空飛ぶ自由人・2

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映画『エンドロールのつづき』

2023年01月25日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

9歳のサマイは、インドの田舎町で、
学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。
バラモンの出自が誇りの父は映画を低劣なものだと思っているが、
信仰する女神の映画ならばと、ある日特別に家族で街に映画を観に行くことになった。
劇場の暗闇の中で、
スクリーンに投映される一条の光。
そこには、サマイが初めて見る世界が広がっていた。
映画にすっかり魅了されたサマイは、
映画館に忍び込むが、
チケット代が払えずにつまみ出されてしまう。
それを見ていた映写技師のファザルが
サマイの母が作る弁当と引換えに、
映写室から映画を見せてくれることになった。
サマイは映写窓から観る色とりどりの映画に圧倒され、
「映画がどうやって作られるのか」を知りたがるようになり・・・

映画好きの少年と映写技師の話、
となれば、インド版の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989)かと誰もが思う。
事実、自転車2人乗りのシーンも出て来る。

が、出来ばえは随分と違う。
映画好きを描く映画は、
映画愛を語れば、全てが許される、
という陥りやすい罠があるが、
この作品も、その落とし穴にはまってしまった。

映画が光とフィルムで成り立つことを知ったサマイは、
輸送中の映画フィルムを盗み、
仲間と一緒に映画会を開くのだ。
当然、映画館は困る。
観客の迷惑を考えない行為は、
映画好きだというだけでは許されまい。
第一、扇風機のプロペラをシャッター代わりにした手製の映写機では、
映画を観ることは不可能だ。
何故なら、映写機では、24分の1秒の割合で
静止画を作って投映し、
シャッターを閉じてコマを送り、
再び静止画を作って投映し、
という繰り返しが
目の残像の原理で動いて見えるものだからだ。
映画の仕組みを知っている映画関係者が
こういう嘘を平気で垂れ流してはいけない。
監督自身の実話を基にしたというが、
間違った情報はいけない。
サマイ少年の興味が
映画の内容よりも、
映画の機械的機構に向けられるのも
映画愛とは言えまい。

ただ、田舎の小学生の生活、
インドの家庭での生活、
インド料理、お弁当の作り方、
映画館の様子などは興味深い。
ただ、インド映画特有のくどい描写が多く見られる。

映画館にも変化の波が押し寄せて来て、
フィルムからデジタル化が進み、
映写機がスクラップされて、
食器に変わり、
フィルムが溶かされて、
女性のアクセサリーに変わる様は、
なかなか皮肉が効いている。
原題は「Last Film Show」。

教師はサマイに
「英語を学び、この村から飛び出せ」と言い、
最後にサマイは旅立つのだが、
その後、映画監督になれたのかどうかは不明のまま。
最後に、映画に貢献した監督たちの名前が出るが、
日本では小津安二郎、勅使河原宏、黒澤明の名前が上がる。

監督のパン・ナリン
世界で一番の映画ファンだと自称している。
映画ファンだったら、
少年たちがフィルムを棄損する場面をどうして描くのか。
主人公の少年サマイを演じるのは、
3000人のオーディションの中から選ばれたバヴィン・ラバリ

5段階評価の「3」

新宿ピカデリー他で上映中。

私自身の映画体験を語る、明日のブログに続く。