空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『明日ヘのペダル』

2022年09月30日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

熊谷達也による、ロードバイク小説
企業小説でもあり、コロナ小説でもある。

2020(令和2)年初頭、
仙台で妻子と暮らす54歳の印刷会社の会社員・本間優一は、
健康診断で赤信号をくらったことがきっかけで
運動しなければと決意するが、何をしたらいいかがか分からない。
そんな折、職場の飲み会で、20代の部下・水野唯から
「自転車が一番いいと思います」と勧められる。
「最も効率よく有酸素運動をできるのが自転車なんです」。
唯に連れられて自転車屋へ行くと、
ルビーレッドの高価な自転車に一目惚れをしてしまい、
妻を説得して(56万円の価格より少なく申告して)購入、
ロードバイク(本格的なスポーツ用自転車)に乗るようになる。
唯の指導を受けて、優一のロードバイク技術はめきめき向上していく。

舞台となるのは、2020(令和2)年初頭。
新型コロナウイルスのパンデミックにより、
日本中で経済も生活も変更を強いられた時代。
行動制限がなされ、
各企業がこぞってリモートワークに走っている状況下、
優一の会社も在宅勤務に切り換えざるを得なくなる。

そんな息苦しい状況にあっても、
自転車を通して、優一は新しい扉を開いてゆく。
つまり、
年齢的に先が見える中、
迫り来る老後に不安を抱えた同世代へのエールとなっている。
「明日へのペダル」と題名にあるとおり、
優一はロードバイクにその突破口を見いだす。

「河北新報」他の地方紙各紙に2020年7月から
2022年1月にわたって連載。
まさにコロナ禍の真っ只中に執筆された。
コロナ禍に陥った2020年の日本をドキュメントする記録文学でもあり、
その渦中で奮闘する企業小説である。                       
当時の世相が描かれており、
新規感染者が数十人程度で大騒ぎになっているのが、
二十万人に至った今から振り返ると、隔世のことのようだ。
とにかく、当時は、未知の病気への恐怖に
日本中が震え上がったいたのだと分かる。
「緊急事態宣言」などという恐ろしい名前の宣告がなされ、
飲食店が目の仇にされて、
営業時間の短縮営業を余儀なくされた。
そして、リモートワークという、
初体験に驚く様も、今となってはなつかしい。
自宅のパソコンを使って、仕事が可能だとは、
誰も考えていなかった。(一部ではやっていたが)

「昔から言われていることではあるけれど、
われわれは、自分の身体と時間を会社に拘束され、
その対価として給料をもらっているにすぎないということだ」

ロードバイクの魅力に取りつかれた優一は、
在宅勤務をいいことに、サドルにまたがり続け、
体重は減り、
血液検査の数値はぐんぐん良くなる。

優一の会社もコロナの影響を受けて、
先輩社員が会社を去り、
リストラの波が優一の部署にも及んで来る。
課内の1名をリストラ候補として指名された優一は、
近々社長になる専務と対決するが・・・

優一の先輩のリタイア後の生活にも触れる。
田舎に帰らず、貸し農園で野菜を育てる毎日。
故郷に帰る、という選択肢を選ばなかった理由がなかなかだ。

「これだけ長く街場の暮らしをしてしまうと、
これから田舎に戻って
あの濃密な人間関係の中で暮らすのは、ちょっとね。
田舎暮らしをするのなら、
まったく知らない土地に移住したほうがいいくらいだ」

そして、こう言う。

「コロナは確かに困ったものだが、
われわれに物事を深く考えるきっかけだけは
与えてくれているような気がするよ」
「わたしもそう思います。
コロナがなかったら、
残りのサラリーマン人生を
つつがなく終えることしか考えていなかったでしょうから」

余談だが、私も自転車にはまったことがある。
友人に勧められて、スポーツタイプの自転車を購入。
16万円。バイクが買える価格だ。
一時期は、浦安から品川の職場まで通ったこともある。
当時は、東西線で通っていたから、
その内側を走った方が近い気がしたのだ。
しかし、その後、京葉線が東京駅まで行くようになり、
自転車ルートよりも内側を電車が走るのでは
心理的に無理が来て、
自転車通勤はやめた。
今思えば、体力もあったんだな、という思い出。

 


映画『アテナ』

2022年09月29日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

パリ郊外の団地で、
13歳の少年が暴行されて殺され、
犯人は警察官だという噂が流れ、
事件の解明を求める若者たちが
アテナ団地に立てこもる。
それを排除しようとする警官隊との闘争を描く。
2015年に実際に起こった事件がモデル。

この作品の特徴は、
随所に挟まる長回しのカット。

冒頭、殺された少年の兄であり軍人のアブデルが
警察署で記者会見を開く。
冷静にと呼びかけるためだ。
会見の最中、カメラが集まった人々に寄っていく。
すると、後ろの方にいた青年が火炎瓶に火を付けて投げ込み、
会見場は混乱に見舞われる。
火を付けた青年は亡くなった少年の、もう一人の兄カリムだった。
暴徒が乱入して、警察署を破壊して火を放ち、
武器を奪って逃走する。
冒頭のアブデルのアップからワンカットで描写したカメラは、
そのままカリムにへばりついて、追跡する。
カリムと一緒に車の中に入ったカメラは、
いつの間にか車外に出て、
カリムが乗る奪ったパトカーに並走し、
近づくと、再びいつの間にか車の中に入り込む。
車は、他の拠点で騒乱する現場に寄り、
やがて、アテナ団地に到着する。
暴動の準備をする青年たちを描き、
指導者カリムに付いたカメラは、
団地の入り口の高所にたどり着くと、
そのまま空中を移動して、
青年たちが立てこもる
要塞と化した団地の全景を捉える。

ここでメインタイトル。


ここまで約10分間のワンカット映像
私の好み。
全編ワンカットとはいかず、
カット割はあるのだが、
長回しは随所に登場する。
それゆえ、臨場感は半端ではない。
膨大なエキストラを使った、大変な撮影だっただろう。

映画は、アブデルとカリムの兄弟と異母兄モクテルと、
警官隊の中で、後に人質になり、命の危険にさらされる
一警官との4つの視点で描かれる。
混乱し、脱出する住民たち、
ハシゴをかけて団地内に侵入する警官隊、
武器で応戦する青年たち・・・
次々と展開する情景を可能な限りの長回しで捉える。
手持ちカメラとクレーン、ドローンの連動で、
一体どうやって撮ったのかと不思議に思う
すさまじい驚異の映像が頻出する。

無意味な長回しではなく、
ぎりぎりの臨場感を伝えるための長回し。
手法と描きたいことが見事に一致する。
途中カット割はあるが、
精神的には全編ワンカットと思える映画だ。
ダイナミックナ映像が観る者に迫って来る。

カリムの主張は、
殺した警察官を特定し、連れて来い、というもの。
警察側は拒否。
ならば、と警官の一人を人質にし、
警官を連れてこなければ殺す、と要求を突きつける。
アブデルは、その警官の救出に向かう。
最後に事件の真相が明らかになるが・・・

舞台となる団地は、
移民や難民をはじめとする低所得層の住む地域。
フランス社会の反映で、
団地の暴動は、フランス各地の内戦に発展する。
三人の兄弟の分裂は、
フランスの分断を象徴しているという。
また、題名の女神アテナをはじめ、
背景にはギリシャ神話が存在する。

監督はギリシャ人のロマン・ガブラス
ギリシャの弾圧を扱った「Z」(1969)でアカデミー外国語映画賞を取った
コスタ・ガブラスの息子だ。
撮影は、マチアス・ブカール
18㎏あるIMAXカメラで撮影したという。
だから、細部まで鮮明な映像が展開する。

背景に、宗教曲風の合唱が流れるのも効果的。

2022年のベネチア国際映画祭コンペティション部門出品作品。
Netflix で9月23日から配信。
必見。


安倍さんに向けて

2022年09月28日 23時00分00秒 | 様々な話題

昨日の国葬の際の菅前首相の弔辞の中に出て来た、
山県有朋伊藤博文の関係について、
産経新聞論説委員の阿比留瑠比氏が、
衛藤晨一議員の話を載せている。
安倍さんが首相を退任した後、
山県の屋敷跡である椿山荘での会合で、
安倍さんは、ふとこう述べたという。

「山県さんは、
『(銃弾で非業の死を遂げた)伊藤が羨ましい』
と言っていた」

その意味は、こうだ。

吉田松陰が開いた松下村塾の門下生が
道半ばで処刑されたり、
戦場で倒れたりする中で
生き残った伊藤は
生前、
「死ぬときは畳の上で死にたくない」 
と話しており、
その通りになくなった。
山県の言葉を安倍氏が引用したのは、
同じ政治家として、
自分の身にも何が起こるかは分からないとの覚悟からだったのか。
菅氏がたまたま訪ねた安倍事務所で、
山県の歌に出合ったのは
不思議な縁だといえる。

この記事を読むまで、
伊藤博文が安倍さん同様、
銃撃で暗殺されたことに思い至らなかった。
そして、国葬で送られたことも。
更に、68歳という、67歳の安倍さんとほとんど同年齢だったことも。

菅さんはそのことには触れなかった。
触れれば、韓国の過剰な反応も予想され、
分かる人だけ分かればいい、
ということだったのだろう。

そして、安倍さんは、伊藤博文と同様、
「死ぬときは畳の上で死」ななかったのである。

国葬から一夜明けて、
Yahooのアンケートが出ている。
国葬について、

実施してよかった  が 54%
しない方がよかった が 45%

この結果をどう見るか。

 

では、昨日のブログで、
菅さんの弔辞の後は恥ずかしくて、
載せられなかった、
私が安倍さんに語りかけたかったこと、です。

「安倍さん。
騒々しい中での葬儀となってしまい、申し訳ありません。
岸田首相は真摯な気持ちから国葬として送りたい、と思ったのでしょうが、
手続き的なものが不十分であったために、
反対論に理由を与えてしまいました。
そして、反対の声の方が大きいために、
静かに送りたいという声は聞こえなくなってしまいました。

私は安倍さんほど、
日本を愛し、
その過去と未来に想いを馳せた政治家を知りません。
目の前の些事ばかりに目をやって、
この国の形を思わない国会議員たちの中で、
安倍さんは日本の国が世界の中でどうあるべきかを
常に考え、
50年後、100年後を見通した国家ビジョンを構想しておられた。

政治は反対意見との闘いです。
どんな法案も、
必ず反対意見が出て来る。
それを日本に必要だとの信念から
通すのには、
相当な胆力が必要です。
安倍さんには、その胆力があった。
だから、辛抱強く、その闘いに勝利した。

「アベノミクス」を創生し、
日本経済の再建をした。
株価は上昇し、雇用も大幅に増え、失業率は低下した。
批判する方々は、この事実に目を向けない。

憲法改正を口にし、
日本の安全保障のために法律を改正し、
集団的自衛権の限定的行使を可能にする安保法制を制定した。
これにより、日米は守りあう関係に深化し、抑止力が高まった。

アメリカ連邦議会上下院合同会議の演説で
日米の和解と同盟の深化を表明し、
オバマ大統領の広島訪問、
安倍首相の真珠湾訪問を経て、
日米の戦争を深い意味で終わらせた。

戦後70年談話では、
自由、民主主義、人権という基本的価値の堅持を表明し、
「戦争に何ら関わりのない、
私たちの子や孫、
そしてその先の世代の子供たちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
と、謝罪の歴史を断ち切った。
日本を過去の戦争への贖罪意識で萎縮する国ではなく、
前向きに、世界の平和と繁栄に貢献する国にしようとした。

中国の脅威を誰よりも早く気づいて、
それに警鐘を鳴らし、
そのために、自由で開かれたインド太平洋構想を提唱し、
日米豪印の連携のクワッドを作り、
国際的連帯を強めて、中国の膨張を抑止した。

1年ごとに交代する日本の首相に呆れる諸国の評価を断ち切り、
8年8カ月の在任期間を通じて、日本の国際的地位は上昇した。
記念写真を撮るためだけにサミットに参加するかのようだった、
歴代の日本首相ではなく、
発言力を備えた、アジアの指導者として信頼された。
「で、シンゾーの意見は」と
各国首脳は、あなたの意見に耳を傾けた。
それも長期政権、安定政権が信頼されたからだ。

日本を「普通の国」にするための努力をしたのが、
あなたの闘いだった。
ロシアのウクライナ侵略、
台湾併合を狙う中国、
核とミサイルで世界の平和を脅かす北朝鮮。
こうした国々に囲まれる中で、
平和ボケした日本を目覚めさせようとした。

その姿勢は一貫している。
日本人が日本人であることに誇りを持てる国作り。
世界平和に貢献できる日本という国。
自分の国は自分で守る、という当たり前の国になること。
そのために、防衛庁を省に昇格させ、
国家安全保障会議(NSC)を作り、
安全保障関連法を成立させた。
限定的集団自衛権を確率させた。

それらの全ては、
日本が独立国として安全を守るために必要な施策だった。

しかし、日本には、
日本の国を貶め、
贖罪意識に満ちた、弱いままで置きたいという、
不思議なメンタリティーを持つ一群がおり、
一部のマスコミや野党の反発を受けた。
ある新聞は、安倍政権を倒すことが「社是である」とまで言った。

しかし、モリカケ桜で貶めようとして、
あれだけ国会で長期にわたって審議しても、
安倍さんの不正はついに証明されなかった。
冤罪だったと敗北を認めるべきなのに、
「疑惑は晴れていない」と継続する。
疑惑を晴らしたくない人には、どんな説明をしても無理というものだ。
国葬についての岸田首相の説明も、
何度言っても「説明が足りない」と納得しない。
最初から納得する気のない人を納得させるのは困難だ。
そして、反対のデモ行進をし、
中止を進言するといういやがらせ。
各国大使館に「出席しないように」という恥ずべき文書を送り、
議員の中には、
欠席することを自慢げに報告し、
ついには、身内の自民党議員の中にさえ欠席する人が出て来た。
その議員は、安倍さんのことを「国賊」とまで呼んだ。
最大限の侮辱の言葉だ。
本人が生きている間は言わず、
反論できない亡くなった人に罵倒の言葉を浴びせる。
卑怯者のすることだ。
ある高名なニュースキャスターは
「安倍元首相は我々国民のために何かしたのか」と言った。
別な元キャスターは「安倍さんの実績なんか、無い」とのたもうた。
自分の無知と視野の狭さと不明と不勉強をさらしだすことなのに。

こうした安倍さんの姿勢を思うにつけ、
凶弾で倒れたあなたを国民全てで送りたい、
という岸田首相の思いは理解できる。
今、国葬反対を叫ぶ人々は、
安倍さんが名誉ある立場に立つことを恐れているのだ。
そして、それは、国論を分断した、
ということで成功したように見える。

安倍さんは日本を強い国にしようとした。
弱い国のままにししておきたい人々は、それに反対した。
そして、「安倍憎し」のままに、
人間としてしてはならない領域までに踏み込もうとしている。
自分の政治的主張のためなら、
あらゆる非礼、非道、歪曲、罵倒が許されるかのような状況だ。
卑怯な人間、愚かな人間が横溢する
日本はどこに行こうとするのだろうか。

最後の最後に、
国葬に泥を塗ることで、
安倍さんの敵は、勝利したように見える。

しかし、あなたのレガシーを引き継ぐ者が必ず出て来る、
と私は信じたい。
どんな批判も、
後に続く人がいれば、癒される。
国葬騒動の中、
そういう新しい芽が出て来ることを確信する。

あの半蔵門から(後には四谷から)延々と続く
献花の列は、感動的だった。
強い日差しの中、
みんな粛々と歩き、安倍さんに思いを馳せ、
献花台の前に立った。
時間をオーバーし、閉鎖されてからも、
花を持った人々は訪れた。

安倍さん、こんな騒動になって申し訳ありません。
ただ、本来の日本人はこうではないのです。
あなたが信じた、この国の若者たちは、
そんな姿ではありません。
やがて若者の中から、
あなたが残したものは芽吹くでしょう。
そのことを信じ、期待して、安らかにお休み下さい

ありがとうございました。

 


献花に行って来ました

2022年09月27日 23時00分00秒 | 様々な話題

本日は、朝9時にバスで東西線浦安駅まで行き、


この花屋さんで、白い菊を3本買いました。


安倍元首相の国葬の一般献花のためです。


そして、東西線で九段下へ。


すると、「一般献花は半蔵門駅の方が近い」という告知が。

 

半蔵門駅に着くと、
花を手にした人たちが沢山。


ちょっと感動しました。

ここで花を調達する人も。

皇居の半蔵門まで歩くと、列ができています。

 

そこで並んで、ちょっとずつ進みます。


皇居の4分の1くらいを歩きました。

10時05分から並んで、
献花台に着いたのは、11時55分。

自分とカミさんと娘の分、3本を献花。

一般献花の場所を武道館と別にしたのは、
警備上の問題と感染対策、
それに十分な時間の確保のためだそうです。

実際、人が集まりすぎて、10時からの開始を
9時30分に前倒し。
終了の4時も延長したそうです。

マスコミは、国民全部が反対のようなことを印象付けようとしましたが、
声をあげずに、
安倍さんに感謝する人々がこんなにいるのです。

その後、靖国神社へ。

帰り、九段下駅では、
「献花の最後尾は四谷です。
四谷にお向かい下さい」
と告知していました。
そこまで延びたのか。

本当は有楽町に出て、映画を観るつもりでしたが、
多分寝てしまうだろうと、帰宅。

中継時と録画で、
国葬の様子を観ました。

武道館の座席は埋まっています。
昨日、ある記事が、
「会社関係の人が不出席で、武道館はガラガラだろう」
と書いていましたが、
そんなことはありません。
それにしても、どうして、意地悪い憶測記事、というか、
願望記事を書くのでしょう。
人の失敗を期待する、卑しい心根というしかありません。

カナダの首相が水害対策で来れなくなったことで、
「G7の首脳が一人も来なくなった」と
大喜びで報道しているのもありました。
韓国も、そういう報道をしていました。
日本を貶めることで喜ぶ。
これも卑しい心です。
恥ずかしくないのか。

そして、極めつけは、
銃撃犯人に寄り添った映画を
国葬に合わせて公開する人々。
しかも、それを朝日新聞がほめているといいます。
テロを憎まないのでしょうか。

218の国と機関から700人が参列。
安倍さんの国際的評価が高いことが分かります。

岸田首相の弔辞は、そこそこでしたが、
胸を打ったのは、菅前首相の弔辞
「友人代表」としての、
真情あふれる弔辞でした。
カミさんは泣いていました。

「7月の8日でした。
信じられない一報を耳にし、
とにかく一命をとりとめてほしい。
あなたにお目にかかりたい、
同じ空間で、同じ空気を共にしたい。
その一心で現地に向かい、
そして、あなたならではのあたたかなほほえみに、
最後の一瞬、接することができました。

あの運命の日から80日が経ってしまいました。

あれからも朝は来て、日は暮れていきます。
やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、
高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は、歩みを進めます。
あなたという人がいないのに、時は過ぎる。
無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、
いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
悔しくてなりません。
哀しみと怒りを交互に感じながら、
今日のこの日を迎えました。

しかし、安倍総理・・・とお呼びしますが、ご覧になれますか。
ここ、武道館の周りには、花をささげよう、
国葬儀に立ちあおうと、
たくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが、少なくないようです。
明日を担う著者たちが大勢、あなたを慕い、
あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは今日よりも、
明日の方が良くなる日本を創りたい。
若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、
毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。
――これが、あなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、
歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。
報われた思いであります。

平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
私は、当選まだ2 回の議員でしたが、
「草の根の国民に届くのならよいが、
その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」
と言って、
自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、
これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。
北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、
一緒に行動してくれれば嬉しい」
と、そういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、
その後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、
私は直感いたしました。
この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、
確信をしたのであります。

私が生涯誇りとするのは、この確信において、
一度として揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、
総理の座をしりぞきました。
そのことを負い目に思って、
二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、
私は一生懸命、あなたを口説きました。
それが、使命だと思ったからです。
3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。
私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、
いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、
欠かさず一日に一度、気兼ねのない話をしました。
今でもふと一人になると、
そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、
私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」
という意見で、
どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
一歩後退すると勢いを失う。
前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。
日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、
特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、
難しかった法案をすべて成立させることができました。
どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものです。

国難を突破し、強い日本を創る。
そして、真の平和国家日本を希求し、
日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、
あなたは常に笑顔を絶やさなかった。
いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、
あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。
私だけではなく、すべてのスタッフたちが、
あの厳しい日々の中で、明るく、
生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。

衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、
読みかけの本が1 冊ありました。
岡義武著『山県有明』です。
ここまで読んだ、という最後のページは、
端を折ってありました。
そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、
いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、
故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて尽しゝ人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ

かたりあひて尽しゝ人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ

深い哀しみと、寂しさを覚えます。
総理、本当に、ありがとうございました。
どうか安らかに、お休みください」

弔辞が終わると、
異例の拍手が沸きました。
それほど心に手が届く内容だったということでしょう。

この後、
私の気持ちを書くはずでしたが、
菅さんの弔辞の後は恥ずかしく、
明日に譲ります。

 


防災訓練

2022年09月25日 23時00分00秒 | わが町浦安

一週間前ほど、↓のようなものが届きました。

団地での安否確認訓練の案内。

掲示板にも、貼られています。

団地自治会の主催。


で、当日、朝9時の放送と共に、
ドアの内側にあった、このマグネットステッカーを


ドアの表に張り出します。


各棟の幹事さんが確認に回り、


張り出しの無い場合、ドアホンを鳴らして、
ステッカー張りの協力を依頼。

後刻、団地中庭の芝生広場に集合。


ここは、夏の盆踊り会場になる所。
放水訓練。

ヘルメット姿がかわいい。


ここが、防火水槽。

そうか、このマンホールは、そのためのものだったのか、

と、今更ながら納得。

これが放水の機械。

あとかたづけ。

ご苦労様です。


その後、マンション12階からの放水訓練も。

消火器の使い方の練習も。

中身は消火薬品ではなく、水を使用。
薬品では下が汚れますから。

見守る参加者のみなさん。

ヘルメットをかぶっている人が多いのは、驚き。

地震の際は、確認が取れるまで、
下水を流さないよう協力依頼。
11年前の東日本大震災の時、
この団地では、水道管の破裂はありましたが、
下水菅の破裂はなかったそうです。
私の住む棟も下で水道管が破裂し、
そこからバケツで水を運んだ記憶がよみがえります。


終了後、参加者には


2リットル入りの保存水が配られました。

「備えあれば、憂いなし」
訓練は、常に必要です。