空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

映画『ミッシング』

2024年05月31日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

静岡県・沼津市で起こった6歳の幼女・美羽の失踪事件。
公園から一人で帰る数百メートルの間に消息を絶った。
マスコミで取り上げられるが、
3か月も経つと、世間からは次第に忘れ去られようとしていた。
母・沙織里と父・豊は、
駅頭でチラシを配り、情報を集めようとするが、
世間の関心は薄くなるばかり。

そして、沙織里と豊は、
あらゆる中傷にさらされる。
世間の悪意の噴出口・悪魔の凶器・SNSは、
その日、ライブに行って
幼い娘を弟に預けた両親を“育児放棄”“自業自得”と非難する。
弟・圭吾は犯人だと疑われ、
無理やり取材を受けたテレビでは、
幼女と別れた後の足取りが嘘だと疑われる報道がされる。
取材カメラマンも、「あいつが犯人だな」と予見する。

沙織里と豊は、温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。
未熟な母親は、鬱憤を夫や老母にぶつけ、喚き散らす。
沙織里の言動は次第に過剰になり、
心が崩壊していく。

そうした夫婦の状況と並行して、
唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田の視点が描かれる。
真実を報道したいという砂田に対して、
上層部は視聴率獲得の為に、
圭吾に対する世間の疑惑を煽るような取材を指示する。
警察からの電話を装って、
娘が保護されたというイタズラ電話をかける人もいて、
世の中の悪意が被害者家族を集中砲火浴びせる。

娘が失踪し、てがかりもなく、
出口のない闇に突き落とされた家族の苦悶が
周囲の状況を含め、大変ていねいに描かれる。
脚本・監督は、吉田恵輔
傑作「空白」でも思ったが、
この人のオリジナル脚本は細部にわたり配慮が行き届いている。
そして、演技陣。
今までのイメージを一新させる
体当たりで挑んだ石原さとみの新境地の演技。


人間的に未熟でありながら、
娘を取り戻したい母親の苦悶をあますところなく演ずる。
沙織里の夫・豊役の青木崇高
沙織里を持て余しながら、冷静であろうと努力する夫を活写する。


弟・圭吾の森優作も存在感のある演技。


更に、テレビ局記者の中村倫也
記者の矜持と上層部の誤った方針との間で苦悩する姿を的確に演ずる。

同僚がスクープし、東京のキー局に引きぬかれるなど、心中は複雑だ。


それ以外の俳優は知らない役者だが、
端々でリアルさを発揮する。
警察の相談窓口の隣で声高に苦情を訴える人物、
アーケードで喧嘩する男女、
チラシを受け取って、読めば分かる質問を投げかける老女など、
雑音溢れる世の中の描写は、
子どもを失った母親の孤独を強調する、
今までの常識を覆す描き方だ。

それにしても、SNSであることないこと書き散らす、
バカ共の何と多いことか。
被害者家族の気持ちを想いはかれない、愚か者たち。
いっそのこと、SNSでの書き込みは禁止したらどうか。
ただ、救いもあり、
チラシの配付で応援する近所の人々や、
応援カンパを集めてくれる豊の勤務先、
そして、チラシの印刷部数を減らしたのを
好意で同じ部数にしてくれる印刷屋の社長ら、
善意の人々も描かれる。

ラストはああいう終わり方しかなかったのだろうが、
後味は良くない。
しかし、人間を描くのが映画や小説の役割であるとしたら、
この作品は、まさに使命を果たしている。
沢山の人に観てもらいたい、良作

5段階評価の「4.5」

拡大上映中。

 


さよなら浦安万華郷

2024年05月30日 23時00分00秒 | わが町浦安

浦安万華郷(万華ではない)が、
6月2日で閉館になるといいます。
浦安にある温泉施設。
昔はよく行ったものです。
先日、お別れに行ってきました。

館内に「15年間のご愛顧」とあり、


えっ、15年?
もっと長くあった気がするなあ、
と思ったら、
「浦安万華郷」になってから、
15年なのでした。

こんなところにも、吉本は進出しています。

沿革を見ると、
2004年、株式会社福田組など3社が中心となって、
有限会社浦安温泉物語を設立し、温泉施設を計画。
2005年、運営会社として株式会社湯巡り万華郷を設立。
2006年2月25日、「湯巡り万華郷」を開業。
つまり、施設開業以来だと18年
2007年、出資者であった福田組が湯巡り万華郷の株式を取得して子会社化。
2009年、福田組が、湯巡り万華郷の株式を
株式会社キョウデンエリアネット(大江戸温泉物語グループの資産保有会社)に譲渡。
大江戸温泉物語株式会社主導の運営となり、
「大江戸温泉物語 浦安万華郷」に施設名を変更。
それから15年というわけ。
そして、借地契約の満了により、
今年6月2日閉館予定。
この後、土地を更地に戻して返還。
こうして、浦安から一つの温泉施設が消滅します。
雇用も失われます。
あと、「ユーラシア」という温泉施設が浦安にはあります。

施設は大きく分けて、
内湯と露天風呂、混浴水着ゾーンの温泉施設と、
休憩所、飲食店、ゲームコーナー、マンガコーナーなどの館内施設
それに、宿泊施設の3つで成り立っています。
温泉は深く掘り下げての本物の温泉。
泉質は、ナトリウム、塩化物強塩泉。

内湯と露天風呂は当然男女別ですが、
水着ゾーンは男女混浴
それが受けたようです。

浦安駅と新浦安駅からは、送迎バスが出ています。

正面から見たところ。

提灯が客を迎えます。

これは18年間、変わりませんでした。

受付。料金は館内飲食代等加算して、後払い。

いろいろな料金設定も。

ここでタオルや館内着を受け取ります。

風呂は当然撮影禁止なので、
拝借した写真から。

館内全体図。

水着ゾーンは、
知らない水着美人を撮らない限り、撮影可能

こんな岩山に、

青の洞窟

その奥は竹林の湯

この岩山の上から滝が落ちますが、やっていませんでした。

元に戻ります。

いろいろな湯が。

この流れは足湯。

金魚の湯。

更に足湯を進むと、

こういう建物が。

源泉館。入浴中の人がいたので、中の写真は撮れませんでした。

その脇の湯。

かやぶきの湯。

森のようなところも。

この建物の中には、

岩盤浴だの

飲食コーナー、

ドクターフィッシュなどがあります。

こちらからの景色。

公式写真から。

夜の風景。

時期によって、イルミネーションや、

プロジェクションマッピングや

泡風呂などのイベントも開催。

風呂から出たところには、定番のビンの牛乳が。

近く、ビン牛乳はなくなるようです。

館内。

おみやげコーナー。

ゲームコーナー。

飲食コーナー。

ここは、氷やクレープ。

いつも、これを食べます。

階段上には和食レストランが。

これを食べました。

いやしコーナー。


ゴロゴロ出来る施設。


休憩所。

マンガコーナー。

占いコーナーも。

宿泊施設。

前に一度泊まったことがあります。

この上も宿泊施設。宿泊者しか入れません。

こちらから足湯コーナーに行けます。

出口にはポストイットで感謝の言葉が貼られていました。

さよなら、浦安万華郷。

 


小説『パッキパキ北京』

2024年05月28日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

主人公の菖蒲(アヤメ)の夫は商社マンで、
北京で3年の間単身赴任中だったが、
中国になじめず、精神的に追いい詰められて
アヤメを北京に呼び寄せる。
アヤメは東京で自由な一人暮らしを満喫していたのだが、
しぶしぶ中国に渡る。
北京はまだコロナ禍の最中で、
過酷な隔離期間をクリアし、
アヤメの北京生活が始まる。
現地の高級料理からローカルフードまで食べまくり、
極寒の中、新春お祭り騒ぎ「春節」を味わう。

主人公のアヤメは究極の自己中女で、
元は銀座のホステス
離婚歴ありの20歳年上の夫をつかまえて、
高給取りの金づるとして、贅沢暮らしを堪能する。
夫は前の妻との間に一男一女がいるが、
アヤメとの間にも子供が欲しいというと、


別に子ども嫌いなわけじゃないけど、
単純になんで産まなきゃんけなんか分かんない。
身重にならず、身軽なまんまでいたい。

と考える。

アサハカでもいま身体が軽くて、
いま何でも好きなことができて、
いまとにかく楽しいのが私にとって最重要だから、
楽しいの数珠つなぎで人生終わればサイコーと思っている。

という感じ。

ブランド品が大好きで、
その理由は、「持ってると勝てるから」と言う。

とても共感できない主人公だが、
見どころ(読みどころ)は、
コロナ禍での中国人と中国社会の描写
規制が緩和穂された時期で、
毎日のPCR検査もなくなり、
お店や公共交通機関を利用するのに必要だった
健康カードも要らなくなった頃だが、
コロナの影響はまだそこかしこに存在している。

北京市内を歩いていると人の多さを実感し、
暮らしていると人件費の安さを実感する。
あらゆる場所の細かいところで人が働いている。
住宅が集まっている小区の入口や
マンションの前には必ず門番の人がいる。
マンションの中にも荷物を届けたりする管理人が
常に二人くらいロビーに立っている。
道路では掃除する人をしょっちゅう見かける。
バス一台につき、必ず一人、運転手の他に、
席が空いているのに立っている人を注意するための係員が乗っている。
部屋の掃除をしてくれる人も一人ではなく、
床掃除の人、ベッドメイキングの人、
水回りを洗う人の計三人がいつもセットで来てくれる。
日本だとこれだけたくさんの人を雇うのに
どれくらいのお金がかかるのだろうか? 
この人たちのおかげで家の中や店の中、
街の主要な道路は清潔な状態が保たれている。
しかしひとたび裏通りに入れば
割れた窓ガラスやサッシなどの大型ゴミが道の脇に捨てられ、
歩道もフンだらけで
ずっと下を見ていなければ、
踏まないではいられないほど転がっている。

どこの本屋に行っても雑誌が売っておらず、
雑誌があるのは大き目のコンビニと駅前のキオスクだけ、
というのも、初めて知った。
雑誌は「本」ではないらしい。

また、中国の新年(旧暦)を迎える前夜の音楽番組を観ていると、
若い男女の歌手はきれいだが不健康そうで、
対して中年の男女歌手は、
魔法が解けたかのように、
健康的に見えた、というのも興味深い。
老いを受け入れている分、
しっかり肉をつけたという印象だという。

他に、結論がもう出ているのに悩むのが不思議だとか、
銀メダルを獲得したのに、
金メダルを獲れなかったといって
悔し泣きしている人間はコスパ最悪だ、
などという面白い見解も散見する。

作者の綿矢りさを読むのは、
芥川賞を受賞した「蹴りたい背中」以来か。
印象はあまり変わっていない。

コロナ禍の中国の姿を活写した小説は、初めてではないか。
あまりにも北京の描写が詳細なので、
まさか自伝かと思ったが、
2022年12月から家族の都合で
約半年間中国北京市で暮らしていたのは事実らしい。
ただし、夫は20歳年上の金づるなどではなく、
2歳年下のキャリア国家公務員。
子どももちゃんと出産しているので、
主人公と作者を同一視してはいけない。

 


映画『PS―1 黄金の河』

2024年05月27日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

10世紀、南インドで繁栄を極めるチョーラ王朝。
スンダラ王の子供は男の兄弟と娘の3人。
長男のアーディタは北方で、
次男のアルンモリは南方で、
領土拡張のための戦いを繰り広げ、
妹のクンダヴァイは父王と共に都に残る。
しかし、パルヴェート侯を中心とした臣下たちは、
前王の息子を次期国王として擁立する陰謀を進めていた。
遠く離れた3人だが、不穏な動きを察知し、
これに対抗すべく密使を送り出す。
パルヴェート侯の美貌の妻、ナンディニは、
夫を陰で操り、チョーラ王朝に揺さぶりをかけようと画策するが、
その裏には、アーディタとの過去の悲恋があった。
孤児であったナンディニは、
皇太子の妻にふさわしくないと引き裂かれてしまったのだ。

こうして、兄の戦場、弟の戦場、都での謀反、
王と妹の対策、密使に選ばれた若い騎士・デーヴァンの動きが
モザイクのように物語を織りなす、壮大なドラマが展開する。


1950年、インドで生れた伝説的な歴史小説が原作。
インド南部のタミル地方に実在した
チョーラ王朝の宮廷を舞台にした愛憎と陰謀、
国の存亡を懸けた戦いの物語「ポンニ河の息子」
タミル語の週刊誌で4年に及ぶ長期連載となり、
著者のラーマスワーミ・クリシュナムールティ
完結後しばらくして死去したが、
1955年に全5巻2200ページ超及ぶ
大河小説として刊行されてベストセラーとなり、
今日まで70年にわたって新しい読者を獲得し続けるロングセラーとなった。


それから70年。
何度も映画化が試みられたが、
その壮大なスケールから難航を極め、
撮影技術の進化やインド映画界の大作主義指向を背景に、
遂に2部作に及ぶ一大映像絵巻として完成
王位継承を巡る陰謀と兄弟の力を合わせた戦い、
美貌の女性との悲恋、壮大なスケールの戦闘など、
娯楽映画の定番を織り込んだ、壮大な歴史絵巻。
「映画は娯楽だ」というインド映画らしさがあふれた作品。
冒頭のタイトルバックの音楽からワクワク感が止まらない。
歌も踊りもあるが、今までの映画とは一味違う。

第一王子アーディタにヴィクラム


第二王子アルンモリにジェヤム・ラヴィ


若き騎士デーヴァンにカールティ


妹王女クンダヴァイにトリシャー・クリシュナン
悲恋の美女ナンディニにアイシュワリヤー・ラーイ


なかなか顔の区別がつかない。

監督・共同脚本・共同製作はインド映画の巨匠マニラトナム
音楽監督が、2008年の「スラムドッグ$ミリオネア」で
米アカデミー賞の歌曲賞と作曲賞を獲得したA・R・ラフマーン
この方「踊るマハラジャ」(1995)も担当している。
ミュージカル「ボンベイ・ドリーム」も彼の作品。
音楽が映画にとってどれほど効果を揚げるかがよく分かる。
特に、アーディタのナンディニへの恋情を歌い上げる場面は、しびれる。

原作が壮大すぎて1作では収まらず、
2部作に。
今回公開された「PS-1 黄金の河」は2022年製作、
続編の「PS-2 大いなる船出」は、翌2023年製作で、
6月14日から公開される。

5段階評価の「4」

新宿ピカデリー他で上映中。

 


浦安シティオーケストラ演奏会

2024年05月26日 23時00分00秒 | 音楽関係

今日は、浦安市文化会館↓で、


↓のコンサート。

私の誕生日祝賀演奏会。
(ウソ。今日が誕生日というのはホント)

浦安シティオーケストラは、
1989年創立の
千葉県浦安市で活動しているアマチュアオーケストラ
毎週日曜日の午後、練習を行い、
年に2回演奏会を開催。

今日は、その第61回定期演奏会。

曲目は、
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」Op.9
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74「悲愴」

指揮は、東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻を卒業された河上隆介氏。


ヴァイオリン独奏は浦安出身のヴァイオリニスト、清水ちひろさん。

最初の曲は、
ルイ・エクトル・ベルリオーズ
(1803年12月11日~1869年3月8日・65歳没)
が1844年に作曲した管弦楽曲、
序曲「ローマの謝肉祭」作品9。

題名から想像される
「ローマの謝肉祭」というオペラは存在しない。
オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」(1838)の
第2幕の前奏曲として作曲されたもので、
このオペラは失敗に終わったが、
ベルリオーズは自身の作品に対する愛着から、
このオペラから主要な旋律を引用して
単独の管弦楽曲へと編集、演奏会用序曲となる。
ベルリオーズの序曲の中では今日最も頻繁に演奏されている。

次の2作は、
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
(1840年5月7日~1893年11月6日・53歳没)
の曲。

ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35は、
1878年に作曲されたヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲。
ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスの
いわゆる「三大ヴァイオリン協奏曲」に、
本作を加えて「四大ヴァイオリン協奏曲」と言われることもある。          
依頼したヴァイオリニストから「演奏不可能」と拒絶されたこともあり、
初演は、3年後の1881年12月4日、
ロシア人ヴァイオリニストのアドルフ・ブロツキーの独奏、
ハンス・リヒター指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われた。
しかし、指揮者も楽団員も作品を好まず、
全くの無理解のうちに演奏を行ったため、
その演奏はひどい有様で、
聴衆も批評家もこの作品をひどく批判した。
しかし、ブロツキーは酷評にひるむことなく、
様々な機会にこの作品を取り上げ、
しだいにこの作品の真価が理解されるようになったという。

 

チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」は、
1893年の作。
作曲への着手は2月4日、完成は3月14日、
10月28日、作曲者自身による指揮で初演。

それから9日後の11月6日にチャイコフスキーは急死
死因には諸説があるが、
会食時に、周りが止めるのを聞かずに生水を飲んだことで
コレラに感染したとされる。
直接的な死因は、併発した肺水腫だった。

死因の「諸説」だが、
チャイコフスキーは同性愛者で、
ある貴族の甥と男色関係を結んだため、
この貴族が皇帝に訴えて秘密法廷が開かれ、
そこでチャイコフスキーの名誉を慮って
砒素服毒による自殺が決定・強要されたという説。
しかしこの説は、後の綿密な研究により、否定されている。

交響曲第6番は、
チャイコフスキーの作品にありがちな、
初演時の聴衆の反応は好ましいものでなかったとされる。
不評の理由は作品の持つ虚無感と不吉な終結によるものと思われる。

衝動的情熱、自信、活動への渇望~愛~失望~死 
と、全体で人生を標題している。

普通、交響曲の典型的スタイルは、
素早い楽章~ゆっくりな楽章~舞曲~素早い楽章
で、最後は盛り上がって終わるが、
この作品は、「死」で終わるため、
静かな終わり方を迎える。
いつ拍手していいか戸惑うほど。

「悲愴」とは、悲しく、いたましい様

しかし、チャイコフスキーは、初演の不評にもかかわらず
「この曲は、私のすべての作品の中で最高の出来栄えだ」
と周囲に語るほどの自信作だったようだ。                     

チャイコフスキーの葬儀は
11月9日に国葬で行われた。
六頭立ての馬車に棺が乗せられ、
最初にマリインスキー劇場へ運ばれた。
その葬列は聖職者、遺族、各界代表者、法律学校の学生など長いもので、
道の両側には見送る群衆が1万人にも達した。


葬列はマリインスキー劇場から
カザン大聖堂に向かい、ここで葬儀が行われた。
大聖堂には本来の収容人数を超えて、
8千人以上の人々が参列した。
葬儀は2日かけて行われ、
チャイコフスキーの生前の希望で、
アレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフビン墓地に葬られた。

葬儀の2日前、11月7日には
交響曲第6番が
エドゥアルド・ナープラヴニークの指揮によって再演され、
大きな反響を呼んだ。

浦安シティオーケストラは、団員80名で、
こんなにもアマチュア音楽家が活動していることに驚く。
しかも、週1回の練習でここまでの演奏を聴かせるとは。

アンコールは、
チャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ」
(弦楽四重奏曲第1番の第2楽章)

カミさんと二人、
至福の誕生日でした。

ところで、会場で配られていた↓このチラシ。

合唱サークルが16もあります。
浦安は、ダンスサークルも多い。
他にクリニックと薬局も多い町です。