[書籍紹介]
小説家の小川糸さんのエッセイ集。
毎日新聞日曜版に2016年10月から2018年3月まで
連載したものをまとめた。
第1章 日曜日の静けさ
第2章 母のこと
第3章 お金をかけずに幸せになる
第4章 わが家の味
第5章 双六人生
の5つの章に分かれ、
各章十数の項目を綴る。
各項目は3ページほどなので、
気軽に読める。
女性の書いたエッセイは、
私のような黄昏期の男性には
あまり胸を打つものはないが、
ドイツと日本の比較は面白かった。
というのは、小川さんはベルリンに移住し、
そこでの生活の有様を綴っているからだ。
たとえば、ドイツでは、
日曜日はお店がほとんど休みになる。
日曜日が買い物日になる日本とは大いに異なる。
町全体がしーんとして、
人々は、家にいて心と体をそっと休める。
基本的に、日曜日は友人や家族と静かに過ごすのだ。
私はこの、日曜日の静けさがとても心地いいと感じた。
日曜日はお父さんもお母さんも子どももお休み。
だから、どこの家でも、
みんなが平等に家族団欒の時間を楽しめる。
そういうシステムが定着しているのだ。
だから、ベルリンから日本に戻ると、
日曜日の過ごし方に戸惑ってしまう。
行楽地に出かけたり、
デパートで買い物をしたり、
そして、ぐったりと疲労して、
疲れた顔のまま月曜日を迎え、
一週間が始まる。
いっこうに疲れが取れない。
休暇の取り方も日本とは違う。
まとめて1か月くらいバカンスを取る。
休む時は休み、働く時は働く。
勤勉に働くためには、
ちゃんとした休暇も必要で、
結果的にそうした方が効率がいいということなのだろう。
働き方も違う。
ドイツでは、長時間会社にいることが
決して評価の対象にならないというのも
よく耳にすることである。
評価どころか、むしろ減点の対象で、
休日出勤も残業も、
基本的にはありえないとのこと。
いかに効率よく時間内に仕事を終わらせるかが大事で、
仕事が終わればプライベートの時間だから、
仕事のあとまで会社の同僚と飲みにいったりすることもないそうだ。
確かに、そういう姿を見ることはほとんどない。
第3章の「お金をかけずに幸せになる」も示唆深く、
ベルリンにいると、
お金を使わなくちゃ、という脅迫観念にかられない。
どうしたらお金をかけずに楽しく生活できるか。
どんどん物欲がなくなっていく、という。
半年ぶりに、日本に帰国した。
日本にいて強く感じるのは、
消費を促すあの手この手の巧みさである。
まるで、お金を払わなければ幸福が得られないと
信じ込まされているがのようだ。
日本には、物もサービスもあふれている。
コップやフライパンなど、
不用品も捨てず、
家の前の道路に出しておくと、
少しずつ持っていかれて、
最後はなくなるのだという。
日本では、不用品はお金を払って持っていってもらうのに。
「お客様は神様です」というのが日本だが、
ドイツでは対等だという。
お店でも、決して客が偉いのではなく、
店の人と客は対等である。
裏を返せば、客は、お金を払って、
店の人から商店を売ってもらっているのである。
ヨーロッパの冬は長く厳しい。
寒さはなんとか耐えられても、
つらいのは夜が長いことだという。
朝は9時くらいにならないと明るくならず、
午後も3時を過ぎるともう暗くなる。
アルコール依存症や鬱病が多いのもそのせいだ。
モンゴルに旅行した時の話も興味深い。
ゲルでのモンゴル人一家との生活。
何が最も過酷だったかというと、食事だ。
とにかく野菜が一切なかった。
食事の中心となるのは、
肉と乳製品。
朝、昼、晩と、すべて肉がメイン。
モンゴルの遊牧民の中には、
生涯一度も野菜を食べずに人生を終える人もいるそうだ。
ドイツは教育は無償で、病院も金がかからない。
当然のことながら、
社会保障を充実させるためには、
税金が高くなる。
けれど、税金がきちんと自分たちの元に戻ってきていると
実感できるシステムが成り立っているので、
高くとも納得できる。
この「税金が自分たちに戻ってきているとの実感」がミソ。
ドイツ製品は、大きく、重い。
ちょっと機能がいいな、と思う製品は、みな日本製。
日本もドイツも、
物作りの才能が長けているのは一緒だけれど、
その目指しているところは違うのかもしれない、
ということに、最近気づいた。
ドイツが目指しているのは、
丈夫で、とにかく長く使うことができる製品だ。
対して日本は、
使いやすく便利な製品を生み出そうと改良を重ねる。
等々。
外国には外国の良さがあるし、
日本には、日本の良さがある。
でも、やはり、日本がいい。