「ゼンリン住宅地図」に当たってみる。
これは、調査員が実際に町を歩いて作った地図だ。
その結果、野洲川流域の神社数は380社。
神社誌の掲載数は110社なので、
その3倍の数の神社が存在する。
更にその現場に行ってみると、
更地になった神社や、地図に載っていないものもあり、
結局、野洲川流域では378の神社が存在した。
地図の調査員も、その場所が何か分からなかったらしい。
著者はそれらの場所を「聖地」と呼ぶ。
本書の副題に「変わりゆく聖地のゆくえ」とあるのがそれだ。
その「聖地」が何らかの理由で消えていく過程を追う。

「看取られる神社」とは、
それらの名もない社の終末を描いたものだ。
その原因は主に人口減少過疎化だ。
神社は古代から集落の中心にあった。
しかし、人口減少社会に入り、
集落が消滅すると神社はどうなるのか? 
住民がその土地を離れる時、
神社も終末を迎える。
誰が、どうやって神社を閉ざすのか。
そのプロセスを追う。

村落で最後の住民になった人が村を離れる時、
それが行われる。
ご神体の像を近くの寺に移したり、
地元の博物館に遺贈したりして、
最後は神社の建物を解体、焼却する。
それが、集落の最後の一人となった住民の仕事なのだ。

「毎日少しずつ壊してね、
最後の柱を倒した時、
主人は泣き崩れて、しばらく立てなかった」

まさに、人を看取るのと同じである。
神社を廃する行為は、
誰かを看取ることと重なっていく。
始末を終えた村人は「これで安心して死ねる」とつぶやく。

そして、跡地は更地になり、
そこに神社があった痕跡も残らない。
神社としてあった土地を自然に還すことで
初めて神社を閉じることになる。

明治末期、神社整理が行われた時、
日本各地には、
大小さまざまな神社、寺、社、祠が数多くあり、
それぞれ住民の信仰を集めていた。
明治政府は、西洋化の過程で
一つの村には一つの神社を置く措置が取られ、
多くの神社が合祀(ごうし)された。

明治41年~42年の頃の話だ。
政府は、小さな神社や祠(ほこら)を、
強引に合祀することで消滅させた。
それに対して、住民は密かにそれらの「聖地」を守り続けた。
外的圧力は、聖地の目に見える部分を廃止することはできたが、
住民の精神までを変えることはできなかったのだ。

神社について調べてみると、
それが日本人の精神的根幹をなしていることが分かる。
よく日本人は無宗教だというが、
日本人の心の中には神社がある。
キリスト教やイスラム教のように、
開祖や教義がなくとも、
日本人は宗教的民族だ。
まさに日本は「神の国」なのだ。

 


小説『アマテラスの暗号』

2025年06月14日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

日本人の成り立ち、
神道とはなにか、
天皇家の正統性とは、
神社に隠された秘密、
など古代史の謎に挑むミステリー

元ゴールドマン・サックスの
デリバティブ・トレーダー、賢司は、
ニューヨークでの
日本人父との四十数年ぶりの再会の日、
父がホテルで殺害されたとの連絡を受ける。
父は日本で最も長い歴史を誇る神社の一つ、
丹後・籠神社の宗家出身、
第八十二代目宮司であった。
ホテルではもう一人殺された人がおり、
それはユダヤ教のラビ(宗教の教師)だった。
二人共心臓に銃弾を受けて即死、
プロの仕事だった。
賢司の母は、こう言う。
「あなたのお父さんは、
 日本のタブーのために殺されたのよ」

父の死の謎を探るため、
賢司は友人たちと日本へ乗り込む。
チームは伊勢神宮、下鴨神社、
出雲大社などを歴訪し、
封印された秘密を次々とあばいていく。
それは、日本古代史に秘められた謎を解明する旅だった。

古代史の謎とは、
日ユ同祖論
日本人の祖先にユダヤ人の血が混じっているという見解。
これは、ユダヤの歴史に関わった話で、
モーゼに率いられてエジプトを脱出したヘブライ人たちは、
約束の地カナンで王国を建設、
やがて10支族の北イスラエルと
2支族の南ユダに分裂。
北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、
北イスラエルの10支族は
歴史の舞台から消えてしまう
実は、北イスラエルの人々は東に移動し、
最終的に日本に落ち着き、
神道を作り、
天皇家の血筋を作ったという話。

この説は昔から言われているもので、
ユダヤの風習と日本の風習に似たものがあり、
共通の言葉も多く、
「偶然の一致」とはいえないほど沢山ある。

本書では、その理論を更に進める。
たとえば旧約聖書の有名な預言者イザヤは、
モーゼの十戒の石板の入ったアークと共に日本に渡ったと。
秦氏の日本来訪がそれだと。
古事記の国作りの神話が
なぜ淡路島から始まって、四国、九州と進み、
あとで本州に至るか、
それは、黒潮に乗ってやってきた
ヘブライ人が淡路島に最初に到着したからだ、と。
そして、彼らの子孫は最終的に平安京、
つまりエルサレムを建てた。
東の海の島々に。
つまり日本に。

広隆寺に伝わる「十善戒」というのが、
モーセの「十戒」とそっくりだというのは、
初めて知った。
日本の神社や神職の家系で
最も多い家紋↓が

ユダヤの典礼具の一つである
メノラー↓を隠した家紋だというのも


初めて知った。
また、ある神社には、神事として、
こどもを神に捧げる神事があるという。
アブラハムのイサク献祭だ。


祇園祭はシオン祭だともいう。

本書の中で神道についての記述が多い。
神道が日本人の精神を作ったと。
たとえば、

日本人の屈強な精神や連帯感は、
公を旨とする神道の価値観から来ている。
                                        日本人が日々の生活のなかで、
なんとなく心のどこかで感じている
“清く”“正しく”“美しく”といった美学は、
神道からきている感性です。

日本人の“公”に対する価値観は、
この豊かな自然の中で人々が誠実で、
協力しあって生きるという、
神道と米作文化のなかで
醸成されてきた
社会に対する信頼をベースにした価値観なんです。

神道は本来、自然の恵みに感謝し、
五穀豊穣と人々の平穏な生活を祈り、
世の中の安寧を祈願する宗教です。
また人間の良心への信頼に基づいているため、
戒律や聖典がない宗教でもあります。

そして、はっきりとこう言う。

神武天皇は、
失われた10支族が
北イスラエルを継承し、
日本に新たに創設したことを象徴する天皇だった。

そこから万世一系の王家の家系が始まる・・・

ダビデ王朝は「王の子が王になる」家系。
そんな王朝は、世界にたった一つしかありません。
紀元前660年に神武天皇の即位によって始まった
日本の天皇家の王朝です。

だから、中国の工作員は、
神道をなきものとするプロジェクトを進めた。
男女平等を掲げて女系天皇を認めさせることにより、
万世一系の皇統に内部矛盾を生じさせ、
皇室を崩壊に導くための
教育界やメディア、そしてオピニオンリーダーや
芸能人への工作を進めているのだと。

それは、マッカーサーのGHQの政策が始まりだ。
マッカーサーは日本を去る時、
時の首相、吉田茂に言ったという。
「悪いけど、日本人の魂は抜かしてもらうよ」

トインビーは「文明の衝突」の中で、
世界に存在する9つの文明のうち、
東アジアで唯一、中華文明に属さず、
一カ国だけにしか属さない単一文明、
“日本文明”を明らかにしている。

そして、イエスの磔刑の後、
原始キリスト教の中に
忽然と歴史の中に消えてしまったグループがあった。

最後に賢司は、
伊勢神宮の内宮で、
あるものを目撃する。

そして、こう結論づける。
北イスラエルの10支族の来訪、
イザヤが連れて来た南ユダ王家の来訪、
原始キリスト教の来訪、
その3つの出来事は、
神武、崇神、応神天皇という、
126代の天皇のうち3人だけ
「神」の名のつく天皇の時起こった出来事だったと。
そして渡来した人々は、
恵み豊かな日本の自然に帰依し、
日本人になっていった。

神道とは日本民族の完全なオリジナルではなく、
ユダヤ教や原始キリスト教の影響を受け、
それらと融合しながら出来上がった宗教である、
という結論。

日ユ同祖論、
都市伝説のようだが、
これだけの豊富な証拠があるのだから、
一度学術的検証をしたらどうかと思うが、
それはタブーらしい。

戦後、日本の神話は教科書から消えた。
「これまで世界の歴史のなかで、
 十二歳までに自民族の神話を教えることを止めた民族は、
 すべて百年以内に消滅した」
という歴史学者トインビーの言葉を警鐘として書き残す。

著者の伊勢谷武氏は、
スウィンバーン大学(メルボルン)卒業後、
ゴールドマン・サックスのデリバティブ・トレーダーを経て、
1996年に投資家情報関連の会社を設立。
現在、代表取締役。

こういう経歴の人が、
日本の成り立ち、古代史に興味を持って
本書を書いたことに驚く。
文庫本で上下合わせて600ページの大著。
ただ、やはりプロの作家ではないので、
物語部分が面白くなく、
プロの作家が書いたら、
もっと面白かっただろうと思われる。

なお、冒頭で
「この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいています。」とあり、
神社名等は実名のまま。
しかし、「登場人物はすべて架空の人物であり、
たとえ名が似ていても実在の人物とは関係ありません」とも書いてある。