空飛ぶ自由人・2

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小説『光のとこにいてね』

2023年06月30日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

二人の少女の出会いと別れの繰り返しを
約四半世紀にわたって描く。

3部構成で、
第1部は、7歳の小学2年生の小瀧結珠(こたき・ゆず) が、
母親の浮気の隠れ蓑として連れて行かれた団地で、
同年齢の孤独な少女・校倉果遠(あぜくら・かのん)と出会う。
結珠の家は医者の家系で裕福、
果遠はシングルマザーで貧しい、という違いはあるが、
母親失格の親に育てられた共通点から、
二人は毎週水曜日の会う日を楽しみにする。
しかし、その交流も突然途切れてしまう。

第2部は、その8年後
結珠の通う小中高一貫教育の女子高に、
果遠が外部からの途中入学組で入って来て、同じクラスになる。
実は、結珠の制服から、この一貫教育高と目星をつけて、
果遠はわざわざ受験して入学してきたのだ。
次第に距離を縮める中、
結珠の家庭教師・藤野素生(ふじの・そう)の問題などが絡む。
しかし、その関係も果遠の夜逃げで、突然断たれてしまう。

第3部は、その14年後
藤野と結婚し、小学校の教師となった結珠は、
教師という職業に挫折して休職し、
和歌山県の串本に移転する。
藤野との間に子どもはおらず、
藤野のコンサルタントの仕事は在宅で
田舎への移転が可能だった。
そこで、二人は再会する。
二人とも29歳になっていた。
姿を消した果遠は、母の実家のあるこの町に来て、
祖母がしていたスナックを引き継いでいたのだ。
母親は男を作って音信不通。
果遠の子どもの瀬々(ぜぜ)は、
学校でいじめにあい、
フリースクールに通っている。
教師の経験があるということで、
フリースクールの校長から手伝いを求められた結珠は、
瀬々から慕われ、
自然、果遠との交わりが深まっていく。
この経過で、果遠の夫の水夫(みなと)との関係、
結珠の歳の離れた弟の直の話などが絡む。

結珠の側からと、
果遠の側からと、
交互に描かれる構成。
しかし、二人の感じ方が似通っているので、
今どちらの描写なのか判然としない時が多かった。

私の苦手な分野の小説
女の子、特に幼児の心理や
高校生の心理は、
はっきり言って、わからない。
だから、読んでても共感には至らない。
というより、なぜこんなに素直でなく、
こだわって生きるのだろう、との疑問ばかり。
もっとおおらかに、
今を受け入れて生きられないものか。
二人とも生き方に芯がないので、
揺れ動く様が、響かない。
女の人は、こういう小説を好むのだろうか。

題名は、果遠が結珠に、
小さな陽だまりの場所を指定して、
「そこの、光のとこにいてね」
と言った言葉に由来するが、
様々な意味を含んだものとされている。

2023年本屋大賞第3位

第168回直木賞(2022年後半)候補作

選考委員の点は、辛い。

浅田次郎  
二視点一人称を採用しているが、
性格も生育環境もちがう二人の女性の精神性が
なぜか同じなのである。
この一点において物語の禁忌を踏んだと思えた。
それでもあちこちに鏤められた作者の才気はまばゆいばかりであった。

北方謙三  
冒頭の二人の少女の出会いは、秀逸であった。
それぞれの母親のわけのわからない強烈さは、
前半では無気味でさえある。
しかし実相が判明してくると、
この程度かと感じてしまうほどに、
矮小化されてしまったと思う。
この小説の評価は、
結末の電車と車の疾走の部分に、共感できるかどうかで分かれるという気がした。
私は、その部分が不要に浮いたと感じた。

宮部みゆき  
(「汝、星のごとく」と共に)多感なころに出会った「運命の二人」のお話
ということで、物語の構造が根本的に似ていました。
候補作の組み合わせが違っていたら、
また別の評価があったのではないかと思います。

高村薫  
少女二人の出会いと交流だけが鮮やかで、
家族や男性たちはみな顔がない。
また、当の女二人の疑似恋愛的な交流のエピソードの一方で、
人間の感情生活には立ち入らない。

三浦しをん  
登場人物たちのずるさや苦しみ、
通じあえなさを微細かつ繊細に追求しつつ、
実は情熱的かつ動的な小説であるところが、
とてもいいと思った。
ただ、二人の人物の交互視点の場合、
語り(つまり、二者の性格)にいかにさりげなく、
しかし明確な差違を持たせるかがむずかしいなとも思えて、
強くは推しきれなかった。

林真理子  
(凪良ゆうの作品と)同じテイストを持っていたため
脚をひっぱり合っていたような気がしてならない。
魂の双児」であった二人がめぐり合うのがテーマであろう。
が、最後まで、
「いったい何を欲して、いったい何に餓えているのか」
という疑問がぬぐえなかった。

角田光代  
まったく異なる環境で育った女性二人の差異が、
後半につれてあまりなくなっていき、
同じ感覚、同じ価値観、同じ言葉になっていくのが、
この小説の力を弱めてしまったように思う。

桐野夏生  
後半に無理が生じているのではないだろうか。
二人(果遠と結珠)を取り巻く人間関係があまり描かれていないことに
原因がありそうだ。
二人の夫や父親との関係も描かれていないので、
彼女たちの関係性にリアリティが感じられない。


映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

2023年06月29日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

前作「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018)は、
実写版からコミックに回帰、
CGアニメとは異なる、
アメリカン・コミックがそのまま動き出したような革新的映像表現で、
まさに天才の所業、と思わせた。

評価は高く、その年のアカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞。
本格的なマルチバースを描いた作品だった。

マルチバース・・・マルチ(複数)とユニバース(宇宙・世界)を合成した造語 で
         自分のいる世界とは別に他の世界が複数存在するという
         理論物理学のこと。
         多元宇宙と訳される。

シリーズの「2」に当たる本作は、
そのマルチバースを更に深く追究する。

前作から1年後。
ピーター・パーカー亡きあと、
スパイダーマンを継承した高校生マイルス・モラレスのもとを、
別次元のスパイダーウーマンである
グウェイン・ステイシーが再訪して来る。
彼女は、自分の住むユニバースで、
ピーター・パーカーの死の犯人として、
父親である署長にその正体を知られて、
マイルスの住むユニバースに逃げて来たのだ。
マイルスは、空間をあやつる怪人との闘争をしていたが、
グウェインと共に、
各次元のスパイダーマンのひしめく
スパイダー・ソサエティに接触する。
そこでマイルスは、
愛する人と世界を同時に救うことはできないという、
スパイダーマンの課せられた悲しい宿命を知り、
運命に反抗することを決意する。
結果、マイルスはソサエティ全体を敵に回す羽目になり、
追われたマイルスは、
運命を変えるために、
自分のユニバースに戻って来る。
しかし、そこは誤った着地点で、
悪人となった自分自身と対決することになり・・・

少しでも居眠りしたら、先を理解するのは不可能となる。
事実、私は公開日、ほんの少し眠ったばかりに、
ソサエティが何かも知らず、
なぜマイルスが追われるのかも理解せず、
最後のくだりもわけが分からず、
もう一度観ることになった。
ああ、ここで眠ったのだな、
理解できなくなったのも無理はない、
と恥ずかしい話。

何だか、背景の色合いが前作と違うな、
と思ったら、
今作ではユニバースごとに異なるアニメーションスタイルを取り入れているのだという。
どこまで凝るんだ。
前作同様ストーリー展開、キャラクター、造形美は
一層の進化を遂げている。
なにより、このスピード感は驚異的だ。

まさに、天才の所業

マルチバースという世界観を
見事に活用した本作。
アメリカでは前作をしのぐ大ヒット。
この複雑な物語を
あのおバカな(偏見です!)アメリカ人が本当に理解しているのだろうか。

監督は、
ホアキン・ドス・サントス
ジャスティン・K・トンプソン
ケンプ・パワーズ
の3人。
どんな分担をしているのか、興味がわく。
脚本は、
デヴィッド・カラハム
フィル・ロード
クリストファー・ミラー
の3人。
グウェンとマイルズの母が魅力的。


音楽も素晴らしい

2時間20分と長いが、
そのラストに「あっ」と言ってしまった。
続編の「スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース」は、
来年3月29日に公開される予定。

5段階評価の「4.5」

拡大上映中。

 


寄生虫館に行ってきました

2023年06月28日 23時00分00秒 | 様々な話題

先日、目黒に出かけました。


目黒駅は品川区に、品川駅は港区にあります。

目黒駅に降りるのは、十何年ぶりです。

随分変わりました。

権之助坂を降りて、

目黒川を越え、

山手通りを越えて、

途中にあったのが、大鳥神社

大同元年(806年)創建の目黒区最古の神社。
現在の社殿は昭和37年(1962年)に完成したもの。


平成18年(2006年)には鎮座1200年祭が行われました。

目の病の治癒を祈願し、無事治癒した由緒があり、
盲神(めくらがみ)と呼ばれ、
この「めくら」が段々と訛っていき
「目黒(めぐろ)」という地名の由来となったとされています。

大鳥神社を過ぎて、
目的地は、ここ。

ずっと「寄生虫博物館」という名前だと思っていましたが、
正式名称「目黒寄生虫館」。
頭に「目黒」と付くのはなぜなのか。

世界的に珍しい寄生虫の博物館。
2017年に、ソウルの江西区に寄生虫博物館が開館するまでは、
長らく、世界で唯一の存在でした。

その存在は知っていましたが、
行こう行こうと思いながら、ようやく。

1953年、医学博士の亀谷了(かめがい・さとる)さんが
私財を投じて設立した私立博物館であり、
公益財団法人目黒寄生虫館が運営しています。

2フロアだけのこじんまりとした博物館です。

撮影OK。

入場無料
初代の亀谷館長の方針で、
知識を広めるためには、無料で来てもらって、
自由に見てもらうことが重要だ、ということです。
「お金を取らないことで、こちらも自由に展示できるというメリットもあります」
とのこと。

無料のせいか、結構人が入っていました。

外人さんの姿もちらほら。

どうやって情報を得るのでしょうか。
2022年には、ビル・ゲイツも来館したそうです。
どういう興味だったのか。

寄生虫の写真はネットで調べれば出てきますが、
ここでは実物を見られます。


展示スペースには約300の標本が置かれていますが、
保管している標本や資料は約6万点もあります。

回虫

最も知られた寄生虫で、
昔の人は体内に1、2匹は飼っていました。
学校で年1回、
海人草(カイニンソウ)という紅藻を煎じた苦い薬を飲まされ、


新聞紙を敷いたトイレで排便すると、
回虫が出てきます。
私はこどもの頃、2回経験しました。
昔は下肥を畑の野菜にかけましたので、
生野菜を食べると、卵が口から入って感染、
それ以外に、下肥をかけた土が風で飛んで、
経口感染する、ということもありました。
今では回虫を体内に持っている人など、まれです。

そういえば、「虫下し」という言葉も、もはや死語ですね。

これが代表的な展示物、
全長8. 8メートルの
長大な日本海裂頭条虫(サナダムシの一種)。

約1メートルずつに折り曲げて展示されています。

40代の男性が排便中、
白いひも状のものが出て来、
駆虫薬を使って、ほぼ完全な形で回収。
感染源は、
男性が3カ月前にマスの刺身を食べ、
そのマスに寄生していた条虫が男性の腹の中に。

沢山の節で出来ており、
節が一つでも腸内に残ると、
そこから再生しますので、
全身を駆虫しなければなりません。

ある研究者は、
わざとサナダ虫を飲んだそうです。
すると、アレルギーなどの症状が消えるといいます。
体内のアレルギー反応要素が、
仕事のない公務員のように過剰に反応していたのが、
サナダ虫を飼うことにより、
そちらに防御機能が働いた結果だとか。
また、ダイエットにもよく、
腸を体内に装備しているのと同じで、
栄養を吸収してくれるのだとか。

ある研究者がサナダ虫を
「きしめん虫」と命名したところ、
名古屋のきしめん店から
「殺しに行くぞ」と脅迫されたとか。

8.8メートルという長さを実感してもらうために、
同じ長さの紐が標本の横に設置されており、
それを手に取ることができるようになっています。

入館料を徴収しないかわりに、
募金をつのります。
わずかですが、寄付をしました。

ショップでグッズを販売しており、
サナダ虫をデザインしたTシャツなど。
いつ着るのでしょうね。


キーホルダーは個性的な3種類の寄生虫がデザインされています。
その他文房具(定規、クリアファイル、ボールペンなど)、
手拭い、マグカップ、トートバッグ、ポストカード。

ある会社は、新人社員の歓迎行事として、
ここに連れて来て、
その帰り道に、
きしめんを食べさせるのだとか。
ホントかね。
今だったら、パワハラに認定されるのでは。

東京には、まだ知られざる博物館や美術館が沢山あります。

 


闘病記『くもをさがす』

2023年06月26日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

小説かと思って読んだら、
ノンフィクション。
しかも、闘病記

著者の西加奈子さんは、2015年に「サラバ!」で直木賞を受賞した小説家。
イランのテヘラン生まれ、エジプト・カイロで成長した人。
その方が家族でカナダのバンクーバーに移住。
そこで、ガンになった。
浸潤性乳管がん
2021年。
コロナ禍のまっ最中。
その宣告から治療を終えるまでの約8ヶ月間を克明に描いたノンフィクション。

読むのが辛かった。
最近、身近な人間が悪性リンパ腫にかかり、
約半年間の抗ガン剤治療を終えたばかり。
どうしても重なる。

闘病中の恐怖と絶望、
家族や友人たちへの溢れる思い、
時折訪れる幸福と歓喜の瞬間。
それらを克明に書きつづる。
日記とは別に、闘病中のことを、
発表のあてもなく書いていたのだという。
あっぱれな作家魂と言おうか、
と言おうか。

さいわい、治療が成功して、
生還したからいいが、
これが死という終わりだったら、
とても読めなかっただろう。

一人の人間として、
病と闘う姿勢を
あますところなく記した、記録文学。
というか、病に直面したからこそ判明する、
様々な人間の真実がまぶしい。
終始、前向きな姿勢を失わないところが、励まされる。

また、カナダと日本の医療の違いが興味深い。
なにしろ、両乳摘出手術が
日帰りでなされるという驚き。
日本なら考えられない、様々な行き違い。
それでもいい人に恵まれたと思う。
夫とこども、父母、友人、医療従事者、
みんな特別な人たちだ。

カナダ人の英語のセリフが
全部関西弁で書かれているのが面白い。
「相変わらずめっちゃええ静脈やん!
 針刺しやすいわ~」
という感じ。

題名は、
蜘蛛に噛まれた腫れ物を医者に見せたことがきっかけで、
乳癌を早期発見できたことによる。
祖母の話では、蜘蛛は弘法大師の使いだという。
西さんは思う。
亡くなった祖母が蜘蛛になって、私を噛んだのだと。

日本人とカナダ人の相違に対する
めざましい文化論にもなっている点も見逃せない。
特に、カナダ人の仕事上の不具合に対する対応が興味深かった。

例えばお店に行って、何かしらの不良品を買ったとする。
日本だったら、店員が何をおいてもまず謝るだろう。
「申し訳ございません。」
でも、カナダの店員は謝らない。
「あ、そんなんや、交換する?」
その程度だ。
何故ならそれは「店」の不備であって、
自分の不備ではないからだ。
飛行機の発着が遅れても、
バスのタイヤがパンクしても、
コーヒーメーカーが壊れて
コーヒーがサーブできなくても、
それは、会社・店側の責任であって、
いち社員・いちアルバイトに過ぎない
自分の責任ではない。
彼らはぱその態度を徹底していた。
会社や組織を代表して自分が謝る、
という観念が、
こちらの人にはないのだと思う。
何故なら彼らには、
彼らの給料に見合った仕事がある。
自分達の仕事を全うしている限り、
彼らに責任はないのだ。

なるほど、そういう考えがあるのか。
と思うと共に、
それこそ、日本人の持っている美風だと思える。
自分の所属している会社や店舗や
それらの不備は、私の不備という、
連帯感が日本を前に進めたのだ。
カナダ人の姿勢はそれはそれとして、
この日本人の美点は、
なくさないでほしいと思う。

私は親に感謝するほど頑強な体に生まれ、
今まで名のある病気は、
ストレスから来る十二指腸潰瘍しか味わっていない。
従って、病人の気持ちが分からない。
分かったつもりになっても、
本当のところは分かっていないのだと思う。
この西さんの闘病記、
やはり、自分がそうなってみなければ、
理解したとは言えないのだろう。


映画『青いカフタンの仕立て屋』

2023年06月25日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

カフタンとは、
トルコ、アラブ、中央アジアなど、
近東諸国やイスラム文化圏で着用されている
ゆったりとした丈の長い民族衣装のこと。


結婚式や宗教行事などフォーマルな席に欠かせない伝統衣装で、
華やかに刺繍されたオーダーメイドの高級品。
日本で言えば、母から娘へと受け継がれる着物のようなもの。

モロッコの海沿いの街サレ↑の路地裏で、
カフタンドレスの仕立て屋を営む夫婦ハリムとミナ。
安価で手早く仕上がるミシン刺繍が普及した昨今、
手間暇かかる手刺繍の良さを守るハリムは、
顧客の無理を聞きながら、細々とした商売を続けていた。


丁寧な仕事だけに注文がさばききれず、
ユーセフと名乗る若い男を助手に雇う。


ユーセフは筋が良く、ハリムのもの作りの姿勢にも共感していた。
ミナは、死病にとりつかれ、余命わずかと宣告される。

伝統的な仕事の店の中での
主人夫婦と若い職人の話、となると、
普通、妻を巡る三角関係を予想するが、
この映画は、そうではない。
実は、ハリムは同性愛者で、
ハマム(公衆浴場)の個室で男性と交わっていたのだ。
ミナは薄々そのことを気づいており、
ユーセフとの関係もそうなるのではないかと疑っている。
しかし、ハリムはミナを心から愛しており、
それを裏切る自らの性癖に苦しんでいた。
25年連れ添っているが、二人の間には子どもはいない。
ある時、ミナがいない店で、
ハリムはユーセフの告白を受けるが、
ハリムは拒み、ユーセフは店を離れる。
ハリムは妻の看病のために店を休むが、
家をユーセフが訪ねて来て・・・

西欧と違い、回教圏は同性愛に対する理解は進んでいない。
ハリムはそれを秘密にしているのだが、
ハリムの中では、伝統を守る仕事を愛しながらも、
自分自身は伝統からはじかれた存在であることに苦悩している。
しかし、3人は、青いカフタン作りを通じて絆を深めていく。

禁断の愛を描く回教圏の映画
カサブランカで、
女手ひとつでパン屋を営む女性と
臨月の未婚女性というモロッコのタブーを取り上げた
「モロッコ、彼女たちの朝」(2019)の
女性監督マリヤム・トゥザニの作品。

狭い仕立屋の中での人間関係が緊張感をもって描かれる。
となれば、俳優の演技力がものを言うが、
ハリムを演ずるサーレフ・バクリが圧倒的にいい。


心に秘密を抱えながら、妻を愛する男の哀愁がにじみ出る。

礼拝の時を告げるアザーンなど、
旧市街の音が沢山取り入れられている。
また、タジン料理など、民族料理の描写も豊富。

ただ、最後の下りは、
もう少し撮り方に工夫が出来なかったか。

2022年・第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、
国際映画批評家連盟賞を受賞した。

5段階評価の「4」

ヒューマントラストシネマ有楽町で上映中。